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橘花


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橘花とは、大東亜戦争末期日本海軍が試作した日本初のジェット軍用機である。しばしば誤解されるが分類は「特殊攻撃機」であり、戦闘機ではない。


開発までの経緯


第二次世界大戦中、大日本帝國ドイツは同盟関係にあった。両は互いに欲する物資を交換するため、潜水艦派遣し始めた(遣独潜水艦作戦)。連合軍の厳しい監視を掻い潜り、日本の勢圏に辿り着いたドイツ潜水艦は、欧州では入手できない東南アジア原産の資(ゴムタングステンボーキサイト等)を搭載してドイツに持ち帰り、ドイツの勢圏に辿り着いた日本潜水艦はマウザーといった日本では到底開発できないようなドイツ兵器エニグマ等を搭載して東南アジアへ持ち帰った。しかし連合軍の妨に遭い、撃沈された潜水艦も少なくない。

そんな中、ドイツ世界初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262を開発した。日本はこのMe262を強く欲したため、日本が開発した小艇用のディーゼルエンジンと交換する形でMe262日本に送られる事になった。Me262の現物と設計図、エンジンを搭載したドイツ潜水艦フランスのツーロン軍港から出航。1944年頃に日本占領下のバリックパパンへ到達。上陸したドイツ軍士官は現地の日本軍士官と情報交換を行った。ドイツ潜水艦が運んできたMe262エンジン、設計図は日本潜水艦に載せられて本土へ向かったがバシー峡でアメリカ潜水艦に撃沈されてしまう。Me262に関する資料は全に失われたかに思われたが、ドイツからMe262とともに運ばれてきた谷中佐が極一部の資料を持ち出しており、その谷中佐は路で東京に帰還した。

しかし谷中佐が携えてきた資料は、実況見分録と寸法すら書かれていない図面くらいで肝心な部分であるエンジンや機体の設計図は全くかった。


橘花開発


Me262の肝心な部分の設計図が失われたため、日本は僅かな資料を基にして和製Me262製作した。
まず固定武装は装備せず、500キロ爆弾800キロ爆弾を懸架して敵艦を攻撃する陸上攻撃機とする設計がなされた。Me262を対爆撃機戦闘機として使っていたドイツとは異なる運用方法だった。
従来の戦闘機用の高性レシプロエンジンの開発に行き詰まっていた時期でもあり、しかも戦況の悪化で燃料事情も悪化した事から、根油でも動き、しかも組み立ても較的容易なジェットエンジン(ネ12-B)には期待が寄せられた。

機体の外観は一見するとMe262と似通っているが、大きさは一回り小さく(Me262の全長が10.58m、全幅が12.5mあるのに対し橘花はそれぞれ9.25m、10.0mである)、形状も染みのあるテーパーを採用している。ドイツから運ばれてきた資料があまりにも乏しかったために、ほぼ全な新設計と考えて差し支えない。

製作群馬県にある中島飛行機製作所で行われたが、後にB-29襲で製作所が壊滅。しかし格納庫の橘花は事だったため機体は地方へ疎開した後に再度開発が進められた。1945年6月、ついに試作一号機が完成8月初旬、テストのため木更津基地に移動、飛行する事になった。初飛行は8月7日、12分間の飛行に成功する。日本史的にも航空史的にも初めて日本ジェット機が飛んだ間である。続けて10日にも、陸軍の幹部が視察に来てテストを見る予定であったが襲により中止。翌日の11日は悪につき中止。さらに翌日の12日に再度飛行テストを行ったが、離陸中オーバーランをして機体が破損。機体の修理中に15日の終戦を迎えた。試作機は3機まで完成していたが終戦悲観した整備員によって操縦席が破壊された。しかし本機を接収しようと考えたアメリカ軍修理を命じた。

橘花はジェット機でありながら特攻機として使われる予定だったという説もある。エンジン寿命が短く連続使用ができない当時のジェットエンジンは特攻におあつらえ向きだったのと戦況が特攻以外の運用を許さなかった事も考えられ、可性は十分にある。航空母艦葛城の艦長である宮崎俊男大佐の手記によると、葛城に橘花を搭載する予定だったという。

ただし、橘花は設計上は生還を前提とした特殊攻撃機(つまりジェット機である点が特殊な攻撃機)であり、始めから特攻(特別攻撃)機として設計されたわけではないことは留意しなければならない。


関連項目



最終更新日: 19/07/22 22:38
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