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食客とは、有力者などに養われる代わりに、有事の際には主人のために行動する者の事である。
中国の春秋戦国時代から始まった風習。食客は有力者に養われて暮らすが、有力者に依頼されたり、あるいは有力者が危機に陥った時などには命を捨てても主人を助けたという。有力者にとっては食客の数=自らの権勢の大きさであり、好んで食客を抱え込んだ。
当時の中国では「侠客」という弱気と助け強きをくじく心構えを持った者たちが存在しており、食客の中にもこのような任侠が多くいたと言われている。
時代が下ると、単なる居候も食客と呼ぶようになっている。
▲春秋戦国時代の中国にて、「斉」の国の有力者孟嘗君はそれぞれ一芸を持った3000人の食客を養っていた。しかし、その中には「泥棒が得意」「鶏の鳴きまねが得意」といった、国を動かす立場にある孟嘗君にとって必要なさそうな一芸を持つ者たちもいた。
そんな時、孟嘗君を宰相にしたいと言って呼び寄せた敵国「秦」によって、孟嘗君は軟禁されてしまう。
孟嘗君は何とかして秦から脱出するために、随伴していた泥棒が得意な食客に命じて敵国の宝物庫から狐の毛皮で出来たコートを盗ませ、改めてそれを秦の国王の側室に献上して買収し、自らを釈放するよう王に促させた。
また、秦から脱出する際には夜のうちに関所を通り抜けるために、鶏の鳴きまねが得意な食客に命じて鶏の鳴きまねをさせ、もう朝だと番兵に勘違いさせ、門を開けさせた。
こうして孟嘗君は無事に帰国することができ、何の役にも立ちそうもないものでも役に立つことはあるという意味の故事成語となった。
あるとき、孟嘗君はその人望を国王に妬まれ、宰相の職を解かれた。すると3000人いた食客たちは次々と孟嘗君のもとを去り、たった一人馮驩のみが残った。
馮驩はあの手この手を使って主の孟嘗君を宰相に復帰させることに成功する。
孟嘗君は彼に感謝を述べ、去って行った者たちを悪しざまに言うが、馮驩は逆に去って行った者たちを呼び戻すように孟嘗君を諭す。彼らは孟嘗君が宰相の地位を失って、自らの能力を生かす場所を無くしたからこそ去ったのであって、決して悪感情があったから去ったわけではない、と説得された孟嘗君は再び3000人の食客を抱えるのであった。
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