概要
端歩の爺(はしふのじい)とは、昭和に実在した幻の棋士である。破廉恥流と呼ばれたその独自の棋風と神がかり的な実力を備えながら生涯アマチュアを貫き、最後までその存在が公に知られることはなかった。
2014年1月26日、悪性の腫瘍と肺炎により急速に容態が悪化。わずかな親族に見守られながら、息を引き取る。享年、約80歳。
人物
風貌・性格・言動にいたるまで、その人物は漫画「月下の棋士」に登場する伝説の棋士・御神三吉に酷似していた。老齢ながら洒脱であり、営業畑一筋で現役を貫いた。全盛期の端歩の様子を知るものはそのただ者ならぬ気配と「何もかもを見抜いているかのような」眼光の鋭さにいささかの怖れも抱くほどだったという。
筆者は端歩が一線を退く前、自ら経営する会社を畳もうとしていた頃に一度会ったことがある。そしてそれが筆者と端歩との初対面であった。当時はかのウィンドウズ95が発売されて間もない頃、オフィスや家庭で本格的にパーソナルコンピュータ(PC)が道具として使われ始めた矢先の頃であった。(そして、会社に入れたばかりのパソコンの使い方がわからないからと、すでにPCオタク少年になりかけていた筆者が呼ばれたのである)
私にはこれは、まったくわからないもんですよ。
筆者は「とりあえずゲームからやってみたらいい」と得意顔でマインスイーパやソリティアの起動の仕方を指南した記憶がある。古い時代の人間である端歩はそんな様子をみながら、PCを「自分にはまったくわからないもの」と語り、結局最後までそれを理解することはしなかった。もちろん端歩の同世代でも必要からPCの原理を理解し、有用な仕事の道具として活用するものは数多い。しかし端歩はこの新時代の道具を「次の世代にまかせるもの」と決着させているようであり、それは変わらなかった。
わしほどのゲスやろうはなかなかいねえですよ。
会社を畳んだ端歩はまもなく、長年会社の事務をしていた同世代の女性(筆者の親戚である)と結婚。還暦後のまさかの結婚として当時一同に様々な思いを抱かせるものとなった。以後わずかな年金収入とお互いの貯金を切り崩しながら都内某所の一軒屋にて文字通りの隠遁生活を送り始める。
これまで仕事一筋で生き、これといった趣味をもたなかった端歩は専ら日々を酒(日本酒)とともに過ごした。少し遅めに起きては昼過ぎには飲み、そのまま日が暮れ、夜が更けるのを待ち、眠くなると眠りにつく。身の回りの世話はいつも妻が行っていたため、たまに愚痴をこぼされてしまうものの、長い間経営者とその片腕として親類以上の信頼を育ててきた二人はお互いを誰より深く理解しあっているようで、最後まで夫婦は円満であった。
その頃、いわゆるアホ学生となり暇な時間をもてあますことの多かった筆者はときたま端歩夫妻の暮らす居所を訪ねることが増えた。遊びにいくと、端歩は必ず筆者に酒を薦め(飲兵衛特有の悪癖である)共に酔うことを誘った。筆者は成人したてで飲み慣れないものの、その誘いに半ば乗り、酒を飲んだ。
飲みながら端歩は筆者に様々なことを尋ね、また自身の他愛もない話をした。それは、どちらかといえばあまり人の聞きたがらない話が多かった。というか、大体暗かった。(昭和の昔話にありがちではあるが)終戦直後で食べるものがなく、子供時代はとにかく腹が減って苦しかったことから始まり、男兄弟の末っ子に生まれ、兄達が皆優秀であったのに自分はいつも成績が悪く、しばしば兄達の見ている前で父親に正座させられ、答案で頭を叩かれた話で一度ピークに達した。
いやぁ…。いやぁ…。くやしかった。くやしかった。
でも、人間、成績じゃない。
少年時代のその悔しさが自身の仕事人生を支えた、という物語を語り終えると、酒が回りこんでいよいよ言動が不明瞭になり、赤●だとかなんとかだとかちょっとここで書いたらあれな感じの話題に入り込み、なんとなく話が聞えている妻が不機嫌になってきて、ぼちぼち帰宅の時間がくる、という流れが一つ。
端歩の妻は「いつもあなたにこの人の話につき合わせてしまって悪いね」と詫びたが、筆者は端歩の話を特に苦もなく、淡々と聞いていた。(特に楽しいわけでもなかった)
棋士としての出発
およそ酒を飲むばかりであった端歩と話をするばかりもつまらなかろうと、いつの間にやら将棋を指すことが恒例となった。それは学生となり時間が出来たことでにわかに将棋の定跡などを覚えていた筆者の練習という向きもあった。(ちなみに更新日現在、筆者の棋力は普通に話にならないレベルのヘボ将棋である)
あんた、ほんとに負けず嫌いだね。
その初戦は、端歩の圧勝。全く話にならない差で、詰みを奪われた。筆者は(何か逆転の方法があるはずだ)と数十分かけて長考し、そのあまりの長さに微笑んでいた端歩も最後にぽつりと上記の言葉をつぶやき、筆者の心をからかった。
しかし、これが端歩の最初で最後の白星となった。以後、やや勉強して数手先の読み方、序盤の駒の組み方を覚えた筆者は一切相手の反撃を許さず詰みに持ち込んでしまう。そもそも端歩は老齢であり、以後訪ねる度に老いが進行していたことに加え、いつも一局交える時には深く酒が回っているため、多少の戦い方を覚えた若い脳に勝てるはずはなかった。
とはいうものの、負かされる度に端歩は「これはやられた」とまずい顔をして、自身の失敗を思い、悔しがった。
一局も指すと疲れてしまい、あとは再びだらだらと話の続きをして、時間を過ごした。
端歩の妻の話では、端歩は昔「自分はめくら将棋(目隠しをして駒の位置を口頭で聞きながら将棋を指す)ができる」と言っていたことがあり、すごいと思っていたが、後で冗談だったとわかったという。「本当にこの人、人をからかうのが好きなんだから」と笑うと端歩は何も言わず、日本酒の続きを嗜んだ。
棋風
何度やっても結局最初の一回限り、筆者に勝つことの無かった端歩は、次第に独自の戦法を開拓することとなった。それが彼の呼び名ともなり、彼らしさを象徴する出来事となった、いわゆる端歩戦法である。
この端っこをつっついていくこれはね、あたしが考えたんです。
さほど将棋に詳しくない筆者であるが、この初手・端歩突きは一応定跡の一つではあるものの、立ち上がりが鈍くスピード勝負の現代将棋ではまるきり話にならないとかなんとか(にわか乙)とにかく、何をされても結局負けることはなかったが、戦法が開発されて以後、将棋を指せば必ず端歩は必死の形相で端歩をついてきた。
そして、初手・端歩突きは前述の漫画「月下の棋士」に登場する架空の棋士・御神三吉とその孫であり弟子である氷室将介の存在定義とも言える得意戦法であり、物語全体の鍵を握る一手なのであった。そんなことと見た目や性格が似ていたこともあって、このわけのわからない爺さんのことを筆者は密かに端歩の爺と呼ぶようになった。
ところで、お前さん、女を抱いたことはあるかい?
まだ?
抱きたくは、ないのかい?
端歩の戦法は端歩突きに始まり、ふらふらと駒を動かし、相手にまんまと取らせつつ(取られつつ)巧みな言動(主に猥談)で相手の心を翻弄する。いわゆる破廉恥流である。
わしがお前さんくらいのころは
そりゃ抱きたくて、抱きたくて
破廉恥ボーイですよ。
当時、既に相当自分の殻に篭りだし、本格的にDTをこじらせつつあった筆者は端歩のそんなあけっぴろげな言動に素で赤面し、動揺し、口ごもるばかりであった。まあ将棋には勝ったが。
そんな話をしていると端歩の妻は端歩のどうしようもない過去の恋愛遍歴を平気で暴露した。無趣味ながら読書家で話しの上手かった端歩は、普通に女にはよくもてていたらしく、また端歩も無類の女好きであったため、女性と見るや当たり前のように口説くのが常であったらしい。
「この人ね、二人の女の人に同時に同じラブレターを書いて送ったんですよ?信じられないでしょう?あなた、その後どうなったんでしたっけ?」
端歩はその話をされるとさすがに少々分が悪そうな表情になった。
晩年
時がたち、端歩はやがて体力の衰えが顕著となり、ここ数年は何かと病気を起こしては、入退院を繰り返していた。重度の酒飲みであり、また特に運動もせず、また何もせず日々を過ごしている端歩は、完全に自らの晩年を悟り、それを受け入れている様子であった。むしろ、受け入れすぎているその姿勢に、何かを思わないわけにはいかなかったのである。
筆者が大学を卒業したばかりくらいの頃のある日、端歩が都内の病院に入院し、その見舞いに訪ねたことがある。端歩は病院の指示により(当たり前だが)酒を飲んでおらず、素面であった。
まあ…そんなわけでしてね…
みんな、大変なもんでしたよ…
端歩は体をゆっくりと起こし、背中をちゃんと伸ばした昔の人間らしい静かな座り方で、どこか遠くを見ながら何か昔話をしていた。その話の内容は残念ながら、筆者は覚えていない。というか、たしかよく理解できなかった。筆者は端歩の話が途切れると「治ったらまた一局指しましょう」と話し(もはやかなり自分の世界に篭っており、会話をするのが困難になりつつあった)その場を離れた。
その後は筆者の生活も忙しくなり、また他のことに気をとられることも多くなり、訪ねる頻度も(将棋を指す頻度も)減ることとなった。
最後
端歩の容態が急に悪化したのは昨年末頃から、今年の初めにかけてである。筆者は気がつけば長らく訪ねていなかった端歩の、最後かもしれないことを予感し、数度の見舞いに訪れた。
久しぶりに対面したそれは、正直に書けば寒気がするような状況(誤解を恐れず端的に表現すれば、それはまさにゴンさんのそれ)であった。
しょうがねぇ。しょうがねぇ。
もうしょうがねぇ。
そもそも老齢であることや、既に末期症状に進行しており病院も入院を断るほどに治療の施しようがないこと、衰弱の速度が甚だしく、痛みを抑えてわずかに延命処置を施してはいるが、全ては時間の問題であることを聞いた。
意識ははっきりしている端歩は、おそらく壮絶であろう痛みをこらえながら、念仏のように「しょうがない(仕方がない)」とつぶやき続けていた。それは筆者にとって甚だ意外な端歩の最後の言葉となった。
晩年の端歩は自らの社会での役目の終わりと、まもなく訪れる己の人生の終わりを悟り、完全に受け入れ、ただ日々静かにそれを待っているようであった。最後まで生きて、妻に愚痴をこぼされながら一人酒を飲むことと、若い友人を猥談でからかうことくらいしかやることのなかった端歩は、おそらくただ退屈であったことだろう。それならば、待ちこがれた最後の時間を前に、何故今頃になって念仏を唱えなければならなかったのか。
端歩は最後の最後に白状した。まだまだ生きたかったと。でももう終わりだから、仕方がないと。
もっとも、常人であれば気が滅入ってしまいそうな末期症状の痛みの中で、端歩は変わらず周囲に冗談を言い、悪態をつき、満足に話ができなくなってからも、わざと白目を向いて体を硬直させて妻を本気で動転させてみせるなど、最後まで破廉恥流を貫いていた。
最後の見舞いの時、話をするどころか、もはや生きているのが不思議なほどであった端歩は、訪ねた筆者を見るなり、何事かを発しながら、片手を振った。それがいかなる意味であったのか、不明である。
半生を過ぎても他者をろくに理解をする知性を持たない者が今、己の人生の先を生きた一人の友人に、考えうる最良の言葉を送る。
追記
非常に恥ずかしい。雑文なり、だが令和の時代に爺を思い出し。そろそろ、端歩をついてみようかと…
関連コミュニティ
関連項目
- 2
- 0pt