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Toshl


ヨミ: トシ
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Toshlとは、日本ヴォーカリストである。

ロックバンドX JAPANヴォーカル担当。1965年10月10日生まれ。千葉県館山市出身。本名は、出山利三(でやま としみつ トシゾウじゃないよ)。

がつくほどのハイトーンボイスの持ちであり、カラオケなどでまともに歌える男子諸君は数少ない。

90年代2000年代初頭のバンドブームの火付け役と言っても過言ではないX JAPANではあるが、当時のバンド少年がXの楽曲をコピーする際に最も苦労したのが、ツーバスドコドコを可とするドラマーでもなければ圧倒的技量を持つギタリストでもなく、Toshlと同じ域を持つボーカル探しであったのは言うまでもい。

また、Toshlのような澄んだハイトーンボイスは、内の様々なバンドに影を与え、ヴォーカリストに要されるキーを一気に高くしたとも言われる。(現在でもヴィジュアル系バンドの多くはハイトーンを基調とした楽曲が数多い) 

ちなみに、ヴォーカリストとしての技量が一番有名ではあるが、実はYOSHIKIばりのマルチプレイヤーでもあり、ピアノギターのほか、ドラムくこともできる。ピアノギターは時折ソロライブでも見られるが、ドラムパートチェンジバンドの時やXのライブYOSHIKI煽りを代わった時にプレイする様子を見ることができる。

2015年Web上で、自身のスイーツ好きを前面に出した番組「スウィーツKURENAI」を始めると、これが意外に好評だったと見えて、以後テレビ局バラエティ番組によく出演するようになった。
Toshlがバラエティに出ることに抵抗のあるファンも多いようだが、Xは元々「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」にも出ていたので、それほどバラエティ番組に縁というわけではい。(YOSHIKI芸能人格付けチェック等に2019年も出演を続けている)

また、2018年より『玄とし』名義での活動も行っている。


概要


1965年 公務員の三男として生まれる。

1970年ごろ 幼稚園すみれ組で(後のYOSHIKI)に出会う。

1978年 中学YOSHIKI同級生と共にバンドを組む

1982年 高校2年の時にX結成。

1989年 24才の時にメジャーデビュー

1993年 ソロ活動を開始するが、その頃から親族のトラブルが発生する。

1996年 この頃から徐々に守谷香の影を受けていく。

1997年2月 守谷香と結婚

1997年4月 X JAPAN脱退。

1997年6月 MASAYAに初めて引き合わされる。

1997年9月22日 X JAPAN解散会見。

1997年9月27~29日 3日間のセミナーを受講させられる。

1997年12月31日 X JAPANLAST LIVE

1998年5月2日 HIDE死去。

1998年9月 洗脳報道が起こり、MASAYA、守谷TVで変わり果てた姿でTVに出演する。

1999年 「」(うたたび)と称して、トークライブで全でドサ回りを始める。

2007年1月 「」終了。

2007年10月22日 X JAPAN正式復活。

2009年7月7日 脱走を試みるも失敗し、しい暴行を受ける。

2009年10月22日 長年に渡る暴力と過労により、訪問先の金沢神経痛を起こし倒れる。

その直後、入院していた金沢大学附属病院からイベント会社社長の伝手を借りてHoHから逃亡に成功する。

真夜中に病院を抜け出した数時間後には、守谷がToshlを拉致しようと那須から金沢に現れており、

まさに間一の逃亡であった。

2010年1月18日 記者会見において、HoHとの決別及び破産申告と守谷香との離婚調停を発表する。

2010年2月2日 守谷香と離婚

2010年2月24日 YOSHIKIプロデュースによる「Toshi LAST CONCERT武士JAPAN”」を開催。これをに、ソロ活動に、ひとまずの終止符を打つ。

2011年1月24~25日 ソロ活動を再開しソロディナーショーを開催する。この後もX JAPANの活動の傍らチャリティコンサートや講演会などを盛んに行う。

2014年7月23日 12年間に及ぶ洗脳時代の内幕を裸々にった「洗脳」を出版。

2014年8月25日 久々ソロコンサートとなる「CRYSTAL ROCK NIGHT SUMMER LIVE IN DAIBA 未来をEYEしてるゼ」を開催する。このライブニコニコ生放送でも生中継された。

2018年11月28日 メジャーでは20年ぶり、そして自身初となるカバーアルバム『IM A SINGER』を発売。各種配信サイト1位を獲得し、オリコンCDランキングでは週間4位の好セールスを記録した。


関連情報


2010年ソロ活動停止から「Toshl」と名。「l」は「I」ではなく「L」の小文字


地獄の洗脳生活と脱出


上記の通り、Toshlは1998年から2010年の12年にり、倉渕透(以下MASAYA)による洗脳を受け、守谷香からのしいDVを受けていた。
2014年に発売された洗脳時代をった自伝『洗脳 ~地獄の12年からの生還~』を元に、以下に詳細を記したいと思う。

何故なら、二度と被害を出してほしくない、というToshlの願いとは裏洗脳時代のToshlについてをまとめているページがこの広大インターネットいても非常に乏しく、ウィキペディアでは数行の説明だけでほとんど言及にも及ばずと言う事態になっているからである。
二度とToshlのような被害者を出さないため、という彼の意思を尊重し、極詳細を記したいと思うので、嫌悪感を示す部分が多々あると思われるが、読むのが辛い場合、気持ちが落ち着いてからめて読んでほしい。

あと、興味ナイ人は長いので飛ばしてねん。

現在トシ表記はToshlだが、以下洗脳についての記述では特別な場合を除き旧名かつ当時の表記である『TOSHI』の表記とさせていただきます。

長年にわたり、人を騙し続けること。
それはある意味「人を殺する」その行為以上に残虐ともいえる。

人の心を操り、それをどこまでも繰り返すこと、それが「洗脳」という恐ろしさである。

Toshl著「洗脳」冒頭部より引用 


周囲の裏切り


1992年TOSHIソロデビューにあたって、個人事務所イエスミュージックオフィス』を設立する。
このソロ活動自体は、元々X JAPANリーダーでもあるYOSHIKIがそれぞれのメンバーへと提案し、「全員ソロで一応バラバラに独り立ちし、かつ必要なときがくればバンドとして活動して行くのが理想の形としていいのではないか?」という考えからで、Xの多忙さから実質名ばかりの契約ではあったものの、YOSHIKIソロミュージシャン単体でのレコード契約くに済ませている。

10月21日HIDEも参加したソロデビューシングルmade in HEAVEN』を発売、さらにPATAも参加した同名アルバム11月に発売すると、翌年3月には坂崎幸之助や福山雅治ゲスト出演したソロコンサートの開催などで々しくソロデビューを飾る。


■sm9685750[ニコ動]

この時に、事務所社長TOSHIが就任させたのが長、出山謙一だった。
高校時代に上し、芸界をしたものの夢破れて大手芸事務所レコード会社の社員として働いていた。個人事務所設立に当たって、長から「自分が事務所社長をやってあげるよ」と連絡があり、幼い頃から音楽的にも影を受け、また経歴にも安心し、憧れの存在でもあった彼ならと社長職へ就任させた。

1992年4月に始まった「X TOSHIオールナイトニッポン」にも共に出演(デヤケンという称で登場していた)するなど、彼が果たせなかったタレントへの夢を自身のトークの相手役としてえるなどして、からのささやかプレゼントと思ってしてしまったこの行為が、後の悲劇の始まりとなる。

は、そのラジオ出演でちょっとした有名人になり、社長としての給与もあったため、長の素行は次第に悪化、自分自身が有名タレントにでもなったかのような堕落したものへと変貌して行く。

社長業を疎かにしないでくれ」と何度もTOSHIは忠告したが、「石井三のようになりたいんだ」などと言って聴くを持たず、さらにその長の振る舞いはYOSHIKIをはじめとしたXメンバーやその事務所にもクレームが入るようになり、さらに週刊誌のゴシップネタにもなりかけていた。

結局、こうした思い上がりに加え、縁故採用による身内での事務所経営に困り果てたTOSHIは長を解任する。
この際に手切れ万円を手渡ししたが、次期社長に選任した武史が会社を乗っ取ったなどという妄言を周囲に漏らしており、これは深くTOSHIを傷つけることとなった。

同じ頃、TOSHIの実が自分に許可で生ファンを入れ、お金を取ってYOSHIKIや自分の幼少期の写真を見せたり、その写真ファンに撮らせたり、デビュー前のビデオを見せたりといったことを行っていた。
このように、自宅に押しかけたりしたファン自体も許せるものではないものの、当時のXに限ったことではないが、この頃は当然インターネットなどもく、そうした「人気バンドデビュー前」を知るにはファンはそのバンドと縁の深い人物を尋ねる(所謂追っかけ)くらいしか方法がかった。また、当時のXは社会とまで言われるほどの人気であり、過ファンが他のどのロックバンドよりも数多くいたということもまた事実ではある。とはいえ、このような行為が許されるはずもく、X関係者やYOSHIKIらにもクレームが度々寄せられるようになった。

さらにその次期社長の武も、もとは経営者としての長のアドバイザーになっていたことや、古くからの付き合いである友人ということもあって信頼し、X本体のマネージメント事務所社長も兼任し、就任に際してTOSHI責任を負うという契約だったのだが、1年ほど経って不正経理などのトラブルが発覚し、当然解任。

こうしたトラブルで、一見順満帆に見えたトップスターTOSHIは、その謝罪に追われることになり、日々関係者に謝りを続けるといったことが続いた。

もともとの家族仲や友人付き合いは悪いほうではなかったものの、これらの出来事でそれまでの自分の中での家族像が崩壊して行く現実や変わっていく友人に「自分自身に問題があるのではないか?」という自己嫌悪とともに深い失望を抱えることになった。


ハムレットと悪女の出会い


1993年4月TOSHIは『ART OF LIFE』(30分あるX最長の曲)のヴォーカルレコーディングのためにロサンゼルスに滞在していたが、ソロとしての新たな仕事の依頼が舞い込む。

ロックオペラハムレット』のハムレットを演じてくれないか?というものだった。

※注:劇自体はローリー寺西聖飢魔II山本リンダらが出演するロックミュージカルで、後述の団体とは関係。後にLIVE is BESTに楽曲が収録され、当時の音で未発表曲「不意に途切れたMelody」を聴くことが出来る。

HIDEはXからの長期離脱を理由に反対していたが、YOSHIKIの一で出演が決定する。
この仕事を引き受けた事が後に始まる地獄への入り口だとは、TOSHIはこの時知るすべもかった。

1993年5月ハムレットオフィーリア役の最終オーディションのために、TOSHIは一時帰し、一般3000人から書類選考で30人ほどに絞られ、最終的に2人となった。製作側とTOSHIマネージメントを務めていた武とで意見が分かれ、交代で一役を演じる「ダブルキャスト」ということで落ち着いたが、そのうち演技や歌唱で劣るものの、おとなしい雰囲気が逆に印的だったのが彼を地獄の釜の底に突き落とすことになる守谷そのひとだった。
なお、守谷は86年にFM開放送に出演したのをきっかけに87年にアイドル歌手としてデビュー88年にはテレビアニメキテレツ大百科」のOPを歌ったりもしていたが、泣かず飛ばずで89年以降は歌手活動をおこなっていなかった。

オペラ10月に成功裏に終了し、守谷TOSHIは暫く疎遠になっていたが、再度レコーディングのため渡していた94ごろから頻繁に手紙が届くようになる。それは、次第に1ヶから2週間、そして3日と数も増え、間隔も短くなっていった。

まだ電子メールが一般的でない時代、異の地で知り合いもいないTOSHIにとって、これは「心の癒し」となっていき、「XのTOSHIではなく、本当のあなたが知りたい」といった甘い言葉に自分の理想の女性像を見出していたTOSHIは先述のトラブルから心の拠り所として守谷情を抱くようになる。


癒しへの傾倒


武の銭事件以降、憔悴しきっていたTOSHIは、当時ニューヨークバンカーとして働いていた次出山英二を訪ねる。

よりも冷静であり、ビジネスマンとしてのにも長けていた次にダメ元で社長就任を依頼し、暫く考えさせてほしいという答えをもらう(後に社長就任)。

その年の、心身ともに疲れ果てたTOSHIは楽曲作りと静養を兼ねてハワイに滞在、帰守谷と再会し「がんばった身体さんと心さんをぎゅっと抱きしめてあげてくださいね。」などといった「やさしい言葉」をTOSHIにかけると、涙をためながら俳句調のメッセージカード100枚ほどプレゼントされる。その1枚にこうあった。


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最終更新日: 19/05/30 05:25
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