スターアピール(Star Appeal)とは、1970年アイルランド生まれの競走馬である。1975年にドイツ調教馬として初めて凱旋門賞を制した。
父Appiani、母Sterna、母父Neckarという血統。
父アッピアーニは1966年の伊ダービーの勝ち馬。
母ステルナの競走成績は不詳。本馬の半姉シュテルンヴァハトの孫に1994年のメルクフィンク銀行賞(独G1)を勝利したシュテルンケーニッヒがいる。
母父ネカールは1951年のドイチェスダービーを勝利し、種牡馬としてもドイツのリーディングサイアーを6回受賞した活躍馬。息子も含めると6代連続で独ダービー馬を生み出したドイツの至宝と言えるラインに位置する。
本馬はドイツのレットゲン牧場がアイルランドで生産した馬で、同牧場の所有馬としてアイルランドのジョン・オックス厩舎に預けられた。
デビュー2戦で敗れた後、ダンドーク競馬場というマイナーな競馬場(現在は芝が廃止されてAWのみで施行されている)のレースで勝ち上がった。その後2戦して1勝し、2歳時は5戦2勝だった。
3歳時は初戦のハンデ競走こそ勝ったもののその後は2戦続けて差をつけられた3着に敗れ、アイリッシュダービーでは人気薄で勝ったウィーヴァーズホールの7着に敗れた。夏シーズンにアイルランドとドイツで3戦2勝2着1回の後に出走したアイリッシュセントレジャー(G1・14ハロン)では3着といえば聞こえは良いが、7頭立てで勝ったコナーパスから8馬身3/4差を付けられた完敗だった。
このレース後に6万マルクでトレードされ、ドイツのアントン・ポールコッター厩舎に転厩した。
移籍初戦の凱旋門賞では27頭中最低の18番人気タイで出走し、見せ場を作ることができずサンクルー大賞連覇の実績馬*ラインゴールドの13着に敗れた。年が明けてもフランスで続戦し、同国南部のカーニュ・シュル・メール競馬場で3戦したが勝ち星を挙げられなかった。
春になってドイツに戻り、帰国初戦のゲルゼンキルヒェン市大賞(G3・2000m)で前々年のバーデン大賞を勝った実績馬カラコルのクビ差2着の後、バーデン経済大賞(G2・1800m)を3馬身半差で勝利して重賞初勝利を挙げた。再びフランスに遠征して出走したドラール賞(G2・1950m)で11着の後、帰国して出走したドイツ投資信託コンセントラルポカル(G2・2000m)を61.5kgの斤量ながら3馬身半差で快勝した。
しかしその後は不振に陥り、チャンピオンS(英G1・10ハロン)で同年の2000ギニー2着・英ダービー3着・セントレジャー2着のジャコメッティの4着があったものの、6戦して2着1回以外は全て着外という成績だった。シーズン終了後、テオ・グリーパー厩舎に転厩した。
5歳時は最初の2戦で2着・3着の後、バーデン経済大賞を斤量61kgで勝利し同競走連覇を挙げた。続けてイタリアに遠征して翌月のミラノ大賞(G1・2400m)に出走し、当年の伊ダービー馬オレンジベイやキングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドS連覇などG18勝をマークしていた名牝ダリアを破って勝ちG1初制覇となった。このレース以降、騎乗したグレヴィル・スターキー騎手が主戦として固定されることになった。
続けてイギリスに遠征して出走したエクリプスSを2馬身差で勝利し、キングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドSに出走した。ここでは当年の英愛ダービー馬*グランディ、前年のセントレジャー馬で英ダービーと同じコースのコロネーションカップをレコード勝ちして出走してきたバスティノ、3連覇がかかるダリアに次ぐ4番人気に支持されたが、*グランディとバスティノの一騎打ちから大きく離れた9着に大敗した。
ベンソン&ヘッジスゴールドカップ(G1・10f56y≒2063m、現:インターナショナルS)では前走の激戦で疲弊しきっていた*グランディには先着したものの今度はダリアとキングジョージで5着だったカードキングの競り合いに全く参加できず3着と敗れ、地元に戻って出走したバーデン大賞(G1・2400m)でも4着に敗退した。
近走のこの冴えない成績から、曲がりなりにもその年にG12連勝を挙げた実績があるにも関わらず凱旋門賞では大きく評価を落とし、単勝120.7倍で24頭立ての最低人気となった。しかし後方追走から直線までじっと我慢した本馬はスターキー騎手のゴーサインが出ると馬群の中を一閃。素晴らしい切れ味を発揮して直線半ばで先頭に立ち、そのまま3馬身差で完勝した。2着にも13番人気のオンマイウェイが突っ込み、1番人気に推されていた前年の覇者アレフランスは5着に敗れるという大波乱となった。なお、現在に至るまで凱旋門賞を最低人気で勝利したのは本馬ただ1頭である。
ドイツ調教馬の凱旋門賞制覇は史上初のことであり、本国のファンはもちろん歓喜、一般メディアでも大きく取り上げられたという。
また、当時のフランス大統領であるジスカール・デスタン氏もコメントを出しており、曰く「ヨーロッパ全部の勝利です」とのこと。
アイルランドで生まれドイツで調教され、イギリス籍のスターキー騎手に導かれてフランスの大レースを勝利したことをうまく表現している。まあ普仏戦争とか第一次二次大戦の話があるし素直にドイツの勝利と言いたくなかったんだろう、多分[1]
その後、チャンピオンSではこの年のクイーンエリザベスII世Sの勝ち馬ローズボウルの2着、アメリカに遠征して出走したワシントンDCインターナショナル(G1・12ハロン)では凱旋門賞で6着に破った牝馬ノビリアリーの5着に敗れ、これを最後に引退した。通算成績は39戦11勝(G13勝)だった。
彼の後にドイツ勢が凱旋門賞を制するまでには、2011年の*デインドリームまで36年の時を待たなければならなかった。その後、2021年にトルカータータッソが制し3勝目を挙げているが、何の因果か本馬を含めて3頭とも人気薄(*デインドリームは16頭中10番人気、トルカータータッソは14頭中13番人気)である。
ちなみに*デインドリームとトルカータータッソはともにドイツ産馬であるので、「ドイツ以外で生産されたドイツ調教の凱旋門賞馬」は現在でも本馬しかいない。
強いときは目を瞠るような末脚を見せるが、一方で斤量差があるとは言え格下相手の取りこぼしも多いタイプであった。だからこその凱旋門賞最低人気120.7倍の激走劇に繋がったわけであるが…
どうも集中力に欠けるという課題があったようで、かなり深いブリンカーを付けていた当たりに陣営の苦しみが伺える。
引退後はイギリスのナショナルスタッドで種牡馬入りし、数頭のG1馬を輩出したが、失敗ではないにせよ大成功とまではいかない中程度の成績で、1987年12月に17歳で死亡した。
サイアーラインは重賞未勝利ながらニュージーランドに渡って種牡馬として成功し1990/91シーズンの同国リーディングサイアーを獲得したスターウェイの血統がオセアニアでそこそこ広がっていたが、現在ではかなり衰退している。2020年のデータでは本馬の直系種牡馬はスターウェイの孫でシャトル供用時代のフジキセキが母父にいるミスタージギースターダスト(Mr Ziggy Stardust)という馬が1頭種付けしたのみであり、父系存続の可能性は非常に低そうである。
Appiani 1963 鹿毛 |
Herbager 1956 鹿毛 |
Vandale | Plassy |
Vanille | |||
Flagette | Escamillo | ||
Fidgette | |||
Angela Rucellai 1954 鹿毛 |
Rockefella | Hyperion | |
Rockfel | |||
Aristareta | Niccolo Dell'Arca | ||
Acquaforte | |||
Sterna 1960 黒鹿毛 FNo.5-d |
Neckar 1948 青毛 |
Ticino | Athanasius |
Terra | |||
Nixe | Arjaman | ||
Nanon | |||
Stammesart 1944 鹿毛 |
Alchimist | Herold | |
Aversion | |||
Stammesfahne | Flamboyant | ||
Selika | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Herold 4×5(9.38%)、Firdaussi 5×5(6.25%)、Nuage 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/04/24(水) 03:00
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