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アドマイヤドン

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次へと踏み出す

周囲からの期待は 
気にしないでおこ
でも自分自身への期待は 
なにより大切にしよう

ただし結果を出したとしても
得意顔は一のこと
すぐさま背筋を伸ばし
次に解くべき課題を
見つけて踏み出すんだ

それがのキャリアプラン

JRA「名馬の肖像」アドマイヤドンexit

アドマイヤドンとは1999年産の日本競走馬種牡馬である。鹿毛
2002年から2004年にかけてのダート路線を牽引した名である。 

な勝ち
2001年:朝日杯フューチュリティステークス(GI)
2002年:JBCクラシック(GI)
2003年:マイルチャンピオンシップ南部杯(GI)、JBCクラシック(GI)、エルムステークス(GIII)
2004年:フェブラリーステークス(GI)、帝王賞(GI)、JBCクラシック(GI)

2001年:JRA賞最優秀2歳
2003年:JRA賞最優秀ダートホースダートグレード競走最優秀NARグランプリ特別表
2004年:JRA賞最優秀ダートホースダートグレード競走最優秀

ダートの首領

ティンバーカントリーベガトニービンという血統。
ティンバーカントリーブリーダーズカップ・ジュヴェナイルプリークネスステークスなどを制した名ベガ1993年桜花賞オークスを制した名トニービン凱旋門賞を制した後日本種牡馬入りし、凱旋門賞日本種牡馬として成功できないというジンクスを破って活躍した名種牡馬
ダービーアドマイヤベガ重賞勝ちアドマイヤボスがいる良血である。

東の松田博資厩舎に入厩し、2001年京都競馬場ダート1400mにてデビュー。これを7身差をつけて圧勝すると、第2戦で芝のオープン戦に出走しこれも楽勝。そして、その勢いのまま朝日杯フォーチュリティステークス勝利し、傷の3連勝。この年の最優秀2歳に選出された。

3歳になると半アドマイヤベガと同じくクラシック路線を進むが、若葉S3着、皐月賞7着、ダービー6着、札幌記念3着、菊花賞4着と勝ちきれないレースが続き、営はダート路線への転向を決断する。芝で頭打ちになっての路線転向自体は別にしくないのだが、いくら新馬戦ダートだったとは言え、本格な転向初戦として菊花賞から中1週、しかもGIレースJBCクラシック(盛岡)を選ぶ判断は尋常のものではない。この挑戦に対しては2番人気という高い支持を与えられる。正直言って吹っ飛ぶ要素満載の展開であったが、結果は人気に応えるどころか歴戦の古相手に7身差をつけての圧勝劇であった。次走のジャパンカップダートでは、3歳ダートGI2つ(ジャパンダートダービーダービーグランプリ)を圧勝してきたゴールドアリュールダートで初対戦(対戦自体は日本ダービーにて実現している。結果はゴールドアリュール5着、アドマイヤドン6着。)することになった。この2頭で人気を分け合う中、同じ圧勝でも古相手の方が価値が高いと判断されたのか、微差ながら1番人気に支持されるも、デットーリ騎乗のイーグルカフェの3着に敗れた。

明けて2003年ゴールドアリュールと2度の対戦となるフェブラリーステークスに出走。2頭で人気を分け合うところまでは前回と同じだが、今度はジャパンカップダートの後東京大賞典を制したゴールドアリュールの方が評価されたため、微差の2番人気となった。しかし、レースの方はゴールドアリュール横綱競馬勝利する中、スタートで出遅れた挙句中に2度も他と接触するという不利がき、11着と惨敗。は全休する羽になった。

エルムステークスから始動。上もそれまで戦であった藤田伸二から安藤勝己に乗り代わることになった。休養中、ゴールドアリュールは重度の喘鳴症を発症して引退に追い込まれていた。辱すべきライバルがもはやいないのであれば勝ち続けるしかないと思ったどうかは判らないが、このレースを9身差で圧勝すると、マイルチャンピオンシップ南部杯JBCクラシック(大井)を制し3連勝。ジャパンカップダートでは単勝1.5倍という圧倒的な支持を与えられたが、実況が結果を間違えてしまうほどの僅差でアメリカからの遠征フリートストリートダンサーの2着に敗れた。は振るわなかったもののの活躍を評価され、この年のJRA最優秀ダートホース及びNRAグランプリ特別表に選出された。

2004年は昨年同様、フェブラリーステークスから始動。昨年の借りを返す勝利を挙げると、ゴールドアリュールが出走できなかったドバイワールドカップに挑戦。しかし、勝ちから大きく離された8着に敗れた。帰後は帝王賞に出走し、南関のエースナイキアディライトハナ差抑えて勝利マイルチャンピオンシップ南部杯から始動し、ユートピアの2着に敗れるが、続くJBCクラシック(大井)を制し、シンボリルドルフと並ぶG1級競走7勝、史上初となる同一GI競走3連覇を達成する。そして、3度の出走となるジャパンカップダートでは、再び1.7倍という圧倒的な支持を集めるが、今度は同厩の晩成タイムパラッドクスに敗れ2年連続の2着に終わった。この後、営は『ダート卒業宣言』発表し、有馬記念へ出走するが7着に敗れる。最後の方は締まらなかったが、1年を通しての活躍が評価され2年連続でJRA最優秀ダートホースに選出されたことになる。

2005年からは芝とダート両方のレースに出走するようになる。しかし、変態ではないので衰えのためか勝ちきれないレースが続き、最後は休養中蹄に故障を発症。JBCクラシック4連覇、悲願のジャパンカップダート制覇をし、調整が続けられたが復帰はかなわず現役を引退した。なおアドマイヤドンが出走できなかったジャパンカップダートカネヒキリが3歳にして制し、次代のダート王者として君臨する始まりとなる。

引退後は社台スタリオンステーションにて種牡馬入りするも、がさほど集まらず地方重賞勝ちを数頭出すに留まった。種牡馬としてはゴールドアリュールと大きく明暗が分かれる結果となった。そして、2011年韓国へ輸出され済州島にて種牡馬生活を送ることになった。

が、韓国へ輸出されてからデビューした産駒アルバートアドマイヤデウス地芝の複数重賞になるという皮な事になっている(しかもアドマイヤドンの血統のミスタープロスペクター系では大変しい芝の中長距離重賞アドマイヤムーンといい、アドマイヤ冠名オーナーが売却されると何故ついていないことになるんだ!)。

韓国でも重賞チェアマンズTを勝ったCheonji Stormというを出したが、2017年以降は種付けを行った記録はなく、2022年、同じく韓国にいたサダムパテック9月13日に亡くなったのに続くように、9月22日死亡。23歳だった。
アドマイヤデウスこそ現役中に亡くなってしまったが、アルバート日本で、Cheonji Storm韓国でそれぞれ2021年から種牡馬入りしており、種付け数はともに少ないながら、一応サイアーラインは繋がっている。

GI7勝、史上初の同一GI3連覇、2年連続JRA最優秀ダートホース受賞といった成績はまさにダートの首領と呼ばれる相応しいものである。しかし、怪物パフォーマンスを見せつけたクロフネ、度重なる故障からったカネヒキリというキャラの濃いに前後を挟まれているため、相対的にが薄くなってしまっている。実際記事が出来るのも遅かった。

血統表

*ティンバーカントリー
1992 栗毛
Woodman
1983 栗毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
*プレイメイト Buckpasser
Intriguing
Fall Aspen
1976 栗毛
Pretense Endeavour
Imitation
Change Water Swaps
Portage
ベガ
1990 鹿毛
FNo.9-f
*トニービン
1983 鹿毛
*カンパラ Kalamoun
State Pension
Severn Bridge Hornbeam
Priddy Fair
*アンティックヴァリュー
1979 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Moonscape Tom Fool
Brazen
競走馬の4代血統表

クロスSwaps 4×5(9.38%)、Tom Fool 4×5(9.38%)、Native Dancer 5×5(6.25%)、Hyperion 5×5 (6.25%)

主な産駒

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最終更新:2024/03/29(金) 06:00

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