アイドル達と昭和日本とは、鈴木貫太郎Pが制作している、iM@S架空戦記シリーズである。・・・・・・が、
3月17日更新の25話後編にて作品更新の一時休載が宣言された。
4月19日に26話前編更新し帰ってきた。おかえりなさい。
1934年1月、岡田啓介ではなく如月千早が第31代内閣総理大臣となったことで、歴史は大きく変わり始める。
※以下、ネタバレ注意
如月千早:第31代内閣総理大臣、海軍大将。通称「はらぺこ首相」。この世界では弟(千歳)は死んでおらず、その手料理が好物。世界恐慌の余波から来る不況への対策と、地方農村部の貧困対策などに優秀な閣僚やブレーンと共に熱意を持って取り組み、着実に効果を上げつつある事によって国民から高い支持率を得る。にもかかわらず、千早本人は軍人が政治を行うことを良しとせず辞任し政治を政党政治に返そうと決意するのだが、その矢先に先を見通せぬ暗愚な政党政治家がコミュニスト(ソ連)の謀略に嵌り、日本という国家が看過できない状況に追い込まれる事が明白となった為、苦渋の決断として開戦を決意する。千歳の恋人には如月家の |
萩原雪歩:内務大臣兼鉄道大臣。通称「政界の土建屋」。日本最大の建築業「萩原 |
四条貴音:外務大臣。華族(四条家)ではなく、この世界では皇族の一員(28話中編で出生の秘密とアリョーシャ(朝倉涼子)との出会いが語られる)。千早の首相就任に皇族の入閣など通常ならありえなかったが、今が危機存亡の時と入閣を決断する。千歳暗殺(未遂)事件後、黒井に日本からの脱出を呼びかけられるが、千歳との出会いで人と人とを繋ぐ「絆」の大切さを知り、その提案を拒絶する。最近は三日と明けずに千歳の作る官邸ラーメン(別名 千歳龍麺)を食べている事で有名で、総理のはらぺこが感染したとの疑惑も。 |
水瀬伊織:大蔵大臣。通称「罵倒大臣」。水瀬財閥(伯爵家)の跡取り娘。元総理の高橋是清翁との知己により経済通となる。政財界の重鎮らに歯に衣着せぬ発言は反発どころか重鎮らを下僕化している模様。また、涼宮ハルヒ女王とは幼馴染で顔合わせる度に喧嘩している(つもりだが他者には仲良くじゃれあってるようにしか見えない)。ラジオの質疑応答での歯に衣着せぬ応答は一番人気だが、子供への |
双海亜美:情報大臣。(現代の日本の内閣役職に当てはめた場合、公安調査庁長官に該当か?)通称「闇夜のとかち~」。大臣でありながら、日本が誇る第一級のエージェントでもある。実力は盗み出す事は困難と語られるソ連の軍事機密をも容易く盗み出してくる程で、彼女の諜報能力の優秀さを理解していただけるかと。 |
秋月律子:陸軍中将(16話後編より大将)、近衛師団長兼帝都防衛司令官。律太くん。“バーデン・バーデンの密約”主催の一人。第1話冒頭、如月内閣発足前の西園寺-高木会談では高木は律子を首相に推挙したかったが、陸軍内閣を嫌う西園寺翁の反対で口に出せずに終わった。(高木社長と同様の考えの人間は陸軍内にもおり、陸軍内の統制派・皇道派の和睦が無ければ彼女を担ぎ出してクーデターを起こす動きもあったとの事。)対ソ開戦時は満州方面軍兼大陸派遣軍総司令官。自他共に認める優秀な将官であり、自分も切れ者たるべしと思ってるようであるが、他者(特に小畑敏四郎)から見れば情に厚く冷酷になり切れていないと見られている(リッチャンハジョウニモロイデスヨ)。対ソ戦後に元帥に昇進、日本本土にやっと帰れるかと思ったら舞台と一緒に台湾に駐屯する事に。そんな彼女へ軍令部(ハルヒ)と首相から手紙が「半年で中国に勝てる作戦立てなさい(ハルヒ)」「考えるのがお前の仕事だ~!(千早)」・・・・・・頑張れりっちゃんw |
菊地真:陸軍少将(16話中編より中将)、騎兵第一旅団長。対ソ開戦時は騎兵第1軍司令官。出征直前、千歳に奇襲を敢行し成功する。(ガンパレード・オーケストラ緑の章、第105山岳師団の面々は真の部下の模様。) |
星井美希:陸軍大佐(16話後編より少将、20話後編から中将)、飛行第一戦隊戦隊長。対ソ開戦時は大陸派遣陸軍航空隊司令官、対ソ戦後は陸軍航空隊司令官。千歳暗殺(未遂)事件後、落胆する千早を励まし立ち直らせたのは彼女である。千歳が抱える悩みを受け止められるくらいの関係になりたいと、恋する乙女の表情をものぞかせる。29話前編で彼女も千歳の能力を知り、千歳が自分達を大切に思って抱え込もうとする悩みを一緒に分かち合いたいと |
双海真美:陸軍軍医中尉(17話前編より大尉)東郷平八郎元帥の最期を看取る。千歳暗殺(未遂)事件では陸軍病院に運ばれてきた千歳の手術を担当し、手術成功後は千歳の傍について目覚めの時を待っていた。対ソ戦開始後、彼女も満蒙へ渡る。 |
高槻やよい:陸軍少尉(14話後編より中尉)、総理護衛武官兼近衛師団小隊長。この世界では父親が海軍高官への贈賄事件「シーメンス事件」に関与したとして軍を追われた経緯を持つ。よってやよいは海軍ではなく陸軍へ進んだ。。史実で2.26事件を起こした皇道派青年将校らとは親交がある。(当初の設定では皇道派に送り込まれたスパイという設定だったと番外前編にて語られている)「東京うっう~」 |
音無小鳥:海軍中佐、総理護衛武官兼秘書官で、「高木の隠密」とも称される。千歳の秘密(未来予知能力)を知る数少ない一人(だったが29話で明かされた為、数少ない千歳アドバンテージを失う事に)。 |
天海春香:海軍大佐(16話後編より少将)、横須賀海軍航空隊司令、対ソ開戦時は大陸派遣海軍航空隊司令官。満州帝国皇帝溥儀(康徳帝)の即位式でどんがらがっしゃ~んを披露(?)する。対ソ戦開始後はソ連極東軍を食いに食いまくり、一説では筆ヒゲがソ連人民最大の敵とドイツの某閣下より先に賞金首指定したという噂も。20話前編にて今後の海陸共同作戦の円滑な遂行(ぶっちゃけ陸軍に言う事聞かせる)為に三段階昇進で元帥に昇進する。 |
三浦あずさ:海軍大佐、戦艦『陸奥』艦長。第一艦隊司令官。A級ジャンパー。乗艦ごと移動していた魂の安らぎの場所(バイストン・ウェル)にて、地上から落下してきた千歳の魂を陸奥の主砲で地上に送り返すという奇跡の大殊勲を行った(ガンパレードマーチ、5121小隊の面々は陸奥乗組員となっている)。 |
我那覇響:統合軍少将(15話前編より中将)、海上機動旅団(海兵隊)長。(ガンパレード・オーケストラ青の章、海兵109師団の面々は響の部下)。巨大な戦闘犬「戦斗バーナード犬」を飼育。真の騎兵部隊に唯一着いて往ける機動力ある部隊という事で、本来不向きな戦場である砂漠と草原の地に赴く。23話後編にてソ連軍スナイパー、ヴァシリ・ザイツェフの狙撃を受けたが、真が貰ったのと同じバキュラペンダントと天然の86センチ胸部装甲によって(真は胸部装甲が響より13センチほど薄かった為ひびが入り2週間の入院だったのに対し)無傷だった。 |
日高愛:日高 舞中将の娘。統合軍士官学校海軍科学生。卒業後(卒業席次は・・・・・・聞くなw(23話中編でブービーだった事が判明w))海軍少尉として海軍航空隊に配属。初陣にて10機撃墜と、オーガの娘は戦場で開花し華々しいデビューを飾る。 |
水谷絵理:統合軍士官学校情報科学生。次席で卒業し統合軍少尉としてチームELLIEを発足、技術研究に邁進する。研究チームの科学者たちからは(娘や孫のように)可愛がられている模様。 |
日高舞:日高 愛海軍少尉の母親。対イタリア、エチオピア援軍(およびトルコ・イスタンブールにボゾンジャンプした戦艦陸奥(三浦あずさ)回収)の「遣土艦隊」として戦艦金剛を旗艦として地中海へ出航す。ケマル・アタチュルクトルコ大統領に国民の為にも節酒をと進言する。対ソ開戦時は空母赤城を旗艦とする第1機動艦隊司令官。開戦2日前に最後通牒手渡したにも拘らず、敵基地への奇襲攻撃が成功してしまった事に大いに憤慨する。 |
昭和天皇からドゥーチェまで、多数の史実人物が登場する。
史実人物についてもっと深く詳しく知りたいという方はWikipediaなどを検索してください。
今上(昭和)天皇:普段は感情を表に出さぬ温和な方で、圧縮言語「あっそう」(この四文字の中にはその場その時に応じ色々な意味が含まれる)を用いて語りかけるが、本気で怒ってる時は長文を語り感情を露わにする。
林 銑十郎:陸軍大臣・陸軍大将、史実では33代総理大臣、外務、文部大臣なども歴任したが首相時代、特に何もしなかった事から「何にもせんじゅうろう」と揶揄された。暴走する軍部とハルヒの挟撃にストレスがたまり胃薬が欠かせず、痔にも悩まされる。開戦直後は普段と変らず飄々とした好々爺の姿を見せながら、一方で万一の事(日本敗北)があった場合は海軍によって天皇を脱出させる考えを一人誰にも明かさず心に秘めていた模様。対ソ戦後半には占領獲得した領土を次々独立させる如月内閣の政策に不満を持つ陸軍OBや在郷軍人会などに対しての火消し役として奔走している。当分、胃痛も痔も治す時間も無さそうです。 |
真崎甚三郎:陸軍大将、教育総監。皇道派の中心人物。史実では2.26事件の黒幕とも(真偽不明)。この世界では在郷軍人会や国粋主義者を煽動していた事が発覚、ハルヒの皇軍大粛清より失脚。 |
小畑敏四郎:陸軍少将(6話時点、史実最終階級、16話後編より中将)、「バーデン・バーデンの密約」の一人。敏四郎えもん。史実では皇道派の中心人物と目され、2.26事件後に青年将校の決起を止められなかった責任を取り予備役に編入される。この世界では統合軍士官学校校長。皇道派代表の一人として山下奉文、鈴木率道と共に三派会談に列席。対ソ開戦時は第1軍司令官兼大陸派遣軍総参謀長(ガンパレード・オーケストラ白の章、第108警護師団の面々は彼の配下の模様)で、総司令官の“律太くん”律子とは息の合ったコンビぶりを見せる。 |
山下奉文:陸軍中将(最終階級は大将)皇道派の幹部で、史実では2・26事件後に統制派に睨まれ中央から左遷される。太平洋戦争開戦時は第25軍司令官としてマレー作戦を指揮し「マレーの虎」と呼ばれ、シンガポールの戦いの英軍降伏交渉で「イエスかノーか」と迫った事は有名。マッカーサーの恨みを買い大将でありながらB級戦犯としてマニラで絞首刑となる(享年60歳)。この世界では皇道派代表の一人として小畑敏四郎、鈴木率道と共に三派会談に列席する。対ソ開戦時第2軍司令官。 |
鈴木率道(よりみち):陸軍少将(最終階級陸軍中将)。史実では欧米各国の航空隊の発展をつぶさにし、帰国後、陸軍航空隊の発展に尽力した航空隊育ての親であるが、東條英機に疎まれ、1943年5月に第2航空軍司令官を解職され、同年8月に没した。享年44歳。この世界では皇道派代表の一人として小畑敏四郎、山下奉文と共に三派会談に列席する。対ソ開戦時は陸軍第1航空隊司令官。 |
永田鉄山:陸軍中将(当初少将で登場だったが27話後編の台詞で中将昇進確認)陸軍省軍務局長。統制派の中心人物。陸軍の英才と謳われ、「バーデン・バーデンの密約」の一人。史実では真崎教育総監更迭を巡り皇道派と対立し、永田の陰謀と信じた相沢三郎中佐に斬殺される(享年51歳)。この世界では統制派代表の一人としてHI☆DE☆KI、岡村寧次と共に三派会談に列席する。ハルヒの行った陸軍大粛清によって暗殺される事は無くなったがトロピコ行きとなる。対ソ開戦決定に伴い帰国し、動員課長を兼務する事に。 |
東條英機:HI☆DE☆KI(最終階級は陸軍大将)史実では義兄と呼ぶ永田鉄山の死後、統制派の第一人者となり、のち40代総理大臣となるが日本の敗戦後、東京裁判にて「A級戦犯」として起訴され絞首刑の判決を下され執行される(享年65歳)。この世界では統制派代表の一人として永田鉄山、岡村寧次と共に三派会談に列席する。上記永田鉄山と同様トロピコ送りとなる。鉄山の帰国後もトロピコに居残りであったが、帰国後はモンゴル遠征軍の補給の手筈を整える等、官僚型軍人として活躍。 |
岡村寧次(やすじ):陸軍中将(最終階級陸軍大将)。陸軍三羽烏の一人で「バーデン・バーデンの密約」の一人でもあり、支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任する。戦後は蒋介石の要請による国民党政府軍を秘密裏に支援した旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団「白団」に参加する。この世界では統制派代表の一人として永田鉄山、HI☆DE☆KIと共に三派会談に列席する。対ソ開戦時騎兵第2軍司令官。 |
瀬島龍三:陸軍中尉(10話時点、最終階級中佐)律子の部下。史実では陸軍士官学校第44期次席、陸軍大学校第51期首席。大本営参謀で、戦後はシベリアへ11年間抑留され帰国後は自衛隊への誘いもあったが伊藤忠商事へ入社、1978年には会長に就任した。義父の兄は史実の31代首相である岡田啓介(海軍大将)で、さらに義父は岡田政権で内閣総理大臣筆頭秘書官を務め、2.26事件で身代わり死した松尾伝蔵(陸軍大佐)である。 |
相沢三郎:陸軍中佐。史実では永田鉄山軍務局長斬殺の「相沢事件」を起こすのだが、この世界では千歳を斬殺事件の第一発見者となり、朝倉涼子との会話で知る今後起りうる世の中の事実と、如月千歳との出会いが大きく彼の未来を変える事となった。のち律子の計らいよって第1師団に転属となり、千歳の護衛の任につく。剣の腕前は朝倉さんと互角にやりあうほど。回復アイテム「はらこめし」と秘剣「鉄山切り」を持つ。 |
牟田口廉也:陸軍大佐(史実最終階級は中将)。富永恭次・木村兵太郎と並ぶ日本陸軍屈指の無能将官。余りにもの無能っぷりに史実ではA級戦犯とはなったが不起訴処分となり、ニコマスなど架空戦記ではネタキャラとして扱われるのがデフォとなっている。この世界では貴音らの不興を買い、エチオピアに左遷された(エチオピアに春の香りを 参照)が、そのエチオピアにイタリア軍が侵攻してきた際、日本政府・軍の意向を聞かず独断でエチオピア兵を率い迎撃・交戦し、あやうく日伊開戦となりかけた。その後日本へ帰国し、盧溝橋事件のフラグが立ちかけたがヘミングウェイとエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝によってキリマンジャロ山頂に連れて行かれ凍死一歩手前となるが麓タンガニーカ(タンザニア)の地元民に救助される。本人は帰国したがっているが地元民の懇願と呪術師の帰国すると日本が不幸になるとのお告げにより帰国できずにいる。地元民GJ!(サラザールのエスタド・ノヴォ 参照) |
辻 政信:陸軍大佐、のち政治家。「作戦の神様」と謳われる一方で、多くの失策や無謀な作戦計画などで批判されることが多い。戦後衆議院議員(4期)参院議員(1期)となり参院議員在職中の1961年、ラオスへの視察として渡航後行方不明となり、1968年家族の申請により裁判所より死亡宣告がなされた。この世界ではイタリアのエチオピア侵攻に対し中国人貿易商に扮しエチオピアに武器を供与(表向きはコーヒーとの交換貿易)する。対ソ戦開始後は中国人商人、辻大人(つじたーれん)に変装し新彊(ウイグル)の勢力と軍事物資の密貿易や諜報活動中の模様。「石原莞爾だって戦場(満州事変)で勝って出世したんだ、俺だって!」「やめろ、辻ーん!」 |
前田利為(としなり):陸軍少将(最終階級は大将)。旧加賀藩主前田本家第16代目当主(侯爵)。この世界では開戦当初樺太に駐屯。史実ではこの頃は第8師団長(ちなみにフィリピン・ルパング島に戦後30年潜伏した小野田寛郎少尉はこの第8師団参謀部所属だった。)で一旦予備役編入後、昭和17年4月にボルネオ守備軍司令官となり、9月に消息を絶ち後に残骸と遺体が発見され、死後大将に叙せられる(享年57歳)。 |
加藤建夫:14話前編で初登場。陸軍中佐(最終階級は少将)。陸軍航空隊戦隊長で美希の部下。史実においては帝国陸軍の飛行戦隊、飛行第64戦隊、通称“加藤隼戦闘隊”戦隊長として有名なエースパイロットの1人。1942年5月22日、敵機交戦中に被弾し帰還困難となり海面に自爆戦死し死後二階級特進して少将となり、軍神として讃えられた。 |
武藤章:陸軍大佐(最終階級中将)。この世界では山下中将率いる第2軍参謀長。史実でも山下奉文とは思想が異なるが仲が良かったという。統制派の一員で対中強硬派ではあったが対英米戦争には反対し、東条英機と対立して左遷されたにもかかわらず対英米戦は武藤が強権により強行したと田中隆吉陸軍少将が東京裁判で証言した為、中将で唯一絞首刑判決を受けた。 |
本間雅晴:陸軍中将。史実ではフィリピン攻略時の第14軍司令だったが攻略後の捕虜の輸送計画の不備により多大な犠牲者を出す事となる(パターン死の行進)。この時の不手際をとがめられ予備役に編入され、終戦まで第一線には復帰しなかった。戦後、マニラ戦犯裁判でバターン死の行進の責任者として召喚、死刑判決が下り1946年(昭和21年)4月3日午前0時53分、ちょうど4年前に第14軍司令官であった本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された(マッカーサーの復讐という説あり)。この世界では戦車第1軍司令官として涼、夢子の上官として登場、初めて戦場に赴く二人の不安を和らげようとする配慮を見せる。 |
渡辺錠太郎:明治~昭和初期の陸軍軍人、陸軍大将。“あの”元老山縣有朋の副官を務めていた。教養人であり天皇機関説を正しく理解していたといわれる人物であったが、真崎甚三郎教育総監の後任として教育総監に任命された事が近視眼・短絡的思考しか出来ない青年将校には真崎追い落としに加担したと映り憎悪の対象となって、2.26事件で決起兵の機関銃の餌食と化し死亡する(満61歳)。 |
松井石根(いわね):陸軍大将。蒙古方面軍司令官。史実では中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、ハルピン特務機関長などを務め、戦後所謂「南京大虐殺」の責任を取らされ東京裁判でB・C級戦犯として処刑された。満70歳没。 |
篠原弘道:陸軍曹長(最終階級は陸軍少尉)。総撃墜数58機を誇る帝国陸軍のトップ・エースの一人で通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」と呼ばれ、1日で11機の敵機を撃墜した記録を持ち、この記録を上回るのはドイツ空軍のエーリヒ・ハルトマン(1日に12機を撃墜)だけである。しかし武運は長くは続かず、初陣からわずか4ヵ月後の1939年8月27日、爆撃機護衛の際に交戦となり敵機3機を撃墜したがI-16戦闘機に撃墜され戦死し、功績によって准尉から少尉に特進した(享年26歳)。この世界では加藤建夫と同様に美樹の部下で、史実と違い自己の撃墜数の上を行く美希を越すべく奮闘する。 |
板垣征四郎:陸軍大将。関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を決行。史実では満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣、朝鮮軍司令官などを務め、戦後東京裁判にて死刑判決を受け絞首刑に(満63歳)。この世界では当初ハルヒの皇軍大粛清の処分対象として満蒙送り(それって彼にとって処分と言えるのか?)となっていたが開戦後に新設された騎兵第3軍の司令官に任命される。 |
石原莞爾:陸軍少将(史実最終階級陸軍中将)。「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、のちに東條英機との対立から予備役に追いやられ、この東條との対立と病気のため戦犯指定を免れ、戦後は政治活動などをする事は無く山形・庄内の農場で静かに余生を送り、昭和24年の8月15日に60歳で死去している。この世界では当初ハルヒの皇軍大粛清の処分対象として満蒙送り(板垣と同様にそれは彼にとって処分と言えるのか?)となっていたが、開戦後に新設された騎兵第3軍の参謀長に任命される。真の参謀である芝村英吏にして危険人物と言わせる人物(お前が言うな)である。 ・余録:世界的音楽指揮者の小澤征爾(1935年9月1日生)の征爾の名は、父親が親交のあった板垣征四郎と石原莞爾の一字づつから貰って命名されたもの。山形県選出の衆院議員(自民党元幹事長)加藤紘一は、彼の従兄・加藤清三(元衆院議員)の子である。) |
田中隆吉:陸軍中佐(史実最終階級陸軍少将)。史実では太平洋戦争開戦時の陸軍省兵務局長、陸軍中野学校長など務める。第一次上海事変(1932年)・綏遠事件(1936年)において主導的役割を果たし、日本軍の数々の謀略に直接関与してた日本軍の闇の部分に通じた人物といえ、上海公使館附武官として上海に赴任していた1930年に“男装の麗人”川島芳子をスパイの道に引き込んだ張本人である。また戦後には太平洋戦争開戦時の陸軍省兵務局長という要職にありながら、極東国際軍事裁判(東京裁判)において戦犯としての訴追を免れ、検事側の証人として被告に不利な証言したといわれ、武藤章が東京裁判で唯一中将として絞首刑判決を受けたのは田中の証言による所が大きいといわれている。(ただこれは国体維持の為、被害者を最小限に抑える為の全てが計算された謀略であったとも。)この世界では情報省に出向中で亜美の部下となっている。(独りにすると碌な事しないので亜美の手元に置いているのか?) |
樋口季一郎:陸軍少将(史実最終階級陸軍中将)。史実では第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任。相沢三郎が永田鉄山を斬殺した“相沢事件”当時の相沢の直接の上司でもあった。ハルピン特務機関長時代の1937年12月26日に第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を間接的ながら激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びたという。また、ナチスの迫害の為に欧州から逃れてきたユダヤ人に対して食料・燃料の援助や、亡命希望国への出国、満州国への移民、上海租界への移動の斡旋などを行っていたという。これは過去に樋口が欧州にてユダヤ人に暖かくむかえてくれた実体験が根底にあったためという(一方で“東洋のシンドラー”杉原千畝とは対照的にユダヤ人救済に尽力したにも関わらず、日本で名が知られていないのは難民救済を実質的に指揮したのは、後にA級戦犯とされる当時関東軍の参謀長だった東條英機と同じ時期に南満州鉄道の総裁だった松岡洋右も難民救済に一役買っていた事から、真に人道面からなのか単なる政策の一環からかの評価が定まっていない為との事)。戦後イスラエル建国功労者として安江仙弘大佐(作品未登場)と共に本来ユダヤ人しか登録されないはずのゴールデンブック(黄金の碑)に登録されることとなる。この世界では中央アジアにてソ連軍崩壊後に編成された騎兵第四軍の司令官に任命される。 |
山田乙三:(史実最終階級は陸軍大将)。史実では第3軍司令官や中支那派遣軍司令官、教育総監兼軍事参議官などを務め、1944年(昭和19年)7月最後の関東軍総司令官として赴任、終戦後ソ連軍に降伏し参謀らと共にソ連に抑留され、10年以上経って日本へ帰国した。 この世界では第3軍司令官。この世界では第3軍参謀長としてジューコフ率いる戦車隊と対峙する。 |
牛島 満:(史実最終階級は陸軍大将)。大戦末期、沖縄・首里に司令部を置く第32軍の司令官として赴任しアメリカ軍との沖縄戦を戦う事となるが衆寡如何せん南部の摩文仁へ撤退し、抵抗を続けるものの6月23日未明、参謀長の長勇と共に自決する(満57歳没)この世界では第三軍参謀長としてジューコフ率いる戦車隊と対峙する。 |
各師団の師団長はどうやら戦国と幕末の世から駆けつけてきた模様である。
第1師団長:北条氏康
第2師団長:伊達政宗
第3師団長:織田信長
第6師団長:深水長智
第11師団長:長宗我部元親
第17師団長:尼子経久、参謀長:宇喜多直家
第22師団長:松平容保、参謀長:最上義光 ※なお、第22師団の兵は白虎隊である。
・・・・・・今後誰が登場するか楽しみである。
東郷平八郎:元帥海軍大将。日清・日露戦争の勝利に大きく貢献し、日露戦争においてはロシアのバルチック艦隊を撃ち破る大殊勲を挙げ、その名を世界に知らしめ、世界三大提督と称されるようになる。晩年は末次長官、加藤軍令部総長など艦隊派に利用され、ロンドン海軍軍縮会議に際して反対の立場を取り、また明治以来の懸案であった、兵科と機関科の処遇格差の是正にも反対するなど、現代においては老害と批判する者も多し。史実では昭和9年(1934年)5月30日に86歳で死去、その前日に侯爵位を授かる。この世界では軍神は死後、守護神となって如月内閣を、日本を見守っている。 |
伏見宮博恭(ひろやす)王:海軍大臣・元帥海軍大将(史実は軍令部総長も歴任する。)日露戦争の従軍を始め艦長や艦隊指令などを努めた実戦経験豊富な皇族である。自ら率先して最前線に立ち、常に部下将兵を鼓舞し苦楽を共にするのを厭わない姿勢や難所の航海でも難なく操る実力は尊敬されていたという。また、皇族の一員でありながら海軍での生活習慣が身に付いていた博恭王は、下着の洗濯などは自ら行う事もあったといい、艦内では握り飯と漬物という簡易な食事を好んで食し、海軍省食堂での昼食の好物は天ぷらうどんだったとの事。 |
末次信正:21代連合艦隊司令長官。最終階級海軍大将。ツンデレでオラ極右(ごくう)。ロンドン軍縮会議に関しては強硬な反対派であった。人望はあったが過激な性格が災いし、後には天皇陛下とも対立する。この世界においては、女性が戦艦の艦長なっているなど軍に女性がいる事に強く不満を持っていたが、戦艦陸奥艦長三浦あずさが物怖じせず自分に意見を述べた事で |
豊田副武(そえむ):最終階級海軍大将。史実では後に29・30代連合艦隊司令長官となるがその頃の帝国海軍は見る影も無い状態で、小沢治三郎中将に連合艦隊司令長官の職を引き継がせた後は、最後の軍令部総長として戦後処理に当たる。この世界では連合艦隊参謀長。ツンデレ末次長官の副官として胃の休まる日がない苦労人の模様。 |
加藤寛治:この世界での軍令部総長 元帥海軍大将(史実は海軍大将)。実は第1話OPにも登場しているが、次の登場が17話対ソ戦開始OPで、(Hoi2のゲーム上では軍令部という組織は必要無い組織の為)初台詞が25話中編という不運の人。史実では伏見宮博恭王、末次信正らとともに艦隊派の中心人物の一人。鈴木貫太郎大将が侍従長に転出した事で軍令部総長となる。ロンドン海軍軍縮条約批准時には強硬に反対し、統帥権干犯問題に発展、史実では1930年6月条約批准後帷幄上奏(昭和天皇に直接辞表提出)し軍令部長を辞任した。 |
山本五十六:史実では26・27代(太平洋戦争開戦時の)連合艦隊司令長官。海軍大将(25話時点では中将)。世界的に名を知られる帝国海軍軍人の1人。旧姓・高野五十六で、越後長岡藩家老山本家(武田信玄の配下、山本勘助を祖とする。)の養子となる。航空機に早期から着目し海軍航空隊育成に尽力した。真珠湾攻撃の計画は山本の発案といわれる。後、前線視察に訪れていたブーゲンビル島にて米軍機の待ち伏せに遭い戦死し、死後元帥に追贈される。この世界では艦隊派から条約派に転向した事を千早が嫌い、顔も見たくないと語られるほどであったが千歳の仲介により和解し、後に海軍省次官に就任した模様。 |
木村昌福(まさとみ):最終階級海軍中将。あだ名は名前を音読みにした「ショーフク」。中央勤務の経験無しで中将まで昇進した叩き上げの帝国海軍軍人名将の1人。敵味方を問わず常に人命を疎かにせず、慎重且つ的確な指揮統率で知られ、キスカ島守備隊を味方の犠牲を1人も出さず行った事は有名。 |
小沢治三郎:海軍大佐(6話時点、最終階級は中将)統合軍海軍科教官。史実では最後の連合艦隊司令長官。水雷戦の延長上の発想から、空母の集中運用という「空母機動艦隊」を提案し空母機動艦隊生みの親と称される(が、艦隊指揮は年功人事で南雲中将が指揮する事となる)。 |
大西瀧治郎:海軍大佐(史実最終階級は中将)。日高 舞中将貴下の第一機動艦隊参謀長。末次長官の副官、豊田参謀長と同様に苦労人の模様。史実では議論の余地あれど“特攻生みの親”として知られる。 |
高橋三吉:海軍大将。この世界では第一護衛艦隊司令官。史実ではこの時期の連合艦隊司令長官(22代)を務めている人物で、皇族で軍令部総長となっていた伏見宮博恭王とともに軍令部の権限強化を図ろうとしていた。連合艦隊司令長官に着任した頃、「大和」「武蔵」の建造が始まった際には、戦艦建造の必要性があるかどうか再考を促すコメントを残している。 |
井上成美:海軍少将(史実最終階級は海軍大将) 。この世界では第一護衛艦隊参謀長。史実では横須賀鎮守府参謀長、海軍省軍務局長、海軍次官などを務めた。横須賀鎮守府参謀長時代、2.26事件発生前から青年将校グループを反乱軍と予測・断定し、海軍陸戦隊を東京に派遣し海軍省の警備につかせるなどの対応を取っていた。軍務局長として米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官とともに日独伊三国軍事同盟条約締結に強行に反対し新聞記者からは「海軍左派3羽烏」と称された。剛直、清廉潔白、曲がったことが大嫌いという人柄であったが一方で敵も多かったといわれる。 |
黒島亀人:海軍中佐(史実最終階級海軍少将)、史実では太平洋戦争期の連合艦隊先任(主席)参謀。山本五十六の懐刀として真珠湾攻撃を立案、また特攻を発案し、軍令部第一部部長・中澤 佑少将、源田 実大佐らと共に実行に移し多くの若者の生命を散らせた張本人ともいえる。敗戦後はデスクワーカーとなっていた事で戦争犯罪を問われず、自決するわけでもなくその後天寿を全うした。享年72。この世界では情報省に出向中で亜美の部下となっている。(田中隆吉と同様、独りにすると碌な事しないので亜美の手元に置いているのか?) |
岩本徹三:日本海軍戦闘機搭乗員(最終階級 海軍中尉)。史実では太平洋戦争時の日米パイロットの中で唯一撃墜数200機超えを主張するエース・パイロットであり、日中戦争から太平洋戦争終戦まで最前線で戦い続け、『最強の零戦パイロット』と謳われた名操縦士である。この武士道的言葉を、彼は常々自身に言い聞かせていたと言われる。「媚(こ)びず、諂(へつら)わず、とらわれず。」この世界では愛と同じ海軍航空隊部隊のパイロットで階級的に愛の部下と思われるが実質愛ちゃんのお守り? |
西澤廣義:日本海軍戦闘機搭乗員(最終階級 海軍中尉)。史実ではラバウルでの活躍から『ラバウルの魔王』と呼ばれたが、乗機をフィリピン・セブ基地の特別攻撃隊に引渡し、新しい飛行機受領のためマバラカット基地(のちのクラーク空軍基地)へ零式輸送機に便乗して移動の途中、輸送機がミンドロ島北端上空に達したところでグラマンF6Fに攻撃を受けて撃墜され、戦死した。24歳。この世界では愛と同じ海軍航空隊部隊のパイロットで階級的に愛の部下と思われるが実質愛ちゃんのお守り? |
畑俊六:空軍大臣(注・当時の日本にはこの役職はありません。当時の役職は陸軍航空本部長。)陸軍中将(史実最終階級は元帥)。史実では作戦関係の要職を歴任し昭和12(1937年)に陸軍大将に昇任し、軍事参議官・陸軍教育総監を兼任し、同年、林銑十郎らと共に首班指名候補に推される。天皇の信任が厚く陸軍大臣に就任するが、軍部の暴走を止める事は出来なかった。陸相留任した米内内閣で天皇から内閣への協力を言明されていたにもかかわらず単独辞任しこれが元で内閣瓦解する事になり、戦後この事でA級戦犯として起訴される事となる。国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れ、罹災者援護の陣頭指揮を執り終戦を迎える。A級戦犯として起訴されたが東京裁判では米内光政(元首相・海軍大将)は彼をかばい、結果、死刑を免れ終身禁固の判決を受けた。 |
米内光政:海軍大将。この世界では護衛艦隊司令長官。史実では連合艦隊司令長官(23代)兼第一艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣(第37代)などを務めた。山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長ととも日独伊三国軍事同盟に反対し続ける。昭和天皇に強く押されて37代総理大臣となったが陸軍とうまくいかず短命政権となる。昭和天皇も「米内内閣だけは続けさせたかった。あの内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と語ったという。戦後GHQ(マッカーサー)は日本の占領統治をやり易くする為、天皇の戦争責任を問わない方針に決め、天皇が何ら罪のないことを日本側が立証させる代償として東条に全責任を負わせるようにするという密約を米内と交わしたとも。 |
安藤利吉:陸軍中将。対ソ開戦時第4軍司令官。(史実最終階級は陸軍大将。)史実では1940年(昭和15年)2月10日南支那方面軍司令官に着任。同年6月に北部仏領インドシナへの進駐(仏印進駐)を指揮するが、富永“敵前逃亡”恭次が独断で武力進駐したため責任を負い予備役に。のち再召集され台湾軍指令兼台湾総督も務めた。中華民国政府に拘束され、上海に抑留されたが1946年(昭和21年)に服毒自決した(毒殺という説もあり)。満62歳没 |
柳川平助:陸軍中将。対ソ開戦時第5軍司令官。史実では荒木貞夫陸軍大臣の下で陸軍次官を務め皇道派の重鎮の一人で第一師団長となるが台湾軍司令に左遷、2.26事件後に予備役に。第2次近衛内閣で司法大臣、第3次近衛内閣では国務大臣を務めた。1945年病死。 |
梅津美治郎:陸軍中将。対ソ開戦時第6軍司令官。(史実最終階級陸軍大将。)通称「無言の将軍」。史実ではノモンハン事件後に関東軍総司令官に就任し、再三にわたり中央の統制を破って大事件を起こした関東軍参謀の粛正の任を果たした。終戦直前、阿南惟幾陸軍大臣から知らされた一部将校たちによる本土決戦を求めるクーデター計画に絶対反対を唱え、計画を中止させた。太平洋戦争の降伏文書調印式全権を依頼され大本営全権として降伏文書調印式に出席。東京裁判では終身禁固刑となり服役中に直腸癌により病没した。満67歳没。 |
橋本欣五郎:陸軍中佐(史実最終階級陸軍大佐)。史実ではケマル・アタテュルクの革命思想に接したことで趣味が「革命」となる。2.26事件では自ら昭和天皇と決起部隊の仲介工作を行い、決起部隊側に有利な様に事態を収拾しようと、陸軍大臣官邸に乗り込んだが、天皇が決起部隊を「暴徒」と呼び、鎮圧するように命じたため、橋本にも責任問題が及び、予備役へ回される事となる。東京裁判ではA級戦犯として終身刑となるがのち仮出所する。 |
長勇(ちょう いさむ):陸軍少佐(史実最終階級陸軍中将)。史実では1930年(昭和5年)に橋本欣五郎らと桜会を結成。同年12月、参謀本部員に異動。1931年(昭和6年)の三月事件・十月事件を計画。橋本らと同様に処分を受けるが軽い処分で済んでいる。1937年(昭和12年)12月、情報主任参謀として、南京攻略戦に参加。捕らえた中国兵捕虜を「ヤッチマエ」と処刑するように命じ、それを知った松井石根中支派遣軍司令官に窘められている。沖縄戦にて米軍に追い詰められ割腹自殺(実は青酸カリによる服毒自殺)した模様。満50歳没。 |
宮崎繁三郎:陸軍中佐。(史実最終階級陸軍中将。)ノモンハン事件、インパール作戦など、日本軍が劣勢の戦場で常に戦功を挙げた事は知られており、日本陸軍屈指の野戦指揮官、名将として名高い。負傷兵を戦場に残さないという信念の下、自らも負傷兵の担架を担ぎ食料が欲しいと言われれば自らの食料を与えて兵たちを直接励まし、他隊の戦死者や負傷兵を見つけると、遺体は埋葬し負傷兵を収容させ、日本軍の白骨死体で埋め尽くされた地獄の白骨街道を撤退し続けたという。 |
松永貞市:海軍少将(最終階級は海軍中将)。“戦国のボンバーマン”松永久秀を祖先とする。木村昌福と海軍兵学校同期。太平洋戦争初期、マレー沖海戦で英東洋艦隊を壊滅させた航空隊指揮官として名高い。「敵インフラを破壊した後に飲む茶はまた格別・・・・・・」 |
西園寺公望:公爵。(最後の)元老。立憲政友会第2代総裁。第12・14代内閣総理大臣。政治家としては衆議院での多数派政党が内閣を組織する憲政の常道を慣例にする事を望んだ。大正13年に元老松方正義が死去後に元老として列せられ、内閣総理大臣奏薦の任に当たる事となる。この世界では次期首相奏薦について、艦隊派だった千早に危惧し千早への大命降下に反対した。千早が政権を正当に帰す決断をした時は、これで先立った元老たちの元へ旅立てると大喜びしたのだが、西園寺翁の願いは時代と愚かな政党政治家(鈴鳩)によって叶わぬものとなった。 |
吉田茂:駐イタリア大使。内大臣牧野伸顕の娘婿。“人を食う"のが大好きで、作品内でもドゥーチェらを喰ってしまう。史実では戦後、第45・48~51代内閣総理大臣となる。 |
杉原千畝:外務省諜報部第一課、貴音の部下。史実ではリトアニア・カウナス領事館領事代理時代、ナチス・ドイツからの迫害から逃れようとする多くのユダヤ人を救った人物“東洋のシンドラー”として世界に知られる。 |
安倍源基:内務官僚、初代特高警察部長。史実では「赤色ギャング事件」や「日本共産党査問リンチ事件」(プロレタリア文学作家、小林多喜二はこの件で死亡している)などで「赤狩り安倍」の名を轟かす。 |
岸信介:商工省公務局長。16話中編で満州へ向かった雪歩に同行する。史実では戦後政界に転じ第56・57代内閣総理大臣となる。 (また、弟で第61~63代内閣総理大臣となる佐藤栄作は鉄道省勤務でアメリカで鉄道技術取得中) 十河信二:南満州鉄道(満鉄)理事。雪歩、岸信介とともに同行する。史実では戦後、第4代国鉄総裁となり、「新幹線の父」と呼ばれるようになる。 |
田中角栄:建築技師見習いの17歳。史実では高等教育を受けずに第64・65代内閣総理大臣まで上りつめた事から“今太閤”とも呼ばれ、中華人民共和化国との日中国交正常化を実現。首相退陣後ロッキード事件発覚、首相経験者が逮捕される事態となる。 |
近衛文麿:公爵。第9代貴族院議長、第34・38・39代内閣総理大臣。五摂家の近衞家の第30代目当主。3度の首相指名を受けたがその任期中に盧溝橋事件を発端とする泥沼の日中戦争の勃発、大政翼賛会発足による日本の政党政治の終焉、日独伊三国軍事同盟を締結、ヒトラーによる第二次大戦勃発とフランス・パリ占領、ヴィシー政権誕生後の南部仏印進駐、それに反発したアメリカによる対日石油全面輸出禁止等の制裁強化と軍部に引きずられ戦争への道へ進んでいき、日米交渉も事実上決裂し戦争の決断を迫られた途端に内閣を投げ出し、陸相だった東條英機が首相となった。戦後、東久邇宮内閣で近衞は副総理格の国務大臣を務め憲法改正に携わったが、国内外世論で徐々に支那事変、三国同盟、大東亜戦争に対する近衞の責任問題の追及が激しくなりGHQに切り捨てられ昭和20年(1945年)12月6日に、GHQからの逮捕命令を聞きA級戦犯として巣鴨拘置所に出頭を命じられた最終期限日の昭和20年(1945年)12月16日に、別荘の荻外荘にて青酸カリを服毒して自殺した。54歳2ヶ月での死去は、2011年現在、日本の総理大臣経験者では、もっとも若い没年齢である。また総理大臣経験者として、死因が自殺である人物は近衞が唯一でもある。 |
賀屋興宣:日本の大蔵官僚、政治家。1927年(昭和2年)ジュネーブ海軍軍縮会議、1929年ロンドン海軍軍縮会議に、それぞれ全権の随員として列席。ロンドン会議では条約締結賛成だったために、次席随員として参加していた山本五十六と鼻血を出す殴り合いを演じた。第一次近衛内閣で大蔵大臣を任じた。東條内閣でも大蔵大臣を務めたが米英に対する開戦には終始反対だった。戦時下には戦時公債を濫発し、増税による軍事費中心の予算を組み、戦時体制を支えた事で戦後A級戦犯となり終身刑となり約10年間巣鴨プリズンに服役、1955年に仮釈放、3年後正式釈放後に衆院議員となり岸信介首相の経済顧問や外交調査会長として安保改定に取り組んだほか、池田内閣の法務大臣、自民党政調会長などを歴任した。 |
町村金五:日本の内務官僚、政治家。内務官僚時代は、官選の新潟県・富山県両県の知事を経て、内務省警保局長(特高警察の元締)や警視総監などを歴任したが、戦後に公職追放された。追放解除後、衆議院議員総選挙に立候補して国会議員となる。その後、北海道知事に当選し3期務める。任期満了後は参議院議員に転じ、自治大臣等も務めた。総選挙に4回、参院選挙に2回当選した。外務大臣や内閣官房長官を務めた自民党派閥・清和会会長の町村信孝の実父。 |
政党政治家 |
鈴木喜三郎:動く愚者その1。野党・立憲政友会第7代総裁。5.15事件で犬養首相が暗殺された事で、本来なら後継内閣を組織するはずが軍部に政党政治を反対された為に首相になり損ねた経緯を持つ。軍人内閣が続くことを好ましくないと考える。如月内閣憎しの感情をソ連に付け込まれ(自分たちは自発的行動と思っていたようだが)ソ連(スターリンら)の操り人形と化していた。国会大流血事件(21話後編)後は鳩山一郎とともに入院していたが、リヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実のスパイ網摘発後に特高警察によって入院先にて事情聴取を行われ、鈴鳩が自白せずとも侵攻中の日本軍がモスクワを占拠すれば彼らがソ連から受け取った金銭の証拠を掴まれる事で命運は尽き、首元が涼しくなり政治生命の終焉だけで済めば御の字という状況となった。 |
鳩山一郎:動く愚者その2。野党・立憲政友会の議員で鈴木喜三郎の義弟(姉が鈴木喜三郎夫人)。史実では戦後三木武吉らと日本自由党を結成したが離党して日本民主党に加わり52・53代内閣総理大臣となり、その後日本自由党との保守合同を成し遂げ自由民主党を誕生させ初代総裁となり54代内閣総理大臣になる。鈴木喜三郎もそうだが、国民の為の政治などより首相の座を奪った如月千早(政権)憎しの感情が先にたってるので、そこに付け込むソ連(スターリン)やユダヤ勢力のいい操り人形となっている(ただし、本人は気付いてない)愚かな道化たちである。ゾルゲらソ連スパイ網逮捕後、上記の鈴木喜三郎同様に特高警察の事情聴取を受ける事となり、日本軍のモスクワ占領も間近な今、鈴木喜三郎と同様に首元が涼しくなり政治生命の終焉だけで済めば御の字といえよう。 |
高橋是清:立憲政友会第4代総裁。大蔵大臣。20代内閣総理大臣。史実では軍事予算を削減しようとした事で陸軍の恨みを買い、2.26事件で暗殺される(享年81歳)。この世界では元々伊織と知己を持ち、伊織の経済学の先生とも言える存在で、伊織が入閣した如月内閣に協力した事で立憲政友党から追放された。現在はトロピコに渡っていて後に訪れる永田・東條に賢狼ホロと共に経済を伝授する。 |
民間人 |
美濃部達吉:憲法学者で貴族院議員。天皇機関説を発表した事で右翼・陸軍から狙われる身となり、政府・海軍で保護する事となり戦艦陸奥に乗艦し、バイストン・ウェル経由でトルコまで同行する。日本に戻ると身の危険がある事から、トルコに残留しイスタンブール大学の教授に就任した模様。史実では発表後、貴族院を辞職する事となる。また、長男の亮吉は後に東京都知事になる。 |
尾崎秀実(ほつみ):朝日新聞記者で「完全な共産主義者」。内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員。近衛内閣のブレーンであり軍・政界と重要な関係を持つが、実態は共産主義者でゾルゲ事件の首謀者の一人。共産主義者、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして同僚はもちろん妻にさえ隠し、自称「もっとも忠実にして実践的な共産主義者」として、逮捕されるまで正体が知られる事無く活動したが、1941年(昭和16年)10月14日にゾルゲ事件の首謀者の一人として発覚逮捕され、1944年(昭和19年)、ロシア革命記念日にあたる11月7日に、国防保安法違反、軍機保護法違反、治安維持法違反により巣鴨拘置所でリヒャルト・ゾルゲと共に絞首刑に処された。 |
北一輝:革命家・思想家。右目は義眼で「片目の魔王」の異名をとる。1906年(明治39年)『国体論及び純正社会主義』を発表するが発禁処分となる。中国に渡り辛亥革命に参加したが失意のうちに帰国、のち「日本改造法案大綱」を刊行し、これが2.26事件の首謀者となる青年将校らに大きく影響を及ぼす。史実では2.26事件の理論的首謀者とされ死刑判決が下され処刑される。満54歳没。 |
愛新覚羅溥儀:清帝国最後(12代)の皇帝・宣統帝、満州国執政、帝政以降後は康徳帝を名乗る。英明な人物で、生まれてくる時代が早くかつ西太后がいなければ清朝はまだ存続したかもと思わせる人物。即位名代として赴いた貴音・雪歩との会談で、日本からの移民の受け入れとその見返りとしての満州国内のインフラ整備を承諾する。 |
ベニート・ムッソリーニ(ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ):イタリア王国のドゥーチェ(首領)。ニコマスのアイドル。この世界では逆さ吊りにされて処刑されないといいですねw チェーザレ・アメー:イタリア王国情報大臣。ドゥーチェの無茶振りに付き合わされる苦労人。 |
アドルフ・ヒトラー:ドイツ第三帝国 |
ヴィルヘルム・カナリス(ヴィルヘルム・フランツ・カナリス):ドイツ海軍軍人(最終階級海軍大将)。国防軍情報部(アプヴェーア)部長。第一次大戦時は所属したドイツ東洋艦隊壊滅後、チリに拘束されたが脱走し真冬のアンデス山脈を越えアルゼンチンに逃亡しイギリスの監視の目を掻い潜って帰国した事でスパイとしての一級の素材と判断された。ヒトラー政権成立後は賛意を持って迎え入れ、アプヴェーア(国防軍情報部)の長官に任じられ日独防共協定を成立に導いたが徐々にヒトラーの外交政策に疑念を抱き、それは時と共に増大し政府転覆計画を練っていた部下のハンス・オスターなどを庇ったがドイツ敗戦直前の2月にアプヴェーア長官の職を剥奪され、4月に国防軍情報部の金庫から長年探されていたカナリスの反逆を示す証拠文書を発見しヒトラーに提示され、ヒトラーは即座に陰謀者全員の殺害を命令、絞首刑に処された。 世界的に有名な女スパイ“マタ・ハリ”の恋人でもあったという。 |
コンスタンティン・フォン・ノイラート:ドイツの外交官、政治家。男爵。ドイツ共和国(第3帝国)外務大臣、ベーメン・メーレン(チェコ)保護領総督。テュービンゲン大学とベルリン大学で法学を学び博士号を取得。ドイツ帝国時代の外務省に入省し駐ロンドン大使館副領事、駐コンスタンチノープル大使館参事官を務め、第一次世界大戦には予備役将校として従軍し、鉄十字勲章を受章。戦後復職しデンマーク公使、イタリア大使を歴任。イタリア大使在任中にベニート・ムッソリーニのファシズムに感銘を受ける。ヒトラー政権の前々内閣時代から外務大臣に就任しており、実務経験の乏しいヒトラー内閣にとって貴族出身かつ国際的知名度の高かったノイラートは威信を与える役割を担っていたが、次第にヒトラーの私的外交顧問であるヨアヒム・フォン・リッベントロップが頭角を現し、さらにヒトラーの戦争計画に反対した事から38年2月に外相を解任、外交政策は後任の外相であるリッベントロップが取り仕切り完全に蚊帳の外に置かれてしまう。1939年にベーメン・メーレン(チェコ)保護領総督となったが穏健政策を取った事をヒトラーに失望され、副総督に国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒが送り込まれ実権を喪失、43年8月には総督を辞職し、以降直接政治に関係することはなくなった。ニュルンベルク裁判で戦犯として起訴、禁固15年の実刑判決を受けるが53年に健康面での悪化に伴い仮釈放、その3年後に心臓発作のため死去する。(83歳没。) |
ハイレ・セラシエ(1世):エチオピア帝国(最後の)皇帝。ムッソリーニのファシスト・イタリアの侵攻時、この世界では当時イタリア領であったマッサワまで日本軍の供与した武器の受け取り(表向きはコーヒーとの交換貿易)に出向く。欧米諸国がイタリアの侵略を黙殺する中、日本政府はエチオピア支援を決定し軍(日高舞中将の遣土艦隊)を派遣、またイタリア大使吉田茂の(人を喰った)外交術にイタリア政府は侵略を断念、エチオピアの独立は守られた。史実では侵攻は(毒ガス兵器まで使ってなんとか)成功し、イタリア王がエチオピア皇帝を兼務するイタリア領東アフリカ帝国となり、1941年イギリスによって開放されるまで亡命していた。戦後は経済の悪化と富裕層の腐敗により世界最貧国の一つと数えられる国となった中で、ペットのライオンに肉を与えてる写真が公表され、深刻な食糧難に苦しむ国民を激怒させるという事件も発生する。その後1974年9月に(後にエチオピア人民民主共和国初代大統領として独裁者となる)メンギスツ少佐率いる軍のクーデターが発生、退位直後に殺害されたという(満83歳没。)これによりシバの女王より続くといわれたエチオピアの王制は幕を閉じた。 |
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(ケマル・アタテュルク、ケマル・パシャ):トルコ大統領。史実では仕官学校時代から皇帝の専制政治には反感を抱いていた模様で、第一次大戦中は当時のオスマン帝国首都イスタンブールののど元に当たる要衝を守り、英仏軍の猛攻を凌ぎ「アナファルタラルの英雄」と呼ばれ名声を獲得しパシャの称号を得る。敗戦後、戦勝国のトルコ分割に反発・抵抗しアンカラで新政府を立ち上げ、ギリシアが占領していた地中海沿岸の大商業都市イズミルをサカリヤ川の戦いで撃退した事で連合国にアンカラ政府に有利な条件で休戦交渉を開かせることに成功し、1923年に共和制を宣言して自らトルコ共和国初代大統領に就任した。酒好きでラク(トルコのアルコール度数が45%~50%と強い蒸留酒)を毎晩500ml飲んでいたともいわれ、激務と過度の飲酒が原因の肝硬変で満57歳の生涯を閉じる。この世界ではオスマン帝国時代から続くちっぱい至上主義(如何なる物かはかわずP作品「あずさのハンガリー興隆記」をご覧ください)から、あずささんと出合った事で女性は胸の大きさは関係なく素晴らしいものだということに目覚める(いやむしろdtpnに目覚めた感もあり)。 |
霜 兵衛(シモ・ヘイヘ):この世界では北の国(フィンランド)から義勇兵としてやってきた人物。初めて使う高射砲を使い慣れた狙撃銃の如く使いこなし、満州・新京へ侵攻爆撃しにきたソ連爆撃機に多大なる被害を与えた。対ソ戦当初は祖国フィンランドにはばかり霜 兵兵衛という偽名を用いていたが、スターリングラード攻防戦終盤に日本とフィンランドが正式に同盟を結んだ事から義勇軍からフィンランド軍人シモ・ヘイヘとしての参加になった。 |
スナフキン:シモ・ヘイヘと同じフィンランドからの義勇兵の一人。シモヘイヘ同様、狙撃用ライフルを持って戦い、ソ連軍狙撃兵のザイツェフとパブリチェンコを始末する。 |
ラウル・ワレンバーグ(ラウル・グスタフ・ワレンバーグ):スウェーデンの外交官、実業家。オスカー・シンドラー、杉原千畝と並ぶユダヤ人の救出者の一人として知られる。史実ではスウェーデン政府から自分に付与された外交官特権を最大限に利用し、多くのユダヤ人を当時中立国だったスウェーデンの保護下に置くなどして救った。・・・・・・が、45年1月ナチスをブダペストから追い出したソ連指導部と会見すべく向かったがそのままソ連当局に拉致され、それが最後の姿となった。1986年のゴルバチョフ政権のグラスノスチ(情報公開)によって1947年7月に収容所で病死したとする資料が発見された。しかし、現在にいたるまでワレンバーグの死は公式に認められておらず、1947年以降の目撃情報も伝えられているため、調査が続けられている。 この世界ではスウェーデン王室の晩餐会で同席した東豪寺麗華らに、千早ら日本政府首脳とフルール・ボランとの会談の仲介を依頼する。 |
コロマン・ラウアー(本名 フルール・ボラン):この世界では(男装の)ユダヤ系貿易商。ユダヤ人の代表として千早ら日本政府首脳と会談し、ユダヤ人の人的資源、技術力の提供を条件に満州にユダヤ人移住の要望を申し込みに来る(キャラグラ元は狼と香辛料から)。史実ではユダヤ系ハンガリー人貿易商で、ラウル・ワレンバーグを見出した人物。アメリカ・ルーズベルト大統領がユダヤ人保護の一環として設立した「戦時亡命者委員会」に所属していた事でワレンバーグがハンガリーへ赴く事となった。 |
アントニオ・オスカル・カルモナ:ポルトガル共和国第11代大統領で首相。1926年のクーデターで大統領・首相の座に着いた2人の失脚後に就任し、1927年にサラザールを財務大臣に登用。その手腕に感銘を受け32年にサラザールを首相に任命するが、形式的な閣僚任命権などの儀礼的な役割を除きサラザールのお飾りとなる(とはいえ権力を握ったサラザールもカルモナを解任する事は出来なかった)。 |
アントニオ・サラザール(アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール):Hoi2×アイマス架空戦記「サラザールのエスタド・ノヴォ(現在不定期連載中)」のプロデューサー・・・・・・ではなく、ポルトガル共和国首相(短期間だが大統領も務めた)。王制終焉後のポルトガル第一共和制時代にも大臣の就任依頼があったが断り大学教授として教鞭を執っていたが、1926年クーデターの後にカルモナが大統領になると財務大臣に登用され、危機的財政の建て直しを行う。この時の手腕が認められ32年首相に任命され、33年の新憲法を制定して、「神、祖国、そして家族」をスローガンに「エスタド・ノヴォ(新国家体制)」の成立を宣言、穏健右派を体制の中心としながら敵対勢力は秘密警察を用いて始末するといった(ドイツやスペインよりは穏健的な)ファシズム体制を作り上げた。 |
ジョージ6世(アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ・ウィンザー):グレートブリテンおよびアイルランド連合王国(イギリス)及び海外自治領国王、インド帝国皇帝。現英国女王、エリザベス2世は彼の娘である。 オズワルド・モズレー:イギリスのファシスト指導者。国会議員。
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F・Dルーズベルト(フランクリン・デラノ・ルーズベルト):第32代アメリカ合衆国大統領。民主党所属。アメリカ大統領で唯一4選された、唯一重度身体障碍者(当時はポリオに感染と思われていたが、現在ではギラン・バレー症候群であったと推測されている)で大統領となった人物。第26代大統領セオドア・ルーズベルト(共和党)は従兄で妻はセオドア・ルーズベルトの姪(弟の子)。歴代大統領の人気投票でほぼ上位5傑に入るなど、現在でもアメリカ国民からの支持は根強い。一方でスターリンに対する容共的態度は批判の対象ともなった。また、日系人の強制収容を行うなど、日本人への人種差別的な嫌悪感を強く持っていたことでも知られる。 |
コーデル・ハル:アメリカ合衆国の政治家。F・Dルーズヴェルト政権下で国務長官を1933年から1944年まで務めた。 |
ジョセフ・P・ケネディ(ジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニア):アメリカ合衆国の政治家・実業家、第35代大統領のジョン・F・ケネディの父。 |
ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連) |
ヨシフ・スターリン:ソビエト連邦最高指導者。みんな大好き |
マクシム・リトヴィノフ:ソビエト連邦外相。スターリンの右腕として対外工作を図る。史実では米英仏などとの融和を図り、ロシア革命後断絶していたアメリカとの国交を回復し国際連盟加盟にも貢献した。独ソ不可侵条約の締結の障碍になると見られ外相を解任される。その後駐米大使など務めたが、1951年自動車事故により死去(これは事故ではなくスターリンの陰謀らしい)。 |
クリメント・ヴォロシーロフ:ソビエト連邦の軍人、政治家、ソ連邦元帥、ソ連国防大臣、国家元首に当たる最高会議幹部会議長を歴任した。軍人としては決して優秀ではなく、フィンランドとの冬戦争では多くの死傷者を出し、ドイツ軍のレニングラード包囲を招いたが、スターリンの年来の幼馴染という事で不問となる。第二次世界大戦で使用された重戦車であるKVシリーズは、ヴォロシーロフにちなんで名付けられたものである。 |
ヤコフ・マリク:駐日全権代表部参事官。立憲政友会の鈴木・鳩山と密かに接触し、如月内閣打倒の陰謀に裏から加担する。史実では大戦中の42年(昭和17年)から大使となり、大戦末期の45年には非公式の終戦交渉を行い、8月には最後通牒、宣戦布告文種を手渡す。戦後は外務次官となると同時に駐国連安保理ソ連常任代表を兼任などと、優秀な外交官であった模様。 |
ラヴレンチー・ベリヤ:ソ連の政治家、グルジア共産党第一書記、ソ連共産党中央委員、ロリコン。長官スターリンの大粛清の主要な執行者とみなされており、多くの人間を粛清し過ぎた前任の内務人民委員部(NKVD)長官エジョフを失脚・処刑し長官となり大粛清の総仕上げにあたる。スターリン死後、第一副首相に任命されたがフルシチョフとの政争に敗れ失脚、逮捕・銃殺刑となる。また、大変な漁色家で知られ、誘惑を断ったが最後その女性とその家族に身の破滅が待っていると恐れられた。スターリン時代は巧みに乗り切り粛清の対象とはならなかったがスターリンの死後に後継者となったフルシチョフ時代に失脚、逮捕処刑される事となる。この世界ではただのロリコンではなく熟女でも問題無いという幅の広い(でもやっぱり若い方が好きな)女好きで、朝倉男爵邸を襲い涼子と涼子の母を(禁則事項)した上に殺害し、硫酸で溶かした後に下水に投げるという外道な真似を行った張本人。結果的にこの行為がこの世界における千歳が斬られた事件の要因を作り、同時にソ連の寿命を縮めただけでなく、世界そのものの歴史を史実以上の悲劇への可能性に傾けたとも言える。スターリンがモスクワ脱出した後もモスクワに残り(見捨てられた?)工事中の地下鉄構内に潜伏していたが千歳・貴音に追い詰められ、反撃を企てるが予想外の超天海により死す。また大量の隠し財産を溜め込んでいたことも番外編で判明した。 |
ヤン・ベルジン:軍諜報機関の指導者、強制収容所(ラーゲリ)の創設者。1924年3月から1935年4月まで、労農赤軍参謀本部第4局長として軍諜報機関の基礎を作った。特に彼の在任時、リヒャルト・ゾルゲ等の優秀な諜報員が採用された。1937年11月にスターリンの大粛清により逮捕され、翌年銃殺。1956年に名誉回復する。この世界ではスターリンの不興を買い極東軍副指令に左遷される。司令官・参謀長行方不明後指揮を執るが物資不足で継戦能力を失い降伏し、のち自決。ラーゲリの創設者の最後の仕事は皮肉にも自分の家族をラーゲリ送りにする事となった。 |
ヴァシーリー・ブリュヘル:ソ連の軍人。ソ連邦元帥。スターリン大粛清の著名な犠牲者の一人。史実ではトゥハチェフスキーを有罪とした裁判に加わっていたが、張鼓峰事件で見せた無能振りと恐らく軍における当時の人望のゆえにモスクワに呼び戻され逮捕された。監獄で自白を拒否し、片目が飛び出すほどの拷問を受け、間もなく獄死した。この世界では極東軍司令官で、日本軍の沿海州包囲を阻止すべく出撃したが、海兵隊と海軍の連携攻撃に阻まれ行方不明となるが19話前編にてチェイコフによって助け出されていた事が確認、シベリア軍管区司令となるが衆寡敵せず包囲され降伏する。 |
キリル・メレツコフ:ソ連の軍人。ソ連邦元帥。史実では冬戦争で第7軍司令官を務め、マンネルハイム線を突破した。1945年8月の対日参戦時には沿海方面から満州に侵攻し日本軍を破る。この世界では極東軍管区参謀長で、日本軍の沿海州包囲を阻止すべく出撃したが、海兵隊と海軍の連携攻撃に阻まれ行方不明となるが、19話前編にてチェイコフによって助け出されていた事が確認、シベリア軍管区参謀長となるが衆寡敵せず包囲され降伏する。 |
ワシーリー・チュイコフ:ソ連の軍人。ソ連邦元帥。史実ではスターリングラード攻防戦において、第62軍司令官として同市を死守したこと、さらにベルリンでナチスの降伏を受け入れたことで有名である。 農民出身で叩き上げの赤軍の名将。この世界では当初極東軍の部隊長であったがブリュヘルとメレツコフを助け出し、その後モンゴルの支援に派遣されるが、彼の能力に無理解な上官ブジョーンヌィは彼に兵を殆ど与えなかったため手持ちの戦力だけでは日本軍と対戦しても撃破されるだけだと判断した彼はモンゴル軍司令チョイバルサンと共にウランバートルを脱出する。 |
ニコライ・クルイロフ:ソ連の軍人。この世界ではソ連極東軍副参謀長。史実ではロシア革命後シベリア出兵の日本軍とも戦い、独ソ戦ではオデッサとセヴァストポリの防衛と撤退を指揮。その後はスターリングラード攻防戦や東プロシアでドイツ軍撃破、ヤルタ会談後は部隊を極東に移動させソ連対日参戦と共に関東軍を撃破した。戦後ソ連邦元帥。戦略ロケット軍総司令官兼国防次官、ソ連共産党中央委員に。この世界ではソ連極東軍副参謀長。ブリュヘル、メレツコフが行方不明、ベルジンが自害した為ウラジ・オストク降伏後の責任者となる。 |
セミョーン・ブジョーンヌイ:ロシア帝国・ソ連の軍人、帝政ロシア時代に日露戦争にも従軍した。ソ連邦元帥の最初の1人で、3度ソ連邦英雄の称号を受けた。ポーランド・ソビエト戦争でのワルシャワの戦いにて西欧式の近代的な兵器に対し大敗北を喫しながらもその後も騎兵隊を過大視し、戦車部隊との連携を承認しなかった為、第二次大戦の頃には指揮官としての無能さを露呈するばかりであった。この世界では騎兵監督官を務め、日本との戦争の序盤で敗北した極東軍管区司令官のブリュヘル元帥を粛清から救い、ソ連革命軍事会議副議長としてシベリア軍管区司令官に任命する事を伝え、モンゴルに兵を進めた日本軍と戦うが兵力分散の愚を犯し惨敗、再度日本軍に挑むが自分は安全な後方にいた為、ブリュヘルやメレツコフが降伏し捕虜となる一方で脱出に成功したかに見えたが春香の爆撃に追われる羽目に。(その後の動向は不明だったが、番外編においてヴォロシーロフ・チュイコフとともにレニングラード防衛戦に参加し、騎兵隊元帥として凄絶な戦死を遂げ、軍人としての最期を全うしたことが判明した) |
ゲオルギー・ジューコフ(ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ):ソ連軍人、政治家。史実ではスターリンの大粛清を上手く避け生き延び、政治的に不穏なモスクワを避けソビエト・モンゴル軍団司令となり、のちノモンハン事件(ソ連側呼称・ハルハ河事件)が発生する。この戦いで機械化部隊の機動的な運用という革新的な戦術を用いたがまだ重要視されず注目されるにはナチス・ドイツの電撃戦を待つ事になる。第二次大戦ではジューコフの兵站手腕によりドイツ軍の攻勢を食い止めモスクワを防衛し、スターリングラードの戦いでは100万人の死者を出す犠牲を払いながら激戦を制しドイツ東部戦線の転換点を実現し1943年1月18日にソ連邦元帥に昇進する。1945年のドイツ侵攻の指揮を執り同年4月にベルリンを占領し降伏文書を受け取った。戦争終結後はそのままソ連のドイツ占領軍の最高司令官となった。彼の戦術は兵数の圧倒的優位で敵を打ち破る物で、全軍歴を通じ指導した作戦のほぼ全てで勝利を収める輝かしい戦績を持っている一方、彼の作戦ではソ連軍はほとんど常に敵より多い、時には数倍の死傷者を出している。兵士の消耗を恐れないジューコフの冷酷さにはスターリンですら感銘を受けるほどだった。 |
ニコライ・エジョフ:ソ連邦の政治家、政治警察・秘密警察である(KGBの前身)NKVDの長官。スターリンの大粛清の支持者であり実行者でもあり膨大な数の国民を虐殺し、背が小さかった(150cm)事から毒入りの小人、血まみれの小人とも呼ばれた。大量の粛清を行った(晩年には疑心暗鬼に陥り、自分の妻まで粛清している)事から国家や経済が機能不全になり、スターリンの不興を買うようになりエジョフがNKVD前任のゲンリフ・ヤゴーダを逮捕・処刑したようにベリヤによって逮捕・処刑される事となる。 |
ヴァシリ・ザイツェフ(ヴァシリ・グリゴーリエヴィチ・ザイツェフ):ソ連軍軍人・狙撃兵 |
リュドミラ・パヴリチェンコ(リュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコ):ソ連軍軍人・狙撃兵。第二次世界大戦においてソビエト赤軍が数多く登用した女性狙撃手の中でも、確認戦果309名射殺という傑出した成績を残した史上最高の女性スナイパーである。 |
フョードル・トルブーヒン(フョードル・イワノヴィッチ・トルブーヒン):ソ連の軍人。ソ連邦元帥。ソ連邦英雄(死後)。史実経歴の多くを南方・カフカス方面を担当した人物。独ソ戦初期はザカフカスやクリミア戦線の参謀長を務め、のちスターリングラード軍管区副司令官、南部戦線やスターリングラードの戦いを経てユーゴスラビア、ルーマニア、ハンガリーの“解放”に参加、1944年9月ソ連邦元帥に昇進する。戦後は南部軍集団総司令官を経てソ連最高会議代議員、のちザカフカーズ軍管区司令官。49年10月に死去し遺骸はクレムリンの壁に葬られた。享年55歳。 この世界ではソ連陸軍大佐でセヴァストポリ要塞司令官。トルコ参戦後ものどかな地域だったのが、日本帝国海軍の登場で戦場のど真ん中と化し、頼みの要塞砲は戦艦陸奥の新型砲弾(九十一式徹甲弾)により破壊され要塞内部に引きこもる・・・が、1個連隊で連合艦隊と対峙するのは無理と判断し降伏する。降伏交渉の際、交渉担当した響にトルコ国内に潜入させていたスパイに気づかれる事無く黒海に現れた帝国海軍はどんな魔術を使ったのかと質問する。(聞かれた側にも答えられる人間など殆どいないのだが・・・・・・w) |
イワン・S・コーネフ(イワン・ステパノヴィチ・コーネフ):ソ連の軍人。ソ連邦元帥。ソ連邦英雄(2度)。史実世界ではゲオルギー・ジューコフとベルリン一番乗りを競った。 |
レオニード・ブレジネフ(レオニード・イリイチ・ブレジネフ):ソビエト連邦の政治家。第5代最高指導者。ウクライナ生まれのロシア人である。独ソ戦時はウクライナ戦線に政治委員として参加し、ニキータ・フルシチョフとの出会いが後の出世に大きく役立つ事となる。フルシチョフの右腕として出世しソ連邦最高会議幹部会議長となり、実際の権力は党第一書記のフルシチョフのものであったが名目上の国家元首にまで昇りつめるがフルシチョフ失脚の際には反フルシチョフ側に加担し、1964年に開かれた臨時の中央委員会総会でフルシチョフが「自発的に」第一書記と閣僚会議議長(首相)を辞任させられた後は党第一書記に就任した。中ソ国境紛争など中ソ対立からアメリカと中共(中華人民共和国)との米中同盟を危惧したブレジネフは1972年5月にモスクワを訪問、戦略兵器制限条約(SALT I)に調印し、「デタント」(緊張緩和)の始まりとなった。 |
セミョーン・チモシェンコ(セミョーン・コンスタンチノヴィッチ・チモシェンコ):ソビエト連邦の軍人、ソ連邦元帥。冬戦争でフィンランド軍の防衛線(マンネルハイム線)を突破した功績と、多大な犠牲を出した責任で解任されたヴォロシーロフの後任として国防人民委員(国防相)に就任し、ソ連邦元帥に昇進。ドイツ軍がソ連に侵攻すると、西部方面軍総司令官に転任(国防人民委員はスターリンが兼任)し、その後は南西戦線司令官、スターリングラード戦線、北西戦線司令官を転任し、その後、総司令部議長として各戦線間の行動の調整に当たり終戦を迎え、戦後は南ウラル軍管区司令官、白ロシア軍管区司令官など務め、ソ連共産党中央委員会委員、ソ連最高会議代議員をも務めた。 |
ニキータ・フルシチョフ(ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ):ソビエト連邦の政治家、第4代最高指導者。史実ではスターリンの死後、スターリンの独裁専横を批判した「スターリン批判」を報告し大粛清で犠牲になった人物の名誉回復を行いアメリカとの軍縮や核実験の削減を図ろうとするなど「雪解け」といわれる東西平和をもたらした一方で、宇宙開発競争でスプートニクやボストークの打ち上げに成功しアメリカに先んじたりキューバ危機では核戦争一歩手前まで進みかけ、ドイツ・ベルリンに「ベルリンの壁」を構築、ハンガリー動乱では民主化を求めるハンガリーに軍事介入を行ったり、中共の毛沢東との社会主義路線をめぐる対立など同じ社会主義国家との対立が目立った。 |
フセヴォロド・メイエルホリド(フセヴォロド・エミリエヴィッチ・メイエルホリド):ロシアの演出家・俳優。ロシ アの演劇人中、一番早く革命を歓迎した一人であり、1918年8月にはすでにロシア共産党に入党、同年から1921年までソ連教育人民委員部(文部省)の演劇部門を統括し、新時代にふさわしい新しい演劇の創造運動に邁進する。 |
セルゲイ・エイゼンシュテイン(セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン):ソビエト連邦の映画監督。監督作品としては「戦艦ポチョムキン(1925年)」「アレクサンドル・ネフスキー(1938年)」「イワン雷帝(第2部・第3部はスターリンの死後まで非公開)」などが挙げられる。 |
ミハイル・トゥハチェフスキー(ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー):ソビエト連邦の軍人。ソ連邦元帥。赤軍の機械化を推進。数々の画期的戦術理論を編みだし、赤軍の至宝、あるいは赤いナポレオンと呼ばれた。 |
リヒャルト・ゾルゲ:ナチス党員・ドイツの新聞社東京特派員を隠れ蓑としたソ連軍スパイ。ゾルゲ事件の首謀者。あらゆる方面から日本を観察し、日本人以上に当時の日本を理解していたかもしれない人物。史実では日本がシベリア方面侵攻ではなく南方(インドシナ)方面侵攻を計画してる事を尾崎秀実を介して情報を入手しスターリンに伝えた。これによってスターリンは満蒙方面に配備していた兵力を欧州戦線に移動させることが可能となり、ナチスドイツの独ソ戦敗北の遠因を作ったともいえる。1941年、特高警察による共産党員逮捕で尾崎秀実ともども一斉に逮捕され、1942年に国防保安法、治安維持法違反などにより起訴、死刑判決となり1944年11月に死刑執行された。この世界では史実より早く、スパイ網構築前に千歳の能力で感知され逮捕される。共産主義の現実と未来を知る千歳は、共産主義の暗部に生きる彼に評価された世界も見てほしいと願い、彼に生き延びてほしいと願う。その後も何度か面会に来た千歳を友として認め、ソ連崩壊後に暴走を懸念されたコミンテルンを打破するために、知りうる限りのコミンテルンの情報と腹心の部下を千歳に預けた。ちなみにこの世界では2.26事件が発生しなかったことで生きのびた北一輝との面会も行っており、司法取引は断ったものの、意気投合は果たした模様。 |
モンゴル人民共和国(モンゴル) |
ホルローギーン・チョイバルサン(漢字表記:霍爾洛・喬巴山):モンゴルの革命家、軍人、政治家、独裁者。第4代人民小会議幹部会議長(現在の大統領に相当)第11代モンゴル人民共和国首相。対日宥和政策やスターリンが助言したモンゴル仏教僧の排除を拒否した前首相ゲンドゥンらを日本のスパイとして粛清し、これを自らの独裁体制の確立に利用した。権力保身の為の粛清やチンギスハンの一族に連なる者の抹殺などといった暗黒面を持つ一方、現ロシア領のトゥバ共和国(タンヌトゥバ、唐努烏梁海)のようにソ連領に組み込まれる事無く独立した国家としての地位を保った点と、近代化を推し進めた点で、彼の国内の評価は現代でも悪くないとの事。(19話中編にて出てくる地名のバヤントゥメンは史実世界では改名され、モンゴル最東部ドノルド県の県都チョイバルサンとして彼の名前を残している。)この世界では、手持ちの戦力で日本軍と対抗できないと判断したチュイコフの進言に従いウランバートルを放棄・脱出する。 |
ペルジディーン・ゲンドゥン(漢字表記:博勒吉德・根登):第2代人民小会議幹部会議長(現在の大統領に相当)、第9代モンゴル人民共和国首相を務め、ラマ(チベット仏教)僧の一掃やソ蒙相互援助議定書の成文化などスターリンからのさまざまな圧力に抵抗した為、チョイバルサンに首相の座を追われ、反動主義者・日帝のスパイなどの罪で処刑された。この世界では粛清直前に日本軍により助けられ、占領下統治を任される。 |
中華民国 |
蒋介石((介石は字で名は中正。中華圏では蒋中正と呼ばれるのが一般的(台湾・中共版Wikipediaの表記も蒋中正である)):中華民国の政治家、軍人。第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統。 |
汪兆銘(字は季新、号は精衛。中華圏では汪精衛と呼ばれるのが一般的(台湾・中共版Wikipediaの表記も汪精衛)):中華民国の政治家。国民政府常務委員会主席・軍事委員会主席、南京国民政府主席。知日派として知られた。 |
中国共産党 |
毛沢東(字は詠芝、号は子任。中華圏では毛澤東と呼ばれるのが一般的(台湾・中共版Wikipediaの表記も毛澤東):中国共産党の創立党員の1人で、中国革命軍事委員会主席。史実では1949年より中国共産党中央委員会主席・中央軍事委員会主席。政治家以外としては思想家・戦略家・詩人としても名高い。 |
周恩来(字は少雨):中国革命軍事委員会副主席。史実では1949年より政務院総理・国務院総理(首相)。 |
アイドルマスター関係(メインアイドル以外) |
高木順一朗:元老西園寺翁や皇族の貴音と対等に話のできる謎の人物。次期首相に海軍大将の千早を推挙し、さらに内閣自体を親千早人脈で固める「如月千早を支えよう内閣」を提案する。 |
黒井崇男:貿易会社社長、諜報のプロ。清々しいまでに自己の利益の追求に率直で、利用価値がなくなれば人であろうと(貴音・響・美希の3人は除く)母国であろうと捨てる事も厭わない超合理主義の持ち主。彼自身も謀略に手を染める事に躊躇しないので、謀略で日本を陥れようとするスターリンらを“旨い酒が飲めそう”とまで語る。 |
東豪寺麗華:水瀬財閥と家族ぐるみの親交を持つ東豪寺財閥(男爵家、モットーは「爪楊枝から重戦車まで」)の跡取り娘。兵器関連メーカーとして陸軍近代化に協力し、有事の際の物資輸送の迅速化と、来るべき車社会を見越し全国各地に自動車教習場を建設する。のち、ハルヒ女王が皇軍の大粛清を決断した後、統制派・皇道派・統合軍派の三派会談を主催し、対立は軍部の弱体化を招くものと三派を諭し、軍部融和を図る。 |
善永さん(本来フルネーム設定は無いがこの作品内では善永薫とうp主命名):876新聞社記者。部数増大の為の大衆に迎合した記事、国民を何かしら誘導しようと目論む勢力の圧力に屈せず、本来新聞社としてあるべき公平な主観で記事を書く(部数が伸びない理由もそこにあるのだが)優れた新聞記者。 |
鈴木彩音(サイネリア):立憲政友会総帥鈴木喜三郎の秘書(この世界では鈴木喜三郎の遠縁という設定)。政党政治の復活の名の下に売国行動を平然と行う叔父たちに心を痛め、千早らに会談の内容を伝え、これが対ソ戦を決断する引き金ともなった。その後は大叔父に愛想を尽かし鈴木の名を捨て新たな人生を歩む為、876新聞社戦場特派員サイネリアとして戦地に赴き戦争を見る事を決断する。 |
ハルヒ関係 |
涼宮ハルヒ(女王):皇族(涼宮の読みは原作上の「すずみや」ではなく「すずのみや」)、陸軍大将、陸軍総参謀長。暴走しやすい性格ゆえ「 |
古泉一樹:陸軍少将、参謀本部第一部部長。 |
アリョーシャ(は露名、日本名は朝倉涼子):11話後編では不明だったが13話前編により朝倉男爵家令嬢と判明。また、第1話冒頭の時点では貴音と高木の会話でで行方不明であった事が判る。千歳と同じく未来を見透す事のできる能力を持つ。その未来予知能力で知った未来(第二次大戦)は千歳が行っているように回避すべきものではなく、更にその先の未来の為には受け入れなくてはならぬ必要なものと主張し、戦争回避に能力を使う千歳を殺害しようとする。20話前編にて、実は彼女は死んでいて魂だけが魂の安らぎの場所(バイストン・ウェル)にいて、地上に残る彼女の身体は邪悪な怨念に囚われて堕ちた存在との事。狙撃されバイストン・ウェルに落ちてきたが一命を取り留め現世に帰った真に、現世にいる自分を始末する事、未来は生きている者によって変えられるもので子孫らに幸せな未来を作って欲しいと願いを託す。28話後編にてスターリンに(史実の)未来を教えていた模様。そのスターリンの元を離れ26話後編でヒトラーの元にいた事と、史実ではなかったドイツ海軍の大幅な軍備拡張を行っている(25話中編)を振り返るとこの時点でヒトラーにも歴史を伝えている可能性は大きいかと。 |
銀河英雄伝説やガンパレードマーチ、パトレイバー、リリカルなのは、狼と香辛料、本家Hoi2からと多彩なキャラが登場している。
安怒流:(アン・ドリュー。朝鮮・済州島出身)陸軍少尉(20話後編では統合軍中尉)三岡健次郎を差し置いて、陸士46期主席となった、受験秀才。陸軍軍人らしい硬直思考でこのままだと後から味方に撃たれるか、洋上で海中に「処理」される運命が待っている可能性大。陸軍・海軍に涼・絵理・愛と入れ替わりで統合軍に入り、小畑校長と小沢教官らに徹底的に絞られ補給科を優秀な成績で卒業、時間はかかったが自分が後方勤務に向いているとも自覚し、自分の居場所を見つけ出す。 |
スンスンおじさん:Hoi2で最も有名な人物。この作品世界では本名「カミーユ・シラク」、コードネーム「スンスーン」というフランスの新聞社に勤務するコミンテルンの指示を受けたフランス社会党のスパイで、戒厳令と同時に逮捕され禁固10年の拘留中。キャラクターのベースはゾルゲ事件で事情聴取を受けたフランス人ジャーナリスト、ロベール・ギランか?(史実のロベールの方は事情聴取は受けたが逮捕されてはいない。) |
芝村英吏:騎兵第一軍参謀、真の部下。コリマの強制収容所(ラーゲリ)開放を大本営・総司令部に具申の際、参謀本部には「ツテ」があると発言した所から、軍中枢内部には「芝村」が深く根を広げていると思われる。) 萩原(現在名前募集中):萩原雪歩の父(大総統・憤怒のホムンクルスではありませんw)。娘に近づく男は実力排除も厭わないが、娘には弱いようである。 |
オリジナル人物如月千歳:如月千早の弟。千早の胃袋と周囲の女性陣の恋心を無意識に掴んで離さぬ |
掲示板
641 長文失礼
2015/11/09(月) 18:44:14 ID: z1QDOWm3xp
>>639
フィクションの面白さを損なうとまずいので、>>619みたいなレスを打ってもらえれば手元のデータで使えそうなのを拾ってきますよ。可能な限り手短にまとめるよう努力しますが、問い次第では長文を垂れ流さざるを得なくなるので(このレスも含めて)その時は申し訳ありません。
>>640
ヴァイマル共和国崩壊とヒトラー抬頭は別で考えた方がいい。ヒトラーが政権をとった時点で共和国は既に瀕死状態だったからね。あとは、ヴァイマル共和国よりも第二帝政崩壊の方がナチ政権への道を開いたと評価する歴史家もいる。肝心のヒトラー抬頭はさしあたりハフナーと石田勇治あたりに頼るとして、ヴァイマル共和国の方を。
何がヴァイマル共和国を崩壊させたかという犯人探しで問いを立てた場合、実はこれという回答が得られていない(木村編『ドイツの歴史』有斐閣アルマ,18章)。ヴェルサイユ条約、賠償金、インフレ等々。いずれも無罪ではないにせよ、主犯格とするには証拠不十分だった。
誰も共和国を支持しなかったからだというと、今度は「なぜそんな体制が14年も続いたのか」という逆の問いが出てくる。ここでは、ヴェルサイユ条約や英仏からの仕打ちが共和国を長続きさせた面もあったと評価する歴史家もいるとのこと。
「後ろからの一刺し」も重要だが、なぜその信仰が広まったのかという点に踏み込むと問題はドイツのナショナリズムに関わる。信仰が広まる前にはドイツ側にヴェルサイユ条約を受け入れる準備があったし、講和交渉の準備を進めていた。
英仏がやらかしたのは、条約交渉の余地をドイツに与えなかったことだ(木村『第一次世界大戦』ちくま新書,205~208頁)。いわば大国のメンツを潰されたからドイツが反発したってことなんだが、その大国意識には西欧(特に英仏)と比べてドイツが優れているかっていう基準があったわけだ。
ヨーロッパの外に対しては(結果として)ドイツほど優位に立った国はヨーロッパにはなくなったんだが、そのことについてはドイツ(特に指導部と復員軍人)は言及せず、ひたすら戦勝国を非難した(平井ほか『ワイマール文化』有斐閣選書,1章序文~1節)。
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
642 名無し
2020/12/29(火) 00:30:58 ID: l31t18qs1M
見たのは大分前で、今更のレスですが2020年度の大統領選挙で此方の内容をふと思い返しました。
まとめスレで騒いでいて実況を見て、選挙の趨勢を確認したのち、目覚めた時の衝撃は一生忘れないでしょう。
その後色々調べなおし、一笑に付していたものを拾い集めています。
…フェザーンと地球教以上のどす黒いモノも見えてきています。
今は未だ先のことは分かりませんが、大統領の発言や周囲の不自然さを見る限り、望みはあるようです。
ドブ浚いが上手くいくことを願う迄です…
643 単語記事巡礼中 ◆CBGbQXRNEo
2023/03/18(土) 13:10:25 ID: GuyFGANi+5
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 15:00
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