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流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎とは、茨城県龍ケ崎市を本拠地とする、JFL所属のサッカーチーム及び流通経済大学サッカー部のサテライトチーム(※現在は2軍)である。
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関東大学サッカーリーグに所属するトップチームでの出場機会に恵まれない部員の為に結成された。結成当時から今日に至るまで社会人リーグに所属している。
ココで書くのもアレだが、「大学チームなのに何で社会人リーグでプレーしているの?大学リーグが有るんだからそっちでやれよ。住み分けを考えろよ」と、『大学は大学のカテゴリで、社会人は社会人のカテゴリで』という住み分けに拘る人もいるだろうが、大学サッカー部のサテライトチームが社会人リーグに参加するのは日本サッカー界では大昔から許容されていることなのだ。そもそも大学チームはプロチームや社会人チームと同様に、チーム登録が第1種(※年齢制限無しのチーム)に区分されるので、各地の社会人リーグや協会が超厳格な制限でも掛けない限りは参加可能となっている。なお、旧JFLがあった時代には、自力で地決に出場権利を手にして勝ち抜いて、旧JFL昇格権利を手にした(のち諸事情で辞退した)大学サッカー部のサテライトチームの存在もあった。
さて、ドラゴンズは21世紀初頭である2001年に「竜ヶ崎FC」というチーム名で結成、茨城県リーグに登録する。のちの総監督である中野雄二が流経大サッカー部の指導者になって3年ほど経過した頃だった。
余談だが、当時の流経大サッカー部は、中野が指導者になる前から居座っている部員(上級生)たちによる荒れ模様が収まり始めた頃だった。中野本人はその荒れ模様がまだあった頃、自分がスカウトした阿部吉朗を初めとする有力な教え子(下級生)たちがストイックに練習に取り組み成長し、且つ卒業後にその阿部がJリーガーになったことに感銘を受け、同部で指導者を続けることを決意したというエピソードが有る。(※サッカーキングの記事[外部]より)
その後、竜ヶ崎FCは結成3年目にて「クラブ・ドラゴンズ」(以下クラドラ)にチーム名を変更、茨城県リーグ2部優勝を飾り、同1部昇格を決める。この頃は全国クラブチームサッカー選手権大会本選で2位の成績を収める。
翌シーズンの昇格1年目では1部初優勝を遂げ、また、茨城県知事杯大会で準優勝の成績を収めた(※関連動画[外部])が、関東リーグ昇格を賭けた関東社会人サッカー大会では3位と、関東リーグ2部昇格圏内である大会2位以内に届かず茨城県リーグ1部残留することになる。翌年(2004年)の1部2年目では11チーム中4位に終わった。
この2004年シーズン、トップチームは部に所属する選手が増えたことにより、選手たちの出場機会の場を増やそうとJFL参入を計画。シーズン終盤には全日本大学サッカー連盟の推薦を受けて全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)を戦っていた。そして、トップチームは地決を準優勝で飾り、JFL参入を決める。この時、トップチームとは別にJFL用のチームを創設し、それをセカンドチームと定めたため、翌2005年シーズンからクラドラはサードチームの立場となった。(※ゲキサカの記事を参照のこと[外部])
2005年シーズン、クラドラは茨城県リーグ1部2度目の優勝を飾る。そして、関東社会人サッカー大会を優勝で収め、満を持して関東リーグ2部昇格を果たした。
関東リーグ2部では、何と昇格1年目で優勝を成し遂げて、1部昇格を決めた。翌年も1部で8チーム中4位、翌々年も3位と伸し上がる。また、2005年から4年連続で天皇杯茨城県予選決勝に進出するなど(※結果は全て準優勝)、入れ替わりの激しい学生チームの割りに好成績を収め続ける。
しかし、2010年シーズンはその勢いにも陰りが見え始め、8チーム中7位となり2部に自動降格。このシーズンは、大人の事情でクラブチーム化していたJFL用のチームであった「流通経済大学FC」(流経大FC)もJFLで最下位となって関東リーグ1部に自動降格しており、ついに2軍と3軍が同じリーグに所属することになった。
2011年シーズンは2部で8チーム中3位となり自動昇格圏内には入らなかったが、関東リーグが1部・2部共に2012年シーズンから10チームで運営されることと、横浜スポーツ&カルチャークラブがJFL昇格を決めたために追加の扱いで1部復帰が決定。とうとう2軍と3軍が同じカテゴリのリーグ戦で対決する時を迎えた。しかし、Jリーグ入りを目指すチームが増え、地域リーグなのに急激にレベルが上がりまくった1部において所詮3軍なクラドラは苦戦を強いられ、再昇格からわずか2年で2部に逆戻りすることになる。
2014年シーズン、再び1部復帰を目指すクラドラは1年生で構成されたチームで臨み、この年の関東リーグ2部で2位となり1部復帰を決めた。・・・が、この年がそれだけで終わらなかったことを一体誰が想像していただろうか?
まずは天皇杯茨城県予選。決勝トーナメントまで進み、準決勝でトップチームと対戦。3-2で競り勝ち、アップセットをやってのける。なお、予選決勝では筑波大学蹴球部に0-1で敗れてしまい、茨城県代表の座を得ることは出来なかった。
次に全国社会人サッカー選手権大会(全社)に出場し予選突破、本選出場を果たす。Jリーグ入りを目指して、何が何でも地決出場権を得ようと飢えるチームを押しのけて、見事準優勝の成績を収め、地決出場権を獲得する。
そして地決では、まず、3つに分かれる予選グループにて、サウルコス福井、FC鈴鹿ランポーレ、松江シティFCの3チームと、いずれもJリーグ入りを目指すチームたちと同組になった。
第1戦である松江戦は接戦の末に1-2で惨敗。地決では大抵第1戦で負けるチームは予選敗退するケースが目立っていたので、久々のJFL所属の大学チーム登場を期待した周囲は「もう駄目か」と諦めムードであったが、第2戦の福井戦では1-0の完封勝利で望みをつなぐ。そして、第3戦の鈴鹿戦で3-0と快勝し、予選グループを福井に次ぐ2位で終えるが、他のグループの2位である浦安SCや新日鐵住金大分SCとは勝ち点で並んだものの得失点差で上回ったため、ワイルドカードとして決勝ラウンド進出を決めた。
決勝ラウンドに勝ち上がったのは、FC大阪、奈良クラブ、福井、そしてクラドラの4チーム。第1戦の福井戦はもつれにもつれてPK戦まで突入。相手キッカー2人を止めてPK勝ちを収める。その後、第2戦のFC大阪戦、第2戦の奈良戦はそれぞれ接戦の末1-2で敗れてしまったが、第1戦の相手だった福井がFC大阪と奈良に完敗したために、勝ち点で福井を上回り、初の地決で3位という成績を収めたのだった。
2014年のJFL昇格枠だが、実は自動昇格枠は2つしか用意されてなかったので、地決優勝の奈良と準優勝のFC大阪の自動昇格は確定した。だが、同年シーズンのJFLでレノファ山口FCがJ3昇格が決定したため、昇格枠が1つ増えた。最後の枠は、3位のクラドラ、4位の福井、そして今回地決に出場した若干数の何となく有力なクラブたちの中から決定することになったわけだが、結果的に地決での成績が重視されてため、3位のクラドラが3つ目のJFL昇格枠を手にしたのだった。
結成から初めてJFL昇格を果たしたそんなクラドラだが、今シーズンでの活躍により・・・
・・・となった。
ちなみに、茨城県のチームが全社経由で地決出場を果たしたのは2例目であった。茨城県って凄いな。(小並感)
・・・一方、3軍であったクラブ・ドラゴンズが飛び級しちゃったことで、関東リーグ1部残留となった2軍の流経大FCとカテゴリが逆転してしまった。つまり、3軍が2軍よりも上の立場になっちゃった・・・。そんなわけで、2015年から流経大FCと入れ替わりで2軍の立場に戻り、JFLに臨むことになった。
2015年からは現在の名称でJFLを戦うことになった。このシーズンでは『プロクラブ(Jリーグクラブ)の2軍(ファジアーノ岡山ネクスト(ネクスファジ))vs大学クラブの2軍(流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎)』というカードが復活することになった。これは、2011年の『ジェフリザーブズ(かつて存在したジェフユナイテッド市原・千葉の2軍)vs流通経済大学FC(当時の流通経済大学サッカー部の2軍)』以来の事になる。
プロや社会人といった大人たち相手に、学生の彼らがどれだけ頑張れるか期待されたが、結果としては年間成績14位(16チーム中)という結果であった。しかし、ネクスファジやJリーグ百年構想チームである栃木ウーヴァFC(最下位)よりも順位が上であり、尚且つ、ネクスファジ相手には2戦2勝していた。
来季以降は学生チーム故に選手の入れ替えが目まぐるしく変わると思われるが、どんな逸材がJFLで躍動するのか注目である。