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神聖ローマ帝国


ヨミ: シンセイローマテイコク
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基本データ
正式名称 西方帝国西ローマ帝国
帝国ローマ帝国
聖帝
神聖ローマ帝国
ドイツ民の神聖ローマ帝国
Heiliges Römisches Reich
Sacrum Romanum Imperium
国旗

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(15世紀以降)

公用語 ドイツ語
ラテン語公文書など)
宮廷
所在
プファルツ(919年 - 1125年)
シュヴァーベン(1138年 - 1208年 / 1215年 - 1254年)
プラハ(1346年 - 1437年 / 1583年 - 1611年)
ウィーン(1483年 - 1806年)

構成

地域
七選侯領
  [画像を見る]マインツ大司教
  [画像を見る]リーア大司教
  [画像を見る]ケルン大司教
  [画像を見る]バイエルン
  [画像を見る]ザクセン
  [画像を見る]ブランデンブルク辺境伯(後のプロイセン)
  [画像を見る]ボヘミア(現チェコ)
[画像を見る]ネーデルラント
[画像を見る]イタリア(“帝国イタリア”、ほぼ北イタリア
[画像を見る]ブルグント王
[画像を見る]オーストリア大公

他多数(便宜上、現在国旗を多数含む)

神聖ローマ帝国800年/962年 - 1806年)は、中世から近代にかけて、現在ドイツオーストリアチェコイタリア北部を中心に存在した国家

フランク王国または東フランク王国を前身とする。ドイツやその周辺の々の集合であり、端的に言えばドイツ諸侯らの寄り合い所帯である。末期にはドイツ帝国と呼ばれていた……

時代によるものの、このローマ教皇により(西)ローマ皇帝の位を授けられた君を戴いていた。それ故この西ローマ帝国ローマ帝国西方の継承と称していた。

ローマ教皇やキリスト教ローマカトリック教会)への護を前提として成立したため、キリスト教カトリック国家でもあった。

なお、15世紀以降はハプスブルク家位を世襲したため、本項ではハプスブルクに関する歴史も記述する。

 

 

 

 

 

 

 

 

概要

教皇により「ローマ皇帝」と認められたドイツ王が、ドイツやその周辺の領邦を統治した帝国、それが神聖ローマ帝国

有り体に書くならそんなところである。なお、ここでいう「ローマ皇帝」とは、476年に滅んだ「西ローマ帝国」の後継者という意味である。そして「領邦」とは、ザクセンバイエルンなど、現在ドイツにも残る諸州をす。

しかし分かりにくい。この帝国の曖昧さほど稀有なものはそうないだろう。何がなのか? どこがローマなのか? 果たして帝国だろうか? 世界史上に確かに存在し、けれでも実像を掴み難い、このはしばしばそんな印を持たれるのである。
有名なヴォルテールの批評がまた、それに拍をかけている。

Ce corps qui s'appelait et qui s'appelle encore le saint empire romain n'était en aucune manière ni saint, ni romain, ni empire.

Voltaire: Essai sur l'histoire générale et sur les mœurs et l'esprit des nations, Chapitre 70 (1756)

 

神聖ローマ帝国と自称し、そしていまだにそうしているこの集団は、
いかなる点においてもでもなければ、ローマ的でもなく、ましてや帝国ですらない

ヴォルテール著『歴史哲学序論  諸民の風俗と精について』70章より

単純に言えば、神聖ローマ帝国とは、冒頭にもあるようにドイツ諸侯らの寄り合い所帯であった。弊を恐れずに言えば、「ローマを名乗るドイツα」といっても良い。ドイツやその周辺の半独立が寄り集まって出来たと見て間違いない。

したがって、諸侯は強く、半ば独立していたか、あるいは皇帝の言うことをタダでは聞かなかった。それ故、皇帝の権は時代にもよるがやや脆弱であった。一定の宮廷所在地があったとしても、皇帝自らが内各地を武定したりパトロールしたりすることで、やっと玉座にあることが出来た、といった場合も多々あった(する王権)。

そのため、皇帝帝国全土を何とか把握し治める為に、諸侯ではなく各地の教会を頼り、さながら庁舎のごとく利用した。

が、教会帝国の統治機構としたがために、教会の親玉であるローマ教皇と熾な権益の奪い合いをする宿命を背負うことに(叙任権闘争など)。

ところが帝国と教皇は単にライバルという訳ではなかった。というのも、後述するがそもそも神聖ローマ帝国はローマカトリック教会を守護することで初めて成立していたからである。また、皇帝が「ローマ教皇から直接冠を授かる(=ローマ皇帝として承認される)こと」に強いアイデンティティを見出していたので、教皇は少なくとも当初はくてはならない存在でもあった。教皇による冠授与によって神聖ローマ皇帝位のは凄まじく、隣フランス王国嫉妬を買うほどであった。

帝国は複数のの集まりであったが、その構成や領域はとにかく多かった。ドイツ、(北)イタリアボヘミア(現チェコ)からなり、盛期には現在ドイツオランダベルギー・東フランススイス・西ポーランドチェコオーストリアクロアチアに加え、ローマを除く全イタリアにまで至る大帝国として西欧に君臨した。帝国は13世紀までは西欧最強だったのである。

14世紀以降も、帝国ヨーロッパに強い存在感を放つで在り続けた。特に16世紀、帝国ハプスブルクの政略結婚を通じて地球規模の財と繋がりを得ていた。

ローマ教皇の腐敗と堕落が、活版印刷の普及とルターらの訴えを通して全土に浸透し、民衆が聖書を直接読んだり考えたりできるようになると、内ではキリスト教の新たな教であるプロテスタントが成立した。それはく間に中に広まり、帝国カトリックプロテスタントで2分された。

内不統一は周辺の強の介入を招き、ついに1648年、神聖ローマ帝国はヴェストファレン条約により「独立集合体」となってしまった。

以後、“神聖ローマ帝国という連合体”は、事実上、各ドイツ諸侯らが一致団結して事にあたる連盟となった。当初は緩やかな繋がりの下うまく機していたが、18世紀に入り、帝国内でオーストリアプロイセンが著しくを付けるにつれ、特にプロイセン皇帝も兼ねるオーストリアに対抗できるようになると、はっきりと崩れていった。当時においては既に神聖ローマ帝国とは名ばかりの亡霊であり、ついに19世紀初め、フランス第一政の攻撃によって瓦解し滅亡した。

名称について

西ローマ帝国を継承するフランク王国を受け継いだという立場上、自らを一正統なローマ帝国と自認する東ローマ帝国とは「ローマ」として認め合うことはなかった。
ローマはこのローマ帝国とは認めず、神聖ローマ皇帝ローマ皇帝とはみなさなかった。一方で神聖ローマ側は自らを西ローマ帝国ないし(古代ローマ帝国とし、皇帝位もローマのそれを受け継ぐものとした上、東ローマ帝国やその皇帝を「ギリシア帝国」「コンスタンティノープルの皇帝」と呼んだ。

国家像

要するに「教皇によりローマ帝国と称するドイツ連邦」である。

ローマカトリック教会を保護することによって、初めて成立し、ローマを名乗るが故にイタリア遠征にとらわれ、またそれ故にローマ教皇との轢を生んだ、ドイツ王が統治するドイツ周辺の々、それが神聖ローマ帝国であった。漠然と捉えられることも頷けよう、このは成立過程や背景そのものが複雑なばかりか、確固たる独自性を初めからは有していなかったのである(少々言い過ぎではあるが)。

とはいえ神聖ローマ帝国が、800年あるいは962年から1806年までの長きにわたって、西欧一の帝国として存在したのは事実である。内不統一や疫病のペスト、そして教皇や諸侯との泥沼の関係にもがいたこのは、西欧史上、確かに存在していた。

成立と背景

8世紀も後半の当時、ローマ教皇ハドリアヌス1世(在位:772 - 795年)は、ランゴバルド王の攻撃に苦戦していた。ランゴバルド王デシデリウスのローマ侵攻は770年からのことであったが、773年、教皇ハドリアヌス1世はフランク王国カールシャルルマーニュ)に援軍を要請する。

なお、カールはトゥール・ポワティエ間の戦いにおいてイスラム軍をイベリア半島に追い返したカール・マルテルの孫にあたり、教皇にイタリアの領地を与えたマルテルの子ピピン3世の息子でもあった。つまりカールローマ教会を守護する一族の申し子なのである。

フランクカールの進軍はアルプス山脈を越え、ランゴバルド王へと迫る。そして774年、カールは見事ランゴバルド王首都パヴィアを占領し、デシデリウス王を拘束、捕虜とし、まもなくその王冠と王位をはく奪した。カールはランゴバルド王となり、ローマ教皇の保護を約束するばかりか、ローマ教会中部イタリアの地を寄進した。これがいわゆるローマ教皇領である。

こうしてローマ教会の安息はカールの手により実現された。しかし教会の世俗的欲求、つまり野心はまだおさまらない。

8世紀も末の当時、地中海およびヨーロッパ世界東ローマ帝国一最大の「帝国(=ローマ帝国)」としていたが、ローマ教会と教皇は、ぶっちゃけいところ東ローマ帝国とはおさらばしたかった。そして、一刻も東ローマ帝国を頂点とする世界から抜け出て、自らが精的頂点となる新しい世界(=後の中世西欧世界)を創りたかった。

その理由は2つあった。


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最終更新日: 20/05/06 22:03
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