アブクマポーロ 単語

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アブクマポーロ

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アブクマポーロ(Abukuma Poro)とは、1992年生まれの日本の元競走馬種牡馬である。
南関東エースとして岩手メイセイオペラや中央のバトルライン、エムアイブランらと対峙し戦を繰り広げた。 

な勝ち
1997年:東海ウインターステークス(GII)
1998年:川崎記念(GI)、帝王賞(GI)、東京大賞典(GI)、ダイオライト記念(GII)、かしわ記念(GIII)、NTV盃(GIII)
1999年:川崎記念(GI)、ダイオライト記念(GII)

概要

マチカネフクキタルやディアドクターを輩出した*クリスタルグリッターズ、はバンシユーウエー、*ペールという血統。
はともかく、地味そのもの。なんせ人気の*パーソロンの代用として輸入された全系も遡っても地味といいところはあんまりない。
そんなでも活躍するんだから競馬は面いのであるが。

デビューは遅れに遅れ、1995年5月になった。遅れに遅れたと言ったとおり、彼の同期であるは中央で言うとジェニュインマヤノトップガン南関東だとコンサートボーイヒカリルーファスといったメンツで、彼らがすでに活躍している頃にようやくデビューとなったのである。
とりあえずデビュー戦を圧勝。その後は掲示板は外さない程度に勝ち負けを繰り返し、4歳(以下、旧齢表記)時は10月までに8戦して3勝。
その後ゆっくり休養となり、5歳5月に復帰し復帰初戦を快勝すると当時開業したばかりの出川己厩舎へ転厩。これが、彼の伝説の始まりとなる。

転厩後勝利を重ね始め、年をまたいで5連勝重賞大井記念も軽量ながら勝ち切り6連勝(復帰から数えて7連勝)。帝王賞へ向かうが、同世代で当時の南関東エース格だったコンサートボーイとの叩き合いにクビ差敗れて連勝は止まった。しかし中央勢は負かしており、新たな大物話題になった。
その後サンタアニタトロフィー勝利を挟んで中央のオールカマーに臨むがメジロドーベルに敗れ8着、しかしその次走グランドチャンピオン2000コンサートボーイ相手に圧勝。
中央再挑戦として中ダート重賞東海ウインターステークスに参戦し、追い込む形になったがここも1番人気に応え勝利
意気揚々と東京大賞典に臨むが当時はまだ距離2800mとステイヤーが強いレースであり、中央のトーヨーシアトルキョウトシチーに敗れ3着。

しかしながら翌年はもう止まらない。川崎記念ダイオライト記念マイルグランプリを圧勝した後、かしわ記念では後続を6身突き放してレコード勝ち
帝王賞でも川崎記念の借りを返すべく岩手からやってきたメイセイオペラ北関東ブライアンロマン、中央のバトルラインらを打ち破り王座に君臨
NTV盃を圧勝すると一路岩手マイルチャンピオンシップ南部杯へ向かうが、地元のエースとしてメイセイオペラプライドをかけて挑みかかり、その前に3着に敗れる。
一説によると北へ向かったとオーロパークの広々とした風景を見て放牧と勘違いしたため気が抜けていたとも言われるが定かではない。
しかし大井に帰るとグランドチャンピオン2000を圧勝。2000mに短縮された東京大賞典でもメイセイオペラコンサートボーイを問題にせず。
もはや凄まじいの一である。ホクトベガの後に絶対王者はなかなか生まれなかったが、彼がその座に就いたと皆が思った。

8歳になっても進化は止まらず川崎記念を圧勝。ちなみにライバルメイセイオペラはここではなく、得意条件のマイルGIフェブラリーステークスへ向かい地方所属のまま中央GIを制覇する大快挙を成し遂げたが、「川崎記念選ばないとはメイセイオペラ逃げ出したな!」というも一部であったとか。逆にアブクマメイセイや中央競馬に怖気付いたというもあった。
なんにせよ、この2頭がダート戦線の絶対エースであり、当時中央勢はいいとこ添え物にしかなれない空気だったのである。出川師も事あるごとに「メイセイオペラ対戦するまでは負けられない」と言っていたくらいである。
ドバイワールドカップに行ってくれ!」というも聞こえ始めたが、当時は地方ドバイへ行くためのノウハウの蓄積もないしな話であった。ホクトベガの死もを落としてたし。
そして予定通りダイオライト記念へ向かい快勝。メイセイオペラらとの名勝負数え歌が期待されたが……厩舎で脚を引っ掛けて捻挫。放牧となってしまう。
これで何かが切れてしまったのか、帰厩するが「本来の状態に戻るには時間がかかる」ということで復帰は出来ず引退種牡馬入りした。
通算32戦23勝。当時としてはかなり高齢ではあったが、年をとっても衰えるどころか強くなり続けていた印すらあったので、引退であると言いたくなってしまう。もったいない。

種牡馬としては失敗で2005年引退し、その後は乗クラブで乗として、GI背中素人に伝える余生を送った。その後2018年11月からはテンポイントプリテイキャストの故郷として知られる吉田牧場で功労として余生を送っていたが、2021年2月21日に29歳で死亡した。

交流元年、地方から殴りこんでインパクトを与えたのはライデンリーダーであったが、その後ホクトベガを筆頭とした連中による10倍返しが行われ、やっぱり地方はダメなのか……と思わせた中で彼やメイセイオペラが台頭した。これは地方ホースマンを与えたことであろう。
……たとえそれが、うたかただったとしても。

アブクマが去りメイセイが衰えると中央勢が再び優越し、彼らが築いた優勢はあっけなく消えた。
クロフネトゥザヴィクトリーアグネスデジタルらのオールラウンダーの活躍でダートの価値が上がりつつあり、地方競馬全体が苦をかけられない時期を経験したこともあって、地方勢は再び苦しくなりつつある。
しかしそんな中でも、南関東からは中央に負けない大将の系譜が今でも続いており、アジュディミツオーフリオーソカネヒキリヴァーミリアンサクセスブロッケン!!!!!!スマートファルコン師匠トランセンドらと戦を繰り広げ、時代が令和に移り変わった2021年には南関東生え抜きカジノフォンテン川崎記念逃げ切り、かしわ記念でも中央勢を撃破。同年にはミューチャリーJBCクラシック地方勢で初めて制覇した。
においてもララベルJBCレディスクラシックを勝ち、逃げ一筋で9歳まで戦ったサルサディオーネ重賞戦線を賑わせ、地方競馬全体の売り上げもSNSが普及した今は全体で1兆円をえている。
彼のみたいなものは、まだしぶとく息づいているのである。 

血統表

*クリスタルグリッターズ
Crystal Glitters
1980 鹿毛
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
Tales to Tell
1967 鹿毛
Donut King Determine
Strayed
Fleeting Doll Fleet Nasrullah
Chinese Doll
バンシユーウエー
1982 鹿毛
FNo.2-i
*ペール
The Pale
1968 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
ポーロニアミコ
1978 鹿毛
*プロント
Prompt
Prince Taj
La Caravelle
ミスオリオンの弐 *ヒンドスタン
Hindostan
ヒバナ
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah=Malindi 4×5×5(12.50%)

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