曹昂について語るスレ
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1 :
ななしのよっしん
:2011/02/17(木) 18:19:08
ID: 2bSF/dIleP
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正史では鄒氏の名前が出てこないから
未亡人がなんたら~みたいな表現なの?
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2 :
ななしのよっしん
:2011/11/24(木) 08:39:11
ID: oTv1rPOC2U
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そう すばる
曹丕が長男と思ってる人がおおそうだからカワイソス(´・ω・`)
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3 :
ななしのよっしん
:2011/11/29(火) 23:16:06
ID: iKOHEUKdbT
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とにかく曹操の子供の中で、曹沖同様早めに退場したのが悔やまれる武将だな。
ところで孝廉に推挙された曹操の子供は曹昂一人って聞いたけど本当?
ただ長子として期待されていただけかもしれないけど、
孝廉になっているのは大抵能力ある人間だから、彼もそれなりに才能はあるはず。
だからもっと(せめて赤壁の戦いから定軍山の戦いの頃位まで)生きて欲しかった。
一瞬の輝きだったけど、自分の中では気に入ってる武将の一人でいる。
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4 :
ななしのよっしん
:2012/01/28(土) 09:17:03
ID: TTJzx1AgUW
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生きてれば、官渡以前から曹操軍の戦を見てきた唯一の息子、
になるわけか。
曹操の後継者として、の是非はあるだろうけど
武将として各戦陣を駈け回る姿を見てみたかったな。
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5 :
ななしのよっしん
:2012/02/03(金) 17:53:00
ID: cMgaX+LZGy
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まさに父を助けるために生まれてきたような生涯が皮肉だ…
もし、生きていたら後継者争いもなく曹昂も君主に相応しく
育っていっただろうかと思わされる
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6 :
ななしのよっしん
:2012/02/27(月) 22:39:35
ID: TKyF9r++X1
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>>2
実際そうやって曹丕長男と表記されてる歴史書も多いからな
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7 :
ななしのよっしん
:2012/03/09(金) 23:24:00
ID: TTJzx1AgUW
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それなりに地味なIF参戦
呂布戦:従軍を志願するが、許昌の守備を命じられる
官渡戦:兵卒降格時、蒼天航路の夏侯惇ほどは無理だが、他の3将よりは
兵に馴染む
対袁家、烏丸:曹操、曹丕と轡を並べる。個人的には負傷パターン有りで
赤壁の戦い:負傷時…やっぱ許昌守備
参戦時…撤退戦で曹操に馬を渡す、本人もどうにか生き延びる
これ以降はどうなるかな。
歴戦の将には違いないんで、夏侯惇のように中央で曹操の補佐か、
長安、樊城、合肥、どこかの守備になんて考えられるし。
後継の資質に関しても見通されるだろうし。
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8 :
ななしのよっしん
:2012/05/28(月) 16:17:58
ID: JpTlSVb1Dz
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毛利隆元を思い出した。
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9 :
ななしのよっしん
:2012/06/15(金) 23:02:44
ID: HVyDU0+g/r
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>>3
曹丕が茂才に推挙されたって記録はあるけど(ただし行ってない)、孝廉は曹昂しかいなかったかな
兄貴が死んだ戦いで逃げ切って無事に生き残った曹丕(11歳)強運すぎる
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10 :
ななしのよっしん
:2012/07/17(火) 18:19:44
ID: KmqP2tjnHS
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生き延びていたら後継になれたと思う
何らかの理由で曹操が迷ったとしても、
賈詡「袁紹と劉表のことを以下略」
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11 :
ななしのよっしん
:2013/04/02(火) 20:58:55
ID: /OqYTh61Pf
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>>8
>>9
そうですね、もう少しだけ長く生きていたら毛利隆元みたいになってたかも。
その根拠は、まあ曹操の長男って重み+孝廉推挙から来る希望的観測ですが、
実際のところは、生年すら不明(おそらく曹丕より10歳ほど上か?)で
人物像が全く見えてこない人なんですよね。
そう云えば曹丕は
「亡くなった兄(曹昂)は生きていても限界があっただろうが…」
と述べていますが、11歳で死に別れた大人の兄の、何を見てそう思ったのか?
もしかして、見た目が既にアホの子だったのか曹昂は?!
まさかね。
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12 :
ななしのよっしん
:2013/04/11(木) 00:32:21
ID: AOWtQ2Sz7R
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>>11
曹丕の性格からして暗に「俺の方が上」と言いたかっただけかも。
どのみち曹丕自身後継に足る人物であったし
「兄が生きていたら・・・」みたいなことは言わないだろう。
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13 :
ななしのよっしん
:2013/09/11(水) 20:24:17
ID: IDlucmcswe
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まぁ曹丕の「兄が生きてても云々」は、曹昂がどうこうというより「曹沖は凄かった」っていうことが言いたいわけだしね
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14 :
ななしのよっしん
:2014/02/08(土) 01:16:34
ID: mdQ9TTsaHa
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長子が死ぬことによって後継者になった場合は、とにかく死んだ人と比較されるものです。
そりゃ比較される側にしてみれば気に入らんでしょうね。
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15 :
ななしのよっしん
:2014/03/04(火) 17:29:18
ID: HVyDU0+g/r
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曹昂を養育した丁夫人は曹丕の母親である卞夫人に辛く当たっていたって記録が残ってるけど、この異母兄弟の関係はどんなものだったんだろうなぁ
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16 :
ななしのよっしん
:2014/06/16(月) 03:29:22
ID: /OqYTh61Pf
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>>14
それを思えば、実際の曹昂は優秀な長男坊だった可能性が出てきますね。
あの曹操の長子なのに、実像が殆ど掴めない正史の記述は、以下略。
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17 :
ななしのよっしん
:2014/11/07(金) 12:49:54
ID: 1tR3HVzZ5S
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曹操は正室が3人おり、劉夫人死後に丁夫人。丁夫人離婚後に卞夫人がなっており、通常王太子は正室との子供がなる訳でしてこの正室3人は別格な訳です。
丁夫人は子供がいなかった為、劉夫人の子供を実の子同然に可愛がり曹昂は後継者として育てられてます。
宛城で曹昂が死に、曹鑠は早死にしていた為、丁夫人離婚後は後継者は後に正室となった卞夫人の子供4人(曹丕、曹彰、曹植、曹熊)に絞られ曹丕が後継者となりました。
曹丕の腹違いの兄であり先の正室の子供であった曹昂、曹鑠兄弟に対する扱いはデリケートな問題で対応が難しいのです。曹丕が帝位についた後、曹昂、曹鑠には王位を追贈し子である曹昂の養子、曹鑠の実子にも王位を継承させてます。他の兄弟に王位を与えても子には公位を与えるのが通常であった事から曹昂、曹鑠は特別な存在であった事が窺い知れます。
但し特別な存在は尊重はしても実権を与える事は内乱の要因となる為、曹丕が必要以上に持ち上げなかったのは当然でしょう。呉の孫権も父孫堅に皇位を追贈しているが兄孫策には王位しか追贈していません。
亡き兄の家門が皇位に影響力を持つのは王朝にとって政治的にまずい事なのです。
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18 :
ななしのよっしん
:2014/12/31(水) 15:10:25
ID: yTCuZpnEDM
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子脩……
子脩ぅぅ~~~~~~!!!!!
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19 :
ななしのよっしん
:2015/01/06(火) 06:36:47
ID: /OqYTh61Pf
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>>17
>亡き兄の家門が皇位に影響力を持つのは王朝にとって政治的にまずい事なのです。
なるほど、孫策の件に関しては裴松之もクレームを付けていますが、
孫権サイドから見れば妥当な判断だったのですね。
違いがあるとするなら、曹昂が父の部将?だったのに対し、
孫策は帝国本土を切り開いた事実上の初代だったって事でしょうか。
その血脈を皇帝と同等にすると、内乱の火種(結果は別)となってしまう…。
となると曹丕の曹昂評も、実際はどうだったかは別にして、
自分を皇帝として大きく見せる為の方便だったのかも知れませんね。
もちろんメインは、曹沖が早熟の天才児だったって話題なんでしょうが、
これも謙譲の姿勢を示して自分を皇帝として大きく見せる方便だったのかも?
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20 :
ななしのよっしん
:2015/01/10(土) 14:48:39
ID: SwoM5hY2fp
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曹丕からはひどい言われようだけど、袁家の袁熙以外のボンクラ息子に比べれば全然マシ
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21 :
ななしのよっしん
:2015/01/10(土) 14:53:10
ID: /T872wx7W9
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曹丕「俺が宛城にいたら親父が鄒氏に手を出すことはなかった」
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22 :
ななしのよっしん
:2015/04/20(月) 18:34:24
ID: on31Xz8jgb
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>>21
最悪だコイツw
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23 :
ななしのよっしん
:2015/05/04(月) 19:02:37
ID: u5o9joxmZR
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息子は死んだけど親父の息子は守れたんやな
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24 :
ななしのよっしん
:2017/08/14(月) 02:31:14
ID: FTDD7RmKTn
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曹昂を失ったのは惜しい…曹操とその家臣たちも彼の将来を期待していたはずだろうに…
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25 :
ななしのよっしん
:2018/12/14(金) 01:05:42
ID: 1tR3HVzZ5S
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>>21
お前は宛城にいたんだよなぁ
曹昂など大人の武将は曹操の警護を勤めて代わりに亡くなったけど、曹丕などの子供達はとっとと先に逃げ出せだせたってだけで・・・
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26 :
ななしのよっしん
:2019/02/01(金) 02:13:52
ID: pHJnvhJdlu
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曹丕の言う曹昂の「限界」ってのは良い奴すぎて乱世の君主に必要な非情さとか決断力が足りなかったってところかね
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27 :
ななしのよっしん
:2019/02/09(土) 06:18:58
ID: 1tR3HVzZ5S
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曹昂が死んだ事による曹魏の損失は実は本人が死んだ事以上に重大な意味があるんだよね
曹操の爺さんは宦官で父親は養子である事から曹操の一族っていうのは頼りになる親戚が少ない
曹魏が短命に終わった原因の一つに一族の不足がある(曹丕が一族に力与えなかったってのもあるが)
史実で曹魏の覇業を助けたのは外戚の夏侯氏だったけど、曹昂が死ななければ丁氏の一族も外戚として助けになってくれてたはずなんだよね
曹操と丁夫人が離婚した事でこれが破綻、後に曹操が同じ丁氏の一族と思われる丁儀に曹昂の妹(曹丕の腹違いの姉)を与えて血縁を強くしたいと考えてた事から丁氏の一族はかなり力があった家の様子
忠孝に厚かったエピソードを残す曹昂が存命であれば一族に力を与え、夏侯家、丁家を準一族として扱い司馬家の専横を防ぎ史実以上に曹魏が続いたifも考えられる
逆に司馬家の八王の乱みたいに一族で争う事になったifも考えられるが
卞夫人や曹丕自体は優秀でそれぞれ皇后、皇帝に耐えられる実力を備えていたたのは確かだけど、卞夫人が歌妓の出身という事を考えれば卞夫人の実家は外戚として期待出来る程の一族ではかったと想像つくんだよね
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28 :
ななしのよっしん
:2019/02/09(土) 08:18:34
ID: UsfOgHHNn4
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外戚に力を持たせる → 外戚の専横で滅亡
外戚に力を持たせない → 帝室に力を貸す勢力がおらず滅亡
一族に力を持たせる → 一族が内乱を起こして滅亡
一族に力を持たせない → 帝室の力が無く部下が反乱起こして滅亡
反乱起こさないよう国内の軍事力を削ぐ → 異民族に攻め込まれ滅亡
異民族に備えて国境線に兵力を置く → 軍閥化して反乱起こして滅亡
中国史はこんなのばっかりで、
「前王朝の滅亡理由に対処したら、それが理由で滅亡しました」の繰り返し
いったいどうすりゃいいんだよと思えてくる
魏・晋の滅亡理由に対処したところで、次は「回り回ってそれが理由で滅亡しました」にしかならんと思う……
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29 :
ななしのよっしん
:2020/07/28(火) 11:42:45
ID: hRdbOqVk+v
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>>28
極端にし過ぎるからじゃない?
魏は曹丕時代までは曹氏・夏侯氏が軍事を独占してるが、曹叡時代に司馬懿に軍権が強化されて独占が崩されている。曹叡時代に軍功上げまくった司馬懿が軍権トップになっているけど、曹芳即位時に夏侯献(夏侯氏宗族)・曹爽(曹真の子)・曹肇(曹休の子)・秦朗(曹操の養子)と一族で固めようとしたところを派閥争いで曹爽・司馬懿の二党体制になっている(とはいえ曹爽が若干有力)。
曹魏の滅亡の要因は曹爽がアホだから曹一族の権力が駆逐されたからであって、一族外の家臣に力を与えすぎたとはちょっと違うんじゃないかと思う。
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30 :
ななしのよっしん
:2020/07/28(火) 11:48:37
ID: JMW4Wbp7Ir
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>>20
袁尚は曹丕並みの有能なんだよなあ
生まれた家と時代が悪かった