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TOKYO MX


ヨミ: トウキョウエムエックス
掲示板をミル!
308カキコ!






1993年4月30日設立
1995年11月1日開局
東京メトロポリタンテレビジョン放送株式会社
Tokyo Metropolitan Television Broadcasting Corporation

東京都千代田区麹町一丁12番地 半蔵門メディアセンター

地上波テレビ放送対地域:東京都域(1都)

地上波テレビ系列:独立局
地上波テレビ親局
))) 東京スカイツリー (((
地上デジタル放送
リモコンID9
親局物理チャンネル16ch(UHF・偏波)
コールサイン:JOMX-DTV

地上アナログ放送
親局チャンネル14(VHF・偏波)
コールサイン:JOMX-TV
※中継局ではchが異なります。また、垂直偏波の地域もあります

地上アナログ放送(UHF 14ch) は2011年7月24日に終了しました
東京タワーからの送信(UHF 20ch) は2013年5月12日に終了しました
〔放送局テンプレートボックス〕

概要



開局当初の「アナザー・ウェイ」路線


TOKYO MXの生い立ちは、世間が前の好気に沸いたバブル期にさかのぼる。

都の自前の放送局が欲しかった東京都。"わが"の放送局が欲しかった都財界。東京にも放送局が欲しかった中日新聞。3者の思惑が重なり、そこに郵政が乗って実現したのが東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)である。

念願の電波を手に入れたはいいものの、すでに多数のテレビ局が存在している東京で、系列に属さない独立テレビ局をどう運営していいものかもよくわからなかった。

そこで招かれたのが、村木(故人)である。

村木21世紀ローカルテレビ局を構想する。それは「地域に底的に立脚する」「来るべきデジタル時代に適応する」「視聴率競争に参加しない独自の方法論を持つ」の3つを基本としたものだった。それに賛意を示した東京都と郵政村木MXTVゼネラルプロデューサーに据えて、MXTVを作り上げることにした。村木の構想に基づいてMXTVの基幹をなす番組として誕生したのが"東京NEWS"であった。

MXTVタイムテーブルの半分を占めた東京NEWSは、東京に密着した情報、つまりニュースにこだわって流すことにした。東京で起きた出来事を記録し後世に伝える報道が理想とされ、当時注されていたビデオジャーナリスト制を全面採用。「映像記者」と称し記者編集権を与えることで、よりジャーナリスティックに迫ったテレビ報道を志向した。

機材は局内含め全てデジタルを基本とすることで、将来地上波デジタル化した際にスムーズに移行できるように設計された。村木によれば、テレコムセンター主調整室アナログ放送に変換されるまで全てデジタル信号だったという。

番組は次世代の標準とされた16:9の画制作され、開局当初はアナログながらも16:9対応放送(ワイクリアビジョン)がなされた。これも将来のデジタル化を見据えたものであろう。

1995年4月1日ウェブサイトを一足先に開設。11月1日に満を持してテレビ本放送を開始した。

が、結論から言えばうまくいかなかった。理由はいくつかある。

まず、スポンサーが付かなかった。当時、東京タワーから送出されていた要放送局はVHF帯を使用しており、UHF帯で放送していたのは放送大学MXTVだけだった。そのためUHF用アンテナは普及しておらず、アンテナがある場合も東京タワーではなくTVKテレビなどといった周辺の独立局を受信するために据え付けられているとMXTVは映らない。

が見ているのかわからないような放送局でCMを流そうという積極的な動機が企業や団体側に生まれるはずもなく、MXTVが得られるのは「おつきあい」程度のCM収入になってしまう。ただし、これは新局絡みでよく見受けられる事態であるし、村木やその他の人々も想定していたと思われる。

MXTVが特異なのは、それだけ不利な条件にあるにも関わらず、営業活動もほとんど行われていなかったという話である。メセナブームがあったバブル経済過去になりつつあった90年代中頃とはいえ、ご祝儀的CM出稿が期待できるはずの開局記念番組すら売れ残る事態が発生していたというのだ。

さらに、総会屋情の特定政治が局内を跋扈し、組織が機不全に陥った。普通であればそういうことは抑えられるはずだが、経営側にリーダーシップが欠如していたためにそれができなくなってしまった。

これは寄り合い所帯での経営になってしまった影が大きい。MXTVがさまざまな思惑や利権によって生まれたため、出資者の中で責任を取るのかはっきりせず、MXTV社内にも責任体質が蔓延してしまった。

営業面での革を手がけた元TBSの副社長が1年もせず辞任、番組審議委員も業を煮やし大半が任期満了を待たず辞表を出すなど、村木の理想を支えるための足場が固まることはついになかった。

これら開局前後のMXTV異常な事態に関してはこちらが詳しい。蝕まれてゆくMXテレビ|テレビ論|MAMO's[外部]

結果、MXTVは経営の混乱を解消する処のないまま、巨額の赤字を出すことになる。

一方で、東京NEWSの根幹を成していた映像記者たちの練度の低さ、あるいは企画から編集まで携わるという負荷の高さについては、資と時間さえ費やせば解決に近づく側面がありMXTVが行き詰まった理由とは言い難い。当時から同様のスタイルを採用していたニューヨークニュース専門テレビ局NY1の記者25人程度であり、24人体制でスタートしたMXTVも数では引けをとらない。

映像記者システムを育て洗練させることが許されないほどの余裕のなさを招いた組織の欠陥にこそ「アナザー・ウェイ」の失敗の原因をめるべきであろう。

村木は開局から1年半、1997年にはMXTVから手を引くことになる。これを村木は「追われるように契約を解除」と表現している。

MXTVから村木が去ったのと同じ頃合いの1997年6月エフエム東京MXTVに出資し筆頭になり、当時エフエム東京の代表取締役社長を務めていた後藤MXTV社長に就任する。

その後は新経営の強リーダーシップの下、人員の配置転換や村木の掲げた「アナザー・ウェイ」からの脱却を進め、他地域の独立U局に近しい経営モデルに近づいていく。

なお、当事者の村木はこの一件について生前「近く何らかのかたちでドキュメントを発表するつもりだ」とブログに記していた。MXテレビOB会: 村木良彦ブログ[外部]


アニメのTOKYO MX


近年は新作・旧作問わず大量のアニメを放送するテレビ局として非常によく知られている。


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最終更新日: 19/07/11 22:59
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