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FC町田ゼルビア


ヨミ: エフシーマチダゼルビア
掲示板をミル!
12カキコ!

FC町田ゼルビアとは、神奈川県東京都町田市を本拠地とする、J3リーグ所属のサッカーチーム、並びにFC町田トップチームである。

略称は「町田ゼルビア」…あまり変わりないとか言うな。


概要


日本プロサッカーリーグ
FC町田ゼルビア
基本情報
創設年 1989年
クラブカラー
ホーム
スタジアム
・野津田競技場(町田市陸上競技場)[町田市]
ホームタウン 東京都町田市
前身
サッカークラブテンプレート

FC町田1977年創設)は元々少年サッカー界では有名で、全大会で優勝した実績も持つクラブである。
後にトップチームが誕生したのは1989年のこと…このときはまだ「ゼルビア」という称は付けられておらず、純社会人チームであった。


Jリーグ入りを目指した本格強化


転機が訪れたのは1992年、後に消滅する「横浜フリューゲルス」の前身である全日空横浜サッカークラブ町田市ホームタウンにしたいとの話を持ちかけたことだった。
急な事もあって資を用意することは出来ず、一を担うはずだった町田市がこの話を受け入れられなかったために、この話は白紙となった。
しかし、この事がキッカケで設立された「町田Jリーグチームを誘致する会」に、「誘致の可性」を一方に置きつつも、内に日本初の総合スポーツクラブを創設しようという考え方が出始めた。
町田としては、まずそれをサッカーで始めることとなり、後にJリーグ参入をチームとなるFC町田トップチームに、「市民に認知されるサッカークラブ」をすために現在称が付けられた。

その後、ゼルビア2005年東京都リーグ1部を優勝し、出場権を獲得した関東社会人サッカー大会も優勝して関東リーグ2部に昇格。
2006年関東リーグ2部を1年で突破して1部に昇格し、翌々2007年2位栃木ウーヴァFCを勝ち点10もの差をつけたりと、圧倒的な強さで優勝するが、地域リーグ決勝大会は予選ラウンド敗退となり残留となる。
しかし、2008年関東リーグ1部連覇、地域決勝も優勝を飾り、JFL昇格を果たした。


初の全国リーグでの快進撃と課題


JFL参戦1年2009年)、同じ昇格組のV・ファーレン長崎ホンダロックSCリーグの厚いに阻まれて苦戦している一方で、ゼルビアは「Jへの門番Honda FC勝利するなど好調であったが、途中でホームグラウンドである野津田スタジアムの問題が発覚し、Jリーグ2部への昇格を断念せざるを得なかった。
それでも、FC岐阜ファジアーノ岡山のように昇格圏内には入れなかったものの、最終順位を6位とし、周囲の予想とは裏に好成績でリーグ戦を終えた。

JFL2年2010年)、新たに監督としてS級コーチライセンスを取得した相馬直樹が就任、彼の導者としてのキャリアはゼルビアが初めてであったが、前年を上回る3位に食い込んだ。しかし、懸案だったスタジアム問題は解決せず、成績ではJリーグ参入の条件を満たしていながらJFLに残留することとなってしまう。さらに相馬監督は1年で退団、後任には大分トリニータなどで監督を務めたポポヴィッチが就任する運びとなった。

JFL3年2011年)も、成績では上位に居ながら、当初はスタジアムの問題でJ2昇格が難しいと報じられることもあった。しかしスタジアム修計画が具体化し、2012シーズンの途中までに修される見込みが立ったことから、代替開催地の確保を条件に昇格が認められる可性が高くなった。その後成績面ではJFLを3位で終え、JリーグゼルビアのJ2昇格を承認[外部]2012年シーズンJ2プレイできることとなった。ポポヴィッチ監督2011シーズンをもって退任。


夢のJリーグ入りと突き付けられる現実


Jリーグ1年2012年)、監督には清水エスパルス横浜F・マリノス東京ヴェルディなどで監督を務めたオズワルドアルディレスが就任。東京ヴェルディから本一川崎フロンターレからは相澤志、のほか、ザスパ草津からは体となったFC町田出身で元日本代表の戸田和幸を獲得。3月17日Jリーグディビジョン2第3節のガイナーレ鳥取戦(鳥取)でJリーグ初得点(得点者:本)、試合も3-0でJリーグ勝利をあげた。また、初得点となった本のゴールJ2通算10000ゴールとなった。しかしチームの成績は低迷し、最下位が定位置になる。それでもシーズン終盤はり強く勝ち点を重ね、最終節の湘南ベルマーレ戦まで望みを繋いだが、0-3で敗。湘南J1昇格を見送ると共に、自身のJFLへの降格を決めた。この責任を取る形でアルディレス監督11月に辞任、後任として京都サンガF.C.監督だった秋田豊が就任することになり、このシーズン天皇杯ではベスト16という結果を残す。


J2再参入を目指すも・・・またもや突き付けられる現実


悪夢から数ヶたった2013年J2昇格圏内の2位以内をして出直すことになった。秋田監督は就任時のインタビューで「1年でJ2復帰を果たす自信があるからこそ引き受けた」とっていたが、これが悪いフラグを立たせることに繋がるとは、この時点ではしもが想像することはなかった。
また、チーム作りに伴って選手の入れ替えもしい物になる。これはそれまでの選手・人気選手が引き抜かれたことも影している。

そんなこんなで迎えたリーグ戦だが、JFL初参入となった開幕ホーム戦の福島ユナイテッドFC戦ではまさかの完封負けを喫する。リーグの前半戦は9勝4分4敗だったが、途中で下のチームに引き分けたり負けたり、また2位以内を走るAC長野パルセイロに0-4と大敗していた。前半のホーム戦では強化部長本田泰人にちなんで全本田さん無料招待というイベントがあったが、その日の対戦相手であるHonda FCに2点先行され、1-2と負けたこともあった。すんごいフラグですね。
一方、天皇杯東京都予選では社会人代表決定戦(実質的な準々決勝)で関東リーグ1部の東京23FCに敗れてしまい、初の元Jリーグチーム天皇杯予選敗退という不名誉な記録を追加してしまった。
そんなこんなでも前半戦を3位(18チーム中)で折り返しJ2復帰へのぞみを繋いではいたものの、サポーターく「秋田監督の采配はぶっちゃけ不安を覚える」とのこと。ホーム戦の戦績だけでが先行していることもあり、結果、このままではJ2復帰が不可能だと判断されて秋田監督は解任されることとなった。

後半戦、監督に代行として瀬直木が就任、巻き返しを図るものの、思うように上位2チームとの差が埋まらず広がる一方であった。後半戦は9勝3分5敗と伸びず、第31節で2位カマタマーレ讃岐との勝ち点差が10以上に広がったことにより、1年でのJ2昇格が絶たれた。その上、最後の最後でS.C.相模原に順位を逆転されて年間順位は4位で2013年JFLでの戦いが幕を閉じたのだった・・・。

だが2014年から創設される日本プロサッカーリーグ3部「J3リーグ」の創設により、ひとまずは「Jリーグ復帰」を果たせた。JFL初参入時の監督だった相馬直樹を新監督に迎え、めてJ2復帰をすことに。

FC町田ゼルビアの戦いはこれからだ!


破格のスポンサー


2009年からのJFL昇格が決まったゼルビアを、新たに小田急ユニフォームスポンサー)、玉川学園(ユニフォーム背中スポンサー)、J:COM関東(厳密にはスポンサーではないがクラブ専門の番組放映や試合中継を担当)の3法人支援することになった。

当時から世界不況による広告不況の影スポーツ界にとって痛手であったが、JFLというJリーグ2部とべたらマスコミ露出が極端に少ないカテゴリにコレだけの大手法人(特に小田急)が支援するのは異例と言われている。

かしこれらの法人とも町田市との関わりが深いこともあり、今後生き残るための戦略として互いの思惑が一致した形で、今回の支援が実現した。

話の詳細はこちら[外部]を参照にしていただきたい。


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制作J:COM関東である。(http://ktmc.jcommunity.net/contents/kanto/zelvia.html[外部]


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最終更新日: 13/12/21 16:08
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