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U-511(艦これ)


ヨミ: ユーゴイチイチ
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IXC型潜水艦「U-511」 / 呂号第五百潜水艦「呂500」

■im4691883(静画)

ドイツ軍所属、潜水艦U-511です。ユーとお呼びください。
少し遠出してきました。よろしくお願い致します」

U-511(ユーごいちいち)とは、ブラウザゲーム艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。モデルドイツ第三帝国軍に所属していたC潜水艦U-511』。

担当声優茅野愛衣イラストレーター島田フミカネ

改造後の呂500についてはこちら


ここの概要に馴染めたらいいなって・・・思います


2015年2月6日から開催されている2015年イベント迎撃!トラック泊地強襲にて先行実装された潜水艦娘。同イベントMAP第3域『トラック泊地』の突破報酬である。現時点では建造や通常域でのドロップによる入手が出来ない。 2013年12月24日実装された伊401まるゆ以来約1年1ヶぶりの新潜水艦娘であり、海外艦娘としては初の潜水艦娘でもある。

外見上は色素の薄い肌とどこかけだるそうなが特徴的な少女銀髪まで伸ばしており、後ろは房のようにまとまっているのがを引く。最も特徴的なのはその衣装であり、潜水艦娘でありながらも分厚いライフジャケットのような上着とミニスカートタイツが一体となったボディースーツを身に着けているため、顔以外の露出は皆無である。装も他の潜水艦娘とは違って巨大でな代物。島田フミカネ氏のツイッターによると、具より下の部分は、陸上では脱ぐとの事。常にあのような装を身に付けている訳ではないようだ。このスーツドイツの高い技術の賜物であり、たとえ中破以上のダメージを負っても、左腕部分と右足の先が裂ける程度で、他は全くの傷という頑強さを誇る。エロ要素が少ない。あまりの技術の高さに、日本では修復および生産が出来ない。
には潜水艦艦首を2つに割ったような装が備え付けられており、そこから魚雷を発射する。右手には10センチ機関が握られている。この10センチ機関には、敵潜水艦が散布した防潜「毛」を切り取るが備え付けられている。史実でも潜水艦を絡め取る防潜「網」というものが存在し、潜水艦側も対抗策として艦首に装着していた。艦これ世界の敵潜水艦は、の長い潜水カ級ヨ級なので、敢えて防潜毛と表現した可性がある。

見た通り大人しい性格であり、人見知りもしているためかおどおどとした口調で話す。見たも相まってどこかげな雰囲気を醸し出しており、頑って日本染もうと努している彼女の姿に性本をくすぐられる提督は多いようだ。そして個性豊かな先輩たちと触れ合った彼女は…。

入手およびログイン時の台詞に「少し遠出してきた」と言う。史実(後述)に準じ、友軍勢から派遣されてきたからだと思われるが、同時にそれは深海棲艦が占領する西方域を一人で突破してきた事を意味する。い容姿ながら、意外と肝が据わっているのかもしれない。

潜水艦娘恒例の称は「ユー」。本来のドイツ語読みならば「ウー」が正しいのだが、それだと某兎とかぶっちゃうからね。仕方ないね


ゲーム上の性能


ゲーム上の性としては、まるゆ潜水艦たちの中間のようなとなっており、御世辞にも一線級とまではいかないが運の値は高めであり、まるゆと違って改造後は装備も2つあるので、夜戦カットイン要員として十分な働きが期待される。なお、改造しても潜水空母にならない重な潜水艦娘でもある。

運営から海外生まれ日本育ちの新潜水艦娘と謳われた通り、最初はドイツ軍籍だが、Lv35改造することで日本軍籍となり、名前の読みも史実通り「さつき1ごう」に変化する。を呼んだかい?
更に、Lv55で改造することによって呂500になり、見たも性格もセリフも大幅に変化する。一度改造すると元に戻せないため、どちらを選ぶかは提督次第である。


ユーの史実が一番? Danke。わかった。もっと頑張るね


第二次世界大戦時に通商破壊作戦によって連合軍を苦しめたドイツ軍の潜水艦(通称:Uボート)。U-511はその中でIXCと呼ばれるUボートの一隻である。
IXCは長距離航行に重きを置いたタイプで、航続距離は従来のドイツ潜水艦駕していた。

イチヴェルケのハンブルグ造船所にて、第二次世界大戦っ盛りの1941年2月21日に起工。進は1941年9月22日。同年12月8日工しドイツ軍に籍を置いた。奇しくもこの日は、太平洋戦争開戦の日であった。IXCは1941年から翌年にかけて54隻が建造されているが、工程の複雑さと建造費の高さが祟って、Uボートにしてはあまり量産されていない。ちなみにIXCIXアイエックスではなく、ローマ数字の9である。
船体には秤のエンブレムが施されていた。

排水量1137トン、全長76メートル、最大幅6.75メートル、3886(潜行中は1000)、水上18ノット(潜行中は7ノット)、航続距離は12ノット時で11000里(潜行時は59里)、燃料搭載量は208トン、安全潜航深度は100メートル、乗員48名である。武装として10.5センチ単装を1基、20ミリ単装機2基、艦首53.3センチ魚雷発射管4門、艦尾に同様のものを2門備えている。魚雷22本まで搭載可

1942年5月、ペーネミュンデのロケット技術者が発案した、Uボートロケット発射実験に参加。試験的にロケット発射装置6基を装備し、バルトにて実験が行われた。深8メートルの地点から24発のロケットを発射し、約3.2キロ離れた陸地に着弾。実験は成功した。これが潜水艦による長距離攻撃の芽となり、引き続きドイツはこの技術を研究したが、陸軍と軍の導権争いにより頓挫。戦後ソがこの技術を引き継いで完成させる事になる。

1942年7月16日キール軍港を出港し、カリブで第一次戦闘に従事。その間に第10潜戦隊へと編入された。7月27日ハイチでTAW15船団を攻撃し、イギリスのタンカー「サン・ファビアン」とオランダのタンカーロッテダム」を撃沈。アメリカのタンカー「エッソ・アルバ」に損傷を与えた。
10月24日、一度ロリアンに帰投。中部大西洋にて第二次戦闘中の11月28日に艦長が発病し、ロリアンへ戻った。
12月31日、艦長をフリッツ・シュネーヴィント中尉に交代。ロリアンを出港し第三次戦闘を実施。年が変わって19431月9日カナリア南方にて単独で航行するイギリス輸送船「ウィリアムウィルバーフォース」を撃沈。

19433月5日U-511にある重要な任務が下される。それは、日本からドイツ派遣されていた野村直邦中将を故に送り届けるついでにU-511そのものを譲渡して、インド洋での通商破壊に役立てるという任務であった。
ドイツ軍はインド洋で通商破壊をするため、日本占領下のペナン基地に艦艇を送り込んでいた。しかしそれだけでは尽蔵に現れるイギリス商船やタンカーを撃滅する事が出来ず、ドイツは頭を抱えた。そこで日本通商破壊を活発化させるべくUボート2隻を譲渡、それを基にUボートを量産して貰おうとヒトラーは考えた。去年訪独した30を見学したドイツ軍関係者があまりの性の低さに驚愕しており、日本海軍潜水艦を強化する狙いも含まれていたという。
元々、日本海軍Uボートを購入するはずだったが、ヒトラーの一により償譲渡が決定。ここに総統閣下肝いりの任務が決まった。軍が強く反対したが結局はヒトラーに押し切られた。

5月10日午後1時、ドイツ軍楽隊が奏でる「君が代」と「ドイツの歌」と共に、U-511ロリアン軍港のUボートブンカーから出港した。港外に出ると同時に潜行を開始し、26歳の若手艦長であるフリッツ・シュネーヴィント大尉と熟練乗組員が操艦するU-511は、距離にして約3万キロに及ぶ日本への長いを始めた。
便乗者は野村中将杉田保軍医少佐ドイツ技術者5人であった。

イギリス軍に押さえられているスエズ運河は到底突破できないので大西洋を南下し、南アフリカの喜望峰を大きく回ってインド洋から日本下の東南アジアへ至る航路を選択。ちょうど伊8が訪独の際に使った航路の逆を行く具合であった。しかしその途中にはイギリス軍の勢圏や網があり、路は危険かつ過酷なものだった。

U-511には日本人も便乗するためかが積み込まれていた。厨房担当のドイツ人乗組員は、便乗していた日本人の炊き方を教えてもらったという。

出港10日後にアゾレス東方を南下、20日後には南アフリカに到達する。そこはイギリスに与する敵国南アフリカ連邦の勢圏であり、当然のように敵のっていた。一方、喜望峰付近は一年中天が荒れている場所だったため、U-511は荒に身を隠しながら敵の網を突破。6月下旬に南アフリカ連邦の勢圏を脱し、東進インド洋へ辿り着く。ここでU-511通商破壊を行い、アメリカ商船2隻を撃沈している。
7月15日東南アジアのペナン基地へ入港し、現地の日本軍と合流を果たした。便乗していた野村中将ドイツ軍技師数名をペナンで降ろすと、修理と整備の後、日本への案内役奥田増蔵大佐他4名を乗せ同24日に出港。北上して日本した。
余談だがペナンで下船した野村中将は、7月16日ドイツから十字勲章を贈呈されている。

マラッカ峡を抜けて日本U-511だったが29日に思いがけないハプニングに見舞われる。台湾高雄からシンガポールに向かうヒ3船団と遭遇し、日本海軍潜水艦とは全く違う見たをしていたU-511を敵潜と判断した輸送船に発を受けたのである。あわや同士討ちが発生しそうになったものの、U-511乗組員の奥田大佐が懸命に手信号や味方識別信号を送ったため攻撃は中止された。

臨検しに来た海防艦<択捉>に事情を話し誤解を解いたU-511は船団と別れ、ついに敵中三ヶの航を終えて8月6日に入港。仮称「さつき1号」として日本海軍に引き渡され、19439月16日日本海軍籍となり、呂号第五百潜水艦、ロ500となった。そして呉鎮守府へと編入された。シュネーヴィント大尉東京で盛大な歓迎を受け、南雲中将たちから出迎えられた。に上陸したドイツ軍乗組員は現地にいた日本人隊員と仲良くなり、友好のとしてハーケンクロイツの記章を貰ったという。

その後呂500ドイツの進んだ電気溶接技術や静粛性についての研究に供された。U-511とともにドイツから電気溶接の専門技師3名が派遣されており、彼らと協同で解析を進める予定だった。ところが精密機械を載せた後続の潜水艦インド洋で撃沈されたため電気溶接のノウハウを十二分に伝える事が出来なかった。
呂500UボートIXCの図面を持ってきており、これを基にして潜を量産する計画が出た。ところが調の結果、部品の規格が全て異なる上、兵装や機関などが全てオーバーテクノロジーだったため、日本の技術では生産も量産も不可能と判断されてしまう(一応、電気溶接や無音航行対策の参考にはなった)。そして研究を進めるうちに、日本ドイツ潜水艦がどれだけ違っているのか徐々に明らかになっていく。


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最終更新日: 18/06/19 22:43
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