アジョ・モータースポーツ 単語

アジョモータースポーツ

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アジョ・モータースポーツexitとは、MotoGPMoto2クラスMoto3クラスに参戦するレーシングチームである。

KTMの多大な支援を受けている。
 

近年の動向

Moto2クラス

2014年までのアジョ・モータースポーツはMoto3クラス専門のチームだったが、2015年からMoto2クラスにも参戦するようになった。

2015年2016年Moto2クラス部門はKALEXのシャーシを使用していた。KTMスポンサーに付かなかったが、その代わりKTMの関連企業であるWPというサスペンション企業スポンサーに付いた。この2年間でヨハン・ザルコMoto2クラスを2連覇した。2015年セッティングデータチームになかったはずだが、驚くべき快挙だった。

2017年から2019年までの3年間はKTMMoto2クラスのシャーシ製造に参入することになり、アジョ・モータースポーツがその受け入れ先となった。Moto2クラスは「参入メーカー特定チームえこひいきしてはいけない」という規制Moto3クラスべて緩いので、この2017年2019年の3年間は「アジョ・モータースポーツはMoto2クラスにおいてKTM支援を最優先で受けるKTMワークスだった」といえる。2017年ミゲール・オリヴェイラランキング3位、2018年ミゲール・オリヴェイラランキング2位2019年ブラッド・ビンダーランキング2位になっている。

2019年をもってKTMMoto2クラスのシャーシ製造から撤退したので、2020年以降はKALEXのシャーシを再び使うようになった。KTMのシャーシを使わなくなったが、KTM支援を受けるようになったので、マシンに「KTM」という大きな文字が入っている。2021年は所属ライダーレミーガードナーとラウルフェルナンデスランキング1位2位を独占した。
 

Moto3クラス

2012年Moto3クラスが始まり、その初年度からアジョ・モータースポーツはKTMマシンを使う名門チームとしての存在感が強い。

しかし、Moto3クラスは「参入メーカー特定チームえこひいきしてはいけない」という規制が強く、KTMもアジョ・モータースポーツに対して優先的にシャーシやエンジンを投入しているわけではない。このため「アジョ・モータースポーツはMoto3クラスにおいてKTM支援を最優先で受けるKTMワークスである」と表現することができない。

2012年サンドロ・コルテセがチャンピオンになり、2013年ルイス・サロムランキング3位になり、2014年ジャック・ミラーランキング2位になり、2015年ミゲール・オリヴェイラランキング2位になり、2016年ブラッド・ビンダーチャンピオンになっている。

しかし2017年から2019年は不振となった。特に2018年2019年は1台体制となり、Moto2クラス部門に人員を奪われているかのような観があった。

2019年までCEV(スペインなどで行われる若手向け選手権)にも参戦していたアジョ・モータースポーツだが、2019年をもってCEVから撤退した。そして2020年からMoto3クラスへの参戦台数を再び2台体制に戻した。2021年ペドロ・アコスタを擁して6年振りにチャンピオンを獲得した。
 

ライダー

Moto2クラス

名前 出身地 身長・体重 誕生日
37 アウグスト・フェルナンデスexit スペイン マドリードexit 181cm68kg 1997年9月23日
51 ペドロ・アコスタexit スペイン マサロンexit 160cm62kg 2004年5月25日

 

Moto3クラス

名前 出身地 身長・体重 誕生日
5 ジャウマ・マシアexit スペイン アルヘメシexit 165cm55kg 2000年10月31日
96 ダニエル・オルガドexit スペイン サン・ヴィセンテ・デル・ラスペイグexit 2005年4月27日

 

参考資料

歴代ライダースペイン語版Wikipedia記事exit英語版Wikipedia記事exitに掲載されている。
 

スタッフ

チームオーナーチーム監督フィンランド語版Wikipediaの記事があるexit

1968年9月11日フィンランドアカーexitトイヤラexitで生まれた。

若い頃はバイクレースに明け暮れており、モトクロスexit凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)、アイスレースexit(凍り付いたの上をスパイクタイヤ付きのバイクで走る競技)をしていた。フィンランドというのはが非常に多く、内に18万8000のがある。緯度が高くて北極に近いので、カチカチに凍り付き、アイスレースをするのにぴったりとなる。

1996年、28歳の頃に負傷してしまい、それを機にバイクレースから引退した。翌年の1997年にはアジョ・モータースポーツというレーシングチームを立ち上げており、2001年にはMotoGP125ccクラスに参戦するようになった。

ライダー人選が非常に上手いことで定評があるアキアジ監督を付けたライダーが移籍初年度から大活躍するのはおなじみのことで、ミゲール・オリヴェイラブラッド・ビンダーヨハン・ザルコジャック・ミラーサンドロ・コルテセ、マルク・マルケスマイク・ディメッリオと次々と名前が挙がる。

アキ・アジョ監督がライダー選びについて語ってる記事があるexit速さだけでなく普段の様子、態度、ライダーの周りのスタッフ家族の様子、これらもしっかり観察するのだという。


MotoGPの中には、シーズン途中にライダー解雇するチームがある。シーズン後半戦が始まると成績不振のライダー解雇されて新しいライダーに切り替わっている姿がちらほら見られるようになる。ところが、アキアジ監督は「2001年MotoGP参戦を始めて以来、自分は契約途中にライダー解雇したことがない」とこの記事exitっている。その話を聞くと、アキアジ監督の顔が様のように思えてくる。

ところが、アジョ・モータースポーツがライダーに対してきちっと持参を請してくるチームだと言うことも事実である。ヨハン・ザルコの記事で「アジョ・モータースポーツに在籍していたときはチームお金を払っていた」という告白を読むことができる。MotoGPチームライダーに持参を要することなどごく普通のことなのだが、やはりそういう話を聞くと、アキアジ監督の顔がに見えてくるだろう。


アキアジ監督MotoGPライダーマネージャー契約交渉の代理人。ライダーに代わってチームスポンサー探しをする)を務めている。2019年現在ジャック・ミラーマネージャーを務めている。過去にはマーヴェリック・ヴィニャーレスマネージャーを務めたこともある。ドゥカティ系のチームに所属するジャック・ミラーのところにKTMオレンジ色のシャツを着たアキアジョが近寄って何かしゃべっていることもしばしば見られる。

アキアジ監督は今もフィンランドに住んでおり、になると若手ライダーを呼び集めて、アイスレースをする。マーヴェリック・ヴィニャーレスジャック・ミラーSNSを見るとアイスレースの画像が出てくるのだが、これはアキアジ監督に招かれた時の画像である。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit


アキアジ監督フィンランドバイクレース界の重鎮なので、彼を頼りにフィンランド人の若手ライダーが集まってくる。その全員を自分のチームで走らせることは難しいので、仲の良いチームに「この子を走らせてやってくれないか」と紹介している。そのうちの1人が上田昇さんである。上田さんはスペインカルタヘナexitTeam Nobbyexitというチームを持っており、2018年Kenny KoskinenとPeetu Paavilainenという2人の若手を預かって、CEVのEuropean Talent Cupというクラスで走らせていた。

ある時、上田さんはふと思い立って、アキアジ監督から預かったフィンランド少年たちに「アキアジ監督も、アイスレースをするの?」と尋ねた。すると少年たちから返ってきた答えは「そうですよ。ちよりも速いんです」だったという。

アイスレースというのは滑りやすい氷の路面で行われるので、体重の重いライダーが有利であり、アキアジ監督少年ライダーより速く走っても全く不思議ではない。とはいえ、50歳近い男が少年よりも速く走るというのは、なんとも面である。
 

クラスアジョはアキアジ監督息子で、1994年7月10日ヴァルケアコスキexitで生まれた。そのときのアキアジ監督は、その辺に住んでいたのだろう。アキアジ監督の生まれがアカーのトイヤラexitなので、そこからは北東に15kmしか離れておらず、隣町である。

フィンランド選手権125ccクラスチャンピオンになり、MotoGPの軽量級(125ccMoto3)で2011年から2015年まで走っていたexit

アキアジ監督の方は、やはりニクラスのことを心配していたようで、この記事exitでは「として、ニクラス事に帰宅できることを願っている」と言っているし、この記事exitではインタビュアーに「ニクラスが負傷してデータ記録スタッフになっているときのアジョさんは、とてもリラックスしていたように見えましたよ」と言われている。

彼の現役時代には2つの動画が上がっている。1つは、ロマーノ・フェナティキルスイッチ事件exitである。2015年アルゼンチンGP日曜のウォームアップで、ロマーノ・フェナティexit発狂激怒し、ニクラスに対して怒鳴り散らしたり蹴りを入れたりした挙げ句、スタート練習の時に横に付けてニクラスマシンに手を伸ばしてキルスイッチを押してエンジンを停止させた。Moto3マシンエンジンが止まると自再起動できないので、ニクラスマシンをその場においてパドックに戻らざるを得なかった。ロマーノは最後尾スタートのペナルティが与えられたexit。この事件を知るものは、ロマーノのことをキルスイッチと呼ぶことがある。

2つ2015年オランダGPの危機である。動画を見るとよく分かるexit。このシーンはみんな覚えていて、2018年製作の動画exitの2分04ごろで紹介されている。

2015年(21歳)で引退し、その後は学校に行っていたらしい。2018年(24歳)にはアジョ・モータースポーツのCEV部門にいて、ジャン・オンジュにアドバイスをしていたexit

2018年終戦バレンシアGPではジャンオンジュがスポット参戦したのだが、そのときニクラスも付いてきていて、映像に映っていた。この動画exitこの動画exitでニクラスの姿が映っている。ニクラスアキアジ監督に「お前が表式に行けよ」と言われたのだが、「は若いし・・・」といって断っていた。そのため、アキ・アジョ監督が表彰式に参加しているexit。※この記事exitが資料

2019年も引き続きCEV部門で働いていて、デニス・オンジュにアドバイスをしているexit

2022年現在CEV部門がなくなったので、Moto3クラス部門に帯同し、所属ライダーアドバイスをしている姿が見られる。
 

Moto2部門のベテランチーフメカニックイタリア北部のモデナexit出身で、2002年のころにはMotoGPメカニックを務めており、Campetellaという250ccクラスチームで働いていた。そのとき、そのチームに新人の手伝いとして入ってきたクリスチャン・ガバッリーニ2007年以降にケーシー・ストーナーチーフメカを務め続けた)をチームLCRexit推薦している。

この記事exitでは、「マッシモ・ブランキーニは125cc時代のケーシー・ストーナーチーフメカだった」と書いてある。どうやら、マッシモ・ブランキーニもクリスチャン・ガバッリーニを引き連れてチームLCRに移っていったらしい。

このSNSexitによると、2011年以降はずっとアジョ・モータースポーツで働いているとのこと。2013年はズルファミ・カイルディンのチーフメカexit2014年ダニーケントチーフメカを務めた。

2015年以降はMoto2クラス部門に移り、2015~2016年はヨハン・ザルコのチーフメカを務めてヨハンの2年連続チャンピオン獲得を支えexit一気にを得ることになった。2017~2018年はミゲール・オリヴェイラのチーフメカexit2019年はホルヘ・マルティンのチーフメカexit2021年レミーガードナーのクルーチーフで、2022年はアウグスト・フェルナンデスクルーチーフである。
 

チームの歴史(2011年以前)

アジョ・モータースポーツは2001年からMotoGPの軽量級クラスである125ccクラスに参戦するようになった。125ccクラス2ストローク125ccエンジンを載せたマシンが競争するものである。

2001年から2011年までの125ccクラスにおけるアジョ・モータースポーツの活動は日本語Wikipediaexitに詳しい。

日本フィンランドルーマニアチェコデンマークフランスオーストリアスイスドイツイギリスイタリアスペインマレーシアとさまざまなからライダーを起用しているのが印深い。

マシンホンダマラグーティアプリリアとデルビ(どちらもピアッジオグループ)と変遷している。


2008年以降は一気にチームとなり、2008年マイク・ディメッリオ2010年マルク・マルケスチャンピオンになった。2009年サンドロ・コルテセはランキング3位、2011年ヨハン・ザルコランキング2位

2008年から2011年までは、アジョ・モータースポーツとアンヘルニエトチームexit(当時の名称はチームアスパー)が2強といった印があった。この2チームが交互にチャンピオンを輩出している。

マルク・マルケスが加入してからチャンピオンを獲得するまでは、この本exitの86ページ以降に書かれている。非常に評判の良いチームなので、マルク・マルケスの保護者であるエミリオ・アルサモラが直々にアジョ・モータースポーツを選んだ。

2010年シーズン125ccクラスは全17戦で行われたのだが、第16戦ポルトガルGPの日曜日アクシデントが起こった。いつものように決勝が始まったのだがレース中にが降り始めて旗中断、周回数を大幅に減らしてレースを再開することになった。そして、再開レースサイティングラップピットから出てスターティンググリッドに付くまでの慣らし運転)でマルク・マルケスが転倒してしまったのである。

このとき、マルクランキング1位だったが、ランキング2位ニコラス・テロルとは僅か12ポイントしか差がかった。マルクノーポイントニコラスが3位以上に入ると、ランキングが入れ替わってしまう。

チームスタッフになりつつも、戻ってきたマルクマシン全員必死に修復し、マルクは最後尾ながらスターティンググリッドに付くことができた。このとき、熱くなったエキゾーストパイプ(エンジンから排気する管)を素手で掴んでいたスタッフもいたという。そういうチームスタッフの懸命な作業が実り、マルクマシンは勢い良く走り、マルクは最後尾から追い上げて優勝した。

そのときのドキュメント動画こちらexit。アジョ・モータースポーツでなければ、マルク・マルケスはこの年のチャンピオンを逃していたかもしれない。

2012年以降の軽排気量クラスMoto3クラスとなり、4ストローク250ccエンジンを載せたマシンを使用するようになった。この時代以降については本記事の冒頭の『近年の動向』を参照のこと。
 

スポンサーや協力企業

2019年現在のスポンサー

ご存じ世界最大のエナジードリンク企業ニコニコ大百科にも記事がある(→Red Bull)。レッドブルとは英語で「」という意味。

オーストリアザルツブルグ近郊のフシュル・アム・ゼーexitというの畔のド田舎に本社がある。正確な住所はここでexitの南にある。

モータースポーツに理解があり、F1MotoGPなどに多額の資をつぎ込んでくれる。さらには飛行機レースであるレッドブルエアレースexit催している。こんな風に飛び回る競技exit

MotoGP2007年からルーキーズカップexitを開催していて、これの看板スポンサーレッドブル2016年佐々木2017年一輝チャンピオンいた。
 
日本の一部のネットユーザーの中に、レッドブルのことを「べこ」と呼ぶ人がいる。「べこ」とは福島県会津地方おもちゃであり、日本語版Wikipediaexitもある。「べこ」というのは東北地方方言で「」という意味。

2018年8月F1レッドブル支援を受けるトロロッソイタリア語で「」という意味)が、マシンの愛称をAkabekoにしていたexit。同年10月会津若松市市長が、トロロッソのドライバーに赤べこを贈っていたexit
 

フィンランドの産業用大特殊自動車メーカー雪かき自動車、ホイールローダーなどがある。

フィンランドの卸売業者で、バイク用商品を中心に幅広く商売している。この会社と契約している販売店ネットワークは、フィンランド内を網羅している。
 

マレーシア政府観光局exit広告
 

かつてのスポンサー

マレーシア格安航空会社ズルファミ・カイルディンexitがアジョ・モータースポーツに加入したとき、このスポンサーを引き連れてきた。2012年の彼のマシンはこんなカラーリングでexit日の丸によく似ていた。

CEOはトニー・フェルナンデスexitという人で、この人はモータースポーツ着があり、F1チームを所有するほどだった。画像検索すると、しばしばF1のレースを訪れていたことが分かるexitMotoGPにも顔を出しており、カイルディンとの2ショット画像が残っているexit。また、MotoGPの大会そのものスポンサーになっていたこともあり、ドルナのお偉いさんと握手する画像もあるexit
 

フランスの潤滑メーカーで、「イッポン」と読む。フランス人のヨハン・ザルコが乗るマシンIPONE文字日の丸が付いていた。ゼッケンの横にIPONEが見えるexit

フランスではル・マン24時間レースが行われる。四輪の方が有名だが、二輪のレースも行われる。2019年4月は日テレG+が24時間完全生中継を行っていたexit。この二輪版ル・マン24時間レーススズキフランスも参戦していて、そのレースに勝つため「耐久性に優れる信頼性の高いエンジンオイル」を開発することになった。フランスイタリアメーカーが集まってを合わせて高性オイルの製造に成功し、1985年レースに初投入し、見事に優勝という結果をもたらした。そのときにバイクへ貼り付けたステッカーが、日の丸IPONEという文字だった。IPONEというのは柔道の一本に由来している。フランス柔道なので、柔道好きの人がその名前を考案したのだろう。後に企業が立ち上げられたときもIPONE商標となった。その後も開発と製造が続いており、耐久レースでの信頼性が高い。

公式サイトこちらexit
 

協力企業

2019年現在の協力企業

オーストリアのサスペンションメーカーで、KTM企業である。

1977年後半にオランダで設立され、1995年KTM下に入った。現在オーストリアムンダーフィングexitに本社を持つ。ムンダーフィングはKTMの本社があるマッティヒホーフェンexitの隣町である。

KTM車両にはすべてWPのサスペンションが付いている。MotoGPのサスペンションスウェーデンのオーリンズ(金色~黄色の塗装が目印)exit流なのだが、それに対抗している。

2015年Moto2クラスにおけるヨハン・ザルコの快進撃を支えたのがWPで、そのときは車体にデカデカと「WP」という文字が躍っていたexit。彼の好成績を見た多くのチームがオーリンズからWP替えした。

かつてはホワイトパワーと呼ばれていたが、白人至上義と間違われやすいので、現在ではそのブランド名を用いない。黒字または字の「W」とい「P」の二文字で表示する。

最近ではそうでもないようだが、かつてはスプリングが同社製品の印だった。創業直後に知り合いの業者に錆防止のためのスプリング塗装依頼したところ、たまたまその業者が医療機器専門の企業であったため、しか塗料がなかった。スプリングにして売り出したらよく売れたので、スプリング印になった。
 

かつての協力企業

スウェーデン首都ストックホルムexitに本社がある芝刈り機・チェーンソーメーカー日本語Wikipediaexitがある。

創業の地は、ストックホルムから南西に275km離れたハスクヴァーナexitというである。このにはハスヴァーが流れている。ハスヴァーナ自体は、「風車」という意味。

会社の起スウェーデン王室に納めるマスケット銃の製造工場である。このため今日ハスヴァーナのトレードマーク口(身)と照準をデザイン化したもので、こういうロゴexitが商品に付いている。

1680年、ハスヴァーのそばにスウェーデン王室直営の工場が建てられ、1689年に企業として設立された。1872年頃からミシンを作るようになり、1896年から自転車を作るようになり、1959年からは芝刈り機やチェーンソーを作るようになった。


ハスヴァーナのオートバイ部門がハスクヴァーナ・モーターサイクルズexitで、日本語Wikipediaexitがある。1903年に創業し、1960年代にはモトクロスレースで圧倒的な勢いを持った。1987年イタリアのカジヴァに売却され、2007年にはドイツBMWの手に渡り、2013年KTM下に入った。

2014年2015年KTM支援を受けてMotoGPMoto3クラスに参戦した。

2014年ハスヴァーナのマシンを使ってレースに挑んだのがアジョ・モータースポーツで、ニクラスアジョとダニーケントだった。蛍光黄色のホイールのマシンでexit立っていた。

2015年ハスヴァーナのマシンを使ってレースに臨んだチームラグリースである。このチームオーナー片仮名を気に入っていたらしく、「ラグリース」と車体に片仮名が躍っていたexit。当時のライダーマリア・エレーラのTwitterに、いくつか画像がある 画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit
  

拠点

アジョ・モータースポーツのスペイン語Wikipediaに、「チームの本拠地はフィンランドアカーexit」と記されている。

スペインカタルーニャ州バルセロナにも拠点がある。デルビexitというスペインバイクメーカーがあるのだが、その会社の工場バルセロナ郊外にあった。デルビがその工場における生産を止めたあと、アジョ・モータースポーツが工場跡を使用することになった。2010年にアジョ・モータースポーツはデルビのマシンを使ってマルクを走らせて125ccクラスチャンピオン獲得しており、両者は関係が深かったのである。アジョ・モータースポーツがデルビの工場跡を使うようになったのは2013年3月頃だという。※資料はこの記事exit
 

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