サクラユタカオー 単語

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サクラユタカオー

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サクラユタカオーとは、日本の元競走馬種牡馬である。
種牡馬テスコボーイの最高傑作の一頭で、トウショウボーイ最強ならば彼は最速
そう思えるほどの、名前通りの豊かなスピードの持ちであった。

な勝ち
1985年:共同通信杯4歳ステークス(GIII)
1986年:天皇賞(秋)(GI)、サンケイ大阪杯(GII)、毎日王冠(GII)

なんで栗毛なんだ…

は大種牡馬テスコボーイは名スターロツチの血を引くアンジェリカヴァービート、半日の丸特攻隊こと時代に恵まれなかった名スプリンターサクラシンゲキという良血
生まれた時から気品に満ち、大柄かつ太な好体を誇る名オーラに満ちたであったが、ただ一つ生産者が懸念を抱くことがあった。
それは、栗毛であったことである。え?栗毛綺麗でいいじゃん、かっこいいじゃん?って思うかもしれないが、当時の生産地のジンクスにこういうものがあったのである。

栗毛テスコボーイ産駒は走らない」

実際、トウショウボーイ鹿毛だしテスコボーイの他の上級産駒にも栗毛はほぼいなかった。生産者も「すごいいい身体してていかにも大物だけど、栗毛はどうにかならんかなあ…」と書き記すくらいであった。
ジンクスを差し引けばすごい身体してるし、栗毛に一筋の流星が走っていて絵に描いたようなグッドルキングホースであり、セリでは3500万円で落札され、と同じオーナー調教師のもとでデビューすることになった。

やっぱり栗毛じゃないか…

じっくりと育成され、デビューしたのは12月。ここでいきなりレコード勝ちをぶちかまし、卓越したスピードを見せつける。
条件戦も軽く勝ち、初重賞共同通信杯に挑むがスピードが殺される不良馬場であった。しかしここも素質の違いで僅差ながら勝ちきクラシックの有に推される存在となったが…
トライアルシーズンを迎えた頃に右前脚を骨折クラシックを棒に振ってしまう。同期ミホシンザンがいたため、出走していたとしても厳しかったとは思うが、後に見せたきを考えれば皐月賞はいい勝負であったことは確実であり、非常に惜しまれる離脱となった。

には間に合ったが京都新聞杯ではミホシンザンの前に4着、菊花賞でも距離不適っぽい舞台であったが4着に健闘。
その後は年末開催だったダービー卿チャレンジトロフィーに向かったが一個上のスズパレードに敗れ2着、脚部不安で長めの休養を余儀なくされるなど、やや不本意なを送った。

になって初戦の大阪杯素晴らしいスピードで押し切り一年二ヶぶりの重賞勝利を飾るが、次走の天皇賞(春)明らかに長かったようで先行して潰れてしまい惨敗。
また脚部不安を発症し安田記念宝塚記念を棒に振ってしまう。やっぱり、栗毛はダメなのかもしれないなあ…と思わせるに十分な不運続きであった。

なんて栗毛なんだ…

しかし、脚部不安から立ち直ったは彼にとって実り多いとなった。復帰初戦の毎日王冠では4番人気と軽視されたが、ウインザーノットミホシンザン・新ニッポーテイオースピードの違いで圧倒、当時のレコードとなる1:46:0で駆け抜け、得意距離ならスピードが十二分に生かせることを下に示した。
そして本番の天皇賞(秋)に向かったが、前走圧勝したにも関わらず16頭立ての大外16番、前走レコード勝ちの反動があるだろうということでミホシンザンに次ぐ二番人気に甘んじた。しかしレースではまたもスピードで圧倒し日本レコードの1:58:3で圧勝。
これには小島太パーフェクトでした!」と自画自賛。さらに騎手には辛辣極まる太郎師すら「太のバカがよく乗りおったわ」と評価するくらいの会心のレースであった。
その後ジャパンカップ有馬記念に出走し、2戦連続で6着に終わったが、まあ距離適性を考えるとおまけみたいなもんなのであんまり気にするな。ということで有馬記念後に引退した。

引退後は種牡馬入りすることになったのだが、社台グループからオファーが舞い込むという当時前代未聞の出来事が起こった。
ノーザンテースト最高傑作の一頭であるアンバーシャダイすら「内種牡馬に等しく価値などない」と言わんばかりに他所に放出した社台グループが彼には食を動かした、という事実だけで彼のスピードが与えた衝撃がわかろうものである。
そして、社台スタリオンステーション種牡馬入りという話がまとまりかけたのだが…日高の生産者集団も黙ってはおらず、社台グループから横取りする形で日高種牡馬入りとなった。
シンジケート総額は5億円。シンボリルドルフのようなレアケースを除けばとんでもない高額である。しかもたかがGⅠ1勝にこの評価である。連続レコード勝ちの衝撃の凄まじさである。
その期待に応えるかのように初年度からダイナマイトダディ、二年からサクラバクシンオーを輩出し種付け料も高騰。
トウショウボーイが亡くなったこともあり一躍内種牡馬エースとなった。その後もエアジハードウメファイバーを出し活躍したが、1997年頃から受胎率が低下、さらに1999年には一切受胎しないという事態に陥った。 様々な治療が行われたが好転せず、惜しまれながらも2000年期の種牡馬引退を余儀なくされ、その後は功労生活を送った。そして2010年に28歳で永眠した。

余談だが、社台グループも自前で繋養こそ出来なかったが積極的に種付けを行なっており、その結果生まれたのがダイナマイトダディサクラバクシンオーエアジハードトゥナンテらである。
やっぱり社台がバックアップしないとダメなんじゃないかな…という傾向は当時からあったのかもしれない。

最後に

素晴らしいスピード、それと表裏一体の重馬場下手、秀麗な見たを持ち、重馬場下手以外は種牡馬としてもそれをよく伝えていったが、残念なことに爆弾持ちだったと述懐されたほどの脚の弱さも伝えてしまっており、サクラバクシンオー以外は脚の故障に悩まされ大成を阻されたり、志半ばでの引退を余儀なくされることもしばしばあった。
太郎師は自身の管理での最強サクラローレルであると前置きした上でパンパンの良馬場2000mなら、ユタカオーが勝つかもしれない」と言うほどのを持っていたのだから、時代を越えた卓抜したスピードを持っていたのであろう。後継種牡馬バクシンオーがそこそこ成功したが、三代目以降が不安視されている。
バクシンオーの産駒であるショウナンカンプは後継を残せず死亡グランプリボスも成績が奮わず、ビッグアーサーに全てがかかっている状況である。どうなることやら。
トウショウボーイの系統が絶えた今では、テスコボーイの血を伝える事ができるのはユタカオーの系統だけなのだが…
とはいえ、栗毛テスコボーイ産駒は走らないというジンクスや、脚に爆弾を抱えながらも桁違いなスピードでそれを全て跳ね返してきたユタカオーの子孫ならば、きっとこの逆もはねのけて血を繋ぐことが出来ると、筆者は確信している。

血統表

*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift
1951 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem Blue Peter
Sparkle
Suncourt
1952 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Inquisition Dastur
Jury
アンジェリカ
1970 黒鹿毛
FNo.11-c
*ネヴァービート
1960 栃栗毛
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Bride Elect Big Game
Netherton Maid
スターハイネス
1964 鹿毛
*ユアハイネス Chamossaire
Lady Grand
スターロツチ *ハロウエー
コロナ
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 3×4(18.75%)、Nearco 3×4(18.75%)、PharosFairway 5×5×5(9.38)、Solario 5×5(6.25)、

主な産駒

GI勝ちを記載

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