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F-16


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曖昧さ回避

この記事は変態企業ロッキード・マーティン製の戦闘機に付いて扱ってます。最寄りの公共交通機関である東京メトロ副都心線F16は、渋谷駅をご利用ください。メトロを始めとする鉄道が動いてない場合は、赤い電車をどうぞ♪

F-16はアメリカ合衆国ジェネラルダイナミクス社が開発した第4世代ジェット戦闘機である。ジェネラルダイナミクス社軍用機部門のロッキード社への売却と、ロッキードのマーティンマリエッタ併合によるロッキード・マーティンへの称により、現在ロッキード・マーティン社の製品となっている。


概要


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元々は軽戦闘機Light Weight Fighter)計画として1971年に採用されたものである。この計画では当初技術研究、実機という名で採用されたのであるが、当時マグドネルダグラス社が開発したF-15戦闘機の価格が高騰してしまい思うように配備が進まなかった事から、そのまま戦闘機計画を進め、1974年にYF-16として初飛行を行ない、翌年1月に正式に採用された(因みにYF-16と競争していたのが、後にF/A-18となるYF-17である)。

ブレンデッドウィングボディ(流線を多用した機体)とフライ・バイ・ワイヤ電気信号による操縦系統)を本格的に採用した初の実用戦闘機であり、F-15と同エンジンを1機搭載し対G、推向上などを図っている。小軽量な機体と強エンジンにより、低〜中高度での格闘戦なら大F-15駕するとされる。

現在ではアメリカ軍のみならず、世界中で配備されており、アメリカ軍のワイルド・ウィーゼル(暴なイタチ:SEAD(敵防網制圧)任務専用の部隊、こちらはF-16C/DのBlock50D/52Dである)で使われたり、様々なが生み出されている。航空自衛隊で運用されているF-2支援戦闘機もこのF-16をベース日本の技術のを集めて良したものである(まぁイロイロあるんですがね?)。

ただしF-15同様初期は経年劣化が進んでおり、今後登場する同社のF-35ライトニングIIと交代する予定。

ゲームにおいてはパソコン専用ソフトFalcon4.0がリリースされており、操作体系まで拘ったリアル志向のゲーム性を味わうことが出来る。また、テレビゲーム等においても人気が高く、特にエースコンバットシリーズにおいては未来設定の3を除き皆勤と高い登場頻度を誇る。何かとお世話になるため染みの機体である人も多い(はず)。エースコンバットZEROでは空飛ぶ死亡フラグで名高いPJの使用機体であり、エースコンバット6ではプレイヤーの初期機体である。また6では、DLCとしてアイドルマスター双海真美痛戦闘機アイドルコンバット)としてF-16Cが登場している。

なお余談であるが、この系列は世界で4,000機以上生産されており、現用戦闘機としては世界一の配備数となっているが、その一方で被撃墜機数も多い機体である。湾岸戦争での被害を見ると、撃墜率はバグダット以上の密度でSAMや対火器が配備された中、滑走路の破壊を的に軍基地に低高度爆撃を行ったトーネードIDSや、開発当初想定されていなかった戦線後方への攻撃に投入されたA-10程ではないものの、撃墜数はハリアーIIA-6F/A-18に次いで高くなっている。またイラク戦争でも、イラクイスラム軍に地対攻撃を食らって撃墜される等散々なっていたりする(創作世界でもMGS1でハインドDにやられたり、エスコンZEROPJ死亡フラグ言った直後にピクシーにやられたり等、やられ役を演じることも多いのは気のせいか…)。


名称


称は、当初「マスタングII」や「コンドル」も検討されていたが、軍士官学校マスコットに使用されているファルコン)と決定した。しかし、航空機の商標としては『ファルコン』がダッソービジネスジェットに使われいるため、訴訟を避ける的で、ファイティング・ファルコンFighting Falcon:戦う)と言う名称が制定されている。軍のパイロットや整備員の間での非公式称として、宇宙空母ギャラクティカ オリジナルシリーズに由来する『バイパー』や『エレクトリックジェット』と言う名称も使用されているが、非公式名称の一つ『バイパー』は、インド向けに提案されていた、F-16の現地公式名称として、メーカー側でも使用している。


開発史


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F-16開発の契機は、アメリカ軍内部で、ジョン・ボイド (John Boyd) を中心とするファイターマフィアと呼ばれるグループが活発に活動していたことから始まる。

ボイドは、ベトナム戦争などを通じて得られた教訓から、格闘戦に強い、小で軽量な戦闘機F-X(後のF-15)として提言していたが、F-15視外戦闘も重要視しており、結果としてF-4よりもさらに大きく太い機首など的にも予算的にも理想から程遠い不満が残る機体となってしまった。そこで理論をさらに突き詰め、旧ソビエト軍/防軍の戦闘機部隊に対して、質だけではなく量でも駕する為、F-15より導入コストが安く、稼働率の高い、巻き付き戦闘機F-XXによる補佐を発案することになった。

安価な新戦闘機の出現がF-15導入の予算に影すると懸念した当時のアメリカ軍の閥であったF-15推進はこの動きを嫌っていたがものの、F-104の発展である、CL-1200ランサーの売り込み先を探していた、ケリー・ジョンソンの助言により、大手パソコンメーカーヒューレット・パッカード社の創設者の一人で、当時防副長官だった、デイヴィッド・パッカードがこの計画に興味を持ち、先進技術の実機として軽量戦闘機(LWF:Light Weight FighterF-XXの開発計画を開始した。

1972年1月6日に提示した要提案(RFP:request for proposal)は、通常は詳細な性や想定される作戦等も記載され200ページものに対し、わずか21ページという簡潔な物で、20,000lb(約 9トン)級の小の機体で高い機動性を持ち、搭載される電子機器は単純で、最高速度はM1.6程度、設計案のうち2案によるテストを行うが量産や制式化は考慮しないとされていた。

この要提案を受け取ったのは、9社の航空機製造メーカーであったが、グラマンF-14)、フェアチイルド(A-10)、マクドネル・ダグラスF-15)、ロックウェルインターナショナルB-1)といった、すでに新機の受注を得ていた企業は、米国防総導の談合でハブにされるのがみえみえだった為、開発参加を辞退した。この提案に応じたジェネラルダイナミクス 、ノースロップ、ボーイング、LTVロッキードの5社のうち、ジェネラルダイナミクスのハリー・J・ヒレーカーを中心とするチームが、1960年代から社内研究案として計画していた、軽量戦闘機モデル404/785/786に、いつの間にかダグラス社からGDに潜り込んでいた、エド・ハイネマンが入れ知恵した、発展であるモデル401ノースロップ社内研究案P-530の発展であるP-600(後のYF-17)をLWFの審として開発する契約を締結した。

この様な動きに対して、軍の制服組による反対や軍アナリストの横やりも有ったが、F-4の陳腐化やインフレによるF-15の単価上昇によりLWFの実用化の動きが具体化し、1974年3月7日ジェームズ・R・シュレシンジャーが、LWFを1980年代アメリカ軍に配備され、多的に使用出来るACFAir Combat fighter戦闘機)として発展させ、3年間で300機導入した場合の機体単価を300万ドルに納める戦闘機を検討するという計画を上院軍事委員会に提示し、4月27日ACFの飛行審を決定したが、軍内部には同盟向け戦闘機と言う見方も存在していた。

1973年11月NATO加盟のうちベルギーデンマークノルウェーオランダの4カF-104GやミラージュIII更新する機体の取得に際し、有利な取引条件を引き出しす為の政治的発言強化を的として4カ共同行動の検討を始め、1974年の始めにMFPG(多戦闘機計画グループ)を発足した。これらの々は、F-15F-14トーネードと言った大戦闘機/戦闘爆撃機を必要としていなかった為、ミラージュF1/M53の単独採用かジャギュアとの行配備、ACF採用案やP-530、サーブ 37 ビゲンが有補とされていたが、ミラージュF1/M53、ACF採用案、サーブ 37 ビゲンの三機種に絞り込まれた。同年五月に結成されたMFPG調グループは同年6月フランスアメリカ7月にはスウェーデンを訪れた。


■sm11528138[ニコ動]

YF-16の正式な初飛行は1974年2月2日とされるが、これに先立つ1月20日タキシングテスト中にロ−ル軸のふらつきが発生、機体への壊滅的な損傷を防ぐため離陸、テストを行っていた飛行場周辺を飛行している。YF-16とYF-17の飛行審期間中に、当時アメリカ軍が保有していた、多くの機種とDACTが行われたが、意図的にF-15F-17の直接対決は、避けられていた。

F-4A-7、状況によっては、最新鋭機だが政府グラマン社の間でインフレに起因する銭的トラブルが発生していたF-14更新する事を的として、1974年4月に正式な開発計画として始まったアメリカ海軍のVFAX(次期戦闘攻撃機)は、1974年8月28日に予算削減を的に、『ACFに採用された航空機を採用する』と言う決定を議会が行い、NACF(戦闘機)として仕切り直しになったが、アメリカ軍はソビエト含む東側諸より憎い憎い憎い(とても憎いことなので3回ry)アメリカ海軍の要を受け入れるつもりはく、制服組高官の中には、両者の意見交換の場で軍側出席者に対し、然と『軍の要を飲んだ人間は、アラスカ少し、頭冷やそうか』的な恫すら行う者も居た。

NACFでは、都合良くF-16の提出用図面を搭載した飛行機が、死傷者しの離陸事故を起こしケチがついた事や追加装備が原因である着艦の悪化、古くは、ユナテッドステーツ級航空母艦を起工一週間政治的に沈させた一件に始まり、ロバート・マクナマラ暴走F-111をおしつけられた件に至る、軍と軍機への嫌悪感等により、YF-17をマクドネルダグラス設計を行ったP-630が、なし崩し的にF/A-18として採用された。

1975年1月13日に、機動性、航続距離、加速性での優位、F-15と共通のエンジンを使用した事によるF-15調達コストの引き下げを理由として、アメリカ軍は、従来のF-15配備計画を維持したままのF-16大量導入を表したが、F-15で発生していたトラブル引き金となって、当初想定されていた、戦闘F-15を補佐する戦闘機から、対地攻撃を体とし、副次的に戦闘も行なう戦闘爆撃機としての運用が体となり、のちにイスラエル軍のF-16Dブラキート/IスーファF-2と言った、を生む切っ掛けにもとなった。

1975年3月には、NATO運営委員会からミラージュF1/M53、F-16、サーブビゲン較レポートが開された。このレポートの中でF-16は価格と機体性は他の2機種よりすぐれているが、ライセンス生産のオフセットの見返りが一番少なく、MFPGが機体の開発計画にど影を行使出来ない、先端技術を用いた部品がブラックボックス化されており、技術的な見返りが少ないと言った事が摘されていたが、この前後の時期から、断った上で持ちかけられた側が暴露した、ダッソーの代理人による、オランダの複数の政治家に対する買収工作CIA表した、ノースロップによる、フランス民議会副議長買収と言った、他の補を売り込んでいた企業による裏工作が表沙汰になる等した。

1975年6月7日パリ航空ショーの会場で、ベルギーデンマークノルウェーオランダの4カが共同でライセンス生産したF-16を採用する事を表し、NATO四ヵに続き、イランも採用を決定したが、1978年イランテヘラン州(現:ゴム州)ゴムで発生した暴動を発端とした内の情勢悪化と原油価格の急落により、発注が取り消された。


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最終更新日: 19/11/07 01:19
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