タタール 単語

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タタール

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タタール(韃靼)とは、以下のことを表す。

  1. タタール部 -9世紀から13世紀にかけてモンゴル高原東方に位置した部族
  2. 韃靼部(16世紀) -16世紀頃に漢文史料に現れる遊牧民。モンゴルのことをす。
  3. ヴォルガ・タタール人 -ロシア連邦内のヴォルガ河畔に住むタタール人。
  4. クリミア・タタール人 -ウクライナクリミア半島に住むタタール人。
  5. リプカ・タタール人-ポーランドリトアニアに住むタタール人。
  6. タタールスタン共和-3のヴォルガ・タタール人によって構成されるロシア連邦内の共和国
  7. 尔(タタール)族-中国少数民族の一つで、ロシア帝国から新疆方面に逃れた3の子孫である。
  8. タタール海峡-韃靼海峡、すなわち間宮海峡のこと。

1はモンゴル系一部族としての、2はモンゴル全体をす意味での、3-5はモンゴル帝国から転じて現在東欧テュルク民族す意味でのタタール。単純にモンゴルテュルク系の遊牧民程度の意味で使われることも多い。

 「タタール(韃靼)」は中国ロシアで遊牧民をす総称として使われたが、その定義の曖昧さから多くの誤解がある(後述)。

1,タタル部の概要

突厥碑文にはウイグル東方キタイ(契丹)人やタタビ(奚)人の北にオトゥズ・タタル(三十姓タタル)が存在することが記されており、これが最初のタタル部であると考えられている。

キタ帝国()の崩壊後、モンゴル高原に統一的勢が存在しなくなるとタタル部は高原東部の最大勢として成長し、モンゴルカンを殺すなどした。このため、元秘史などではタタル部はメルキト部などと並んでモンゴル部の宿敵として扱われている。

しかし、テムジン(後のチンギス・カン)が登場すると彼の率いるモンゴル部によって宿敵タタール部は虐殺される。これ以降、わずかに残ったタタール部はモンゴル部に同化されてモンゴル高原における「タタール」はほぼ消滅する。

この後モンゴルユーシアにまたがる大帝国を作る。その結果、洋の東西でテュルクモンゴル民族に対してタタール部に由来する呼び方が使われるようになった。

東アジアにおける韃靼(タタール)

モンゴル帝国崩壊後、韃靼(タタール)は遊牧明の総称/モンゴル人の代名詞として使われるようになった。特に明の時代にはモンゴルして韃靼と呼ぶようになる(後述)。

日本においてはそこからさらに生して、韃靼人は満洲人を初めとするトゥングース民族も含めた北方民族の総称としても使われていた。

2,韃靼(16世紀)の概要

一昔前の書籍では漢文史料に基づいて北元の皇帝トグス・テムルの死によって北元(モンゴル帝国)は亡び、韃靼(タタール)部と瓦剌(オイラト)部の二強時代に入ったと説明されていた。

が、これは誤解である。オイラトは旧ケレイト部・ナイマン部などと合同して独立行動をとるようになるが、残されたモンゴルの部族はモンゴル自称し続けた。そもそもこの時点ではフビライの王統が断絶しただけで「モンゴルのハーン」はこれ以降も続く(モンゴルの歴史も参照)。

モンゴルの歴史書ではこの時代をさしてドルベン・オイラート(四部オイラート)とドチン・モンゴル(四十部モンゴル)の時代と呼ぶ。そしてモンゴル人は満洲人への降をもって「モンゴル帝国は滅亡した」と考えている。

史観に基づいて「命を受けたからこそモンゴル帝国中国を支配し、命を失ったから明の時代が訪れた」と考える民族は形の上だけでもモンゴルが亡びたことにしようとしたため、あえて「古」を遊牧民の総称「韃靼」と呼び変えたと考えられている。そのため、後世の人々が勘違いしたというわけである。

例えるなら、今から500年後にハングル史料だけを読んで「日本天皇は敗戦を切っ掛けに日王と名のるようになった」と誤解するようなものである。

現在では韃靼(タタール)を「北元」と記す書籍も多いが、未だに北元はタタールとオイラートに分裂したと勘違いしている人も多いようである。

ヨーロッパにおけるタタール

ルーシでは13世紀、突如として攻め込んできたモンゴル人のことをタタール人と呼んだ。これはルーシの南にいたテュルク系遊牧民キプチャク人に倣ったためと考えられており、さらにルーシ以西ではタルタロス(地獄)を連想させるタルタル人としてモンゴルは知られるようになった。このため、モンゴル帝国によるルーシ支配は「タタールの軛」と呼ばれる。

モンゴル帝国フビライの時代に分裂を始め、ルーシ周辺はジョチ・ウルス(ロシアではゾロタヤ・オルダ即ちと呼ばれた)が支配することとなった。ジョチ・ウルスはキプチャク諸侯はして直接統治したがルーシ諸侯は従臣として間接統治した。そのため、ジョチ・ウルスのモンゴル支配層は急速にテュルク化し、やがてタタール人は「テュルク(トルコ)系遊牧民」の総称になっていった。

現在でも東欧の各地でタタール人は少数民族として暮らしている。

3,ヴォルガ・タタール人

最も流なタタール人で、ジョチ・ウルスの後継政権の一つヴォルガ・ブルガールを征したカザン・ハンの住民を先祖とする集団。ロシアでタタール人といえば基本的にヴォルガ・タタール人をし、ロシア連邦内でタタールスタン共和を持つ。

ロシア帝国の支配下に入った後は帝国内のムスリム同士の交易を担当したため、ロシア内の少数民族では最も経済的に安定している。

中国少数民族の一つとして数えられる尔(タタール)族は中国に移住したヴォルガ・タタール人の子孫であり、上述の1,2の韃靼(タタール)とは関係ない。

4,クリミア・タタール人

ジョチ・ウルスの後継政権の一つ、キプチャクを征したクリミアハンの住民を先祖とする集団。ウクライナクリミア半島クリミア自治共和国を持つ。

クリミア・タタール人は代々クリミア半島周辺に住んできたが、第二次世界大戦後にスターリンによって対独協の罰として中央アジアに移住させられてしまう。

スターリンの死後、帰事業は進められたが今でもクリミア自治共和国内のタタール人人口は一割程しかいない。

5,リプカ・タタール人

リトアニアポーランドに移住したタタール人。15〜17世紀にはポーランドリトアニアに忠を誓い、軽騎兵隊を率いて戦闘に加わった。

現在でもポーランドリトアニア少数民族として居住する。

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