ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


yes(バンド)


ヨミ: イエス
掲示板をミル!
76カキコ!

yesとは、イギリスプログレッシブロックバンドである。

代表作は4thアルバムの「こわれもの-Fragile」、5thアルバムの「危機-Close To The Edge」など。


概要


プログレッシブ・ロックの代表的存在であり、yesKing CrimsonEmerson, Lake & PalmerPink Floydの4つのバンドをまとめて「プログレ四天王」と称される。(Genesisを入れて「プログレ五大バンド」とも言われる)

英国バンドで初めてアトラティック・レコードと直接契約を交わしたバンドでもある。

リーダー的存在のジョンアンダーソンの「音楽観と世界観」に合わせられるかがyesというバンドに残れるか、出て行くかを決めているようなもので、技術、才があっても合わなければ脱退。というのがほとんどである。リック・ウェイクマンは4回も脱退している。メンバー入れ替わりが多く、バンドの活動にも悪い影を及ぼすこともしばしば。しかし、クリスのみ結成から現在まで1度も脱退したことがい。

結成初期の頃のアルバムには、60年代に流行したサイケデリックな要素もあった。また、いくつかのカヴァー曲も含まれている。1stアルバムには、ビートルズの曲である「Every Little Thing」をカヴァーした物が入っている。

中期(全盛期)には、1曲でLP盤の片面を使い切る程長い大曲を多く作っていた。その為、「長すぎ」「散漫」「統一性がい」等発売当初は評価が低い物もあり、一部メンバーの不満が積もるなどメンバー脱退に拍をかける原因にもなった。現在では、それなりに評価されている。

後期(80年代)は、プログレ自体の人気が下がっていたこともあり、大曲志向をめ、ポップな要素が強い。後期の曲である「Owner Of A Lonely Heart」は、アメリカだけでなく、多くのヒットした名曲である。ちなみに「ロンリー・ハート」の原題である「90125」の数字はいわゆる商品番号みたいな物で意味は特にない。

中心メンバーの脱退の影アルバムツアーの評価が極端に低くなり、1980~1983年は活動停止状態だった。(解散と言われているがアランホワイトは否定)

近年(90~現在)は新曲の製作よりツアーを多く行う傾向にある。「ビッグ・ジェネレイター-Big Generator」以降の作品がセールス面で振るわなかったことも原因かもしれないが、「マグニフィケイション-Magnification」はキーボード担当が不在であったのを逆手に取り、オーケストラを起用した異作である。

2008年に結成40周年を記念して世界ツアーが予定されたが、ジョンアンダーソン病気により行われなかった。その後、アンダーソンの代わりにベノワデヴィッドを起用し北で小さなツアーを行った。

2010年6月~7月に北ツアーが行われ、ベノワオリヴァーを正式メンバーとして迎えアルバムを発表。

日本では2012年アニメジョジョの奇妙な冒険」で「ラウンドアバウト」がEDで採用された為、「こわれもの」が“アニソン”としてとらのあな等に他のアニソンと並べて置かれているというプログレファンからすれば隔世の感すらある奇妙なが起きた。

因みに2015年現在メンバー

となっている。

余談だが、ロジャーディーンの手がけたジャケットの絵はファンから評価が高い。


メンバー



ジョン・アンダーソン-Jon Anderson


yes結成時のメンバーボーカル担当。

とあるバーで「Mabel Greer's Toyshop」のメンバーであったクリススクワイアと出会い、意気投合。アンダーソンはToyshopに加入。その後yesと名前を変える。

ジョンアンダーソンの特徴といったらやはり美しいっ先に挙げられるだろう。は昔も現在もあまり変化はく、むしろ昔より良くなっている感じがするくらいである。

yesの曲の多くはアンダーソン世界観が影したもので、海洋地形学はアンダーソンヒンドゥー教ヒントに作成したものである。

アンダーソンは3度yesを脱退している。

1度1979年アルバム製作が上手く行かず、メンバー結束徐々に弱まって行く中での脱退である。リック・ウェイクマンも同時に脱退してしまった。人気者でyesの中心人物であった2人の脱退はyes消滅の可性もあったが、「The Buggles」を吸収し、体制を整えた。

2度1988年。当時はトレヴァー・ラビンが中心となって活動していたが、アンダーソンにとっては不満であった。それがラビンとアンダーソンの対立の原因であり、アンダーソンは脱退。当時のyesに失望し脱退したという説もある。

その後1991年に復帰し、yesで活動を続ける。

21世紀に入ってから大規模なツアーを何度か行ったが、2001年の「マグニフィケイション-Magnification」以降新曲の作成を行っていない。

3度2008年ツアー前に急性呼吸不全を患いツアーを中止。アンダーソンの代わりにベノワデヴィッドを起用し、北で小さなツアーが行われた。

病状は回復したが、復帰を許されなかった為、脱退。現在ソロで活動している。

蛇足だが、アンダーソンKing Crimsonアルバムリザード-Lizard」にゲスト参加している。

ABWH

yes黄金期の復活を考えたアンダーソンは翌年にyesを脱退していたスティーヴ・ハウ、リック・ウェイクマン、ビル・ブラフォードの4人で「ABWH-アンダーソンブラフォードウェイクマン、ハウ」を結成し、同年「閃光-Anderson-Bruford-Wakeman-Howe」を発表。クリススクワイアにも参加を要請したが、断られたうえ、yesと名乗る事も認めなかった。「閃光」は当時のyesより(黄金期の)yesらしい作品だった。

アルバムライブが好評だったので2ndアルバムダイアログ - Dialogue」の製作を始めるが、楽曲が不足していたので、トレヴァー・ラビンに楽曲を提供を依頼。ラビンは承諾し、いくつかの楽曲を提供。この流れでクリスコーラスとして参加。そしてABWHyesに吸収される形で消滅した。

「結晶-Union」の曲は、ほとんどがABWH提供した曲である。


クリス・スクワイア-Chris Squire


ベース担当。本名はChristopher Russel Edward Squire

yes結成時のメンバーメンバーチェンジの多いyes一結成時から在籍している。

1965年に「The Syn」というバンドを結成するが活動期間は短く、すぐに解散してしまった。

その後yesの前身である「Mabel Greer's Toyshop」を結成。結成して間もない頃、バージョンアンダーソンと出会う。そこでお互いの音楽観などを話し合い、意気投合。アンダーソンがToyshopに加入。その後バンド名が「yes」となった。

結成時からグループを仕切り、中心メンバーアンダーソンが脱退した時もyesを守ってきた。しかし、yesが活動停止(解散)し、メンバーバラバラになってしまった為、アランホワイトジミー・ペイジと「XYZ」を結成する計画があったが、失敗してしまう。

その後活動を再開したyesだが、アンダーソントレヴァー・ラビンと対立が深刻化。アンダーソンは脱退し「ABWH」を結成。クリスも誘われたがラビンの理解者であったクリスは拒否。アンダーソンバンド名をyesにする予定だったが、クリスyesリーダーであった事と、yesが存続していたのでこのようなバンド名になった。

さらにABWHライブ盤「イエスミュージック-An Evening Of Yes Music Plus」にyesという文字が入っていた為クリスは猛反発。クリス側の「yes」とアンダーソン側の「yes」の間で裁判にまで発展した。しかし、当時yesの活動は順調ではなく、自然消滅もありえる状態であった為、ABWHyesに吸収されるという形で裁判とABWHは終わった。

ソロ活動よりもyesの活動を重視していたクリスは、ソロアルバムを1枚しか出していない。

2015年5月世界ツアーの日程を発表した際、白血病の治療のためツアーへの不参加を表明した。
しかしそれから1ヶ後の6月27日白血病のため不帰の人となった。67歳だった。


ビル・ブラッフォード-Bill Bruford


yes結成時のメンバー。と言われているが、実は二代ドラマーなのでは、と噂されている。

ドラム担当。日本ではブラフォードと表記される事が多いようだが、正確な表記はブルフォードらしい。(この記事ではブラフォードとする)洋楽専門雑誌などではブルッフォードと表記している。

危機発売後のツアーが終了した直後に一度脱退し、「King Crimson」に移籍する。yes在籍時とは違い、しい演奏をしていた。

その後King Crimsonが解散した後は「U.K.」の結成に参加するが、すぐに脱退し1979年に「ブラフォード」を結成。二年後には再結成したKing Crimsonに参加。この頃からジャズ・ロックの分野に活動を重視するようになった。

1989年にはyesを脱退していたジョンアンダーソンらと共に「ABWH」を結成。関連動画にある危機ライブ動画ABWH時のものである。この頃は電子ドラムを使用していた。

1991年には再度yesに加入し、1994年には再々度結成したKing Crimsonに参加と非常に忙しい人である。

その後ロックから離れ、ジャズグループ「Bill Bruford's Earthworks」のリーダーとして活動していたが、
現在音楽業界を引退済み。

ブラッフォードは二代目?

ブラフォード1968年12月yesに加入したとコメントしているが、実はこれより前からyesは活動をしており、ブラフォード加入以前のドラムが担当していたのか?という事になる。

トイショップドラムを担当していたジョンシンバルという人物が有な説だが、他のメンバー、関係者がこれに関して一切コメントしていない為、相は不明である。

もっとも、正式な活動はアトラティック・レコード契約してからなので、ファンの認識は「ブラフォードが初代」となっている。


ピーター・バンクス-Peter Banks


yes結成時のメンバーギター担当。

2ndアルバム「時間と言葉-Time And A Word」発売後、オーケストラの導入を巡って他のメンバーと意見が合わず、脱退した。

脱退後は「Flash」を結成、アルバムを3枚出して解散した。

その後、yesの曲をトリビュートしたアルバムテイルズフロムイエスタデイ-Tales from Yesterday」に参加した。

2013年死去。


トニー・ケイ-Tony Kaye


yes結成時のメンバーキーボード担当。

1971年ライブを最後に1度脱退。理由はメンバー音楽性が合わなかったからと言われている。

1983年に復帰し、1994年に再度脱退。側面からyesサポートしていくと表明。

yes脱退以降は音楽活動をほとんど行っていなかったが、2007年から元yesメンバー数人を集めて「Circa」を結成した。

現在もCircaとして活動する傍ら、ビリー・シャーウッドとアメリカロックバンドToto」のメンバーと共に「Yoso」を結成。アルバム「エレメンツ~要素~-Elements」をリリースした。

オルガン演奏にこだわり、マルチキーボード(ウェイクマンの演奏方法)や、新しいテクノロジーは拒否した。


スティーヴ・ハウ-Steve Howe


ギター担当。本名はStephen James Howe

yes加入前はバンドを転々としていた。脱退したピーターバンクスの代わりにyesに加入したのは1970年の事。

ロックギター軸としていたピーターと違い、多種多様なギター演奏できたハウの加入により、演奏の幅が大きく広がった。作詞作曲の面でも大きく貢献していた。


次へ»
最終更新日: 15/07/03 22:31
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ