概要
コバPとは ニコ生主の一人。 以前にニコニコでゲーム実況をやっていたが、資金が尽きて活動を断念。2023年にネット麻雀大会での敗北をキッカケにネット麻雀の練習の様子を配信したのがニコニコでの活動再開のキッカケ。 最初のうちは声を出すのも嫌がりマイク無しで配信していたが、慣れたら積極的に表現するようになった。 あまり語らないが実はメンヘラ… それなりの経験や苦労は乗り越えて来た人なので意外と人格者? 真面目な話題が中心になるけど、真面目な話題が好きな人には向いている生主かも? 体格は良い方だが、20代の時は111kgとかなり太っていたが、ダイエットをして64kgまで体重を減らした事もある。 今は少し体重を戻し70kg台を維持。 太っていて激やせの影響で顔や全身の皮膚がたるむ?という事にもなったので肥満になるものじゃないと強く思っている。 友人に漫画家のアシスタントになった友達がいるが、アシスタントの仕事の苦労を友人の手紙で知り創作活動にはそれなりの想いや敬意がある。 ちなみにその友人の父親は地元ではそれなりに貢献した人。 友人の父親の助言で今の盛岡冷麺があると言っても良いと思っている。 自転車に乗る時は手信号を使うという変わったところがあるが、これは通っていた小学校で受けた警察の交通指導の教育を今も頑なに守っているから…通っていた小学校では手信号を忘れると一週間、自転車に乗るのを禁止された。三つ子の魂百まで?なのか…。 PCは小学校3年生の頃から始めた。最初に使ったPCはNECのPC-6001、ラジコンとか色々とお金がかかる趣味を経験しているが、それは親の考えが「一人で遊んでくれれば手がかからない」という理由だったりする。 アニメは富野アニメ全般が好きで富野由悠季さんの著書を多く読んだ。 富野さんの考えは生きる指針になったし、実際に命を救われたという想いがある。 少しだけ手話ができるが手話を覚えるキッカケは「24時間テレビ愛は地球を救う」の手話歌の公開収録に参加した事からで、当時の練習なしで手話歌を歌わせ、その様子を放送するという事に疑問を感じたのが強い記憶となっている。 TV番組、ズームイン朝のコーナー「ウィッキーさんのワンポイント英会話」にも参加した事があるが、その日ウィッキーさんは休みで別のアナウンサー?で収録されウィッキーさんに会う事はできなかった。 新渡戸稲造、原敬、米内光政の生家や墓所近くで育ったので、アニメ「るろうに剣心」には幕末や激動の時代を感じられるという事で好きな作品のひとつ。 るろうに剣心に出て来る御神刀は逆刃刀真打ちだがコバPの氏神様の御神刀は「蛇切丸」 昔はjimkazuと名乗っていたが「ジム」はレーシングドライバー「ジムクラーク」、ガンダムのモビルスーツ「ジム(GIM)」、「事務」を掛け合わせていた。 親戚には赤レンガで有名な重要文化財「岩手銀行中の橋支店」の修繕工事に携わった親戚もいる。 曰く「当時のレンガと同じ色の物は作れないから、当時のレンガ全部に番号とか記して何処にどのレンガがあったのか図面とかに記録したのよ」と話していた。 アニメのビデオとかを結構購入していたが、よく買いに行ったお店は地元ラジオ番組「トップ40」でおなじみの「レコードクラブ」だがお店が閉店してしまい別のお店を利用するようになる。 レコードクラブでは貴重な販促ポスター等貰えたのでアニオタとして凄く嬉しかった。 お世話になった模型店は「やなぎや模型」、小学館のコロコロコミックで連載された「ラジコンボーイ」にも模型店の名前が登場するお店。ラジコンボーイに登場する「レーシングチームもりおか(レーシングチーム盛岡)」は「RTM」と表記される事もある。今はもう閉店した。 中学校でのいじめの影響で高校へ進学しておらず、高校等で使う予定だった教育費を趣味活動に使って趣味が充実していただけで家が裕福だったという訳ではない。 ラジコンのレース活動を支えたのは親の協力があったからで、親が料理の腕が良く食費の節約に長けていたのが大きい。 親とはラジコンの事で衝突する事が多く物凄い喧嘩を毎日した為、かなりの近所迷惑だったと思う。ラジコンへの想いは最近まで口にする事が無く10代の頃の親子喧嘩は病気のせいと思われていたフシがある。 簡単に口に出来る事が「決意」とは思えない…。 ラジコンのワークスドライバーになるのが当時の「夢」だった。 中卒で障害持ちの子供が職に就けるとは思わなかったのでワークスドライバーを目指していた。
入院経験は10回以上なので大の病院嫌い。 薬の副作用の辛さは他人には想像できないもの、頭蓋骨の内側からドリルでゴリゴリと削られるような痛みがあり、それを理解する人はいなかった。 いのちの電話に相談するも素っ気なく対応され苦しみは理解されなかったし、病院の相談室に電話で相談したところ「あなたの命より会議が大事だから」と電話を切られてしまった。 薬の副作用の相談なのに性格のせいにされ凄く悩んだらしい。 薬の副作用の相談で病院関係とは関係がこじれてしまったが、薬の副作用だと理解されず、性格だと思われている事に苛立っている。 ただ、現在は主治医の理解があり、薬の調整もうまく行っており副作用から解き放たれつつある。 ちなみに薬の副作用で手首等が勝手に曲がってしまう事もある。
信心深い一面もあるが、叔父の影響がある。叔父は難病を患い片目に眼帯していた隻眼の人だった。病を患ったせいか叔父は信心深く、毎日仏壇にお経を唱えるのを日課としていた、幼き日にその叔父の姿を見て信心深くなった。 アニメ版るろうに剣心で幼い剣心を守って亡くなった3人の女性のお墓が、ただの石だった事が仏壇に祈っていた叔父の事とかと重なって、るろうに剣心を見てから道の傍らに建っている石碑を敬うようになった。 実は叔父は40代で亡くなっていて保険金が祖父に支払われ、そのお金が小学校3年生の頃のPCの購入につながった。 祖父はPCが何かわからなかったと思われるが、パチンコ好きで大正生まれなので銀行を信用していなかったので質屋をよく利用していた。PCは質草として買われた物だったが祖父には売るにも扱えなかったせいか質草にはならなかった。 小学生の頃にPCを始めたのは漫画家のすがやみつるつながりである。 漫画家のすがやみつるは「ゲームセンターあらし」で有名だが「ラジコン探偵団」という漫画を描いていた。ラジコン好きだった為、すがやみつる作品でPCを知る事となった。 スポーツは卓球を得意とするが中卒なので部活に入部していたわけではなく特定の指導者に教えを受けた事も無く独学で上達した。岩手県大会高校ダブルス2位の選手に勝つ事を目標に卓球をして来たが叶わず。
当時通院していた病院で音楽療法を受けた。 いじめの影響で歌う事を一切して来なかったが、音楽療法で音楽に目覚めカラオケや楽器演奏に興味を持つようになった。 まともに楽器は弾けないが、音を鳴らして遊ぶだけでも満足するらしい。 音楽療法の関係で「サイコドラマ」という演劇を使った治療法を経験。 その時の講師は増野肇氏。 当時90歳を超えていた増野講師がハーゲンダッツの桜味がネットで話題になっているという事を話し、親しみやすい話し方と90歳を超えても若い人の話題に敏感な感覚に感動した。
ちなみにその時のサイコドラマで主はゲーム実況者を演じてみたがゲーム実況が何なのか?よく知らなかったので劇に殆ど参加できなかった。 病院のデイケアの開設時からメンバーとしてデイケアに関わり貢献したが病院側から評価されなかった。 ある皮膚科で医者から「何万人に一人の頭蓋骨の形だから一度CTを撮ってもらいなさい」と言われCTを撮ったが頭蓋骨ではなく脳みその診断をされたw(脳は異常なしという診断)。 通っていた病院には農家出身の職員が多く農作業を教えてもらったりもした。 少しだけ仕事をしていて国指定史跡「徳丹城」周辺の遺跡発掘作業をした事がある。 イベント関係のアルバイトも経験していて地元放送局のイベントでとんねるず等有名人が多数来たが芸能人に関心が無かった為、見にも行かず仕事していた。
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