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高木守道


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高木守道(たかぎ もりみち)とは、普通です」2ミスタードラゴンズ(初代は西沢道夫、3代立浪和義)である。1992年から1995年途中にかけて、また2012年より2013年にかけて中日ドラゴンズ監督を務めた。


概要


岐阜商業高校から、1960年中日ドラゴンズに入団。背番号1になった4年1963年から二塁手レギュラーを獲得し、同年盗塁王く。以降不動の二塁レギュラーとして活躍し、盗塁王3回、ベストナイン7回(二塁手史上最多)、ダイヤモンドラブ現在ゴールデンラブ)3回などのタイトルを獲得。

1974年巨人V10阻止するリーグ優勝に貢献し、日本シリーズ敢闘賞を受賞。1977年には通算2000本安打を達成。1980年引退するまで21年間中日一筋でプレーし、数多くの球団記録を作った。背番号1は永久欠番になる予定だったが、本人が辞退したそうである。

正確バックトスや変幻自在のポジショニングなど、二塁の守備に関してはプロ野球史上屈と言われるほどの名手であり、本人も守備には絶対の自信を持っていた。それを裏付ける逸話として、センター前への当たりをダイビングで弾いたプレーで「前に落とせ」と監督に叱責され、最善を尽くしたプレーで叱責されたことに激怒して試合中に帰宅してしまったというエピソードがある。

またシーズン10~20本の本塁打を放つパンチもあり、史上初の「200本塁打200犠打」という記録も持っている。

現役晩年から選手兼任コーチを務め、引退後はコーチ二軍監督ヘッドコーチを経て、1986年シーズン途中から監督代行として揮をとった。その後解説者となるが、1992年から星野仙一の後任として中日監督に就任。

監督初年度は大混戦のシーズンで借10ながら最下位。2年は後半戦でヤクルトを猛追するも2位。3年1994年巨人と優勝争いを繰り広げ、伝説の10.8決戦に敗れ2位。4年1995年、成績不振によりシーズン中で辞任した(その後、徳武定ヘッドコーチ監督代行に就任するもまたもや解任され、シーズン終了までは野育夫二軍監督監督代行を務め、翌1996年からは再び星野仙一揮を執っている)。この年、最後に揮をとった試合で退場処分を受けている。

監督辞任後は再びCBC野球解説者・中日新聞野球評論家として活動。サンデードラゴンズの名物コーナー高木チェック」では、一見ファインプレーに見えるプレーでも、「自分でもできそうなものはファインプレーとは認めない」というポリシーから普通ですと判定するのが定番になっている(「普通です」の項も参照)。

2012年から、落合博満の後任として再び中日ドラゴンズ監督に就任。同時に球団はスローガン「ジョイナス」のもと、落合監督時代に減少した観客動員数回復のためファン獲得重視の運営方針に切り替えることになり、「ジョイナス」はしばしば高木自体をす呼称として使われるようになる。

初年度こそリーグ2位クライマックスシリーズでもあと1勝で日本シリーズ進出という成績を残したものの、翌年2013年にはセ・リーグ全球団に負け越し4位と低迷。同年契約期間満了で辞任した。

ちなみに、『海賊戦隊ゴーカイジャー』のゴーカイブルージョー・ギブケンモデル高木である。名前も高木の出身校である県岐阜商から。メイン脚本が中日の大ファン荒川稔久だから仕方ないね


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最終更新日: 15/10/08 19:45
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