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香川真司


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香川真司

香川真司Shinji Kagawa,1989年3月17日 - )とは、日本サッカー選手である。ギリシャスーパーリーグPAOKテッサロキニ所属。サッカー日本代表

175cm68kg。ポジションMFオフェンシブハーフ)。利き足は右。


概要


兵庫県神戸市区出身。当時J2に降格していたセレッソ大阪で頭を現し、史上初の平成まれの日本代表選手となる。ドイツボルシア・ドルトムントに所属していた頃には、としてブンデスリーガ2連覇に貢献。日本のみならず海外からも注される選手となり、イングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドへの移籍も果たす。

本田圭佑と共に、2010年代日本サッカー界を代表する選手であり、日本代表では背番号10を背負ってプレーしている。FIFA ワールドカップには2度出場しており、2018年ロシアW杯ではコロンビア戦での先制ゴールとなるPKを決めるなど、日本の3度の決勝トーナメント進出に貢献している。


経歴



生い立ち


幼稚園の頃からサッカーを始め、小学生時代は地元の少年サッカーチームに所属していた。この頃からすでに非な才を発揮しており、周囲からは天才と称されていた。子供の頃の憧れの選手は三浦知良カズ)で、カズのようなJリーガーになりたいというを持っていた。

中学生になると、宮城県サッカー留学を決意し、仙台市学校に通いながらFCみやぎバルセロナのユースチームプレーしていた。高校生になると、香川の存在はJリーグチームからも注されるようになり、高校2年生にしてFC東京セレッソ大阪からオファーを受ける。


セレッソ大阪時代


2006年17歳のときにセレッソ大阪契約プロとしてのキャリアスタートチームのユースに所属していない高校卒業前の選手がプロチーム契約するのは当時異例のことだった。ルーキーイヤーは公式戦の出場はく、チームJ2に降格する。

2年となった2007年は、5月に就任したレヴィー・クルピ監督に才が認められ出場機会を増やし、J217水戸ホーリーホック戦でプロゴールを記録。2008年には、全にチームとして定着し、35試合に出場して16得点10アシストを記録。しかし、チーム場以降に勝ちが伸びず、J1昇格はならなかった。

2009年シーズンからはかつて森島寛晃が付けていた背番号8を継承。前のシーズンマリノスから移籍して来た乾貴士との息の合ったコンビネーション得点を量産。J2第15節の水戸ホーリーホック戦ではプロ入り初のハットトリックを達成。シーズン終盤は怪に苦しんだが、リーグ27得点J2得点王にき、この年のC大阪J1昇格の原動となった。

初のJ1プレーすることとなった2010年は、5月15日までにJ1でも十分に得点王を狙える7得点を記録するが、7月ドイツブンデスリーガボルシア・ドルトムントへ移籍が決定する。ドルトムントはこの数年前からスカウトを派遣して香川プレーを注視し、獲得に踏み切っていた。


第一次ドルトムント時代


2010年7月1日21歳でブンデスリーガの名門ボルシア・ドルトムントへの全移籍が正式に決定。背番号は「23」。実は前年の12月ドルトムントホームゲームに招待されており、そのときの8万人が熱狂するスタジアムに感銘を受け、このときからすでに加入の希望を伝えていた。

その類稀な攻撃センスに惚れ込んだユルゲン・クロップ監督からスタメンの座を与えられると、驚くべきスピードチームに順応する。9月11日長谷部誠との日本人対決となったヴォルフスブルク戦ではブンデスリーガでの初得点を記録、またも内田篤人との日本人対決となった翌節のシャルケ04とのルールダービーでは2得点を挙げ、キッカー誌とビルト誌の両方から最高評価点の「1」を付けられる。加入当初はドイツで全くの名の存在だったが、く間に香川真司の名がドイツ中に知れ渡った。2011年1月に出場したAFCアジアカップでの怪により後半戦を棒に振ったが、このシーズン17試合8得点と大活躍し、攻守にわたってドルトムントの9シーズンぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。自身はブンデスリーガ公式の前半戦MVPに選出され、キッカー誌が選定した年間のベストイレブンに選ばれた。

2011-2012シーズンは怪から復帰し、リーグ前半戦終了時点で4得点5アシスト。ちなみに香川が1試合あたりに走った均走行距離は12.36キロで、前半戦に出場したブンデスリーガ全選手の中でトップであり、活躍の背景に豊富な運動量があることが裏付けられた。11月24日にはUEFAチャンピオンズリーグアーセナル戦においてCLで自身初となるゴールを決めた。もっとも10月頃からやや調子を落とし、新たに前線でコンビを組んだロベルト・レヴァンドフスキとの連携がうまくいってなかったこと、マリオ・ゲッツェが台頭したこともあってスタメンから外れる時期もあった。リーグ後半戦はそれまでの憤をらすかのような獅子奮の活躍を見せ、コンスタントゴールアシストを記録し、チームの快進撃の中心となり、27節のケルン戦での2ゴールで二桁ゴールの大台に乗る。リーグ優勝に王手をかけた第32節のボルシア・メンヘングラッドバッハ戦でも決勝ゴールを決める活躍を見せる。この結果、ドルトムントリーグ28敗という記録と共にブンデスリーガ2連覇を達成。DFBポカール決勝でも強バイエルン・ミュンヘンを相手に先制ゴールを決めるなど活躍、クラブ史上初となるシーズン2冠に大きく貢献。2年香川31試合に出場し、13得点9アシストドイツ中に衝撃を与えた1年を大きく上回る成績を残す。ビルト誌が選定する年間ベストイレブンに2年連続で選出。


マンチェスター・ユナイテッド時代


ドルトムントでの活躍が世界的名将であるアレックス・ファーガソン監督に評価され、2012年6月5日世界的なピッグクラブであるイングランドプレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドへの全移籍が発表、同22日に正式契約を結んだ。背番号は26番に決定。移籍1500万ユーロ(約20億円)。

2012年8月20日開幕戦のエヴァートン戦でデビューを果たすと、第2節のフラム戦でプレミアリーグゴールを決める。前年度のCL決勝でFCバルセロナきまでに叩きめされたファーガソン監督は、これまでのチームスタイル限界を感じ、新しいスタイルを導入するためのキーパーソンとして香川を獲得していた。だが、チームアーセナルエースであるロビン・ファン・ペルシーの引き抜きに成功したことで、従来のスタイルを併用するようになり、出場機会は多かったものの大事な試合でスタメンから外されることが多くなっていた。さらにCLで負った負傷のため2カ離脱することもあった。3月2日マンチェスター・ユナイテッドホームであるオールド・トラフォード400試合となったノーウィッチ・シティとのホームゲームプレミアリーグ日本人初となるハットトリックを達成。3得点芸術的チップキックシュートとなっている。チームは、2シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、日本人初のプレミアリーグ優勝を果たす。これにより自身は欧州移籍後3シーズン連続のリーグ優勝となった。しかし、27年間マンチェスター・ユナイテッド揮し、数々の栄をもたらしたファーガソンが退任を表明。このことが香川歯車を大きく狂わせることとなる。

ファーガソン引退に伴い、2013-14シーズンから新たに就任したデイヴィッド・モイーズのもとポジションを失ったものの、シーズン途中から先発ポジションを奪取。しかし、サイドからのクロスを重視する古典的なブリティッシュスタイルであるモイーズの戦術に香川のストロンポイントは発揮できず。また、フィジカルを重視するモイーズのチームフィットしようと筋トレーニングを増やしたことで持ち味だった俊敏さを失ってしまう。結局このシーズン香川は0ゴールに終わってしまい、チームCL圏外という屈辱のシーズンとなった。この頃の香川の不遇な扱いを恩師のクロップはたいへん嘆いていた。

2014-15シーズン、新たに就任したルイス・ファン・ハールの元でポジション奪取にやる気を見せていたが、守備的MFでの起用やファン・ハール戦力外通告ともいえる発言から退団を決意する。


第二次ドルトムント時代


バレンシアエバートンなど複数のチーム興味を示す中、本人の希望で古巣のドルトムント800万ユーロで復帰が決まった。背番号は「7」。復帰が決まった際には地元メディアが一面で取り上げるなど大きな注を集め、かつてのクラブアイドルの帰還にドルトムントサポーターは歓喜する。

復帰戦となった9月13日の第3節、SCフライブルク戦で、マルコ・ロイスが負傷離脱した事もあり、トップ下で先発出場し、移籍後初得点を決め活躍し、その試合のMOMに選出された。しかし、マンチェスター・ユナイテッド時代から続く不調から全に脱却できておらず、チームも一時は最下位に転落するほどの深刻な不調に陥る。なかなか調子が上がらず、クロップからスタメンを剥奪され、出場機会が与えられない時期が続く。結局、チームは何とかヨーロッパリーグ圏までは立て直すが、かつてのきを見せられないままシーズンを終え、クロップチームを去ることになる。

2015-16シーズンからクロップの後任となったトーマス・トゥヘルは、これまでのトランジションスタイルからポゼッションサッカーへの移行を図ろうとする。背番号を「7」からかつて付けていた「23」に戻した香川は、インサイドハーフで起用されることが増え、ゴール前よりもパサーとしてゲームメイク重を置いた役割を与えられる。それでも、新しい役割に順応しながらゴールも重ね、第28節のヴェルダー・ブレーメン戦では、ブンデスリーガ通算100試合出場を達成。このシーズンは29試合9得点9アシストという記録を残し、復調を印付けたシーズンとなった。

しかし、2016-17シーズンは、トゥヘルがより多様性をめる戦術を採用したことで徐々にチームでの居場所を失っていく。2016年11月22日CL第5節レギア・ワルシャワ戦では前半17分と18分に連続でゴールを決め、CL史上最速の連続ゴール記録を立。だが、リーグ戦での初ゴール2017年4月13日ハンブルガーSV戦までかかり、試合出場も21試合にとどまる。2017-18シーズンから監督に就任したピーターボスからは途中交代から流れを変える役割を与えられる。シーズン途中でボスが解任され、ピーター・シュテーガーが監督に就任してからスタメンを取り戻すが、第22節のハンブルガー戦での負傷によって2カもの間ピッチを離れることになり、不完全燃焼シーズンとなる。

2018-19シーズンから就任したルシアンファブレからは全に構想外という扱いを受け、シーズン前半戦でリーグ戦2試合、公式戦の出場は4試合のみとなっていた。


ベシクタシュ時代



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最終更新日: 21/03/21 01:29
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