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郭嘉


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「郭嘉」カク170207)とは、乱世の姦雄・曹操の軍師(軍祭)として類稀なる眼を用いた判断謀なる知略を的中させて曹操の覇業に貢献し、正史において

「才略謀略、世の奇士なり」

と評価されながらも、飲む・打つ・買うの三拍子がった不摂生で滅な私生活を送った事が但し書きされていると言う38歳で折した天才?否!不良軍師。

字(あざな)は「奉孝」

覇業が成ったには後事を託すつもりでいた曹操は、郭嘉の折に対して

断腸の思いを吐露し、赤壁の戦いに大敗した際は

郭嘉さえいればこの大敗は免れたであろう

と嘆いた。


概要


予州潁陽翟の人で、若い頃から大望を抱いたものの俗世間の付き合いに関わる事を避けて名を隠して名士達と交際していた。

27歳の時に袁紹と拝謁するも、類稀なる眼により袁紹覇者の器でないことを見抜いて袁紹の元を去り、人材獲得に定評のある荀彧荀イク)の推挙(演義では荀彧荀イク)→程昱程イク)→郭嘉の順)を受けて、心の軍師・戯志才が若くして没した為に後釜を探していた曹操に面会し、覇業をり合って曹操と意気投合した郭嘉は軍師(軍祭)として仕えることになった。

この時曹操は、

が大業を成就させてくれるのは、この男をおいて他にいない

と、後で送られるんじゃないかと思える程に郭嘉を高く評価をした。

曹操の軍師として、

といった成果を挙げた郭嘉であったが、烏丸討伐戦を終えてまで帰還したところで病を発し、曹操の見舞いの使者が入れ替わり立ち代り訪れる中、38歳の若さで没した。

※私生活の乱れっぷりから性病で亡くなった説がある程だが、類稀なる眼により、自身の命数すら読みきった上での破天荒人生を送ったのかもしれない。

信頼し、実績もあげていた軍師を失った曹操は、荀攸臣に

諸君らにべ郭嘉はとび抜けて若かった。
覇業を遂させたらば、後事を郭嘉に託すつもりだった。

と本心を表して嘆き、献帝に奏上して郭嘉の功績に対して加増を行い、息子奕に千戸を引き継がせた。

その他「郭嘉」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。[外部]


不良軍師伝説


郭嘉が存命時の曹操営の幕僚達は、郭嘉よりも10歳以上年上の者が多かったが、そんな中で郭嘉は人の器量を見抜く眼により確実な戦果を上げ(たとえ取り上げられなくとも後々に判断が正しかった事が次々と明されている)、曹操の覇に貢献した。

ここでは、その中でも特筆すべきエピソードについて記載する。


袁紹の器を見抜く


27歳の時、名族こと袁紹に面会した郭嘉だったが、 面会後にデルトマ軍師の郭図らに

知恵者は君の人物をはっきり判断するものです。
だからこそ全ての行為は安全確実で功業名誉をうち立てられるのです。
いたずらに士人に謙った周の態度を真似なさろうとしているが、 人物を使う機微についてご存知いと見えます。
いろいろとおやりになりながら肝心なところがおろそかな事多く、策略好きながら決断がありません。
して下の大難を救い、覇者王者の事業を成し遂げようとしても、たいへんに難しい事です。

袁紹と言う人物を見抜いた言を残して去っていた。

実際、袁紹はその決断の場面での弱振りや中の統制失敗により滅亡することになる。


十勝十敗


心の軍師・戯志才の後継を探す中で荀彧荀イク)が推挙した郭嘉と面会した曹操は、

袁紹は冀州の軍勢を擁し、州及び并州を従属させて、領地は広く兵は強い上に、たびたび朝廷に対して不遜な行為を取っている。
袁紹)を討伐したいのだが、では相手にならないが其の可性は有るか?

と、皇帝を得ながらも地の差を理解した上での不安を吐露した姿に対して郭嘉は、

劉邦項羽が同じでかった事は、(曹操)も御存知の事でしょう。
最後に勝って下を取った劉邦はただ智に勝っていただけです。
項羽は強大でありながら、結局は捕えられたではありませぬか。

と武勇だけでは下を得られない解りやすい事例を持ち出しておいてから

袁紹には十の敗北の種が在り、(曹操)には十の勝利の因が御在りです。
袁紹は兵強大とは申せ、打つ手を持たないでしょう。

と進言した。

郭嘉の言う十勝十敗の内容は、

曹操の十の勝因 袁紹の十の敗因
」(法則) 曹操:体任自然 袁紹:繁礼多儀

袁紹は面倒な礼式や作法を好んで用いるが、曹操自然の姿に任せているので、曹操は「(法則)」が優れていると言える。

」(正義) 曹操:奉順以率 袁紹:以逆動

袁紹は、「逆(朝廷向う事)」を以って行動するが、曹操は「順(朝廷を奉戴し従う事)」を奉じて下を従えているので、曹操は「義(正義)」が優れていると言える。

」(政治) 曹操:糾之以猛、上下知制 袁紹:寛済寛。故不摂

袁紹は「寛(締まりのさ)」を用いて「寛(締まりのさ)」を救おうとしているから上手く行かないが、曹操は「猛(厳しさ)」で以って糾しているから上下が掟を弁えているので、曹操は「治(政事)」が優れていると言える。

」(度量) 曹操:外易簡内機明、用人疑、才所宜、 不間遠近 袁紹:外寛内忌、用人疑之所任親戚子

袁紹は、外身は寛大に見えても内心は疑心が強く、人を用いるあたってその者を信用しないし、信用しているのは親戚や子ばかりだが、曹操は、外は簡略、心は明晰、人を用いるに疑いを持たず、相応しい才を持っているかどうかだけが問題で、親戚・他人を分け隔てしないので、曹操は「度(度量)」が優れていると言える。

」(策謀) 曹操:策得輒行、応変窮。 袁紹:多謀少決、失在後事

袁紹は、謀議が多いわりに決断に乏しく、失敗は時機を失する点に在るが、曹操は方策が見つかれば直ぐ実行して、変化にあわせて行き詰まる所がないので、曹操は「謀(策謀)」が優れていると言える。

」(人徳) 曹操:以至心待人、推行、以至心待人、推行、不為虚美、以倹率下、与巧者、 士之忠正遠見有実者 皆願為用。 袁紹:因累世之資、高識揖譲以収名誉士之好言飾外者多帰之。

袁紹は、累代にわたって積み重ねた基礎を元に高尚な論議と謙虚な態度で評判をち得たが為に、論議を好み外見を飾る人物が多く彼の元に身を寄せているが、曹操心を以って他人を待遇し、意を貫いて実行し、上辺だけを飾る事をせず、慎ましさを以って下を率き従え、功績の有る者にはおしむ事なく賞賜を与えており、実で将来を見通す識見を持ち、中身の有る人物は皆、役に立ちたいと希望しているので、曹操は「徳(人徳)」が優れていると言える。

」(情) 曹操前小事、時有所、至大事、与四接、不済也。恩之所加、皆過其望、 雖所不見、慮之所周、 不済也。 袁紹:見人飢寒、恤念之形顔色其所不見、 慮不及也。所謂婦人之仁

袁紹は、他人の飢えや凍えを見ると憐みの気持を顔色に現わすが、眼に触れない事に対しては考慮が及ばない為、所謂、婦人の仁に過ぎないが、曹操は眼前の小さな事について、時に蔑ろにする事が有るが、大きな事となると、四のうちの人々と接し、恩を施して、全て期待以上であり、眼に触れない事に対してさえも、周到に考慮して処置しない事はないので、曹操は「仁(情)」が優れていると言える。

」(聡明) 曹操:御下以、浸潤不行。 袁紹:大臣争権、讒言惑乱。

袁紹は、大臣達の権争いによる讒言で混乱しているが、曹操義をもって下を統御し、の沁み込む如く讒言の沁み込む事は行なっていないので、曹操は「明(聡明)」が優れていると言える。

」(法政) 曹操:所是進之以礼、所不是正之以法。 袁紹:是非不可知。

袁紹は、善悪の判断をはっきりさせないが、曹操は、善しとする場合は、礼をもって推し進め、善しとしない場合、法をもって正すので、曹操は「文(法政)」が優れていると言える。

」(軍事) 曹操:以少衆、用兵如。軍人恃之、敵人畏之。 袁紹:好為虚勢、不知兵要。

袁紹は、好んで虚勢をるものの軍事・用兵については全く要点を理解していないが、曹操は、少数にて多数に勝ち、用兵はの如く、味方の軍人はそれを頼みとし、敵はそれに恐れを抱いているので、曹操は「武(軍事)」が優れていると言える。

 と言うもので、

は、これだけの優れた面を御持ちなのです。

と最後の一押しも忘れずに言った。

郭嘉の言葉に曹操は、

が大業を完成させてくれるのは間違いなくこの者だ

と言い、その場から退出した郭嘉もまた

こそ君である

と言って曹操に仕える事になった。 


劉備は始末すべき


劉備呂布に敗れて曹操を頼って落ち延びて来た際に、郭嘉は、

劉備はずば抜けた才を持って人心を掴んでおり、人の下にいるような人間ではないので直ちに始末しておくと良いでしょう。

程昱程イク)と共に曹操に進言したが、曹操劉備を殺す事によって下の人心を失うのを恐れてこの献策を採用しなかった。

その後、袁術を迎撃させる為に曹操劉備に兵を与えて派遣した際に、

殿劉備を始末せず、それどころか兵を与えました。
必ず劉備は二心を抱くでしょう。

との郭嘉の進言通りに、劉備は徐州にて曹操に反旗を翻した。

郭嘉にすれば「だから言ったのに」と言う状況になったが、劉備よりも面倒な呂布という一人戦術兵器を排除するのが先となった。


呂布を滅ぼす


郭嘉は、劉備を裏切って領土を得た呂布を討つ旨を曹操に進言し、曹操呂布討伐軍を編成して徐州へと出した。

呂布曹操に対して連敗を重ねてに篭した事で、一旦撤兵すべきかと曹操が考えていた際に、郭嘉は、

呂布は勇猛だが智謀はなく、今、気力は衰えています。
軍は中心の意気が衰えていれば周りの意気も上がらなくなるのです。
陳宮は知謀がありますが優柔不断で謀がなかなか決まりません。
の謀が決まらない今はまさに好機にございます。
軍を進め沂泗水を引いて攻めを行うのです。
勝ちに乗じてを攻撃すれば捕虜にできます。

と進言して、包囲を続けて攻めを敢行し、呂布陳宮高順らは裏切り者によって捕らえられて処刑された。  


孫策の未来を読む


曹操が、いよいよ袁紹と対峙する為に北方に兵を派遣しようとなった際に、南方孫策が好機とばかりに都に攻め込んでこないかと、中の者が心配する中で郭嘉は、

孫策江東のを手に入れたばかりで、殺したのは英雄傑で部下に死を尽くさせる者ばかり。
それでも孫策は軽く考えて警もしない。
思うに孫策は必ず匹夫の手にかかって殺されるだろう。

と予想し、実際に孫策は自らが滅ぼした許貢に恩義を感じていた食客達の手によって受けた傷が元で亡くなった。


名族を滅ぼす


曹操が、袁紹との決戦となった官渡の戦い勝利し、袁紹喀血して没した中、この勝利に乗じて一気に袁紹の遺児・袁譚と袁尚(とついでに袁煕)を滅ぼさんと攻撃する準備を整えていたが、これに対して郭嘉は、

袁紹は、袁譚と袁尚のどちらが後継者を決めないまま死んだので、このまま攻撃して両者を団結させずとも、ほおっておけば後継者争いをはじめます。
南の劉表を討伐すると見せかけて変化が起こるのを待つのがよろしいでしょう。
その後に攻めこめば一挙に定できます。

と、何もしなくても名族・袁が後継者争いで滅びると進言し、郭嘉の言を曹操が採用して撤兵すると、たちまち袁譚と袁尚は後継者争いをはじめ、後継者争いに敗れた袁譚は曹操を頼ったものの処刑され、疲弊した袁尚は曹操に河北を落とされて冀州を失い、烏丸へと落ち延びた。 


劉表の器を見抜く


袁尚(とついでに袁煕)が逃げ込んだことを口実に烏丸族を征伐しようとした曹操と郭嘉だったが、部下の多くは劉表劉備を使って攻めてくると心配した。

そこで郭嘉は、

殿の威勢を下に鳴りかせているとは言え、蛮族は自分達が遠隔の地にいるのを良いことに防備を設けていないでしょう。
彼らの防備なきにつけこみ、 突如これを攻撃すれば撃破して滅ぼす事が出来ます。
それに蛮民に恩を施した袁紹の子の袁尚兄弟生存しているのです。
殿は四州の民を、威勢を持って従えているだけで徳の恵を施すにはいたっておりません。
それをおいて南征すれば、袁尚は烏丸の資を利用し、君の為に死ぬ決意の臣下を招き寄せます。
蛮人がひとたび行動を起こせば、人民やその他の蛮族は共に呼応し、 州・冀州はが方の領有ではなくなるでしょう。

烏丸攻めを優先する理由を説いた後、

劉表はただ議論しているだけの人物に過ぎず、自らが劉備を統御するだけの才い事を弁えています。
劉備を重用すればおそらく制御できない事は解っているでしょうし、軽く任用すれば劉備は動こうとしないでしょう。

劉表の器では妖怪手長長と三体のヒト決戦兵器達を運用できないから全軍をあげて北方を攻めても問題ないと諭した。

実際、劉表の決断さ等から劉表が動くことはく、その後荊州はほぼ戦わずして曹操に降伏した。 


神速を尊ぶ


袁紹を滅ぼした後、北方の異民族烏丸を討伐する為に曹操の軍を北上させた際に、郭嘉は曹操に対して、

軍事の如き速さを尊びます。
千里彼方に人を襲撃しますれば、 輜重は多くなって、 有利な地へたどり着くのは困難です。
その上、らがこの事を聞けば、必ず防備いたします。
輜重をとめおき、 軽装の兵に)兼行させて突出させて、彼らの不意をつくべきです。

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最終更新日: 19/09/29 03:12
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