ローエングラム朝銀河帝国とは、「銀河英雄伝説」に登場する架空の国家。
始祖はラインハルト・フォン・ローエングラム。首都はヴァルハラ星系惑星オーディン、のちにフェザーン星系の第二惑星フェザーン。
作中世界ではゴールデンバウム朝銀河帝国に次ぐ宇宙王朝であり、宇宙暦800年(新帝国暦2年)の冬バラ園の勅令による自由惑星同盟併合以降、ほぼ完全に全人類に君臨する統一王朝となった。
国号は銀河帝国であり、ゴールデンバウム朝銀河帝国と区別する場合は新王朝と称される。本稿では歴史的な観点からローエングラム朝銀河帝国とした。
(前史はゴールデンバウム朝銀河帝国・自由惑星同盟・フェザーン自治領を参照)
帝国暦1年(宇宙暦310年)にルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの登極により成立したゴールデンバウム朝銀河帝国は初の宇宙王朝(銀河帝国)かつ全人類統一王朝であった。しかし、帝国暦218年(宇宙暦527年)に民主共和政体を奉じて帝国を脱出した自由惑星同盟が成立。帝国暦331年(宇宙暦640年)の両国間のファースト・コンタクト以降、激しい戦争状態が150年に渡って常態化する。折からの圧政、門閥貴族や外戚間の無軌道な権力闘争により国力・帝権は相対的に弱体なものとなっていった。
また、この間隙をついて帝国暦373年(宇宙暦682年)、地球出身の商人レオポルド・ラープが多額の賄賂を駆使し、自由惑星同盟との通行路の一つであったフェザーン回廊にフェザーン自治領を建設。フェザーンは巧みに両国の政財界に取り入り三国鼎立を希求し、本編開始時点の帝国暦487年(宇宙暦796年)にはもう一つの通行路であるイゼルローン回廊を挟んで同盟軍との終わりの見えない惰性的な戦闘を繰り返す有様であった。
遡る帝国暦467年(宇宙暦776年)に誕生したラインハルト・フォン・ミューゼルは、育ての親であった姉のアンネローゼ(アンネローゼ・フォン・グリューネワルト)が寵姫として時の皇帝フリードリヒ4世に奪われたことから帝権と理不尽な社会制度を憎悪。無二の親友であったジークフリード・キルヒアイスと共にアンネローゼの救出とゴールデンバウム朝の打倒、社会変革を決意し、軍人となることを志して幼年学校に入学する。幼年学校卒業後は天賦の軍事的才能と強烈な覇気をもとに驚異的な戦果を挙げ続け、若干20歳にして上級大将に昇進。ローエングラム伯爵家の名跡を与えられ、ラインハルト・フォン・ローエングラムを名乗る。
ラインハルトは宇宙暦796年(帝国暦487年)2月、アスターテ会戦の勝利により元帥に昇進。元帥府を開いて双璧と呼ばれるミッターマイヤーとロイエンタールを筆頭とした綺羅星のごとき新進気鋭の将官らを招致し、のちの新帝国の礎となる組織を築き上げる。同年8月に開始された同盟軍の大規模侵攻(帝国領進攻)も巧みな後退戦術と大規模機動戦で撃破(アムリッツァ星域会戦)し、同盟軍に回復不可能なまでの損害を与え、内外に対するイニシアティブを握る。
この侵攻作戦の打破と同時期にフリードリヒ4世が崩御。ラインハルトはフリードリヒ4世の皇太子ルードヴィヒ大公の子で外戚・門閥貴族の後ろ盾がなかったエルウィン・ヨーゼフ(エルウィン・ヨーゼフ2世)を国務尚書クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵と共に擁立。疎外された門閥貴族は激怒し、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵とウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世侯爵を主軸として反乱を起こす(リップシュタット戦役)。
当初、数の上では不利であったラインハルト陣営であったが、優秀な将官と兵の士気の高さ、何より折からの門閥貴族による搾取への民衆の反発がラインハルトへの支持につながり連戦連勝。ブラウンシュヴァイク家の領地であったヴェスターラントにおける領民決起と、それに対する虐殺が決定打となり門閥貴族連合は瓦解。戦役はラインハルト陣営の勝利に終わる。この過程で生じたキルヒアイスとの齟齬と自身の慢心により彼を暗殺により失う悲劇に見舞われるが、逆境を跳ね返し協力関係にあったリヒテンラーデをキルヒアイス暗殺の黒幕に仕立て上げ自害に追い込むことにも成功。同盟の好敵手であったヤンいわく「(帝権の)名義が書き換えられていないだけ」と言われるほどの、皇帝を凌駕する権勢を手に入れることとなった。
帝国暦489年(宇宙暦798年)8月、皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世が貴族連合の残党であったランズベルク伯アルフレットにより救出(誘拐)され、幼帝は同盟に亡命して銀河帝国正統政府を樹立。この挑発と同盟が旧門閥貴族と組んだことを理由に同盟への懲罰を宣言すると、エルウィン・ヨーゼフ2世を廃して新皇帝にカザリン・ケートヘン1世を擁立し、12月にフェザーンの中立を侵犯してフェザーン回廊を奪取する(“神々の黄昏”作戦)。完全な奇襲となり、翌年の帝国暦490年(宇宙暦799年)に同盟領に侵攻する。しかし、同盟軍も国防委員長ウォルター・アイランズを中心に体制の立て直しが図られ、イゼルローン要塞に籠るヤン・ウェンリーに行動の自由が与えられた。ヤンは即座にイゼルローン要塞の放棄を決断し、同年2月のランテマリオ星域会戦において帝国軍本隊の侵攻方面に到着、一定の戦線が形成される事態となる。
同年4月、地の利を得て神出鬼没の機動戦を展開するヤン艦隊に業を煮やしたラインハルトは、自らを囮とする大胆な首都星ハイネセンへの侵攻作戦を決行。雌雄を決すべく、あえて罠に飛び込んだヤンとの間に激しい戦闘が生起する(バーミリオン星域会戦)。幾重にも張られた防衛戦を食い破られ、あわやの事態にまで追い込まれる。しかし、同時期に首席秘書官であったヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ(ヒルダ)の策略により、無防備であったハイネセン上空にミッターマイヤー、ロイエンタールの両艦隊が侵攻。同盟軍の首領であったヨブ・トリューニヒト議長は降伏してヤン艦隊に停戦を下令し、“神々の黄昏”作戦は不完全燃焼のまま帝国の勝利に終わった。
バーラトの和約により同盟に城下の盟を誓わせたのちの同年6月22日、銀河帝国の首都星であったオーディンに帰還したラインハルトはカザリン・ケートヘン1世の保護者ペクニッツ公爵に禅譲を迫り皇帝に即位。皇帝ラインハルトとなり国号をローエングラム朝に改める(新帝国暦の開始)。
そのわずか1カ月後の同年(新帝国暦1年)7月、同盟内の混乱と統制の失敗から、ヤンが出奔し対同盟政策の現場責任者であったヘルムート・レンネンカンプ高等弁務官が同盟内の反和約に誘拐され、のちに自殺する事件が発生。これを口実にラインハルトは和約の破棄と同盟への再侵攻を下令する(大親征)。ヤンとヤン艦隊を欠いた同盟はもはやなすすべもなく、帝国軍はマル・アデッタ星域会戦において最後の機動戦力を粉砕。同盟軍の宿将であったビュコックを戦死させる。
マル・アデッタ星域会戦後の新帝国暦2年(宇宙暦800年)2月2日、同盟の内訌によりジョアン・レベロ議長が統合作戦本部長ロックウェル大将に殺害される事件が発生。ハイネセンは無血開城された。
同年同月22日、ラインハルトは冬バラ園の勅令(宇宙暦800年2月20日の勅令)を発布。同盟の併合を宣言し、これをもって名実ともにゴールデンバウム朝銀河帝国・自由惑星同盟・フェザーン自治領の3勢力を併呑し、非ラインハルト陣営と呼べる勢力はフランチェシク・ロムスキーを首班に直前に独立を宣言し、間隙をついてイゼルローン要塞を再奪取したエル・ファシル独立政府と同革命予備軍(事実上、ヤン艦隊の後身)のみとなった。
同年4月20日、イゼルローン回廊においてヤンとの戦闘が生起(回廊の戦い)。ヤンの巧みな防御戦術に翻弄されつつも、物量と的確な指示により徐々に革命予備軍を押し込むことに成功。5月15日の戦闘により帝国軍は再び押し返されたが、この過程でヤン艦隊の重鎮で艦隊運行を一手に担っていたフィッシャーが戦死。ラインハルトは知り得なかったが、ヤン艦隊に敗戦を覚悟させる打撃を与えた。しかしラインハルトも発熱による病臥があって撤退し、同年同月18日、ラインハルトはヤンに停戦と会見を提案する。表向きはヤンへの敬意、多大な損害により戦闘以外の解決方法の模索が理由であり、夢の中でキルヒアイスにこれ以上の出血の無意味さを説かれたことも原因であった。
同年同月20日、ヤンは会見を受諾。帝国軍艦隊に向かった。だが、同年6月1日、戦争の継続によって宇宙の統一を阻むことを狙った地球教徒の手によってヤンとロムスキーは途上において暗殺される。ラインハルトは好敵手を失ったことにより意気消沈し、喪中の軍を討つことを潔しとしなかったためにイゼルローンから軍を引き戦闘は終結した。
ヤンとロムスキーの死によってエル・ファシル独立政府は瓦解。同年8月ヤンの妻であったフレデリカ・グリーンヒル・ヤンと被保護者であったユリアン・ミンツが遺志を継ぎ、イゼルローン要塞に政府樹立を宣言(イゼルローン共和政府)。しかし、この時点では政権基盤も微弱かつ未知数であり、要塞そのものが戦略的意義を失っていたこともあって大きな脅威とはならず、引き続き回廊両端の封鎖に止められた。また、この時期に首都を帝国領・同盟領双方を抑えることが出来るフェザーンに遷都。軍事のみならず政略上の基盤をも確固たるものとした。
同年8月29日、かつてラインハルトに見殺しにされたことを憎むヴェスターラント出身者による弑逆未遂事件が発生。ラインハルトは大きく動揺するも、幕僚総監職についていたヒルダとの逢瀬により落ち着きを取り戻す。責任を取る意味とラインハルト自身がヒルダの存在の大きさを自覚し翌朝求婚。ヒルダは戸惑い返答を留保した。
同年9月、旧同盟領を管轄する新領土総督ロイエンタールから行幸の請願が届く。当時流れていた不穏な風聞によりロイエンタールの謀反を危ぶむ人物たちからは反対の声も上がったが、ラインハルトはこれを一蹴し、護衛も最低限に止めて新領土に向かった。しかし、この豪胆さは裏目に出、同年10月7日に立ち寄った惑星ウルヴァシーにおいて、地球教の陰謀による大規模な弑逆未遂事件が発生(ウルヴァシー事件)。ロイエンタールは全くの濡れ衣であったが、ロイエンタール側近のグリルパルツァーが自身の栄達を図って捜査情報を隠蔽したこと、ラインハルトにみじめな逃走を強要したこと、長年に渡り仕えたルッツを戦死させたことにより、叛乱以外の選択肢を絶たれてしまう(ロイエンタール元帥叛逆事件)。
同年11月1日、フェザーンに帰還したラインハルトはミッターマイヤーにロイエンタール討伐を下令。16日、ラインハルトは反乱理由を皇帝の病身に付け込む君側の奸(ハイドリッヒ・ラングとオーベルシュタイン)の責としたロイエンタールの弁明に激怒し、正式に元帥号と新領土総督職をはく奪した。24日、ランテマリオ星域において戦闘が惹起(第二次ランテマリオ星域会戦)。かつて双璧と呼ばれたミッターマイヤーとロイエンタールが相討つ形となった。
一進一退の攻防が続いたが、最終的にイゼルローン要塞に籠るユリアンらが内戦介入を否定して帝国軍メックリンガー艦隊を通過させたため、後背地であるハイネセンの陥落を危惧したロイエンタールは撤退を決意。これを好機と見たグリルパルツァー艦隊がロイエンタールを裏切り背後から攻撃し、ロイエンタールを負傷させ指揮系統を壊滅させる。ロイエンタールは逃走先のハイネセンにおいて負傷がもとで死亡し、叛乱は終結した。
ローエングラム朝にとって新帝国暦2年は多数の将官を失う厄年で終わったが、12月になりヒルダの懐妊が判明。30日、保留していた求婚を受諾。新帝国暦3年(宇宙暦801年)の新年パーティーで公にされ、29日に正式に婚姻。初代皇后と皇帝嫡子の誕生に、帝都は一転して祝賀ムードに包まれた。
一方、帝国にとり唯一の懸念材料となっていたイゼルローン共和政府は旧同盟領の共和主義勢力に引きずられる形で活動を活発化。親征が計画されるもラインハルトの体調悪化により延期が決定され、代わりにハイネセンに派遣されたオーベルシュタインによる、政治犯を逮捕し彼らをイゼルローンに対する人質とする強圧的な代理統治が開始される(オーベルシュタインの草刈り)。
このオーベルシュタインの強権は帝国内部でも亀裂を生み、ついにビッテンフェルト上級大将がオーベルシュタインにつかみかかる事件まで発生。最終的にラインハルトはオーベルシュタインのやりようと刑務所で暴動を発生させた不手際を咎め、ナイトハルト・ミュラーを担当者にイゼルローン共和政府との外交交渉を開始したうえで政治犯を釈放する。
同年5月14日、フェザーンにおかれていた仮皇宮・柊館(シュテッヒパルム・シュロス)において、ヒルダと居合わせたアンネローゼが地球教教徒に襲撃される事件が発生。憲兵総監のウルリッヒ・ケスラーとアンネローゼの活躍により撃退された。その場で産気づいたヒルダは夜半に男児を出産(後のアレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム。通称アレク大公)。これによって皇統の存続が確保され、関係者を安堵させた。
同年同月29日、イゼルローン回廊の旧同盟側出入口でイゼルローン革命軍との対峙が生じると、ラインハルトは艦隊を率いて戦場に向かい、帝国と民主共和政体との最後の戦いの火ぶたが切って落とされた(シヴァ星域会戦)。激しい戦いが続くが、ユリアンらが考案した無人艦隊による偽装工作により攻撃正面を限定されたこと、ラインハルトの病状が深刻化(陣中で治療法のない新型の膠原病であることが判明)したことにより帝国軍の動きは鈍く精彩を欠いていた。
通信傍受によりラインハルトの病状の悪化を知ったユリアンは、ラインハルト本人に民主共和政体の利を説き、同時にそれを奉じる者たちの覚悟を示すべく座乗艦ブリュンヒルトへの突入を企図。同行した“薔薇の騎士”連隊の全滅と言う犠牲と引き換えにラインハルトの司令部へと突入。ラインハルトは膝を屈することなく口上を述べたその気概を認め、停戦を下令。ここに150年に渡った体制間の戦争は終結した。
ラインハルトはユリアンと改めて会談し、イゼルローン要塞放棄を引き換えとしたバーラト星系への自治政府樹立という提案を受け入れ、あくまで帝国内部の自治地域として民主共和政治の存続を許した。一方、帝国を立憲君主政体にすると言うユリアンの提言には後を継ぐ者と交渉すべきものとして保留に止め、自分の死後に来るべき政体については「世襲である必要はない」以上の言及は避けた。
フェザーン帰還後、ラインハルトの容態は急速に悪化。新帝国暦3年(宇宙暦801年)7月26日、ラインハルトは25歳で崩御。直ちにアレク大公が新帝として即位。ヒルダが摂政皇太后となり、ミッターマイヤーが主席元帥、他6人の上級大将がヒルダの命により元帥となり帝国を支える体制が誕生した。
以後の帝国の動静は不明であるが、ヒルダが国母と称されるようになったこと、立憲体制に移行したのではないかと言う推測がなされている。
自由惑星同盟建国以降、150年に渡る人類の社会体制の分裂を改め統一した銀河帝国である。唯一無二の皇帝(カイザー)が統治者として臣民を統治する独裁体制が敷かれている。
前王朝であるゴールデンバウム朝からの禅譲と言う形であり、ゴールデンバウム朝自体も建前上は皇帝独裁であるため、表面上は前体制を引き継いでいるように見える。実際のところ、独裁者と言う点ではゴールデンバウム朝の創始者であるルドルフと何ら変わるところはないのである。
しかし、ゴールデンバウム朝末期は自由惑星同盟・フェザーン自治領はおろか、帝国領でさえ満足に統治体制が行き届かない貴族・荘園制がとられており、実際のところは地方分権体制であったと言える。ラインハルトはまずこの間接統治体制を改め、リップシュタット戦役で貴族連合に組した貴族の領地を没収。残った貴族財産も租税の対象とされ、わずかな補償金のみで収公。三千家を有し権勢を誇った貴族制度は数年で解体され、ラインハルト陣営についた少数の開明派・穏健派の貴族を残し没落した。
一方、建国の功臣であってもルドルフのように爵位と領地を与えることはせず、皇帝による全臣民の直接統治にこだわった(裏返しとして、領地を奪われた貴族であっても爵位ははく奪していない)。このラインハルトの統治思想は徹底しており、民政であっても間接統治者たる宰相のような政府首班や民衆の代表者である議会は認めず、優秀ではあるが忠実な頭脳となる参謀や手足である現場責任者のみを置いた。ユリアンら民主共和主義者の存在を認めることはあっても、立憲体制への移行には不信感を隠すことはなかった。
中間搾取者を除いた直接統治の恩恵は特に旧帝国領の臣民には大きく、農奴は解放され上で農地を与えられ、資金を持たぬ零細農民になる彼らの保護と自立のために資金を融通する銀行まで作られた。これらはラインハルトが実権を握った前王朝末期から始められたが、数年と経たずして効果を発揮。国力は増大し、徴兵数の増加はおろかローエングラム体制を守るための士気の高い志願兵の獲得にもつながり、弱体化した同盟軍を圧倒した。
一方、被征服者となった旧フェザーン・旧同盟市民たちの感情は複雑であったようだ。特に旧同盟市民の市民的抵抗は強烈であり、新帝国暦3年の自治権獲得はイゼルローン共和政府の功によるものだが、他にも帝国による直接統治と占領政策が全く費用対効果にそぐわなかったことも一因であった。ただし、民主主義的な法治主義よりも(ラインハルト自身は徹底した法治主義者だったが)手段として人治主義的な体制の方が短期的には腐敗を取り除くことが出来るのもまた事実であり、占領後に旧同盟の腐敗政治家や役人が有無を言わさず検挙されて行く様に内心では拍手喝さいを叫ぶ者も少なからずいたと言う。ホワン・ルイはじめ同盟の良識的政治家は併呑される前から気付いていたのであるが、併呑後ほとんどの共和主義者は自分たちが奉じていた共和政体よりも独裁政権の方が軍事力はおろか政治的にも清廉であったことを見せつけられ、アイデンティティの喪失に苦しむ者が続出した。
旧フェザーンについては反感もあったが、ラインハルトの新興商人優遇策と遷都により宇宙の中心となることへの期待、社会変革と宇宙統一による商機の到来により、旧自治領主であったアドリアン・ルビンスキーによるテロを除くと抵抗は限定的であった。ヤンはフェザーン人の独立心に期待するところがあり、実際に幼なじみであったボリス・コーネフら一部の独立商人の協力を得ることに成功している。しかし、これについてはラインハルトの商業政策が上を行き、人心は新王朝に向いたようである。
行政については前王朝の弊風が一新され、典礼省の廃止、民政、工部両省の新設など効率化された官僚機構が皇帝による直接統治を支えた。血筋によらない実力主義的な人材登用が行われたこともうかがえ、ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒら野心に燃えるテクノクラートが見出されている。ただし、宴席でラインハルトを称える言葉を言った・言わないが昇進の査定評価となる、忠誠を誓わせた人間の数を誇る、果ては忠誠心の有無の密告と言った前王朝同様の「行き過ぎた個人崇拝」が既に始まっており、ヒルダらラインハルトの人となりをよく知る者たちの眉をひそませる自体も起きている。
司法についても行政と同様に公平化が進んだものとみられる。特に司法尚書ブルックドルフは旧王朝においても公平な裁判を行ったことでラインハルトに登用された人物であり、軍においても憲兵総監ウルリッヒ・ケスラーが改革を断行している。一方で、旧王朝において悪名を轟かせた社会秩序維持局は解体されたものの、ハイドリッヒ・ラング局長のまま内国安全保障局として再建され、共和主義勢力や旧門閥貴族への監視を続けた。この司法省・憲兵隊・内国安全保障局の功名・派閥争いは、ラング局長の個人的な怨恨による恣意的な権力行使もあり、ロイエンタール元帥叛逆事件の遠因ともなった。また、実質的な革命が行われたにも関わらず、旧王朝の法制度は混乱を避けるために極力維持されており、不敬罪や大逆罪は維持された(連座制などは廃された模様)。このため、ラインハルトは自身も非を認めるヴェスターラント事件の犠牲者であった暗殺犯への恩赦を行えず、逆に言えばラインハルトと言えど表向き法を破ることが出来ない先例も示すこととなった。
民政については創業による必要性(特に公共事業を司る工部省の存在)や前王朝から引き継いだ巨大な官僚機構と相まって、政府権限の大きいいわゆる「大きな政府」である。もっとも、ラインハルト自体は民力を重視しており、帝都建設に絶大な権力を振るった工部尚書シルヴァーベルヒの死後はあえて、堅実だが才能には乏しいグルックを重用。グルックの手に負えるもの・負えないものを基準として民間に委託し、いずれ工部省は縮小すると言う構想を抱いていた。また、前述の自作農優遇や新興商人優遇策も特徴的であった。これには民政尚書のカール・ブラッケの手腕が大きかったとされる。
財政については前王朝のオトフリート5世期に緊縮財政が行われ帝国の財政自体はもともと健全であったこと、貴族の財産接収と税制の公平化による歳入の増加で予算は潤沢化したようである。これもまた帝国軍の強化につながった。ただし、カール・ブラッケと財務尚書オイゲン・リヒターは心情的には体制内野党に属し、戦争に国費を浪費することには批判的だったようだ。
文化面についてはラインハルト本人はほとんど無関心であり、芸術の必要性は認めつつも干渉はせず、特定の芸術家を優遇するようなこともなかった。そのため、前王朝の新古典主義を是とする風潮であったと思われる。ただし、ラインハルト本人を題材とした芸術作品は個人崇拝であっても(と言うより個人崇拝は特に)厳しく禁じられており、特に偶像は生前は全面禁止、死後も実体以上の大きさの像を製作すること禁じる勅令を出すほどであった。このため、前王朝のルドルフ像のような華美で壮大な芸術様式は廃され、それは旧同盟領における巨大なハイネセン像にまで及んだ。また、宗教面でも北欧神話に基づく死生観は崩されることはなかった。当然ながら地球教は禁教とされ、激しい弾圧を受けて壊滅した。
領土については言うまでもなく、それまでの人類史において最大規模であり銀河連邦末期または旧王朝成立時の二倍に達している。ただし、人口は旧同盟領含めても400億程度であり、3000億を数えた銀河連邦時代とは比べ物にならないほどの閑散とした人口密度となっている。また、統一されたとは言え、銀河連邦期から続く航路を荒らす宇宙海賊は存在したようだ。リップシュタット連合軍・銀河帝国正統政府に属し、その後に帝国軍に帰参したレオポルド・シューマッハが作中世界終焉から数年後、海賊との戦闘で行方不明となった後日談も残る。
帝権の維持・存続についてはラインハルト自身「世襲である必要はない」「予の子孫であっても戦場に赴かないものにはその資格はない」と常々明言しており、仮に実行されていればゴールデンバウム朝とは最大の差違となっていたはずであった。実際はアレク大公への世襲が行われたが、多くの国民は安定政権への期待から彼の誕生を喜んでおり世襲への不満は皆無であったようだ。
政治体制と同様、皇帝に忠誠を誓う軍であり、同時に王朝の母体でもあり最大の支持基盤でもあった。旧王朝における貴族に忠誠を誓う大規模な私兵は当然ながら認められず、リップシュタット戦役で貴族連合に属した艦艇ならび軍人も接収されたものとみられる。また、人事改革自体はラインハルトが権勢を握った旧王朝末期から進められ、軍内の腐敗・不平分子は王朝成立に至る過程において粛清されて行った。新帝国成立後においては、軍管区制の導入に向けて検討が進められていたことが明らかにされている。
特徴的な新設の役職としては新領土総督があり、旧同盟領の不満分子に睨みを利かせるべくロイエンタールを初代総督として創設された。駐留軍の規模は艦艇総数35,800隻、兵員522万6400人に達し全軍の半数近くにまでおよぶ強大なものであった。しかし、ロイエンタールは最終的に政略に巻き込まれ謀反し、新帝国開闢以来で最大規模の軍事衝突へと発展。軍事偏重の是非や提督個人への権限集中、忠誠心の対象について帝国の将来に陰を落とす先例となってしまう。
旧王朝と同盟軍との間で熾烈な争奪戦が行われたイゼルローン要塞は、新王朝においても争奪戦の舞台となったが、最終的に外交手段により引き渡され、両回廊の通行権は帝国が保持することとなった。安全保障への布石は統一後も緩められることはなく、フェザーン回廊には新たな要塞(旧同盟側入り口には“影の城(シャーテンブルク)”要塞、旧帝国側には“三元帥の城(ドライ・グロスアドミラルスブルク)”要塞が建設された。
また、ラインハルト崩御に伴い、6人の上級大将は、ラインハルトの遺言にもとづくヒルダの命令により元帥に昇進し、首席元帥となったミッターマイヤーと共に「獅子の泉の七元帥」としてヒルダと新帝アレクに忠誠を誓う形となった。これはもちろん、長年の功によるものであるが、多大な軍事力を持つ提督たちへの懐柔と恒常的な新体制への編入を図ったものとみられる。
称号については不明だが、ゴールデンバウム朝からの禅譲と言う形をとったため前王朝と同様だったと思われる。実質的な全人類の統治者となった人物は、同盟の建国以来およそ271年ぶりであった。
他の縁戚としてはヒルダの父であり、アレクサンデルの祖父に当たるフランツ・フォン・マリーンドルフがいる。ただし、ラインハルトの岳父と言う地位は固辞しており、臣として仕えることを明言している。また皇后の地位については皇帝の配偶者に過ぎないのか、皇帝との共同統治者であるのかで議論になった。最終的に法的な結論は出ないまま、ラインハルト崩御後には摂政皇太后という曖昧な解決策が取られている。
掲示板
38 ななしのよっしん
2021/08/29(日) 04:12:54 ID: aLVyNcTYjw
帝国側にも民主化せざるを得ない事情がある
ラインハルト政権は帝国民衆の支持を得ることで出来たわけだから支持基盤たる民衆に権利権力を配分しないといけない。あと戦争ってのは民主化を促す効果がある。WW1とか各国は国民の戦争協力に対して参政権の拡大をもって応えたりしてる。
旧同盟領も「草刈り」による弾圧で相当ヘイトがたまっているわけで、何らかの飴を用意しないとおさまりがつかない。帝国は皇統が少ないからテロにものすごく脆弱な政権。ゆえに、旧同盟の過激化・テロ活動化を防ぐためにも民主化の飴は必要
39 ななしのよっしん
2021/10/13(水) 12:20:47 ID: k2F9XvANC1
旧帝国領も元来は領邦意識が強そうだから、民主主義的な思想は地方自治から芽生えて
行くのかな。リップシュタット戦役でもキルヒアイスは占領した貴族領は一定程度住民自治に
任せていたから短いながらも経験は積んだろうし、ラインハルトも工部省中心の大きな政府は
嫌っていて将来は民間に任せたいと思っていたみたいだから立法権はともかく行政権は徐々に
星系ごとと言う形に移行して行きそう。
40 ななしのよっしん
2021/11/07(日) 17:31:08 ID: +I8w+KdB3G
そもそもローエングラム王朝が全銀河を中央集権で支配し続けるには人的資源が圧倒的に足りてないんだよ。旧同盟領全体を担当する新領土治安維持軍だって艦艇ベースで30000隻規模でしかないし、多分文官だってそうだと思う。
そう考えると、帝国議会開設までは山あり谷ありとしても、各星系の内政自治権は帝国政府の負担軽減という理由で順次認められていきそう。またそれによってバーラト星系を政治的に特別視させないという効果も期待できるし。
神経を尖らせるとしたら、各星系への政治的権利より帝国軍以外の宇宙艦隊の出現だろうな。「自分たち以外に宇宙艦隊は存在しない」という状態こそが、絶対王者ならぬ相対強者にすぎないローエングラム王朝存続の大前提なわけだし。
銀英本伝期の戦乱は「宇宙艦隊保有権を独占する権利」の争奪戦だった、ということでもあったのかな。
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最終更新:2024/03/29(金) 00:00
最終更新:2024/03/29(金) 00:00
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