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足利義昭(1537-1597)は室町幕府最後の将軍である。筆マスター。
事もあろうに戦国ど真ん中で将軍の椅子が回ってきたくじ運のないお方。そこ、不人気とかいわない。兄よりすぐれた弟なぞ存在しねぇ!!
次男坊だったため、足利将軍家の慣例通り仏門で入れられ幼少時代を過ごす。将軍家ではこのようにして後継ぎ争いが起こらないようにして、比較的安全に将軍候補をストックしていたのである。だが、将軍だった兄(ソードマスター義輝兄さん)と、その弟の義尋が三好三人衆・松永久秀らに殺されてしまい、義昭自身も幽閉される。身の危険を感じた義昭は細川藤孝の助けで脱走し、政治の舞台にカムバックした。
当時、足利家の勢力はズタボロであり、京都の御所に帰ろうにも危なくて帰れないという悲惨な状態からのスタートであった。義昭は最後に残った「将軍家の正統」という血筋を武器に、有力大名にアポを取り、色々あって織田信長を頼ることに。それによりめでたく上洛を果たし、第15代将軍として立つことができた。
しかし比叡山を焼くような男が義昭を尊重する筈もなく、将軍家のHPはじりじり削られていく。これに対し、朝倉義景・浅井長政・本願寺顕如・武田信玄といったメンツがなんとなく信長包囲網を結成。義昭もこれに便乗し、将軍家の権勢維持を図った。
とはいえ信長包囲網は所詮、寄り合い所帯。一軍の指揮官が何人もいる状態だったので、あっちこっちで信長に敗れ、京都の将軍関係地所はまるごと焼き討ちされてしまった。義昭はそれでも懲りずに別の城に立てこもったが、再度、信長軍の総攻撃でフルボッコにされてついに降伏。京都を追放されてしまう。わずか五年ほどの天下人であった。(世間的にはこの時点で室町幕府が滅亡したことになっているが、実際に義昭が将軍をやめるのはかなり後)
その後、京都を追われた義昭は毛利氏を頼り、何とか再起を図ろうと謀略に命を懸ける。しかし大勢は動かし難く、最終的には平民出の秀吉から領地を与えられるという逆転劇を演じたのであった。高級ペット扱いされた元将軍の心中察するに余りある。まああれだけ死亡フラグを立てて畳の上で死ねただけマシなのであるが。
享年61歳。息子たちは僧籍に入るなどして義昭の死後早々に途絶え、足利将軍宗家は断絶してしまった。
信長包囲網参加時に多数の書状を出していたことから、ネットでは「お手紙将軍」などと呼ばれることがある。
▲近年の作品では信長包囲網の首謀者であることなどを評価され、知略・政治に優れた武将となっている。しかし、統率・武力は低く、単独で戦場に出すことはできない。
兄である足利義輝と部隊を組むと互いの弱点を補い合う良編成となる。
シナリオによっては最初から征夷大将軍についていることもあり、さまざまな恩恵を受けられる。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 22 | 政治 | 41 | 魅力 | 95 | 野望 | 69 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 24 | 政治 | 75 | 魅力 | 90 | 野望 | 85 | 教養 | 70 | ||||
覇王伝 | 采配 | 80 | 戦闘 | 14 | 智謀 | 13 | 政治 | 79 | 野望 | 85 | ||||
天翔記 | 戦才 | 42(C) | 智才 | 166(B) | 政才 | 158(B) | 魅力 | 100 | 野望 | 85 | ||||
将星録 | 戦闘 | 21 | 智謀 | 89 | 政治 | 86 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 60 | 戦闘 | 11 | 智謀 | 85 | 政治 | 85 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 27 | 智謀 | 82 | 政治 | 77 | 野望 | 92 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 25 | 知略 | 84 | 政治 | 80 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 25 | 知略 | 82 | 政治 | 79 | 教養 | 67 | ||||||
革新 | 統率 | 28 | 武勇 | 14 | 知略 | 92 | 政治 | 82 | ||||||
天道 | 統率 | 28 | 武勇 | 14 | 知略 | 92 | 政治 | 82 | ||||||
創造 | 統率 | 33 | 武勇 | 32 | 知略 | 82 | 政治 | 85 |
Ver1.10から他家で参戦。能力は最低限持ち合わせている、程度。
計略の「信長包囲網」は陣形内に居る味方の勢力が多い程武力が上がる陣形。士気対効果は高いものの、必然的に多色となり最大士気は6で戦う事を余儀なくされる。
とは言え決して弱い計略ではなく、編成次第では開幕から撃てる低士気計略である。
がVer1.20Eでそれまでの密かな暴れっぷりを咎められ範囲が超狭くされた。包囲できない狭さとか言われる。
なお上記の台詞は撤退時のもので、北条家の松田憲秀と並び2大ネタ撤退台詞とされている。
戦国時代を描く作品にはしばしば登場するが、中でも強い印象を残したのが「秀吉」(1996年)の義昭である。
同作の義昭は基本的に無能、信長に媚びたり自分勝手に振る舞ったりの問題児として描かれているが、それを玉置浩二が怪演。甲高い声で「将軍ぞ!」と叫ぶなどあまりにも濃すぎる演技で人気を博した。
恐らくこれ以上濃い義昭は今後二度と現れないのではないだろうか。
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