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関東八屋形とは、鎌倉府において公方の近習である奉公衆とははっきり区別された、いわば外様の人々である。
近世の史料である『佐竹家譜』に第3代鎌倉公方足利満兼が八人の大名に屋形号を許した、とあるのをソースに近年までさまざまに論じられてきた。
の、だが史料ごとに(それも同時代じゃない)メンバーが安定しておらず、実際のところは室町時代に鎌倉府の下で有力だった有力豪族の「外様」領主たちにその後の戦国時代や江戸時代の各大名の立場が反映されて関東八屋形と呼ばれる概念が出来上がったんじゃないか、と近年では言われている。
難しい話はここまでにして、要するに鎌倉府からある程度距離を置いたうえでそれなりの地位を築いていた人々であり、名字を見ると源平以来おなじみの面々が並んでいる。
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