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サイトウユウキ

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「持っている」ではなく、いまは背負っています

2012年3月30日、開幕戦1失点勝利ヒーローインタビューにて

斎藤佑樹(さいとう ゆうき1988年6月6日-)とは、群馬県出身の元プロ野球選手投手)である。北海道日本ハムファイターズに所属。

概要

斎藤といえば早稲田実業高校時代の2006年高校野球だろう。『ハンカチ王子』と呼ばれ、全に名をかせ、一気に『ハンカチ王子フィーバー』を巻き起こし、人気となった。その当時、トレードマークだったのがハンカチである。同じブランドハンカチが売する程度の人気だった。もちろん、彼の投球術も魅で、2006年夏の甲子園決勝では、駒大苫小牧高校田中将大(現・ニューヨーク・ヤンキース)と投げ合い、15回引き分け再試合にもつれたのち、再試合でも田中と投げ合い、早稲田実業優勝へと導いた。ドラフトでの競合が噂される中、彼は早稲田大学への進学を決意し、大学野球プレーすることになる。

大学野球では通算30勝を挙げるなど活躍をしたが、70連敗中の東大に土を付けられている(その後東大は90連敗を記録するなど、斎藤勝利して以降は勝ちがなく連敗を継続中である)。2010年東京六大学野球で、早慶戦を戦い、見事早稲田大学優勝へと導いた。大学時代は大石達也(現・埼玉西武ライオンズ)、福井優也(現・広島東洋カープ)と同級生で、この3人の投手早稲田大学鉄壁の守りだった。

2010年ドラフト会議ヤクルト日本ハムロッテソフトバンク1位名で競合する中、日本ハムが当たりクジを引き、北海道日本ハムファイターズに入団することになった。入団会見は異例の札幌ドームで、ファンの前で会見し、その後、梨田昌孝監督に対し"プロ入り第1球"を投げると言ったパフォーマンスも披露された。この時、北海道の各局では、特番を組むほど盛り上がった。背番号は『18』に決定。

日本ハム時代

2011年(1年目)

メディアから大きな注を集める中、開幕ローテ入りを果たす。プロ登板となった4月17日千葉ロッテマリーンズ戦で5回4失点(自責1)ながら勝利を挙げ、ルーキー一番乗りを果たす(この試合は北海道ローカルで中継され、北海道地区で30%近い視聴率をたたき出した)。4試合福岡ソフトバンクホークス戦でを痛め1回で降6月末まで戦線離脱。復帰後は再びローテーション入り、オールスター前で3勝2敗という成績ながら最後の一ファン投票で選出され、2試合に登板して失点に抑える。このときベンチでぼっち状態だったのが一部で話題になったexit

8月以降もローテーションを守り、9月10日東北楽天ゴールデンイーグルス戦では田中将大との投げ合いが実現(結果は8回4失点投負け)。チームが大失速した9月に4連敗したが、最終的に19試合で6勝6敗、防御率2.69と、ルーキーローテーションの5番手投手としては十分な成績を残した。WHIP1.47とランナーを出しながら結果的に抑えるなど、内容的には来期以降に不安を残す結果となった。

2012年

絶対的エースダルビッシュ有メジャーに移籍し、栗山英樹監督のもと、まさかの開幕投手名される。オープン戦でもなかなか結果が出ず、評論家解説者からのそれこそ「開幕投手には格というものがあるだろう」という批判、当の栗山監督からも何かと強プレッシャーを掛けられる。そんな中開幕戦のマウンドに上がると、埼玉西武ライオンズを相手にプロ入り初となる勝利(1失点)を挙げ、見事に結果で批判をねじせた。ヒーローインタビューでは「『持っている』ではなく、背負っています」の言葉を残した。

4月20日にはプロ完封も達成するなど、前年より順調なシーズンと思われたが、6月6日の自身の誕生日広島東洋カープ戦で2-1で勝利(この日、本人が発言した「最強の24歳になります」発言が後に話題となる)して以降調子を落とし始め、オールスターこそファン投票で選出されたが、6登板で3敗を喫し防御率も5.70に悪化したため、7月末には一軍登録を抹消された。その後は二軍戦や社会人との練習試合でも打ち込まれる場面が立ち、苦悩の日々が続いた。

10月に入って一軍に再昇格するも、復帰試合でボコボコに打ち込まれ、日本シリーズでも敗戦処理炎上するなど、このシーズンはついに復活することはなかった。シーズン全体で見ても、5勝8敗、防御率3.98をはじめ、多くの面で前年を下回る成績に終わった。

それでも侍ジャパンキューバとの壮行試合のメンバー何故か選ばれた。

2013年

右肩痛で開幕を二軍で迎える。一軍では1試合の登板に留まり、二軍でも1勝2敗、防御率7.18と打ち込まれた。

2014年

一軍では7月31日ロッテ戦で2012年以来の勝利を挙げた。二軍では防御率は4点台と善したが、1勝7敗に終わった。

2015年

12試合の登板で1勝、防御率5.76だった。

2016年

11試合に登板したが、チーム優勝争いしている中で1勝も挙げることができなかった。12月21日には有原航平と共に人命救助を行った。オフ陽岱鋼FA移籍でいた背番号1に変更した。

2017年

6試合の登板で1勝3敗に留まった。オフ早稲田実業後輩清宮幸太郎が入団し、共闘を誓った。

2018年

3試合の登板に留まった。

2019年

2019年は「オープナー」という短いイニングを投げる先発投手として試験的に起用される事となった。
オープナーは3イニングを安に降するため基本的に勝ちが付くことはないが、打線を一巡抑えて導権を握ってから後続の本来の先発投手に交代し、救援勝利させるという起用法である。
オープナーとしてはMLBオークランド・アスレチックスとのプレシーズンゲームオープン戦では良好な結果を残したが、シーズン入り後は2回3失点と大炎上。以後はリリーフとしての起用が中心となったが、にはまったのか以後はそれなりの結果を残している。

2020年

プロ入り初の一軍登板なしとなる。二軍でも防御率9.31と結果を残せなかった。
同年10月、右肘負傷の診断を受けた事を明らかにした。

2021年

二軍で結果を残せないまま過ごすが、シーズン終盤に引退を表明。
一軍で打者一人を相手に引退登板をしたのが最後の登板となった。

愛称

高校時代から大学2年の中頃までは、前述の通り「ハンカチ王子」と呼ばれていた。だが本来、マウンドにハンカチやタオルの類を持ち込むことはルール上許されていない(高校時代はハンカチに隠して乱数表などを持ち込む可性は低いとして、を瞑られていた面があった)ため、そのうちこの称はあまり使われなくなり、代わりに「ちゃん」が定着した。現在でもハンカチ王子と呼ばれることがい訳ではないが。

2ちゃんねるでの称は「カイエン青山」(「カイエン」とも呼ばれる)。あるドキュメンタリーにて斎藤本人が「カイエン乗りてぇ」「青山に土地買うってヤバいっすか?」などの言葉を残したため、VIPや芸スポニュー速嫌儲を中心に使用されている。

なんでも実況Jでは「さいてょ」が一般的である。これは2012年に、あるファイターズファンが「SAITHO」と書かれたプラカードを掲げている画像が出回ってしまったことに起因する。これをローマ字すると「さいてょ」になってしまい(正しいスペルは「SAITOH」)、この字面の間抜けた感じがウケたのか、あっという間に広まってしまった。

成績

通算投手成績

通算:8年登板完封勝利敗戦セーブホールド勝率投球回与四球奪三振失点自責点防御率WHIP
NPB 76 3 1 15 24 0 0 .385 343.2 146 197 193 165 4.32 1.61

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