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白善燁


ヨミ: ペクソンヨプ
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白善燁(ペク・ソンヨプ…日本語読みは「はくぜんよう」・ようは(火へんに華))とは大韓民国の元軍人。最終階級は陸軍大将
朝鮮戦争で若くして活躍した大韓民国の陸戦指揮官である。


概要


日本併合時代の朝鮮半島出身。教師から一転、満州国軍官学校(士官学校に相当)に入り、満州国軍に参加すると対ゲリラ戦部隊「間特設隊(かんとうとくせつたい)」に配属される。
特設隊とは、当時の間(清時代の朝鮮人居留地)での朝鮮人系、あるいは中国共産党系のパルチザンによるゲリラ活動が横行していたため、満州国軍内の(親日)朝鮮人により組織された対ゲリラ戦の組織であった。

太平洋戦争後、現在北朝鮮にて建運動に加わるが北朝鮮共産党支配体制に嫌悪感を感じ、韓国へと脱出。創設間もない韓国陸軍に加わった。

ここで満州国時代の経験などを生かして共産ゲリラ掃討などに従事、朝鮮戦争勃発間際に韓国陸軍第1師団長に就任する。ちなみにまだこの頃、30歳になったばかりという創設間もない軍ならではの昇進スピードだった。
朝鮮戦争勃発後、韓国軍及びアメリカ軍は後退を重ねる中、韓国第1師団も巧みな遅滞戦闘を重ねるが損を重ね、訓練も満足に行っていない徴兵(農民)ばかりとなっていく。
ここで彼と彼の揮する第1師団は北朝鮮韓国軍及び国連軍の釜山頭堡を巡る一連の攻防戦に参加することになり、釜山円の要衝、多富洞で韓国第1師団は北朝鮮軍四個師団と対峙することになった。
多富洞を米軍との共同で守り抜こうとしていたが相次ぐ損で避難民学生中心となった兵士たちでは士気も劣勢であり、戦線に参加していた部隊がかってに撤退してしまう。将軍(大佐から准将に昇進)は、マラリアにかかった病身をおして、撤退しようとする兵士達を戦線後方でまとめるや、師団長自ら先を切って逆襲突撃をしかけることで北朝鮮軍の攻勢を食い止めることに成功した。
(これには釜山より撤退しようとしていた米軍に対して信頼されていない韓国陸軍の敢闘を見せる必要性にもかられていたため、という発言が残されている)

連日連闘はにご苦労で感謝の言葉もない。よく今まで頑ってくれた。だがここで々が負ければ、々は祖国を失うことになるのだ。々が多富洞を失えば大が持てず、大を失えば釜山の失陥はに見えている。そうなればもう民族の行くべき所はない。だから今、祖国の存亡が多富洞の成否に掛かっているのだ。々にはもう退がる所はないのだ。だから死んでもここを守らなければならないのだ。しかも、はるばる地球の裏側から々を助けに来てくれた米軍が、々を信じて底で戦っているではないか。信頼してくれている友軍を裏切ることが韓国人にできようか。いまから私が先頭に立って突撃し地を奪回する。官らは私の後ろに続け。もし私が退がるようなことがあれば、でも私を撃て。さあ行こう! 最終弾とともに突入するのだ

この「多富洞の戦い」における勝利が、韓国軍米軍の反抗を可にしたと後世の批評家から言われている。特筆すべきは当時の北朝鮮軍正規部隊に対して訓練が不十分な兵士を率いて撃退したことだろう。
その後、米軍と共同して反抗作戦に参加。米軍から「ホワイティ」と呼ばれ、英語が喋れるほか、その知性とをもって米軍指揮官らからの信頼を得て平壌解放を果たす部隊として一番乗りを果たした。
以後、中国側義勇軍が参戦したことで一転、撤退することとなった連合軍内においてよく援護や殿の任を果たした。

戦争後半は軍団長を歴任後、参謀総長に就任する。ちなみに参謀総長就任時32歳という若さだった。

朝鮮戦争後、韓国は数度の政治混乱を迎えるが、彼もまた巻き込まれることになる。
陸軍参謀総長になり陸軍の近代化に努めていた矢先、若手士官らのクーデターが発生。陸軍を(追われるように)離れて、大使を歴任することとなる。皮な話だが、彼を陸軍から追いやったのは彼が助けた(共産党支持であることから処分されかれていたのだ)朴正煕揮する若手士官グループだった。
日本とのかかわりも深く、以後は韓国のために日本の政界、財界、官僚と折衝。日本からの援助をつかいソウル地下鉄などを実現にをそそいだ。また「よど号ハイジャック事件」などでも日本側へと便宜をはかるなど解決に尽している。

韓国盧武鉉政権において、日本韓国併合統治に協した“親日”としてリストアップ、財産没収などの対にまでされるなど、実績からすると非常に不当な扱いをうけていた。
また氏も在韓国米軍揮権問題などで盧武鉉政権に対して苦言を述べるなどの盧武鉉政権との確執もあり、不和が立っていたのも事実である。
ただ、政権が変わったことで状況は変わりつつあるようで2009年韓国軍史上初の名誉元帥に内定した。

氏の名誉もこれで回復したか。と思っていたが、韓国内のTV番組でとりあげられるや「親日人物を英雄にしたので、大東亜共栄圏の頭堡の役割に忠実な放送という点で笑われる」などの批判があった模様。
まだまだ韓国内での評価は定まっていないと見るべきだろうか…氏にとっては残念なことではある。


その評価について


上述のとおり韓国では評価が分かれているものの、日本アメリカでの評価が(いささか過剰とも思えるほど)高い将官といえるだろう。

日本においては(2ch軍事板においてでも)、戦争前のゲリラ鎮圧や初期の遅滞戦闘り強い戦い、そして、釜山を包囲されたあとの「多富洞の戦い」で見せた勇猛果敢な揮、また戦争後期に38度以南に取り残された北朝鮮軍残余と共産主義シンパらによる南部軍鎮圧に対しても手腕を示しているなどの実績から「朝鮮戦争における救将軍」として評価される人物といえるだろう。

実際、「多富洞の戦い」による勝利がなければ釜山円が抜かれて可性も高く、そうであればクロマイト作戦(仁川上作戦)が実施されたとは思えないし、以後の戦争の様相は一変していただろう。

こういった実績が周知されているためか、wikipediaが書かれたのも日本が先行していたほか、 1995年日本からに「“国家または共に対し功労があり、務等に長年従事し、成績を挙げた者”」に送られる勲一等瑞宝章を贈られている。これはアメリカでも同様であるとみられ、ある在韓国米軍指揮官も就任にあたって尊敬すべき将官として「将軍」の名を口にしているほどである。

ただし、韓国内では氏が満州国軍に参加していることから親日であったとみられること、朝鮮戦争劈頭でソウルを放棄して撤退・・・これはあの情勢下ではどこをどうやっても一時の撤退はやむなしであったとは思われるが・・・したことから反対している意見も一部にはあるようで、評価がいまだ定まっていないように見られる。


著作について


こういった事情もあってか、日本において氏の著作などは入手しやすい。
そこで述べられていることも経験豊富な氏らしく戦史を学ぶことの大切さを強調しているなど、彼の高い見識と知性も伺わせていることが評価を高めている一因としてもあげられるだろう。
戦史を学ぶことの重要性の実例として平壌解放時に進軍する米軍に対して日清戦争における日本陸軍の分進合撃を参考にするべしと進言したという事例もあげている。
また間特設隊の戦いぶり、現地民衆の人心握術などを知るには氏の著作が最適だと思われる。

このように日本では評価が高いこともあいまって氏の著作も手に入りやすいのだが、韓国ではあまりいい状況とはいえず氏の著作は絶版になっているときく。


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最終更新日: 17/02/11 22:57
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