小宮山慎二(こみやま しんじ、1985年11月26日-)とは、神奈川県出身の元プロ野球選手(捕手)である。
OB | |
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小宮山慎二 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県厚木市 |
生年月日 | 1985年11月26日 |
身長 体重 |
177cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 2003年ドラフト5位 |
引退 | 2019年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
捕球から二塁までの送球が1.9秒を切る強肩を見込まれ、横浜隼人高校から2003年のドラフト5巡目で阪神タイガースに指名され入団。ドラフトの同期には鳥谷敬、筒井和也がいる。
将来の正捕手候補の一人として二軍でしばらく育成され、2007年に一軍初出場を果たす。守備面の評価はまずまずだったが、打撃は二軍でもさっぱりで、矢野燿大や狩野恵輔がいたこともあり、なかなか出番は回ってこなかった。
2010年、城島健司が全試合出場する中、後半戦には二番手捕手の座を確保し、10試合に出場。同年オフ、矢野燿大の背番号39を引き継いだ。
2011年は藤井彰人が加入したが、城島が故障したため結局二番手捕手になる。シーズン終盤にはスタメン出場の機会も増え、自己最多の38試合に出場した。
2012年は城島が捕手不能となり、さらに藤井が離脱したため、序盤からスタメンマスクを被ったが、5月に藤井が復帰すると打撃不振もあって二軍に落とされてしまった。6月に復帰すると再び藤井と正捕手を争うが、7月3日の広島戦東洋カープで1点リードの9回表2アウト2ストライクから梵英心の空振りした球を捕逸して2者生還の振り逃げを許し逆転負けするというど派手なやらかしをしてしまう(松山の悲劇参照)。しばらく打撃好調の今成亮太にスタメンの座を譲ることになったが、今成もまた守備難だったため、ほどなくまた藤井と正捕手を争うことになる。9月26日の東京ヤクルトスワローズ戦ではプロ初本塁打を放ち、最終的に72試合に出場したが、打率.148では藤井から正捕手を奪うには至らず、結局最後まで藤井との併用でシーズンを終えた。
2013年は日高剛の加入もあり、開幕一軍も出番は少なく5月に二軍落ち。清水誉との争いにも負け、わずか14試合の出場にとどまった。
2019年は8月28日に腰から椎間板を摘出する手術を受け、その後はリハビリに費やした。3年連続で一軍出場なしに終わり、オフに戦力外通告を受け、現役を引退。
元々定評のある肩が最大の魅力で、高い盗塁阻止率をマークする。しかし打撃難に加え、若手から中堅の間はチームに城島健司、藤井彰人、日高剛、鶴岡一成と次々とベテラン捕手が加入、それらがチームを去った頃には原口文仁や梅野隆太郎が台頭し、2013年以降は7年間で僅か25試合、そのうち一軍出場ゼロが4年と、一軍出場の機会自体ほとんどないまま終わってしまった。
通算:7年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 149 | 252 | 226 | 12 | 37 | 4 | 0 | 1 | 8 | 0 | 10 | 1 | 12 | 3 | 52 | 7 | .164 | .215 |
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 捕逸 |
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NPB | 捕手 | 142 | 569 | 73 | 2 | 6 | .997 | 5 |
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最終更新:2024/04/25(木) 04:00
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