「かなりまな板だよコレ!」
「まな板にしようぜ!」とは、テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の2014年3月16日放送分にて交わされたやり取りで飛び出た台詞である。
現在のDASHの看板ともいえる企画「DASH島」での出来事。島の基地となる舟屋の完成が近づき、TOKIOの5人は最後の仕上げに取り掛かった。残る作業の一つ、舟屋の2階の床板張りを受け持ったのはリーダー・城島であった。島の探索に出かけた皆が帰ってくる前に完成させて驚かせようと張り切った城島は、我を忘れてひたすら床板を張る作業に没頭していた。
そして……張り切りすぎた。
城島「うわー……やってもうた……」
床板を張ったは良かったものの、1階から2階へ昇る階段のための穴を作るのを計算に入れず、2階全面を床にしてしまったのである。これで舟屋の一階・二階は重箱状態になり、昇り降りができない(この時点では舟屋の外壁に設けられた作業用の足場から昇り降りしている)。痛恨のミスであった。
だがしかし、島の探索から帰ってきた松岡は、見事に床張りされた舟屋の二階と、落ち込む城島を見るなり「まずここ(完成した2階)をホメようよ!」「これ宴会できるよ!」と落ち込むリーダーを明るく励ます。
そんな松岡の健気な励ましを受けた城島、「何でそんな優しいんお前・・・」とガチ号泣し出す。城島が泣き出したのを見て仰天し「なに泣いてんだよwww」と笑っていた松岡・山口だったが、次第にその涙が松岡に、やがて山口にも伝染し、最終的には四十路のオッサン三人がカメラの前で涙ぐむという前代未聞の事態に発展したのであった。
頑張って床板を張った城島を松岡や山口は篤く労い、その後は3人で代わりに昇降口とする為の梯子用の穴開けに取り掛かった。その際に切り落とした板がきれいな一枚板であったため、いまだ浮かない顔の城島を励ますために松岡が咄嗟に放った一言が、
松岡「まな板にしようぜ!」
である。
事の経緯こそくだらなくはあるが、二十年以上の時を共にしたTOKIOメンバーたちの、確かな絆を感じさせる微笑ましいエピソードだ。
ちなみに、この城島・松岡・山口の号泣シーンはこのシーンが放送された三時間スペシャルの予告でも放送されており、本放送によって事の経緯が詳らかになるまでは「『鉄腕DASH!』、ついに放送終了か!?」「舟屋が倒壊!?」「DASH島企画終了か!?」などと、当番組の熱心なファンたちの間ではちょっとした騒ぎになっていたことも併記しておきたい。
更に、2014年6月1日に番組内再放送と共に、まな板への改良を松岡が行った。
改造内容
12月30日の総集編でもやはり一連のシーンがそのまま放送された。またこのとき「まな板にしようぜ!」がネット流行語大賞2014の10位にランクインしたことが松岡本人に伝えられた。これを受けて松岡は「やっと時代が俺についてきたね」「まな板に至っては、本能だねアレは」「まあまな板が語りかけてきたのは事実だからね」とコメント。年末の朝から大いにネットを沸かせた。
と、こんなやりとりから生まれた微笑ましいシーンなのだが、これを見たごく一部のニコ厨から下記の関連動画・静画が生み出されることとなった。
そしてそれが一部の女性に悲劇を生むこととなってしまった。72やってんだか。まあ、この発想しかないよね
「思い出まな板」は実際にDASH島で大活躍し、島で新食材が手に入るたびに使用され、数々の名・珍場面を生み出していった。まな板の使用時には衛生面を考慮して、その都度煮沸消毒していた。
まな板事件から3年後、2017年6月25日の放送では、まな板に汚れが目立ちカビが生えることが懸念されたため、松岡がまな板の鉋がけに挑戦した。しかし松岡の持ち前の適当さが悪い方に発揮され、まな板の表面をボロボロにしてしまった上、「思い出」の刻印も削り取るという大惨事を招いてしまった。このことは番組プロデューサーの島田氏をして、冗談交じりながら「(鉋がけは中学の技術科でも学ぶので)義務教育は大切」「松岡は反面教師」と言わしめている(当時の島田Pのツイート)。
幸い、その日のDASH島には「棟梁達也」こと山口もいたため、彼の手も借りて(と言うよりほとんど山口のおかげで)まな板は無事に修復された。山口はまな板修復の際、即興で鉋がけ台も作成し、相変わらずのガチ棟梁ぶりを発揮していた。新調されたまな板には、松岡の手により「松」の字を炙った「焦げ松」の刻印がされた。
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最終更新:2024/10/09(水) 13:00
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