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武蔵(艦これ)


ヨミ: ムサシ
掲示板をミル!
659カキコ!
■im3564570(静画)

「フッ、随分待たせたようだな……。大和戦艦二番艦、武蔵。参る!」

武蔵(むさし)とは、ブラウザゲーム艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する、大日本帝國軍の戦艦武蔵モチーフにした艦娘である。

担当声優味里。担当イラストレーターしずまよしのり


この概要、武蔵に任せてもらおうか!


先のイベントクリア報酬として配布された大和姉妹艦。
2013年11月1日11月27日の期間開催されていたイベント決戦!鉄底海峡を抜けて!」の最終面である「サーモン域最深部」(通称:E-5)をクリアすると、その報酬として貰えた。
なお、その後長らく本実装に至っておらず、「先行実装から本実装まで掛かった期間」の最長記録を更新し続けていたが、イベント終了から約7ヶ月経過した2014年7月4日アップデートで、ようやく大艦/新艦建造に実装された。
大型艦建造実装後、これまでに二度、期間限定で建造成功率が上昇している。一度2015年3月13日3月27日までで、これは後述する戦艦武蔵の発見を記念してのもの。二度2017年12月27日~(終了日未定)で、こちらは2018年イベントの「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」での史実艦となるためである。なお、二度に関しては未所持提督で特に上昇するとのこと。

姉妹艦なだけあって、大和と同等のモンスター火力と大喰らい。
長門の倍以上の燃料弾薬を食い、一度の入渠で4桁の鋼材を使う代わり、初期状態で他の戦艦フル修済み状態並のを誇る。

航空機386機に随伴艦ごとフルボッコにされてようやく沈んだだが、爆弾44発・ロケット9発・魚雷25米軍発表)の直撃を受け続けてなお5時間以上も洋上に留まり続けた武蔵耐久は、米軍をして「モンスター」と言わしめたほど。しばらくは動けていたという点を反映したのか、地味大和よりHPが1高い(ただし、対大和を下回る。これは武蔵沈後、大和がその戦訓から大幅に対兵装を増やしたことを反映している)。

大和が色々な方面で有名でもあり、純な「大和撫子」といった外見をしているのに対し、武蔵褐色肌銀髪(薄い金髪?)ツインテールツリ目眼鏡と色んな属性を詰め込まれ、胸部装甲に至っては大盛りの装甲の上にさらに追加装甲をって増している大和とは逆に、サラシしか巻いていない(実際はおっぱい持ち上げ装甲とかも付いているが、立ち絵ではちょうど腕で隠されてサラシオンリーにしか見えない)。立ち絵開の時点で魚雷を暴発させてしまった提督は数知れないが、中破するとさらにとんでもないことに。サラシがん中で切れて今にもオープンしそうな格好になる。 
そして彼女、なんと下も履いてないのである。2015年10月グッドスマイルカンパニーから発売されたフィギュアにより明らかにされたスカートの中身は大事なところに胸同様、サラシが申し訳なく巻かれているだけであった。つまり武蔵パイ(ry

海外艦ではなく純産の艦なのに何故こんな外人っぽい肌の色をしているのかと言うと、武蔵は甲や装甲の色を変な色に特徴的な色に何度か塗り替えているという史実から来る。

からして甲ダークグレー塗装されていたと言うのもさる事ながら、レイ決戦に向かう際に外部装甲を色(←こんな色)に塗り替えるという余計な装を施している(元々は、軍艦模型に詳しい人が言うところの佐世保軍工グレーと呼ばれるっぽい灰色)。このせいで武蔵乗組員には「死装束」「武蔵は囮」、他艦からも縁起が悪いと大不評を買い、実際決戦では立ちすぎてフルボッコにされてしまった。改造すると運のステータスが10から9に下がるという微妙不運艦設定をされているのもこのせいだろうか。ただこのフルボッコ米軍の攻撃の大半を引き受ける形となっており、このお陰で攻撃を免れた艦もいると思われる。艦娘となった武蔵も「いいぞ! 当ててこい! 私はここだ!!」と敵の攻撃を勇んで受け止める勇猛なセリフが聞かれる。

また、外見や身なりがワイルド魔物っぽいのも、レイテ沖海戦時、その常軌を逸したタフさに半ば呆れた米軍が「モンスター」と呼んだ史実や、記録小説戦艦武蔵』の著者である吉村昭が「戦争という狂気の中に生まれた奇怪な生物」として武蔵を描いたことに由来しているものと思われる。

性格は端的に言えば長門那智と同様に武人肌である。
姉御肌で口調も男性的。同じメガネ戦艦こと霧島アネキ成分を吸い取って生まれたのかと思うほど

……と思えば、時報セリフでうたた寝をする、生まれの長崎名物に詳しくリクエストするなどなかなかっ気のある部分もあるため、彼女を迎えることのできた提督は是非秘書艦にしてそのギャップを堪してもらいたいところである。

なお、改造するとデレてくれるようになる。元がツンと言う訳ではないのでツンデレではないが、クーデレと言った所か。改造前は秘書艦にしてお触りしようとしても「遊んで欲しいのかい?」と余裕の態度であしらわれてしまうのだが、改造後に同じ事をすると「そういう事も嫌いではいが・・・凱旋の後でな。」と。凱旋の後なら「そういう事」もまんざらではないそうだ(後述の改二では私問わない相棒として認めてくれている)

新たなお触りOK勢が誕生したのであった。


フッ、相棒よこの武蔵の改二、随分待たせたな!!


[画像][外部]

2018年2月18日の「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」開始に伴うアップデート(正確には前日16日中了予定だったが、メンテ延長により正式な開始が17深夜になった)で武蔵改二実装彼女の最期の戦いだったレイテ沖海戦モチーフにした作戦に満を持しての登場となった。レベル89・・・だが、彼女改二に伴う資材は膨大で

弾薬9900・鋼材9600装設計図3枚・新煩兵装資材3個・戦闘詳報1部」

・・・という前代未聞の資材が必要になる(一応18年のイベント域突破報酬として上記のうち装設計図と兵装資材と戦闘詳報は必要分の入手が可)大規模イベントのため装は計画的に。

世界最大の戦艦である大和改二伊達ではなく、最大の特徴は味方営初の『5番スロット実装である。これによって各種ボイラー缶と補強増設スロット(装備選択の幅が広く、武蔵改二にとって実質的な6番スロット)に艦本式タービンを積めば低速戦艦として「高速化+観測弾着射撃」を両立出来る二の特性を手にした(18年6月13日伊勢改二実装)。それ以外にも(太字は観測弾着射撃発動装備)

など、様々な運用が出来るようになった。他にも何故かカ号観測機やソナーも装備出来るようになっている・・・史実では確かに零式聴音機を艦首に装備しているし、後部の航空水上機母艦並みに広い大和ならカ号観測機の運用も出来そうだが・・・なお、システム戦艦は対潜攻撃が出来ないのでこれらの装備を付けても命中や回避の補正しか付かない。

もそれまでのサラシ姿に大和色違いセーラー服を肩掛けしていたまでと違い、改二ではしっかり着込んだ上に上部甲イメージしたマントを羽織る、用していたあきのグローブも新調するなど大和べてもお落になっている(サラシは引き続き身に着けており、中破時に確認できる)。なお彼女トレードマークである眼鏡改二ではフチなしのリムレスタイプになっており、ゲーム画面だと一見掛けてないようにも見える(解像度の問題で図鑑や中破時及びHTML化した第二期からは鼻当て部分が判るようになっている)

装というか持参装備も希少装備が目白押しであり、ランカーや一部のイベント報酬だった「試製51cm連装」「15m二重測距儀+21号電探」「新高圧缶」に加えて、新装備の「10連装高+増設機で武装しており、大和えば他の戦艦との大きな識別点でありトレードマークであった三連装が連装化によりくなっており、連装化した3基のの内一基を右腕で構えて持つスタイルになっている(装前の大和は三基全て装に固定されており、三番のみ大和は後背部、武蔵は右側面に寄せている)
これは「仮称798番艦」通称『大和戦艦の装備に準じる構成であり、大和とほぼ同サイズの船体に51連装3基、15.5cm三連装副を全する代わりに長10cm連装を対火器として艦上にり巡らせた艦として計画された(戦局の移行で計画のみで中止された)

提督との関係も「提督」呼びから終始相棒と呼ぶようになり、より距離が近づいた印を受ける(季節限定ボイスだとまでのと混在しているので一部「提督」呼びは残っている)

更に大きな変化として改二になり時報も一新された改二になる事で時報が追加された艦娘は数多いが、改二になって時報が変わるのは武蔵改二が初である。基本的にはでの時報の続きという趣で史実での仲間(第二艦隊の大和摩耶鳥海島風清霜浜風)以外にも別行動だった時雨佐世保鎮守府所属だった時雨とは長崎繫がりと思われる)との会話に加えてアイオワにもを掛けられて演習を受けるという交流範囲の広さを誇る。料理それなりにこなすようで、夕食には特製カレーを振舞っている。ちなみに時報であったメタ発言18:00及び放置時)はくなった。

季節限定ボイスでは自身の建造時に極秘故に目隠しを担当した大鷹に対する礼を述べたり、瑞雲祭りで盛り上がる日向伊勢に「どうなってる!?」と困惑する様子も(その後の狽振りから瑞雲を持たされた模様。ちなみに武蔵瑞雲は装備不可である)


余談


余談だがホテルと名高い大和をも越えるかつ充実した内装を持っていたと言われる。
武蔵の内装を見た大和側のスタッフが「おい武蔵ずるいぞ!」と武蔵と同等の調度品を大和にも入れようとしたのだが、調度品が手に入らなかったのか、武蔵の建造を請け負っていた長崎造船所が客船を作っていた事もある所だったというノウハウの違いが現れたのか、完成してみるとやっぱり武蔵の方がだったらしい。

大和の「ホテル」に対して武蔵は「御殿」と呼ばれていたのだが、大和と違って武蔵の中で勉強会が開かれたりした事は特にかった。

また、この内装のさとは関係なしに「武蔵体操学校」という異名もあった。
当時軍では、機械化による肉体労働の減少・配属部署ごとに決まった作業しかしない事による筋肉使用の偏りからくる体低下を防止するため、体操という体操を教範を作って実施していたのだが、武蔵の初代艦長である有馬大佐がこの体操にやたら熱心だった事による異名である。


この武蔵の史実、伊達ではないぜ。


建造中のエピソード

1938年3月29日三菱長崎造船所にて「第二号艦」と仮称される艦の建造が開始された。これが後の「武蔵」となる。だが、この世界を代表する巨艦の建造には並々ならぬ労苦があり、いくつものエピソードが残されている。これは吉村昭の記録小説戦艦武蔵』に詳しい。


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最終更新日: 19/03/18 10:26
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