はつかりとは、国鉄→JR東日本・JR北海道で運行されてていた列車名である。
東海道・山陽区間のエース特急がつばめなら東北区間のエース特急はこのはつかりであろう。はつかり運行前までの国鉄特急は昼行が東京~大阪間のつばめ・はと・京都~博多間のかもめ、夜行が東京~博多間のあさかぜ・東京~長崎間のさちかぜだけと東海道・山陽区間以外では走っていなかった。東京以北を走る初めての特急列車として、北海道連絡を主な使命として上野~青森間に設定された。上野~仙台間は15km程短い東北本線経由では無く、勾配が緩く複線化区間が長い常磐線経由とされた。10月1日の運行開始を予定していたが狩野川台風の影響で10月10日からの運行開始にずれこんだ経緯をもつ。
運転当初は東北・常磐線共に非電化区間がまだまだあったので上野~仙台間はC62・仙台~青森間はC61・盛岡~青森間はC60の蒸気機関車が牽引する客車特急で運行されていた。所要時間は上野12時20分発青森0時20分着・青森5時00分発上野17時00分着というダイヤで上野~青森間は従来の急行みちのくより1時間20分短縮のきっかり12時間で運行されていた。これにより青函連絡船の深夜便を利用して24時間以内で東京から札幌に着けるようになった。一方蒸気機関車牽引で一部区間のみ複線、客車もかもめのお下がりである旧型客車を使用するなどを設備・時速共に同時期に運行開始した東海道本線電車特急こだまに比べると同じ特急列車としては劣っていた。それから新車として日本初の気動車特急としてキハ81系が開発される事となり、完成してからは上野~青森間のスピードアップに貢献した。しかしながら日本初の気動車特急という初めての試みであり開発時間も短かった事から事故や故障を連発し、マスコミには「特急がっかり」「はつかり事故ばつかり」等と揶揄されてしまった。特に奥中山越えがネックになり、前後の御堂駅と小鳥谷駅で停車し、エンジンの点検を行うなどして安全対策をとるようになった。
努力の末に軌道に乗るとキハ81系の改造型であるキハ82系が整備され、俗にサンロクトオと呼ばれるダイヤ改正で非電化区間に投入され全国に特急が大増発された。このダイヤ改正で設定された大阪方面から来る特急白鳥と共に青函連絡船を通じて、これまたこのダイヤ改正で設定された旭川行の特急おおぞらと連絡するダイヤになり東京~札幌間の所要時間は更に短縮された。
俗にヨンサントオと呼ばれるダイヤ改正では東北本線・常磐線が全線電化され、電車特急である583系が使用された。この時点で客車・気動車・電車の全てを使用した特急列車名となるが、他にはかもめ・なはしか無い。また同時期に従来の常磐線経由ではなく沿線人口の多い東北本線経由となったが、ダイヤ改正直前に車両が配備された為にほんの3週間ほどだが常磐線を走る583系はつかりを見ることができた。ちなみに後に常磐線経由で上野~青森間を運行する特急みちのくが設定されている。
1972年3月のダイヤ改正で在来線最速の表定速度89.4km/hを達成。この記録は国鉄分割民営化まで破られることはなかった。次第に本数を増やしていき1978年のダイヤ改正で最大6往復運転されるまでになったが、同時にパターンダイヤの構築や保守間合い確保のためスピードダウンする憂き目にもあった。さらに1982年の東北新幹線盛岡開業ではつかりの運行区間は新幹線連絡特急として従来の1/4の距離である盛岡~青森間に短縮されてしまった。
青函トンネルが開業すると一部のはつかりが津軽海峡の向こうの函館発着となったが、基本的には東北新幹線八戸開業で廃止されるまで運行区間は盛岡~青森間であった。新車であるE751系が投入された速達型はスーパーはつかりと名乗っていた時期もあったが、その割にはE751系は津軽海峡線を通れなかったので盛岡~函館間の列車は一貫してはつかりであった。しかしながら青函トンネル内は140km/h運転が可能だった為、北越急行ほくほく線が開業して特急はくたかが運行開始されるまではつかりは在来線の営業速度がトップの列車名であった。
東北新幹線八戸開業で新幹線接続特急の名称は白鳥・スーパー白鳥・つがるに譲ることとなり、はつかりの名称はここで廃止されてしまう。盛岡駅からは在来線昼行特急が消え、はつかりは盛岡駅を初めて経由する特急となると同時にその最後の列車名となった。ちなみに上野~青森間のはつかりと盛岡~青森間のはつかりの運行年数は余り大差が無い。(前者1958年10月~1982年11月の24年・後者1982年11月~2002年10月の20年)
ところで東北新幹線新青森開業に伴いE5系新幹線電車が投入され従来運転されていたはやてに代わり新名称が必要となった事からJR東日本は新名称を公募する事となった。結果はつかりが得票数1位であったが、結局ははやぶさとなりはつかりの名称はお蔵入りしたままになっている。これについては、後述するはつかりの列車名の由来が北東北地方などに由来するものであり、列車名の由来と関係ない東京~仙台間運転の初電・終電が設定される見込みであったからではないかと考えられている。
1958年10月 昼行急行みちのくの格上げで上野~青森間に常磐線経由の特別急行として1往復設定される。
停車駅は上野 - 水戸 - 平 - 仙台 - 一ノ関 - 盛岡 - 尻内 - 青森
1961年10月 初期不良の洗い出しが一段落し、高速運転を開始。上野~青森間の所要時間を10時間25分に短縮。
1968年10月 東北本線全線電化が完成し、常磐線経由から東北本線経由に変更すると共に、2往復に増発。
前倒しで9月から583系電車を使用開始。停車駅は上野(2/2) - 大宮(1/2) - 宇都宮(1/2) - 郡山(1/2) - 福島(2/2) - 仙台(2/2) - 盛岡(2/2) - 尻内(1/2) - 浅虫(1/2) - 青森(2/2)
1970年8月 盆の帰省客の為に上り下り共はつかり51号という名称の臨時昼行特急が常磐線経由で運行される。
1970年12月~1971年1月 年末年始の帰省客の為に臨時昼行特急常磐はつかりが運行される。
1972年3月 1往復を東京駅始発とする。スピードアップにより表定速度89.4km/hで在来線最速列車になる。
1973年3月 485系使用の臨時列車を1往復増発し、計4往復となる。
1973年10月 臨時列車を定期化すると共に1往復増発し、計5往復となる。
1978年10月 6往復に増発されると共に自由席を設置しエル特急に指定される。運用上の理由から上野~青森間で30分ほどスピードダウンされる。
1982年6月 大宮~盛岡間に東北新幹線が開業するも、本格稼働していない為はつかりの運行状況に変化は無かった。
1982年11月 大宮~新潟間に上越新幹線が開業したため東北新幹線も本格稼働し、はつかりは盛岡~青森間の新幹線連絡エル特急として11往復設定される。
1988年3月 青函トンネル開業に伴い2往復を函館発着とした。
2000年3月 はつかりの一部を速達型のスーパーはつかりの名称で運用開始。新型のE751系が使用された。また、エル特急の指定を解除される。
2002年12月 東北新幹線八戸延伸に伴い、はつかり・スーパーはつかりの名称廃止。八戸~青森・弘前間はつがるに、八戸~函館間は白鳥・スーパー白鳥となる。
掲示板
27 ななしのよっしん
2021/05/08(土) 14:43:48 ID: 3VTS+e3VK4
>26
つってもなぁー
敢えて言うなら名前があんまり早そうに見えないのが悪いのかねー?
でもはやぶさになった理由はわかるぞ
ハヤブサって飛ぶ速度はギネスに乗るレベルで速いから新幹線につけるには丁度いいんだよ
降下速度は350km/hを超えることもあるし
28 ななしのよっしん
2021/08/15(日) 17:31:10 ID: wER7I96RUO
アイデア募って選考するコンテスト形式だから、ハナから人気不人気は関係ないんよ。
数字は単にデータとして出してるだけなんだろうさ
29 ななしのよっしん
2024/01/16(火) 23:09:11 ID: AnnM7pWiZj
札幌まで伸びた時に『はつかり』の名前使う可能性に賭ける
真打ち・エース格は最後に来るもんだ
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/18(木) 23:00
最終更新:2024/04/18(木) 23:00
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