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蛟龍


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蛟龍(こうりゅう)とは、大東亜戦争末期日本軍が用意した特殊潜航艇である。正式名称は甲標的


概要


5人乗りの特殊潜航艇で、基地から発進した蛟龍は2本の魚雷を使って敵艦船を攻撃する。潜水艦と同じ運用法のため、本来は特攻兵器ではなかった。しかし酸素魚雷不足から、艦首爆薬を積んで体当たりする「人間魚雷」として使われる予定もあった。要は全長26.25m、全幅2.04m、排水量59.3m、魚雷発射管2門、安全深度100m。連続航行時間は5日とされたが、乗組員の疲労を考慮すると3日が限界だった。

蛟龍の原になったのは、甲標的と呼ばれる特殊潜航艇だった。こちらは2名乗りの小タイプで、真珠湾攻撃シドニー港攻撃、マタガスカル攻撃に参加した。1942年12月黒木中尉大浦岬P基地に異動。そこで甲標的の個人的な研究や実験を行った。こうして大化した甲標的が誕生。今まで潜水艦母艦としていたが、大化により母艦を必要としなくなった。性良され、旋回や航続性、連続行動時間が増進している。軍はこれを採用し、1944年から試作開始。5月頃に試作一号機が完成した。このまま試験を行わないまま、なし崩し的に制式採用。軍工横須賀軍工長崎三菱造船所で大量生産が始まった。ちなみに開発者の黒木中尉回天の開発にも携わっており、9月16日に起きた回天事故で殉職した。丁の増産に伴って、それを扱う部隊が次々に開隊。瀬戸内々に突撃隊が配備されていった。

1945年5月28日、蛟龍と命名。必殺の酸素魚雷を扱う事から決号作戦の切り札と期待された。艇員はに潜学校の者や志願者から抽出され、開設された各基地へと配備。蛟龍を扱う水中特攻部隊は急に規模を拡大させ、迫りくるアメリカ軍を撃滅せんと牙を研ぎ続けた。基本的には基地からの出撃であったが、洋上での作戦では波号潜水艦母艦にする予定だった。波号から発進し、魚雷を使い果たせば母艦に戻って補給を受け、再度出撃する。艦首には棚があったと伝わる。

ところが本格的な本土決戦が生起する前に終戦。実戦をど経験しないまま、兵器としての役割を終えた。終戦時、完成した艇は115隻、建造中496隻、艇員4000名以上が残っていた。工内には放棄された大量の蛟龍が残されていたという。


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最終更新日: 19/07/28 16:34
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