アトレティコ・マドリード単語

アトレティコマドリード

8.7千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

アトレティコ・マドリードClub Atlético de Madrid)とは、スペインラ・リーガに所属するサッカークラブである。

本拠地はマドリード。ホームスタジアムはエスタディオメトロリターノ。アトレチコ・マドリードとも表記される。チーム称は「アトレティコ」、「Colchonerosマットレス)」、「Rojiblancos()。

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
アトレティコ・マドリード
基本情報
創設 1899年
所属リーグ ラ・リーガ
ホームタウン マドリー
ホームスタジアム シビダス・メトロリターノ
(67,829人)
クラブカラー
代表者 エンリケ・セレソ
プロサッカークラブテンプレート

1903年創設。プリメーラ・ディビシオン優勝11回の実績を持つスペインでも3本に入るほどの実を持ち合わせ、UEFAヨーロッパリーグ3度優勝2014年2016年にはUEFAチャンピオンズリーグファイナルに進出するなど近年、舞台でも着実に実績を積んでいるクラブである。

2000年代は2部降格を経験するなど低迷期が続いていたが、2011年ディエゴ・シメオネ監督に就任して以降は、しい守備を持ち味とする堅守速攻のスタイル欧州の強チームとしての地位を確立。また、フェルナンド・トーレスコケ、サウール・ニゲスに代表されるように下部組織から優秀な選手を輩出しており、若い選手の登用も積極的である。また選手を見抜くにも定評があり、特に近年獲得するフォワードは必ずといってもいいほど大当たりしており、スカウトレベルの高さがうかがい知れる。

マドリード北部を本拠地とするレアル・マドリードとはしいライバル関係にあり、この2チームの対戦はマドリード・ダービーと言われスペインでも屈の盛り上がりを見せる。2000年から14年間ダービー勝利という不名誉な結果を残していたが、2013年のコパ・デル・レイ決勝に勝利したことで呪縛から解放され、近年は実が伯仲した注の一戦となっている。ちなみに2014年2016年UEFAチャンピオンズリーグ決勝でマドリード・ダービーが実現している。

マドリード北部の富裕層のファンが多いレアル・マドリードに対し、アトレティコ・マドリードのファン南部の労働階級層が多いとされている。熱狂的でクラブへのが深いことで知られ、2部に降格した際はチームを見捨てず支えるためにソシオの数が急増したという逸話がある。また、2003年からスペイン国王フェリ6世が名誉会長に就いている。

2013-14シーズンは、前シーズンより揮を執るディエゴ・シメオネ監督の下で快進撃を続け、1995-96シーズン以来18年ぶりのリーグ優勝UEFAチャンピオンズリーグでも準優勝というかしい成績を残した。当時のリーガ・エスパニョーラは、絶対的なサポーター数や放映権料の格差などからレアル・マドリーバルセロナの2強体勢が続いており、2001-02シーズン優勝したバレンシアを最後に、12年間に渡りこの2強が優勝を独占してきた。アトレティコは年間120億円というスペイン第3の運営規模を持つとはいえ、500億円える2強の財とはかけ離れている存在であり、そんなアトレティコの躍進は、現代サッカー潮にを開ける快挙として、大きな賞賛を受けている。

歴史

1903年にマドリードに在住するアスレティック・ビルバオサポーターバスク学生が中心となって設立。設立当初はアスレティック・ビルバオのチームという扱いで、チーム名も「アスレティック・クルブ・デ・マドリード」だった。1907年独立し、公式戦への参加が増えていく。

1930年代後半に軍隊のチームとなり、チーム名も「アトレティコ・アビアシオ」に変更される。このチーム名の時期の1940年クラブタイトルとなるリーガ・エスパニョーラ優勝を飾っている。翌年もリーガを連覇しており、1940年代には10年間で8回トップ3入りする強チームとなっていた。1947年現在チーム名に変更されている。

1949年アルゼンチン人のエレニオ・エレーラが監督に就任。ラルビ・ベンバレク、ヘンリーカールションらを擁したチーム1950年1951年リーガを連覇。1952年にエレーラは退任すると一時チームを失うことになるが、1960年代に再び勢いを取り戻す。1959-60、1960-61シーズンのコパ・デル・レイで初優勝を含む連覇を飾る。さらに、1962年には初のタイトルとなるUEFAカップウィナーズカップ優勝。当時内ではアルフレッド・ディ・ステファノを擁したレアル・マドリード覇権を握っていたためリーガ優勝するのは困難だったが、それでも1965年にコパ・デル・レイを制した翌年の1966年リーガ優勝している。また、この年に本拠地をビセンテ・カルデロンに移転。

1970年代三度リーガ・エスパニョーラを制しており、レアル・マドリードFCバルセロナと共に三強の時代に突入していた。1974年には初めてUEFAチャンピオンズリーグ決勝へ進み、フランツ・ベッケンバウアーを擁したバイエルン・ミュンヘンを相手に再試合までもつれ込む死闘を演じたが、あと一歩のところでビッグイヤーを逃している。その後、出場を辞退したバイエルンに代わって出場したインターコンチネンタルカップではCAインペンディエンテを下して優勝している。ちなみに、ビッグイヤー獲得経験がいのに同大会で優勝したことがあるチームはアトレティコのみである。

1987年に事業化のヘスス・ヒル会長に就任。豊富な資を活かして次々と選手を獲得し、チームの強化を図ると1990-91、1991-92シーズンにコパ・デル・レイを連覇。そして、1995-96シーズンには、ホセルイス・カミネロディエゴ・シメオネミリンコ・パンティッチらの活躍によってクラブ史上初となるリーガとコパの内二冠を達成という大きな成果を残している。一方でヒルは「首切りヒル」と呼ばれるほどすぐに監督を代える傾向があり、在任した16年間で26人もの監督を起用。ACミランで一時代を築いたアリーゴ・サッキさえもヒルギロチンによってすぐに首を切られている。そのためチームの勢いは安定せず、また90年代後半に入るとヒルの放漫な経営によってチームは多くの負債を抱えていた。1999-2000シーズンにはクラウディオ・ラニエリの戦術が浸透せずチームは低迷。ラニエリを解任し、チームを二冠に導いたラドミルアンティッチを再招聘するが、19位でシーズンを終え、二冠獲得からわずか4年でクラブ史上初のセグンダ・ディビシオン(2部)降格というどん底に転落する。

1年でのプリメーラ・ディビシオン復帰は果たせなかったが、ルイス・アラゴネス監督に就任し、フェルナンド・トーレスデビューした2001-02シーズンにセグンダ・ディビシオン優勝し、1部復帰を果たす。2003年ヒル会長を退き、エンリケ・セレソが会長に就任する。プリメーラに復帰後は、エースとして成長したフェルナンド・トーレスリーガを代表するスター選手となる活躍を見せるが、ヒル時代の負債もあって成績に結びつかず、低迷期を迎えていた。

2007年フェルナンド・トーレスリヴァプールFC放出するが、新たなエースとしてセルヒオ・アグエロが加入。ハビエル・アギーレ監督チーム作りは不安定で批判されたが、アグエロディエゴ・フォルラン南米2トップ爆発によって2007-08シーズントップ4入りを果たし、12年ぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する。2008-09シーズンCLこそグループステージで敗退したものの、UEFAヨーロッパリーグでは決勝でフラムと対戦。ファルカオの2ゴールの活躍によってELの初代王者にき、45年ぶりに欧州タイトルを獲得する。だが、その後も不安定なシーズンが続き、資で大きな差があるレアル・マドリードFCバルセロナの二強との差は広がる一方で、2011年には奮闘していたアグエロフォルランって退団。もが暗黒時代の到来を予感していた。

2011年12月クラブのOBであるディエゴ・シメオネ監督に就任。シメオネは、持ち前のを発揮し全選手に高い守備意識とハードワークを植え付け、守備底と駄のない効率的な走りを重視し、中盤と最終ラインに強固なブロックを形成。奪ったボールを手数をかけずに前線へ繋ぐ堅守速攻のシンプルスタイルへとを切る。すると、戦う集団と化したチームは快進撃を続け、2011-12シーズンのELではグループステージからの10連勝で2シーズンぶりに優勝リーガでも二強に対抗しうる存在にまでなった2012-13シーズンのコパ・デル・レイ決勝では延長戦の末に14年間勝利かったレアル・マドリードとのマドリード・ダービーを制し、17年ぶり10回優勝を果たす。そして2013-14シーズン得点ラダメル・ファルカオを失ったものの、ジエゴ・コスタ覚醒リーグ序盤からバルセロナレアル・マドリードと熾優勝争いを展開すると、首位で迎えた最終節、敵地カンプ・ノウでの2位バルセロナとの直接対決引き分け、18年ぶりにリーグ優勝を達成。シメオネは就任3年で二強越えを達成したのだった。また、この年のCLでもACミランチェルシーFCバルセロナという歴代王者を次々と破って40年ぶりに決勝へ進出。レアル・マドリードとのマドリード・ダービーとなった決勝ではあと一歩のところまで追い込むが、延長戦で崩れてしまい準優勝に終わっている。

2015-16シーズンCLでも決勝に進出し、相手は2年前と同じレアル・マドリードだった。しかし、延長戦を戦い抜くが、PK戦の末に敗れ、またも準優勝に終わる。2017-18シーズンにはELで3度優勝を果たし、このタイトルを置き土産チームの功労者だったフェルナンド・トーレスとガビが退団する。シメオネの堅守速攻スタイルは次第に研究されるようになり、リーガでもCLでも上位には進出していたが、タイトルには手が届かなかった。シメオネもこれまで放棄していたボール保持の仕組みを作ろうとしたがうまくいかず、中堅以下のチームを相手に取りこぼすことも多くなっていた。躍進を支えてきたが次々とチームを去ると、自慢の守備にも綻びを見え始め、一部では長期政権となったシメオネ限界説も唱える者も出るようになっていた。

2020-21シーズンには、FCバルセロナからルイス・スアレスを獲得。コケを中盤の底に置いたことで長年の課題だったボール保持からの攻撃が機し、さらにスアレスが新たな得点として活躍。前半戦を首位で折り返す。一方、CLではラウンド16でチェルシーに敗れ、直後のラ・リーガでも後半戦に入って取りこぼしが立ち、2位以下に勝ち点差を詰め寄られることになる。それでも4チーム優勝を争うレースを最後の最後で制し、7シーズンぶり11回ラ・リーガ優勝を果たす。

2021-22シーズンは後半戦に大きく調子を落とし、一時はCL圏内ですら逃す危機に立たされたが、ジョアンフェリックスの覚醒もあって終盤戦に盛り返し、最後は3位入賞を果たす。CLでも一時はグループステージ最下位に転落しながらも、逆転で決勝トーナメントに進出。ラウンド16ではマンチェスター・ユナイテッドを破るが、準々決勝でマンチェスター・シティに敗れている。2022-23シーズンは開幕から躓き、CLでは4シーズンぶりにグループステージで敗退となる。ワールドカップによる中断期間後は、グリーズマンの活躍もあって調子を取り戻し、2位レアル・マドリードにあと一歩にまで迫った3位で終える。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

現在所属している選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 ディエゴ・シメオネ 1970.4.28 2011 シン・クルブ
1 GK ホラツィウ・モルドヴァン 1998.1.20 2024 ラピド・ブカレス
2 DF ホセマリアヒメネス 1995.1.20 2013 ダヌービオ
3 DF サルアスリクエタ 1989.8.28 2023 チェルシー
4 DF ブリエウ・パウリス 1990.11.26 2024 バレンシア
5 MF ロドリゴ・デ・パウル 1994.5.24 2021 ウディネーゼ
6 MF コケ(C) 1992.1.8 2011 アトレティコ・マドリードB
7 FW アントワーヌ・グリーズマン 1991.3.21 2021 バルセロナ
8 MF ウール・ニゲス 1994.12.21 2015 チェルシー
9 FW メンフィス・デパイ 1994.2.13 2023 バルセロナ
10 FW アンヘル・コレア 1995.3.9 2014 サン・ロレン
11 MF トマ・レマル 1995.11.12 2018 モナコ
12 FW サムエウ・リーノ 1999.12.23 2022 バレンシア
13 GK ヤン・オブラク 1993.7.1 2014 ベンフィカ
14 MF マルコス・ジョレン 1992.2.23 2019 レアル・マドリード
15 DF ステファン・サヴィッチ 1991.1.8 2015 フィオレンティーナ
16 DF ウエルモリー 1998.4.6 2022 ウディネーゼ
17 FW ロドリゴ・リケルメ 2000.4.2 2019 ジロー
18 MF アルトゥール・フェルメーレン 2005.2.7 2022 アンワープ
19 FW アルバロ・モラタ 1992.10.23 2019 ユベントス
20 MF アクセル・ヴィツェル 1989.1.19 2022 ドルトムント
22 DF マリオエルモ 1995.6.18 2019 エスパニョール
23 DF ヘイニウド・マンターヴァ 1994.1.21 2022 リール
24 MF パブロバリオス 2003.6.15 2022 アトレティコ・マドリードB
26 MF アイトール・ヒスメラ  2004.2.21 アトレティコ・マドリードB
27 DF リアス・コスティ 2003.2.27 2023 アトレティコ・マドリードB
28 DF マルコ・モレノ  2001.2.20 アトレティコ・マドリードB
29 DF ハビエルボニジャール  2005.6.3 2022 アトレティコ・マドリードB
30 DF リムエル・ジェバリ  2004.2.5 2022 アトレティコ・マドリードB
31 GK アントニオゴミ 2003.5.20 2021 アトレティコ・マドリードB
32 FW ドリアン・ニーニョ  2004.6.19 アトレティコ・マドリードB
35 GK セルヒオ・メストレ  2005.2.13 アトレティコ・マドリードB
36 MF アレックスカストラバ  2000.6.22 アトレティコ・マドリードB
40 MF セルヒオ・ゲレーロ  1999.1.13 2021 アトレティコ・マドリードB
45 MF ライアン・ベライ  2005.2.11 アトレティコ・マドリードB

はアトレティコB所属選手。

過去所属していた主な選手

関連動画

関連静画

関連項目

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

兄弟記事

掲示板

おすすめトレンド

急上昇ワード改

最終更新:2024/03/29(金) 11:00

ほめられた記事

最終更新:2024/03/29(金) 11:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP