アグネスタキオン 単語

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アグネスタキオン

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2001年皐月賞

そのは、わずか四度の戦いで神話になった。
異次元から現れ、く間に駆け抜けていった。
ライバル達を絶望させ、見る者のませる、”光速の粒子”。

そのの名は…

2012年皐月賞CMより

アグネスタキオンとは、1998年生まれの競走馬三冠馬と呼ばれたである。

な勝ち
2000年:ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)
2001年:皐月賞(GI)、弥生賞(GII)

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
アグネスタキオン(ウマ娘)を参照してください。

概要

サンデーサイレンスアグネスフローラロイヤルスキーという血統。桜花賞。全アグネスフライト河内洋騎手ダービータイトルを獲らせたである。ちなみに、アグネスタキオンの手綱も河内騎手に任されている。

幼少時から牧場関係者の評価は高かったのだが、デビューゆっくり2歳の12月になってからだった。初レースは、阪神競馬場で行われた芝2000mの3歳(旧表記)新馬戦。同レースには半日本ダービーフサイチコンコルドがいる良血ボーンキング南関東の名ロジータブロードキャスト、のちに富士ステークスを制するメイショウラムセスが出走しており、アグネスタキオンは単勝3番人気に支持された。そんなレースでアグネスタキオンは剃のような切れ脚を見せ、後続に3身半差をつける快勝。新馬戦で飾った。

伝説のラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)

2戦に選んだのは、ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)。新馬戦を鮮やかに勝利したアグネスタキオンだったが、単勝4.5倍の2番人気に収まる。

1番人気クロフネ。当時(2001年)は外国産馬(通称・マル外)にもクラシック競争への出走が制限付きで開放された年であり、「マル外開放元年」とも呼ばれた年でもあった中、かつて鎖国状態のに開を迫った「」の名がつけられたその外国産馬い段階で注されていた。実際、前走まで2戦続けてレコード勝ちをしており、さらにそのうちの1つは今回と全く同じ「阪神・芝2000m」のエリカ賞だったということで、単勝1.4倍というダントツの1番人気であった。

また、それに続く3番人気ジャングルポケット札幌3歳ステークスで下していたタガノテイオーが2週前の朝日杯3歳ステークス(GI)で2着に入線していたので、それを上回っていたジャングルポケットにも評価が集まっていた。

そしてレースが始まる。

えて

容赦などしない
突き放してやる
置き去りにしてやる

それで終わりか
えかかってこい
意地を示せ
追いついてみろ

できないのなら下がれ
えていく私の背中
そこで見ているがいい

JRA名馬の肖像アグネスタキオンexit

レースでは、スタート後にスローペースを察した河内が、3コーナーでまくり4コーナーで先頭に並ぶといういわゆる仕掛けと言われる戦法を取った。にもかかわらず、出走の中で最速となる上がり3ハロン341を記録し、残り150メートルで2着ジャングルポケットに2身半差をつけて勝(クロフネは3着)。クロフネ記録していた2歳・芝2000mのレコードタイムをさらに更新するという圧勝劇を見せつける。しかも、上の河内洋騎手レース後に「きょうは肩ムチしか入れてない。まだ余裕がある感じでゴールした」などと、余裕があったと発言していた。

なお2着ジャングルポケット、3着クロフネまでが当時の2歳レコードタイム更新しており、クロフネと4着エーピーウィザードの間は5身差が広がっていた。クロフネは後にNHKマイルカップジャパンカップダートを、ジャングルポケットは後に日本ダービージャパンカップを制することになる。結果的に後のGIレコードタイムで1着~3着を占めるというハイレベルな結果となり、このレース伝説レースの1つとしてり継がれている。

早くも「未来の三冠馬」の声

ラジオたんぱ杯3歳ステークスでアグネスタキオンが見せた圧勝劇は、競馬業界に広く知れ渡った。

翌日の競馬新聞の見出しには「怪物」「とんでもない大物出現」と記載された。また、当時は朝日杯3歳ステークスの勝ちJRA賞の「最優秀3歳(現在で言う2歳)」に選出されるのが慣例であったのだが、この年は朝日杯を制したメジロベイリー147票に対し、アグネスタキオンは119票の票を集め、朝日杯勝利せず異例のJRA賞受賞まであと一歩まで迫るなど、競馬記者からも高く評価された。

そして、前年度の日本ダービーを制していたのが全アグネスフライトだったこと、それに騎乗していたのが同じ河内洋騎手だったこともあり、この時点で朝日杯勝ちメジロベイリーを差し置いてクラシック最有とのが上がり始めた。

その後、年が明けて弥生賞前、アグネスタキオンを管理する長浜博之調教師が以下のようにコメント

「スケールという点ではアグネスフライトよりこちら(アグネスタキオン)の方が上。この時期に三冠を意識するのは調教師になって初めて。」

「(レース当日の予報について)中山の悪馬場で殺されることが心配?このには展開、馬場…あらゆる面での対応、自在性を感じる。その手のことを敗因に挙げなきゃいけないレベルなら軽々と三冠なんて口にしないよ」

長浜博之(調教師)

まだ一冠(皐月賞)も取っておらず、その前戦も走っていないにも関わらず営は「三冠」を意識していると発言したのである。また長浜調教師は慎重としても知られ、競馬記者に対してもそっけない対応が多くサービストークをするような人物ではなかった。その長浜調教師がこれだけの自信をのぞかせるのもしかったという。

不良馬場もなんのその・弥生賞(GII)

年はあけて弥生賞(GII)。アグネスタキオンがくからこのレースで走ることを明言していたため対戦を避ける営も多く、8頭立てのレースとなった。そんな中アグネスタキオンは、単勝1.2倍の圧倒的な支持を受ける。

初めて経験する関東への輸送があったうえ、当日の馬場大雨で極悪の不良馬場となっていた。しかし、このレースも直線で差が開く一方。2着ボーンキングに5身差をつけて、こちらも圧勝する。

また、このレースに出走して4位に入着したマンハッタンカフェは、後に菊花賞天皇賞有馬記念を制することになり、ここでも後のGIを一蹴する結果となった。

距離移動、そして悪も苦にしない事も分かり、三冠への期待は更に高まった。新聞の見出しにも「(皐月賞もらった)タキオンなし」の文字が躍った。また皐月賞ウイークの公式会見でも、長浜調教師は再び「三冠を意識している」と口にした。

「まず一冠!」 皐月賞(GI)

そして営は、一冠して皐月賞に挑む。

このレースの前のアグネスタキオンの様子について、河内騎手は「何か今までとは違っていた」と振り返っている。まず直前の追い切り調教で、予定していたDWコースヘの入場をが嫌がったため坂路で追い切ったとのこと。また栗東トレーニングセンターから中山競馬場へ移送するためのにも、なかなか嫌がって乗り込まなかった。さらにレース直前のゲートではアグネスタキオンはゲート入りを嫌い、最終的に覆面をかぶせてなんとか機内に収まるなど、急に嫌がるようになったという。

そんな中始まる皐月賞。アグネスタキオンは一番人気。しかも、当時歴代2位の単勝支持率59.4%、単勝オッズ1.3倍というダントツ人気であった。

先団の5番手という好位置を進み、第3コーナーから徐々にポジションを上げる。そして、もはや予定調和とも思えるように直線入り口で抜け出すと、後続が背後に迫ったらまた伸びて突き放してのゴール。1身半差の2着に追い込んできたダンツフレームも、大勢が決してから差を詰めてきたに過ぎず、ジャングルポケットも3着まで上がるのが精一杯だった。河内騎手は、この勝利で史上5人となる5大クラシック全制覇の偉業を達成した。

しかし河内騎手は「欲をいえば、もっとビュッと伸びてほしかった。今までがもっと突き放して勝ってくれていたからね。でも、今までより相手もをつけて来ているわけですし、それは贅沢ですね」などとコメント。アグネスタキオンが本調子ではなかったことを示唆するような感想っていた。

皐月賞2着のダンツフレームは古になって宝塚記念を制するなど、決してライバルが弱かったわけではない。そんな中で、まさに横綱相撲勝。実況スタート時からアグネスタキオンが勝つ前提でアナウンスし、勝った間には「まず一冠!」とまで言っている。

この勝利によって、いよいよシンボリルドルフ以来の「無敗の三冠馬」への期待が不動のものとなっていく。正直、見ている競馬ファンもほぼ全員がそう思っていた。それくらい強い勝ち方だったのである。

しかし・・・。

早すぎる引退

皐月賞後の5月2日に、左前屈腱炎が発覚。当時は「全治6か」と発表され、期待されていた日本ダービー菊花賞を回避することとなった。いったん北海道の社台ファームへ放牧に出されたが、関係者の協議により8月29日にそのまま現役を引退することが発表された。9月30日には阪神競馬場引退式が行われた。

その報を聞いてアグネスタキオンのファン論、今年の軸はこいつ買っとけば安心と思っていた馬券系のファンまで呆然となったものである。

その年のGIは、ジャングルポケットクロフネマンハッタンカフェが3歳時にの古混合G1を3勝(ジャパンカップジャパンカップダート有馬記念)し、また翌年にマンハッタンカフェダンツフレームが上半期の古G1勝利アグネスタキオンに敗れたたちが席捲した。それらの勝利は、結果的にアグネスタキオンがめて評価されることにもつながり、「仮にアグネスタキオンが故障せずに現役を続行していれば」とられる所以となっている。

また、この年の日本ダービー(GI)はジャングルポケット勝利するが、実況を担当した某アナウンサーは「その2身前にアグネスタキオンの姿が見えた」と後にっている。

種牡馬として~早すぎる最期

引退種牡馬になったアグネスタキオンは、もう一度競馬ファンを驚かせる。ロジックがNHKマイルカップを勝つなど、初年度産駒から大活躍。翌年にはダイワスカーレットを、さらにその翌年にはと同じ皐月賞勝利したキャプテントゥーレ、またの果たせなかったダービーを制覇したディープスカイなどを排出。

そして3年には内種牡馬としては51年ぶりとなるリーディングサイアーを獲得。亡きサンデーサイレンス後継筆頭に躍り出たのである。

しかしながらその矢先、2009年急性心不全突然死亡享年11歳。種牡馬としても底を見せないまま去っていってしまった。(幸か不幸引退かったので、排出した産駒は約8世代と年齢べて長いのが救いか。)

三冠馬の大種牡馬。「光速える粒子」を表すその名の通り、いつまでもの姿が見えてこない。そんなであった。

そして……

アグネスタキオンの孫である(アドマイヤオーラ産駒アルクトスマイルチャンピオンシップ南部杯にて、クロフネ日本1600mダートレコードを大きく更新するタイム勝利した。また、ノンコノユメニシノデイジーなど、「アグネスタキオン」としての競走馬が多く活躍しており、2015年以降のBMSリーディング(としての獲得賞を合算したランキング)では常にTOP10にランクインし続けている。(2023年現在

アグネスタキオンの名前はまだまだ血統表記憶から消えることはなさそうである。

そして2021年、某競馬コンテンツで知名度が爆上がりし、一躍大人気となるのだが、それはまた別のお話……

「神話」とは

めてこのの戦績について。生涯成績は4戦4勝。な勝ち皐月賞(GI)。

こうして振り返ると、「敗のまま皐月賞を勝った」という事実だけでもちろん十分強いのは分かるが、最近競馬を見始めた人には何故アグネスタキオンが高い評価を得ているのか疑問に思う人もいるかもしれない。ましてやJRACMでは「そのは、わずか四度の戦いで神話になった。」と評されるほどである。

その理由としては、「当時のアグネスタキオンに対しての『三冠当確ムー』が凄かったから」という事に他ならない。

東スポnoteの記事「アグネスタキオンは〝知っていた〟のか…「ウマ娘」でも異彩を放つ名馬の強さと謎を「東スポ」で解き明かすexit」では、「当時のアグネスタキオンに対する『三冠当確ムード』は、あのディープインパクトに匹敵するほどだった。しかも、3歳の時点の「死のなさ」はディープ以上だった。」と分析している。詳細は記事に譲るが、アグネスタキオンは、

などという背景に加えて、

というふうに4戦をただ勝っただけでなく、多種多様な状況におかれてその上で余裕を持った圧勝を見せるという、「死がない」ほどの勝ち方を見せたことが評価につながっている。

それほどの才覚を示し、「無敗の三冠馬」という称号に手がかかっていたまさにその時、志半ばで彼はターフを去った。そして、この4戦で下したライバルたちがその後のGIで次々と結果を出していく現実。それを見つめていた彼の関係者、そしてファンがどんな気持ちだったのかは想像に難くないだろう。

ファンだけが責任に見たではなく、営だけがに見たでもない。当時の多くの人が、「アグネスタキオンは三冠馬になれる」と確信していた。だからこそ彼が駆け抜けていった4戦や、彼が引退しなかった「もしも」の生を、「三冠馬」という称号ともに皆がりたくなるのである。

「アグネスタキオン」というく間に通り過ぎていったい煌めきは、もがり継ぎたくなる「神話」となり、日本競馬歴史に今も然といている。

衝撃伝説

デビューした間から、計り知れない強さを見せつけた。
もが三冠馬の誕生に思いを馳せ、その衝撃の走りにを重ねた。
アグネスタキオン、君の凄さに魅了された者たちが、
歴史越した勇姿を永遠にり継ぐだろう。

JRAヒーロー列伝No.51 アグネスタキオンexit

血統表

*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
アグネスフローラ
1987 鹿毛
FNo.1-l
*ロイヤルスキー
1974 栗毛
Raja Baba Bold Ruler
Missy Baba
Coz o' Nijinsky Involvement
Gleam
アグネスレディー
1976 鹿毛
*リマン Alcide
Admonish
コマエイカン Sallymount
*ヘザーランズ
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

主な産駒

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