アイザック・ニュートン(1643年1月4日 - 1727年3月31日)とは、イギリスの数学者、物理学者、天文学者である。
力学の体系を確立し、古典力学(ニュートン力学)や近代物理学の祖となった人物。現代の科学技術にも大きな影響を与えている。
ニュートンの残した特に大きな功績としてあげられるのが、「万有引力の法則」と「運動方程式」である。それにより、古典力学を確立し、天体の運動を解明した。また、それ以外にもライプニッツとは別に微積分を考え付いたり、ニュートン式反射望遠鏡を発明したりしている。
有名な万有引力の法則発見の逸話である「リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた」というのは作り話とされている。ただニュートンの生家にリンゴの木が存在したのは確かなようで、接ぎ木など様々な保存の取り組みが行われており、現在もケンブリッジ大学や東京の小石川植物園などでその木を見ることができる。
ちなみにこれは全くの作り話というわけでもなく、実は話の出処はニュートン本人である。
彼と付き合いのあった人物が回想録の中で、『ニュートンの家のリンゴの木の下でお茶してたら「重力について考えていた時もこんな感じだったな。どうしてリンゴはいつも下に落ちるのか。横とか上に行かないのはなんでだ?地球の中心に向かっていくのはつまり地球が引っ張ってるということだ(以下略)」とニュートンが語ってた』と書いており、リンゴの木を見ながら思考実験して重力のことを考えていたということらしい。
よって「ポトッと落ちるのを見てこれだと思った」は盛りすぎなのだが、ずっと重力のことを考えていた時には、リンゴの木もその視点で見ていた、ということなのだろう。
ユリウス暦における1942年のクリスマス、イングランドに生まれる。ニュートンが生まれる3ヶ月前に父親のアイザック・ニュートン(同名)が死去、母親は再婚しニュートンは親族に預けられるなど、少年時代はあまり幸せな生活を送っていたとはいえなかった。母の再婚に激怒し、「家ごと焼き殺す」などと脅したことを悔いる本人のメモも残っている。
親族の勧めでグラマースクール(文法学校)に通い、下宿先である薬剤師の家で薬学関連の本に出会ったことで勉学に興味を持ち始める。その後大学勤務の叔父に才能を見出され、1961年に19歳でケンブリッジ大学に入学。講師の雑用係として学費を免除される「給費生」という立場だったことに加え、ネクラな性格のニュートンは周りの学生たちとなかなか打ち解けられなかったようだ。
大学生活につまづきかけたニュートンだが、恩師である数学者のアイザック・バローに目をかけてもらい、優れた指導を受けて1664年には奨学生の試験に合格、翌年には学位を授与される。大学に残ろうとしたニュートンだが、その年の夏からペストの流行で大学が閉鎖されため実家に避難することになる。
実家に戻ったニュートンは持ち前の引きこもりスキルで大学での着想について思慮にふけり、運動の法則、万有引力の法則、光学、一般二項定理、微積分など、自身の業績の大部分をこの1年半ほどの休暇で着想、発見している。
ペストが一段落してからは大学で教官職を経て27歳で教授職(恩師のバローから譲られた)に就き、35年に渡る学究生活を送ることになる。講義では自身が開拓した光学を扱ったが難解過ぎてどんどん聴講者が減っていき、出席者0人というのもザラだったという。ちなみにケンブリッジ大学に飾られているニュートンの立像は手にリンゴではなくプリズムを持っている。
元来のネクラな性格と自己顕示欲の高さ、頑固さからか、この頃のニュートンはたびたび他の科学者たちといざこざを起こしている。微積分をニュートンと違うアプローチで発見したライプニッツと先取権について25年間(相手が死ぬまで)裁判で闘ったり、ロバート・フックと光の分散と干渉の解釈や万有引力の法則の先取権で対立している。
ニュートンに負けず劣らず偏屈だったフックとは特に激しく対立した。フックの死後にニュートンが王立協会(現存する最古の科学学会)の会長になった後、フック唯一の肖像画が行方不明になってしまっており、これはニュートンが政治的圧力をかけたものと推察されることがある。その一方で、晩年のニュートンは自身の肖像画を描かせることに執心していた。
教え子だった財務大臣モンタギューの誘いで研究に区切りをつけ、1696年から偽造貨幣を取り締まる造幣局監事として自ら現場で手腕を発揮した。1699年には造幣局長官となり、1727年に亡くなるまで生涯この職を務めた。また国会議員も務めている。
贋金づくりを取り締まる一方で自身は錬金術を熱心に研究しており、1979年の調査でその遺髪からは錬金術の試薬であった水銀が多量に検出されている。また、経済学者ケインズがニュートンの死から240年後(1936年)にオークションで競り落としたニュートンのノートは錬金術に関する記述がかなりの部分を占めていたという。
かつてはニュートンを崇拝する科学者たちにより業績や天才ぶりを恣意的に抽出され、科学者として語られることが多かったが、ケインズが発表した論文「人間ニュートン」では「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなく、最後の魔術師である」と評されている。当時はまだ、錬金術や神秘学などと科学(化学)が近しい存在だったため、あらゆることに興味を持ったニュートンが錬金術へ傾倒するのも自然といえるかもしれない。
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最終更新:2025/01/16(木) 21:00
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