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KTMワークス


ヨミ: ケーティーエムワークス
掲示板をミル!
2カキコ!

KTMワークス[外部]とは、KTMレース活動を行うためにメーカー直営で運営するチームである。

本稿では、MotoGPに参戦するKTMワークスについて記述する。特に、最大排気量クラスに関する記述が多い。

Moto2クラスMoto3クラスで実質的なKTMワークスとして活動しているチームは、アジョ・モータースポーツという。
 


ライダー


最大排気量クラス

名前 出身地 身長・体重 誕生日
5 ヨハン・ザルコ フランス カンヌ[外部]近郊のアンティーブ[外部] 171cm66kg 1990年7月16日
44 ポル・エスパルガロ[外部] [画像を見る] グラノリェース[外部] 171cm64kg 1991年6月10日

Moto2クラス・Moto3クラス

アジョ・モータースポーツの記事を参照してください。
 


現在のスタッフ


クルーチーフ

ポルエスパルガロクルーチーフニュージーランド人。

もともとはモトクロス(起伏のある土の路面をジャンプしながら走る競技)のレーサーだった。

1991年からヨーロッパに住み始め、モトクロスチームメカニックとして働くようになった。1995年から2003年までカワサキワークスモトクロスチームに所属した。

2004~2005年MotoGPに移り、どこかのチームクルーチーフになっていた。

2006~2014年はオーリンズ(スウェーデンのサスペンション企業)に就職し、MotoGPの各チームに出向していた。モトクロスというのはサスペンションの出来が極めて重要な競技なので、モトクロスメカニック出身者がサスペンション企業に就職する例がしばしば見られる。

2015年からはKTMに就職した。2015年アジョ・モータースポーツMoto3クラス)にいて、ミゲール・オリヴェイラブラッド・ビンダーを支援していたらしい。画像1[外部]画像2[外部]画像3[外部]

2016年は最大排気量クラステストチームに移った。2016年終戦バレンシアGPではスポット参戦したミカ・カリオクルーチーフを務めた。2017年からはポルエスパルガロクルーチーフになった。

※この項の資料・・・記事1[外部]記事2[外部]
 

ヨハン・ザルコクルーチーフドイツ人。

2015~2016年グレッシーニレーシングアプリリアワークス)に所属していて、マルコメランドリやステファン・ブラドルのチームの電子制御スタッフだった。

2017年からアレイシ・エスパルガロクルーチーフになった。近年の最大排気量クラスは電子制御の重要性が増しているので、電子制御スタッフからクルーチーフに昇格する例が多いが、その好例である。

2018年9月サンマリノGP直前にグレッシーニレーシングを離脱する。2019年からKTMワークスへ移籍してヨハン・ザルコクルーチーフになることが決まったので、双方合意の上、チーム離脱となった。アプリリア側としてはKTMへ移籍する人に機密情報を見せたくないし、マーカス側はKTMへ行ってマシンに習熟したい。

アレイシ・エスパルガロからの評価は高く、「マーカスとはいい関係を築けていた[外部]」とコメント

この記事[外部]では内情がられている。ヨハン・ザルコはKTMワークスに移籍するに当たってアジョ・モータースポーツマッシモ・ブランキーニ[外部]を呼ぼうとしたが、マッシモに断わられた。マーカス・エシェンバッハを選んだのはマイク・ライトナー監督である。
 

チーム・コーディネーター

称はベアBeaで、チーム・コーディネーターとして働いている。物流やホテルの予約やホスピタリティの手配などを担当している。もともとはラグリース・レーシングCEV部門でチーム・コーディネーターをしていたという。

後述のエステバン・ガルシア[外部]の、かまたはである。

※この項の資料・・・記事1[外部]記事2[外部]
 

首脳陣

テクニカルディレクター。技術的な相談を一手に受ける立場の人。この動画[外部]で喋っている。

1983年頃生まれで、かなりの若手である。ドイツ生まれで、アーヘン工科大学[外部]という名門校でオートバイ自動車工学を学んだ後、2008年インターンシップKTMの職場体験をして、そのまま入社した。

技術者としての専門分野はシャーシ設計である。

この記事[外部]が資料
 

チーム監督ダニ・ペドロサとの付き合いが長い。
 

KTMレース部門の総責任者であり、肩書きはスポーティングディレクターMotoGPのみならずモトクロスレースにも顔を出す立場の人である。
 


たまにKTMワークスピットに現れる人たち


テストライダー

2019年からKTMテストライダーになった。
 

KTMテストライダーとして、開発の中心を担っている。

「ある程度速いライダーじゃないと、テストライダーとして意味がい」とホルヘ・ロレンソ原田哲也っているように、レギュラーライダーに迫る速いライダーテストライダーになるのが望ましい。

ミカ・カリオはその点で申し分なく、2017年オーストリアGPで10位、2017年ラゴンGPで11位になった。オーストリアGPでは2人のレギュラーライダーを上回り、アラゴンGPではポルエスパルガロの3遅れ。シーズン終盤はレギュラーライダーの体調やレース勘がピークに達しているのだが、そのレギュラーライダーと互以上の戦いをしたのは驚異的である。

成績不振のブラッドリー・スミスと入れ替わるのではないか、と噂されたが、結局開発に残留した。ミカ自身はレースをしたがっていて、KTMワークス以外のチームにも接触していたようであるが、KTMに「君が開発の中心だから」と説得された。


1982年11月8日フィンランドヴァルケアコスキ[外部]で生まれ、2002年からMotoGPフル参戦し始めた。同じフィンランドアジョ・モータースポーツで走り始め、2003年シーズン途中からKTMワークスに引き抜かれて2008年まで在籍した。KTMワークスでは125cc250ccクラスの合計で12勝を挙げている。2005年2006年125ccクラスで2年連続ランキング2位

2009年2010年ドゥカティサテライトのプラマックレーシングで走ったが、イマイチだった。このときの様子を見た青山博一に「ミカ・カリオは、はまっちゃってましたね。最大排気量クラスセッティングの幅があって、はまりやすいんです」と言われていた(ライディンスポーツ2011年2月号)。ドツボにハマってしまったということである。

2011年からMoto2クラスMarcVDSに移った。2014年にはMoto2クラスランキング2位

2015年限りで現役引退し、2016年からKTM最大排気量クラステストライダーになっている。

2018年ドイツGPで大転倒を喫し、右ひざを折するなどの大怪をした。これにより、KTMワークスの開発が止まったと、マイク・ライトナー監督この記事[外部]っている。ミカ・カリオの存在が大きいことを示している。

長年ゼッケン36番を用していたが、2019年の最大排気量クラスにはジョアン・ミルがやってきて、ゼッケン36番を使われてしまった。このためミカ・カリオはゼッケン66番を付けて、2019年2月のセパンテストに臨んでいた。なぜ66かと尋ねらたら「特に意味は無い」と答えていた[外部]

青山博一とは2006~2008年の3年間チームメイトだった。青山からの性格評は次の通り。「彼は北欧人の典で、感情が表に出ないから、落ち込んでいるかどうかは分からないです。話していても棒読みな感じで、うれしいのか悲しいのか、感情が読めないんです」(ライディンスポーツ2011年2月号)
 

技術者

KTMの最大排気量クラスマシンRC16のエンジンを設計した技術者

エンジン(MotoGP)の記事にもあるように、現在MotoGPマシンエンジンの出来で8割が決まってしまう。優秀なエンジン技術者の存在が、勝敗を決めるのである。

1962年頃生まれ。シュトゥットガルト大学[外部]という名門校で機械工学を学んだ後、ポルシェロータックス[外部]BMWF1エンジン製造部門と渡り歩き、2003年KTMに入社した。それからはKTMエンジン技術者の重鎮となっている。

※資料・・・記事1[外部]記事2[外部]
 

CEO(最高経営責任者)

KTMCEO(最高経営責任者)。

大企業トップにしてはしく非常に率直な人物で、質問から逃げず、言いたいことを喋ってくれる。

ホンダに強い対抗意識を燃やしており「ホンダは一番嫌いなライバル」「ヤマハカワサキバイクは好きだが、ホンダを負かすことは最高に満足感を得られる」などと言する。
 


かつてのスタッフ


クルーチーフ


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最終更新日: 19/05/18 22:46
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