概要
スイッチオフ配信とはそのままその通り、スイッチオフで行う配信である。
主にコミュニティ人数の膨らんだ大手生主のサブコミュニティや深夜など比較的アクティブの少ない時間帯に行われる。普段の配信とは違って幾分緊張感の抜けてコメント反応も適当であり、話題があるともないともなくつれづれとした感じで見てる方もやってる方ももわぁ~っとしたまま何となく時間が経っていく感じの放送となる。多くの場合配信者はまるで一発抜いた後であるように清清しく肩の力を抜いているため賢者タイムとも
特にスイッチのオンもオフもない配信者や常時スイッチがオフの配信者も多数存在するが、それらについては特にこういった表現はなされないようだ。
なぜスイッチオフ配信を行うのか…?
これはちょっとした謎である。そのイメージの前提には枠を取る行為はネット上の舞台にあがることであり、配信することは来場者に自らのパフォーマンスを提供することと捉える見方があるようでもある。【要検討】
たとえばとある人気配信者は枠の始まりとともに軽快なBGMを流し、
はーいそんなわけでdどうもこんにちはっサトウキビでっすすいかがお過ごしでしょうか音声映像BGMよろしけっれば今しばっらっくお待っちくだっさい!!
などと痛いほどの大声をあげて登場し開始から怒涛のように大量のコメントを捌き始めるが、これも一つの舞台にあがる行為といえるだろう。そんな風に文字通りスイッチオンでの全力パフォーマンスを繰り広げていると、脱力したオフな時間が欲しくなるという気持ちはわかるようでもある。
だが、もう少しだけ話を掘り下げると
スイッチオフ=配信をしない(配信オフ)ではないのか?
という、微妙な疑問が思い浮かぶ。その考え、おそらく正解である。そもそも配信する時点で十分能動的な行為であって、配信する(オン)でありながら、「スイッチオフ」とはいかなるものか???ヽ(´_つ`)ノと思うのが自然であろう。
だが実はその答えはそれほど難しくない、スイッチオフ配信が存在する配信者は、配信することがゼロ(スタート地点)なのではないか?
つまりそこには配信への途方もない適応、放送の成熟が見て取れる。膨大な時間を費やし数千(数万?)という枠を過ごしてきた彼らにとって、配信ツールを起動し自らの意識をウェブ上に放流することはもはや息を吸って吐くことと同じくらい自明な行為となっている。(実際そのように述べた配信者もいる)配信の場に上がることがゼロ地点であり、その当然の意識の動きに立った上で「今日はスイッチがオンなのか、オフなのか」という発想が出てくるわけである。
なお、
普段声を張り上げて威勢のいい生主の素の言動が聞ける(気がする)まったりしていて居心地がいいなど、オン配信よりもオフ配信を好むタイプのリスナーも少なからず存在している。いうなれば、付き合ったばかりの彼女(彼氏)の風呂上りのくつろぎを見ているような幸福感であろう。今をときめく修学旅行、夕食、大浴場での入浴が終わり、体育館でのレクリエーションタイムなどとなったときに、まだ湯の湿りが残っているジャージ姿の同級生たちの艶かしさに仄かな色気を感じた思い出はおそらく誰もが共感するところであろう。そういう感触を求めて配信者はあえて舞台の上で自らのスイッチを切る(リスナーはそれに応じる)のではなかろうか。【要検討】
もしかして…
てか、そんなにおれらの相手するのつかれるの…?
~別れの予感~
だがしかし
疲れてもなおスイッチオフ状態で配信をする配信者がいるとするなら、それはなんとリスナー思いの配信者であろうか。
生主とは一種のパフォーマーであると共に、リスナー達に文字による交流の時間を提供する場の主でもある、特に比較的長時間配信を行い、大きなコミュニティを持つ生主であれば、自らが枠を取らなければその日自分を居場所にしていた小さなリスナー達が行き場を失ってしまう(ような気がする)のである。全てのリスナーが「今日は放送やんないのかぁ~まぁいいや、つぼみでも見て寝るか」と気軽に気持ちを切り替えられればよい。中には懇意にしている主の枠がないとその日はなんだかもやもやしてしまって安眠すらできない、いつまでもアラートが鳴らないことが不安でたまらないというちょっと危険な状態の人もいるのである【要調査】別にそれはそれでたくさん配信してくれる別の居場所を探せばよいのだが、そんなことを色々考えていると、とりあえず枠くらいは取ろうかな(誰かが待っているような気がするから)という感じになってくる。少しでも放送を継続したことがある人なら、この心境は共感されるはずである。というか、読んでて共感したならあなた、すっかりネットにはまってます。気をつけよう。
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