ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


西野朗


ヨミ: ニシノアキラ

西野朗(にしの あきら、1955年4月7日 - )とは、日本の元サッカー選手であり、サッカー導者である。現在サッカータイ代表の監督を務めている。


概要


埼玉県浦安市出身。現役時代のポジションMF。元サッカー日本代表182cm72kg。

日本代表監督として2018年ロシアW杯ベスト16進出を果たし、1996年アトランタ五輪では、強ブラジルを破る「マイアミの奇跡」を演出。

Jリーグでは、ガンバ大阪監督を10年間務め、J1リーグ優勝ACL優勝に導いている。J1監督として270勝は歴代最高の勝利数である。


現役時代の経歴


現役時代はくから注された天才肌のプレーメーカーだった。高校埼玉の名門校である浦和西高校に入り、全高等学校サッカー選手権でベスト8に入ったことがある。卒業後は、早稲田大学へ進学。大学1年生のときの1974年日本代表に選ばれている。選手としての実もさることながら、ルックスも良かったため大学中は女子からの人気も高かった。

1978年現在柏レイソルの前進である日立製作所へ入社し、サッカー部に所属。しかし、社会人になってからは伸び悩んでしまい、日本サッカーリーグJSL)で試合に出場はしていたが、1978年を最後に日本代表に選ばれることはなかった。それでも、1985年にはJSL記録となる8試合連続得点を決め、ベストイレブンに選ばれるなどキャリアハイシーズンを送っている。だが、熟の天才肌所以のプレーの淡泊さ、好不調の波があり、1990年に現役を引退導者のを歩む。

日本代表としての成績は12試合に出場し1得点


指導者としての経歴


1991年からU-20日本代表監督に就任し、監督としてのキャリアスタート1992年AFCユース選手権では3位になるが、当時のFIFAワールドユースの出場は2だったため、惜しくもアジアで敗退となった。

1994年からアトランタオリンピック出場をU-23日本代表監督に就任。前園真聖川口能活二といった個性の強いメンバーを率い強化を進める。1996年3月に開催されたアジア最終予選では、前年の1995 FIFAワールドユース選手権に出場した中田英寿松田直樹チームに加え、準決勝のサウジアラビア戦に2-1で勝利し、24年ぶりとなるオリンピック本大会出場を果たす。
1996年7月21日アトランタオリンピック本大会最初の相手は優勝補筆頭のブラジルだった。どう見ても勝てる確率は低い強相手に西野は、念入りに情報分析をおこない、ブラジルの長所を消すための研究をおこなっていた。選手に反発されながらも守備的な戦術を採用し、GK川口ビッグセーブもあってブラジルの攻撃完封。後半27分の伊東悦の決勝ゴールを守り切り、世紀の番狂わせと言われたブラジル相手の大金星を挙げる。これが後にマイアミの奇跡と呼ばれた試合だった。その後、グループリーグ3試合で2勝1分という成績を残すが、第2戦でこの大会で金メダルを獲得したナイジェリア敗したことがき、決勝トーナメントに残ることはできなかった。

アトランタ五輪後、ナショナルチームを離れると、1997年に古巣である柏レイソルヘッドコーチに就任し、翌年から監督に昇格。この当時のチームにはブルガリアスーパースターであるフリスト・ストイチコフが1年間所属していた。1999年11月には、チームの初タイトルとなるナビスコカップ優勝をもたらし、2000年にはタイトルこそ獲得できなかったが、リーグで年間1位の勝ち点を稼ぎ、最後まで優勝争いを繰り広げた。この年、Jリーグの年間最優秀監督に選ばれている。2001年は成績が振るわず、1stステージ終了後に解任される。

2002年よりガンバ大阪監督に就任。ここでは、遠藤保仁二川孝広といった中盤のタレントを活かした麗なパスワーク体とする攻撃サッカーを展開。就任1年にしてチーム過去最高の年間3位に押し上げ、これまでタイトルとは縁だったチームJリーグの強へと変貌させる。就任4年となった2005年には、アラウージョ、大将志フェルナンジーニョという破壊のある攻撃を擁し、チームにとっても自身にとっても初の経験となるJ1リーグ優勝を成し遂げる。この年のチーム得点数は82。魅的なチームを作り上げ、2度Jリーグ年間最優秀監督を受賞。2007年には、ナビスコカップ優勝を果たし、2008年チームAFCチャンピオンズリーグ優勝に導く。さらに12月には、FIFAクラブワールドカップ2008ではチームを3位に入賞させ、更に直後の天皇杯優勝内3大タイトルアジアタイトルを全て制覇し、AFCからアジア最優秀監督に選ばれる。2009年12月には、J1通算200勝を達成。この年の天皇杯も連覇している。しかし、2010年2011年はいずれも冠に終わり、2011年を最後に10年間揮を執り、強チームへと育て上げたガンバを退団する。

2012年5月シーズン途中であったが、ヴィッセル神戸監督に就任。しかし、チームを浮上させることはできず、公式戦9試合連続がない状態が続き、11月9日シーズン終了を待たずに解任。わずか6カの任期となった。2014年シーズンからは名古屋グランパス監督に就任。2年間揮を執ったが、1年は10位、2年は9位と成績も内容もいまいちで結果を残せず、2015年10月に退任している。その後は現場を離れ、2016年3月から日本サッカー協会の理事と技術委員長に就任。

2018年4月7日ロシアW杯まであと2かを切ったタイミング日本代表監督ヴァヒド・ハリルホジッチが解任され、その2日後に急きょ日本代表監督に就任することになる。不可解なハリルホジッチ解任の経緯にあって技術委員長という立場にあったこと、2年間現場の揮をおこなっておらず、ガンバ時代に栄をもたらしたときから10年が経過していたことからメディアファンからは就任を疑問視するが多かった。代表監督として最初の仕事は、W杯本大会のメンバーを選ぶことという異例の事態となり、ハリルホジッチから冷遇されていた本田圭佑香川真司岡崎慎司ら経験豊富な選手を中心に選出。一方、若手で期待が集まっていた中島翔哉ら若手を選外としたことで民からの期待値は非常に低いものとなっていた。

W杯本番を見据えた直前のテストマッチから揮を執ることになったが、ガーナ戦、スイス戦と内容に乏しいまま敗。ますます逆に立たされてしまう。しかし、本番前最後のテストマッチとなったパラグアイ戦に4-2で勝利し、代表監督としての初勝利を飾る。この試合は控え選手を中心に臨んでいたが、の位置に柴崎岳、2列香川真司乾貴士を置いた攻撃のユニットが機し、本番を前にチームの最適解を見つけるという大きな収穫を得たのだった。

迎えた2018 FIFAワールドカップ本番。6月19日グループリーグ初戦となったコロンビア戦にはパラグアイ戦と同じく香川柴崎が起用され、本田岡崎宇佐美貴史らは控えに回っていた。開始々相手に退場者が出るという幸運にも恵まれ、2-1で勝利日本にとっては2大会ぶりのとなった。続くセネガル戦では1-2とリードされた後半27分に今大会スーパーサブと位置付けていた本田を投入。その本田の同点ゴールによって引き分けに持ち込む。6人のメンバーを入れ替えた第3戦のポーランド戦では、0-1でリードを許し、他会場の経過からこのままのスコアで試合を終わらせることを選択。後半37分に将の長谷部誠を投入し、チームに後方でのパス回しで残り時間を稼ぐことを示。結果は論見通り、グループ2位での決勝トーナメント進出となった。賛否両論があったこの選択について、後に西野は「できれば選手にこのようなプレーをさせたくはなかった」とっている。ラウンド16のベルギー戦では、後半に原口元気ゴールを決め、2点をリードする。しかし、ここから本気モードに入ったベルギーの逆襲に遭い、後半終了間際に逆転ゴールを許し、後にロストフの14と呼ばれた敗戦となる。試合後、「何が足りないんでしょうね」と悔しさを滲ませた。大会後、元々ロシアW杯までという約束で代表監督を引き受けていたため、予定通り退任。日本サッカー協会からも離れる。

2018年7月23日タイ代表の監督東京オリンピック出場をU-23代表と兼任で就任することが発表される。このとき事前タイサッカー協会から就任が発表されていたが、一度これを否定していた。

2020年1月タイで開催されたAFC U-23選手権2020に出場。上位3チーム東京五輪本大会の出場権が与えられるこの大会にグループリーグを1勝1分1敗で通過。しかし、準々決勝でサウジアラビアに敗れ、東京オリンピック出場は果たせなかった。


関連動画



■sm11068553[ニコ動]

■sm16279694[ニコ動]
■sm18225918[ニコ動]
■sm33464315[ニコ動]


関連商品


■az4594733522
■az4905247136
■az4835638999
■azB07ZW8VWPQ


関連項目



最終更新日: 20/06/27 18:02
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ