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馬券


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いままでは、前述の池上競馬場目黒競馬場を始めとして各競馬場が各競馬楽部の下にそれぞれ別個に経営されていたが1936年にはそれらをすべて合併した特殊法人日本競馬会」が誕生。この法人現在JRA(日本中央競馬会)の前身に当たる組織であり、GⅠ安田記念の由来になった安田伊左衛門理事長の下、現在クラシック5大競争の大半(桜花賞皐月賞オークス菊花賞)を整備するなど現在中央競馬の原を作り上げた。ちなみに安田理事長は前職の東京競馬楽部(目黒競馬場)名誉会長時代に東京優駿大競走(現在東京優駿/日本ダービー)設立も行っているため一人でクラシック5大競争全ての創設にに関わっていることになる。


⑤戦後・重勝単勝式馬券の発売(1944年~1963年)


1944年太平洋戦争化によって馬券発売は再びに中止に追い込まれ、戦後すぐの1946年に再開をするものの今度はGHQの独占禁止法に引っかかってしまい1948年からは農省畜産局競馬部が監督する競馬に転換、GHQが去った後の1954年には日本中央競馬会として再編され、現在JRA(当時はNCKと呼称)が誕生した

JRAが誕生する以前の1947年から4制の単の発売を開始したものの、当時は戦前の1942年から制定された競馬税法により控除率が約32.5%と非常に高く、一方1948年に初開催された競輪は控除率25とかなり低かったため、人気競輪に集中してしまいなかなか資を集めることが出来なかった。1948年12月4日には初の場外馬券場(現在WINS銀座)を開設するが、それでもお金を賭けてくれるお客様はなかなか現れず1950年に控除率を競輪と同じ25まで引き下げた結果、ようやく経営危機を脱することに成功した。前述の単も1949年には6制に変更となりこの6単が10年近く維持されることとなった。

一方でその間には新たな試みも行われ、1951年には土曜日の午前中に行われる第1・第2・第3レースの勝ちを連続して当てる重勝単勝式馬券「三重勝」を発売。 メインレースの行われない土曜日の午前中の客集めのために発売されたもので、予め全レースを全て定してから買う現在WIN5とは異なり、まずは1レース分のみの重勝式を購入し、その1レースの的中券を売り場に持っていって2レースの勝馬投票券と引き換え、その馬券が当たったらまた売り場に戻って3レースの勝馬投票券と引き換え……という1レースごとに買いを増やしていく増していく方式で、3レースとも当てることが出来た後に初めて払い戻しが行われる方式だった。しかし、やはり閑散時間帯に買う人はそう多くなく売上は低迷し1961年止。

以降は射幸心を煽るということでガラ投票と同じように禁止されてしまい、重勝式が公営競技に戻ってくるのは、それから47年後の2008年競輪七重勝式「チャリLOTO」の導入まで、中央競馬ではちょうど50年後の2011年WIN5」導入まで待つこととになる。


⑥8枠制枠連と電話投票の導入(1963年~1991年)


当初は赤字で苦しんでいたJRA50年代後半になると、「もはや戦後ではない」と経済書位に記されるほどの経済回復を受け急成長を遂げ、出走も大幅に増加した。一方、現状の6単だと同じに多数のが入ってしまうため、を増やすために1963年から8制枠連(現在の枠連と同じ)が導入された。これと同時に今までの単は止となり、現在まで中央競馬では発売されておらず、地方競馬南関東競馬金沢競馬でのみ見ることが可である。単時代とべると数こそ増えたが、的中率とオッズは較的下がったためギャンブル依存症対策としても有効だった。

ただ単・枠連には、人気人気薄のが同時に同じに入った後に人気が出走を取り消しても、単勝や複勝とは異なりまだ馬券が成立する可性(残った人気薄の走して馬券に絡む可性)があるため払い戻しができず、低いオッズにも関わらず人気薄のに期待するしかないという問題が発生することがある。1973年日本ダービーでは第一次競馬ブームを巻き起こしたハイセイコー単勝支持率66.7という飛んでもない支持率を叩き出し、彼はしっかりと出走を果たしたものの今後このような過剰人気を背負ったが出てこないとも限らないためこれを解決するために1974年から定制度を導入した。

この制度は、単勝支持率30以上の人気は他のより先に番を抽選して専用のを用意し、その人気1頭だけを抽選で当てたに入れるというものである。「そんなことをするなら、さっさと今の馬連みたいに一頭一制度を導入すればいいじゃないか!」と思うかもしれないが、当時はJRA中の人(おばちゃん)がそろばんによる手計算でオッズを弾き出していたらしく、これ以上のの増加や馬連の導入は組み合わせが増えすぎておばちゃんが過労死してしまうため不可能であった。

この単定制度には、もし人気8を引いてしまうと自動的に一番大外からの発走になってしまうという問題もある。1991年クラシック戦線に殴り込んだ皇帝シンボリルドルフに持つトウカイテイオー皐月賞818番、続く日本ダービーでも820番という競馬ではとてつもなく強いのにクジ運ではとてつもない弱さを見せつけ非常に不利な状況からの発走となったが、本当に強いには出走など関係ないとばかりにどちらのレース勝して敗の二冠となり世代最強明した。同年に念願の馬連が導入されたことによって彼が最後の日本ダービー定制度適用となり、単定制度最後の適用例も彼に次ぐ日本ダービー2着となった後の菊花賞レオダーバンによるセントライト記念(813番/3着)となった。

電話投票も単定制度導入と同じ1974年に試験導入、2年後の76年から本格導入され、前述の第一次競馬ブームと相まって多くの新規競馬ファンを獲得することとなった。

3種類の馬券、単勝・複勝・枠連の体制は1963年から1991年の馬連導入まで28年間続くことになり、その間枠連は一の連勝式馬券(2頭以上を選ぶ馬券)であり続け、配当額も他2つとべて高かったことから3種類時代末期には枠連のシェア90以上にも達するなど人気馬券で有り続けた。どの種類の馬券が一番売れているのか 投票法の売上割合推移 -  Umas![外部]


⑦万馬券時代の到来(1991年~2011年)


1991年10月5日JRAは第二次競馬ブームに狂喜乱舞の最中、ついに単定制度の問題を全に解消する念願の馬連が導入された。これにより、いままではまずおにかかることが出来なかった万馬券がたまにではあるが飛び出すようになり、導入からわずか2年で枠連とのシェアを逆転。90年代後半には馬連が75以上のシェアを誇るようになり一躍人気馬券となった。

この頃になると長らく競馬場そろばん片手に頑っていたおばちゃんが引退してトータリゼータシステムという大コンピューターによって馬券の発売・オッズの管理は論、場内テレビジョンに刻一刻と変わるオッズを自動的に表示させることができるようになるなど技術が飛躍的に進歩し、以降90年代から2000年代前半にかけて馬券の種類は飛躍的に増加していく。

まず、1999年12月4日には馬連と複勝を足して2で割ったとも言えるようなワイドを導入。(ちなみにこの時の宣伝ポスターに採用されたのは、91年~93有馬記念3年連続3着という成績をJRA直々にイジられ採用されたナイスネイチャ)

続けて2002年7月13日には馬単と3連複を同時に導入。2004年9月11日にはついに馬券の王様もいえる3連単が導入され、万馬券はそうしいものではなくなった。2006年10月6日には応援馬券が導入され、馬連導入からわずか15年で現在競馬場ウインズの券売機で購入することが出来る9種類の馬券全てが出った。


⑧WIN5の導入と現在(2011年~)


3連単導入の翌年にあたる2005年にはディープインパクトが大活躍。しかしそれにも関わらず1998年以降JRAの売上は連続して下落。ここまでくると、JRAも相次ぐ新馬券導入でギャンブラーの射幸心を煽っておきながら自分自身の売上への射幸心も煽られてしまうわけであり、2011年4月23日(土)にはついに三重勝以来50年ぶりとなる五重勝単勝式馬券WIN5の発売を開始する。

このWIN5JRAとしては初めてのインターネット投票のみによる購入が可な馬券であり、GⅠレースを初めとする日曜日開催のメインレースと、そのレースから遡って行われる直近4つのレースをあわせた計5レースの1着を全て選ぶというものであり、これにより配当はしばしば三連単でもめったに出ない1千万、そして年に1度か2度程度三連単では恐らく不可能である億単位にまで達することとなった。

発売翌日にあたる4月24日(日)の配当こそ81万280円と100万馬券にはならなかったものの、くも5回の発売に当たる2011年5月22日にはメインレースとなったオークスを始めとして1番人気全滅2番人気が2勝、3番人気・7番人気・10番人気がそれぞれ1勝をもぎ取って1億4685万110円(6票的中)払戻金ランキング (JRAホームページ)[外部]と史上初の一億馬券が誕生した。

2016年からはこちらもインターネット投票限定で、海外競馬の有名競争の馬券をJRA独自のオッズではあるもの購入可となり、WIN5の導入翌年にあたる2012年からは今までの売上低迷もストップし着々と売上実績を回復しつつある。


⑨年表



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最終更新日: 19/11/14 23:28
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