アビスパ福岡とは、福岡市をホームタウンにするJリーグ2部のチームである。
本拠地は東平尾公園博多の森球技場「ベスト電器スタジアム」(この球技場、何気に福岡空港国内線ターミナルから3kmもない)。
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前身は「中央防犯サッカークラブ」で、当時のホームタウンは静岡県藤枝市。1991年に日本サッカーリーグに昇格、1993年には「中央防犯FC藤枝ブルックス」に改名。1995年に福岡に移転し、「福岡ブルックス」とチーム名を改名する。この年、鳥栖からマラドーナの弟を抜き取り、大型補強に成功すると、24勝をあげて優勝。1996年に九州で初となるJリーグ参加チームとなった。
しかし、90年代後半は不毛な下位争いを続け、99年までJリーグ2桁順位を繰り返していた。その様は、オチそうでオチないので受験などの御守としてグッズが売れると言う皮肉が発生したほどである。しかし、1999年のJ1参入決定予備選における川崎フロンターレとの試合で劇的な勝利(俗に言う「神を見た夜」ないし川崎からした「博多の森の悲劇」)をおさめると、2000年にピッコリ監督が就任し、平島崇やビスコンティを補強すると、チームは6位と大躍進する。
ところが、選手の不祥事が発覚するなど、不運な2001年はJ1年間15位(16チーム中)。遂に弱小チームがJ2での長い昇格争いをするハメになってしまう。
2003年より松田浩(現ヴィッセル神戸監督)が監督として就任。この期間、千代反田充や中村北斗など、チームの主力が伸びた。
2005年、遂に念願のJ1再昇格。アレックス、ホベルト、グラウシオとブラジル三人衆が大活躍した。
しかし、2006年に不幸が起こった。5月に松田監督が成績不振で解雇される。その意志を引き継いだ川勝良一を監督に迎えるも、16位(18チーム中)になり、入れ替え戦へ。入れ替え戦はこの年、J2に降格した皮肉にも松田浩前監督率いるヴィッセル神戸。松田采配が福岡を逆に不調に落とし込み、クビとなった古巣に引導を渡す形で神戸が昇格、福岡は二度目のJ2降格となってしまう。
以後、Jリーグ加盟時から続いていた不可解な采配、ファンのモラルなどが問題視されている。特にフロントが無能と言う評価が根強く、ファンとの確執も相当大きい。その様は、博多の森では負けたらサポーター席の前で謝るのが日課になるほど。
2009年シーズンも不甲斐ない成績で、10位にも達しなかった。格下と言っていた筈のライバルのサガン鳥栖が大型補強で絶好調になったのに対し、相変わらず絶不調で遂にはフロントとの確執とモラルの悪いことで知られている福岡サポーターが応援ボイコットをするなど、ますます荒れたチームとなってしまった。なお、この年12節のコンサドーレ札幌戦での中払大介の名演技はもはや伝説。
これらのフロント陣による負け犬根性に似たアレもあったが、福岡にはプロ野球・パシフィックリーグ所属の球団である福岡ソフトバンクホークスの方がやはり老若男女に絶大な人気がある事と、在福マスコミ各社がアビスパよりもソフトバンクホークス特集に力を入れているが故に、福岡市民でもアビスパの存在を忘れている人間が相当いると言われており、観客動員数もヴァンフォーレ甲府にブチ抜かれる事態に陥る。
ところが2010年になって、無能だったフロントが改革に臨み、都築興(読みはつづくであり、同じ福岡にある元学長がセクハラして捕まった某悪名高い学園グループとは無関係)が社長を辞任したこの年、大塚体制で臨んだ新生アビスパは、福岡大学から3選手を獲得するなど、それなりの補強をした。すると、FW大久保哲哉が今期40得点を記録する等、破竹の勢いで11月23日に5年ぶりのJ1昇格を果たす大戦果を挙げる。まさしく「見ろ、どこが狂っている?」と言わんばかりの狂い咲き、無能フロントだった時代が嘘のようなシーズンであった。
が!!!!
ソフトバンクホークスが序盤イケイケだったのにクライマックスシリーズでボロ負け(2008年に至っては最下位)するのが秋の風物詩であるように、アビスパの風物詩であるJ1になるとボロ負けしまくると言うジンクスは2011年シーズンも健在であった・・・このシーズンでは長年アビスパにいた久藤清一が引退した他、昨年15ゴールを挙げた永里源気が甲府に移籍するなど主力陣が抜けるも、代わりにジュビロで長年プレーして来た成岡翔が完全移籍するなど補強する。しかし、開幕から1引き分け挟み開幕13連敗を喫する事態となってしまい、資金難で監督も変えられない状況の中で再び博多の森にウルトラオブリの怒号がこだまするのであった・・・
8月にはついに監督の篠田が解任され、浅野体制で臨むも時既に遅し、この時点でブッチギリの最下位として降格が確実視され、10月23日の第30節でアルビレックス新潟と対戦した際に1-3で敗北した事により、3度目のJ2降格と言う不名誉な事態となってしまった。皮肉にも同年12月3日、コケにしていたサガン鳥栖がJ1昇格を決め、福岡にとっては再び暗黒の時代が訪れることとなった。
そして再びJ2でのスタートとなった2012年シーズンは・・・何と大分トリニータ(6位)やロアッソ熊本(14位)、挙句の果てにはギラヴァンツ北九州(9位)にまで抜かれて何と18位でシーズン終了(J2で18位は地味にワースト記録)・・・一方であれ程バカにしていたサガン鳥栖はJ1で5位(アビスパの最高位は2000年の総合12位)と十分すぎる成績でシーズンを終える事に・・・
2013年シーズンから、過去2チームをUEFAカップ(現:UEFAヨーロッパリーグ)出場へ導いたスロベニア人のマリヤン・プシュニクが監督に就任する事が発表された。ところが、予想だにしない事がサポーターの間近で起こる。いわゆる『アビスパ福岡経営危機』である。2013年9月の段階で当初の予想を約5000万円ほど下回る収益になり、このままではJリーグを退会しなければいけない事態が襲いかかる。キッズパートナーやサポーターの募金で立て直そうと企むが、状況は一転せずに経営陣に厳しい視線が向けられていた。
2014年からはアパマンショップ傘下の企業が実質的なオーナーとなり、取締役陣を送っている。この年は前半戦は好調でプレーオフ圏内に入っていたのだが徐々に失速。31節から最終節までの12試合で1勝3分8敗と勝ち点6しかとれず、16位でシーズンを終える。
2015年、井原正巳が監督となる。3節まで全敗と立ち上がりは不安だったが、その後徐々に調子を上げていく。そして2位をキープしていたジュビロ磐田を猛追したのだが、最後は勝ち点82で並んだものの得失点差でわずか4及ばず3位となり、昇格プレーオフに回ることとなった。これまでプレーオフでは3位のチームが昇格したことはなかったが、初戦のV・ファーレン長崎を1-0で破り、決勝戦では3位なのに対戦相手の4位・セレッソ大阪のホームでの対潜となったものの1-1の引き分けで終え、悲願のJ1昇格を果たした。サガン鳥栖が既にJ1にいることから、2016年はダービーマッチがいきなりの実現となる。
2016年は前年にJ2・2位だったジュビロ磐田と勝ち点で並ぶという結果を残していたことからプレーオフ組で初めて残留できるのではないかと期待されていたが、J1になるとボロ負けしまくると言うジンクスを破ることができなかった。開幕から7試合勝利なし、1stステージの第3節で降格圏の18位になると以降一度も脱出することができず、1stステージ・第14節以降は最下位。結局1st、2nd、総合すべて最下位で17位の湘南ベルマーレにすら勝ち点差8と大差をつけられ降格となった。
2017年は一時は首位になるなど自動昇格を狙える位置にいたのだが、後半戦で6試合未勝利があったことなどが響き4位で終了。プレーオフでは決勝に進むものの3位の名古屋グランパスと引き分け、昇格を逃した。
2018年は第18節で首位に立つもののその後は自動昇格圏内に入ることができなかった。それでもプレーオフ圏内に入ってはいたのだが、最終節で大宮アルディージャに逆転され、7位とプレーオフも逃す結果に終わった。この年をもって井原監督が退任した。
アビスパ福岡の熱狂的なサポーターによって結成されたサポーター集団の一つ。それが『ULTRA OBRI(ウルトラオブリ)』。自称「アビスパの彼女」。
サポーターの詳細や問題行動に関しては『ウルトラオブリ』の項目参照。
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最終更新:2023/03/21(火) 17:00
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