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II号戦車


ヨミ: ニゴウセンシャ
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II号戦車とは、ドイツ第二次世界大戦の前に開発・生産した軽戦車である。


概要


1934年、ドイツは再軍備に伴い戦車製造の技術習得および乗員の訓練のためにI号戦車を開発した。しかしこ車両はあくまで初歩的なものに過ぎず、小かつ機関銃のみの装備では射撃演習などの本格的な訓練に対し不足であることが明らかとなった。さらに予定されていた新戦車完成もまだ遠いという状況におかれていた。

そこでドイツ兵器局は、これらの問題を打開すべく「I号戦車よりも大で、ある程度の実戦運用もできる車両」の開発を示した。これには新戦車の数がそろうまでの、いわゆる「つなぎ」としての名も含まれていた。
当時はまだヴェルサイユ条約の影を受けていたため、I号戦車と同様にその開発的を隠蔽すべく「農業トラクター100(LaS100)」という秘匿名称を与えた。開発案はクルップ、ヘンシェル、MANから提示され、最終的にMANの開発案が採用された。

1935年末、10両のLaS100完成。これは後の1938年10月に採用された際、Sd.Kfz.121の特殊車両番号とPanzerkampfwagen II Ausf.a1(II号戦車a1)の制式名称が与えられている。その後a1、a2、a3b型そしてcの増加試作を経て、最初の生産であるA型の生産がスタートした。
もまた生産技術取得のため多くの会社の工場で生産され、増加試作を担当していたMAN、ダイムラーベンツの他にヘンシェル、ヴェクマン、アルケット、FAMOMIAGでも生産が行われた。


実戦


「まさかこれら訓練用戦車で大戦に突入するとは思ってもみなかった」

ハインツ・グデーリア

コンセプトは「訓練用車両であるI号戦車の発展で、『補助的に』戦闘も行える車両」というものであり、実戦運用はあくまで副次的なものとしていた。しかし時を置かずしてI号戦車と共に戦場へ赴くこととなった。

まずは評価テストを兼ねて1936年のスペイン内戦に投入された。この時配備されたのは15両と少数であったが、榴弾も使える強機関をはじめから装備していた本は十分に威を発揮した。

その後はポーランド戦、フランス戦、北アフリカ戦線東部戦線などの様々な戦場III号戦車IV号戦車が充足されるまで、事実上の「戦車」として常に最前線で戦った。他戦車べれば火力や防御面では心許なかったが、ドイツが編み出した機動戦術も相まって電撃戦の陸の役の一つとなり得た。

また本はその役を終えた後も台を利用した各種自走砲が開発され、も含めればドイツ戦車の中で最も長く戦った車両となった。


バリエーション


Panzerkampfwagen II Ausf.a1(II号戦車a1
一番最初の試作および増加試作。2個1組の転輪を3組という足回りを持ち、その外見はI号戦車をそのまま大きくしたような感じである。
武装は20mm高射機関30(2cm FlaK 30)を車載用に改造した20mm戦車30(2cm KwK 30)1門と、7.92mm MG341挺の同軸装備。
1935年10月より25両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.a2(II号戦車a2
a1で、エンジンの冷却機構など細部を修したもの。
a1に続く形で15両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.a3(II号戦車a3
a2で、前期と後期がある。前期では燃料ポンプや点検ハッチの追加が行われ、後期ではラジエーターの追加とサスペンションの強化が行われた。
a2に続く形で両者を含め50両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.b(II号戦車b型
a3で、履帯幅の増加やサスペンションの更なる強化を行い機動性を向上させたもの。
a3に続く形で25両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.c(II号戦車c
b型で、足回りを設計したもの。
独立した転輪1個をそれぞれサスペンションで支持させるという、他のドイツ戦車にはあまり見られない独特の足回りとなり、これが生産の標準仕様となった。これに伴い新履帯やサスペンションも開発され耐久性や生産性も上がった。
1937年2月から3月にかけて25両が生産された。なお本は後の生産と同様に実戦参加や改造がされた。
Panzerkampfwagen II Ausf.A/B/C(II号戦車A~C
最初の生産。新式の変速機を搭載したこと以外はcとほぼ同じ仕様となっている。
A型からCまでの相違点は視察口の部品関係ぐらいで形式間での大きな差異はない。
A型1937年7月より、B型1937年12月より、C1938年6月よりそれぞれ生産が開始され、1940年3月までに3形式合わせておよそ1000両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.D/E(II号戦車D/E
速度のさらなる向上を狙った快速戦車1938年よりドイツ兵器局の示でダイムラーベンツにて開発が始まった。これには新たに「農業トラクター138(LaS138)」の秘匿名称が与えられた。
従来の生産との最大の違いは足回りで、上部支持輪を持たない大の4つの転輪で構成されている。これに伴いサスペンションと履帯も新タイプが用意された。さらにEではハーフトラックで使用されているようなゴムパッドを装着(湿式履帯)、粘着の増強により踏破性の強化を図っている。外見はソ連のBT戦車に似ている。
路上速度55km/hと大幅に上がったものの路外では従来以上に速度が低下してしまった。これはEに関しても同様であった。ポーランド戦に参加したもののやはり評価は芳しくなく、フランス戦直前の1940年5月には部隊から引き上げられてしまった。これによりドイツ兵器局も当初予定していた軽機械化師団(快速師団)への配備を見送る結果となった。
1938年5月から1939年8月にかけて両形式合わせてMAN社のみでわずか43両が生産されるにとどまったが、のちに後述する火焔放射戦車や対戦車自走砲改造された。
Panzerkampfwagen II Ausf.F(II号戦車F
A~Cの後継に当たる車両。本来ならばII号戦車の生産は終了しているはずだったが、なおもIII号戦車IV号戦車の数が足りなかったために補充用として生産されるに至った。
それまでのポーランド戦及びフランス戦での戦訓に伴い、従来の生産からの良点が多い。
まず、装甲は15mmから最大35mmまで増圧された。装甲強化自体はA~Cの全てとcの一部でも行われていたが、これらは従来の装甲に20mmの増加装甲をボルト止めするという応急処置的なものであり、本では初めから1枚で構成されていた。これによって防御は向上し生産性も上がった。
次に、長用キューポラが初期装備された。これまでEまでの形式では観音開き式のハッチで視察の際は体から身を乗り出す必要があり、その際に負傷してしまうケースが多かった。そこで内からでも視察できるようにキューポラを設置することで、安全性を確保しつつ広い視界を得ることができた(後にA~C用にもフランス戦後の1940年10月にはキューポラを取り付けるための修キットも配布された)。
また、狙撃兵対策として体前面の操縦手用バイザーの横にダミーのバイザーカバーを設けた。
最後に、武装がFlaK 30改造のKwK 30からFlaK 38改造のKwK 38となり同時に新徹甲弾も用意された。これにより火力は上がり軽装甲車両相手にはより優位に立ったが、イギリスマチルダIIソ連T-34KV-1といった重装甲車両に対しては苦戦を強いられた。
なお本には後部に雑具が取り付けられるようになったが、取り付けないままのものもあった。
1941年3月から1942年12月にかけてFAMO社のみで524両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.G『VK.9.01』(II号戦車G
速度向上をした試作車両。その的や武装、足回りに至るまでI号戦車Cと同様であり外見もよく似ている。ただし武装はKwK 38とする説もあり、最高速度も50km/hとなっている。
当初75両が発注されたが1941年4月から1942年2月にかけて生産されたのは12両のみで、その後の量産計画は中止となった。また余剰となったトーチカとして流用された。なお本は実戦配備されていない。
Panzerkampfwagen II Ausf.H『VK.9.03』(II号戦車H
こちらも速度向上をした試作車両。足回りはGと同じでエンジンと変速機はそれぞれ新が搭載され、速度60km/hに上がった。
1942年4月より量産の計画があったが、実際の生産開始は同年9月までずれ込んだ。この時期には本戦車としての価値も失われていたため計画は取り止められ、生産完成せず試作のみとなった。
Panzerkampfwagen II Ausf.J『VK.16.01』(II号戦車J
装甲強化をした試作車両I号戦車Fと同じコンセプトで作られたものである。ただし装備する機関銃は7.92mm MG42となっている。
まず増加試作30両が発注され1940年12月より生産が開始される予定であったが、何らかの理由で遅延が生じ1942年4月から12月にかけて22両のみが完成した。続いて生産も作られる予定であったがキャンセルされた。1943年に部隊配備され実戦試験を受けている。
Panzerkampfwagen II Ausf.M『VK.13.01』(II号戦車M
GおよびHで得た経験を生かし良が行われた試作車両
武装はGと同じだが、路上速度65km/hとII号戦車の中でも最速を誇る。
1942年4月に試作完成し、同年8月には増加試作4両も生産されたがそれ以上の生産はなかった。
Panzerkampfwagen II Ausf.L『VK.13.03』(II号戦車L
通称「Luchs(ルクス、山猫の意)」。新たにSd.Kfz.123の特殊車両番号が与えられた。
II号戦車の1種として分類されるが、他の試作を含む従来べて設計が大きく異なる。
武装はそれまでと同様ではあるが機関が中心線上に来るように移動されている。また、同軸機は装備しなくなったという説もある。また、新たに手が加えられ長が揮に専念できるようになった。
1939年4月より計画が開始され1942年8月に量産を開始する計画があったが、試作完成は1942年4月になってからであった。ドイツ兵器局は試験における優れた性を見て19431月800両を発注した。
この時の内訳は機関100両、そしてIII号戦車Jの後期から装備されたものと同じ50mm戦車39(5cm KwK 39)を搭載した戦車700両というものであった。しかし実際は19439月から1944年1月にかけて機関が生産されたのち、コストと機動に勝る新の8輪重装甲車Sd.Kfz.234/2(通称「プーマ」)の生産の処が立ったため戦車は生産中止となった。ただ、試作車両としての色合いが強いグループであるG以降の形式としては最も多く生産されたものであった。

スペック一覧



a1~F後期型


II号戦車 a1/a2/a3 b型 c A/B/C D/E F前期 F後期
全長 4.38m 4.81m 4.65m 4.81m
全幅 2.14m 2.22m 2.30m 2.22m
全高 1.95m 1.99m 2.06m 2.15m
重量 7.6t 7.9t 8.9t 10.0t 9.5t
乗員 3名(長、装填手、操縦手)
最高速 40km/h 55km/h 40km/h
航続距離 200km
武装 2cm KwK30戦車×1
7.92mm MG34×1
2cm KwK38戦車×1
7.92mm MG34×1
携行弾数 KwK30:180
(10発入り弾倉×18)
MG34:2250発
75発入り弾倉×30
KwK38:180
(10発入り弾倉×18)
MG34:2250発
75発入り弾倉×30
装甲圧 5~15mm 5~30mm 5~35mm

G~L型



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最終更新日: 19/05/11 21:52
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