アブ・アイワークスとは、ウォルト・ディズニーとともにディズニーの礎を築いてきた人物である。
ミッキーマウスの生みの親の一人である。だがウォルトのネームバリューの高さに押され、アブ・アイワークスの名前が表に出てこないということは、現在の状況を見ても間違いのないことだろう。
『しあわせウサギのオズワルド』が何十年もの時を経てディズニーに帰還した際に作られたDVDには、彼の功績を讃えるためにと、アイワークスの孫が『アブ・アイワークス物語』という映像作品を作った。それほど、ディズニーにとっては欠かせない人材であった。
1919年に広告会社のイラストレーターとして入社、そこでウォルト・ディズニーと出会うことになる。しかし翌年に契約を打ち切られて失業した二人は、共同で起業することを思いつく。
こうして二人で広告会社を立ち上げた二人だったが、ウォルトがアニメーターとして雇われてしまったことでこの会社はさほど時間を経ずして消滅してしまう。
しかし1922年、アニメーションというものに魅入られアニメーション会社を設立したウォルトによって、事業拡大の際にアニメーターとして雇われる。アイワークスを雇ったのは、起業した会社を潰してしまったお詫び……ではなく、単純にウォルトがアイワークスの天才的な力量を高く評価したためである。
ウォルトの下で、アニメーターとしての才能を開花させたアイワークスは、ウォルトの右腕と呼んでも過言ではないほど、素晴らしい活躍を見せていく。
フィリックス・ザ・キャットを模倣したジュリアス・ザ・キャットが版元に大目玉を食らってしまったことで、アイワークスはオリジナルのキャラクターを作る必要性に迫られた。そこでアイワークスは定規などでも簡単に描けるよう、丸みを帯びた自社キャラクターとして『しあわせウサギのオズワルド』を生み出した。
しかし『しあわせウサギのオズワルド』の版権やスタッフの多くがユニバーサル・スタジオに奪われ、ディズニーの会社そのものが危機に陥ってしまう。この時、会社に残っていた数少ない(あるいは唯一の)アニメーターこそ、アイワークスだったと言われている。
そこで、オズワルドに代わるさらに新しいキャラクターをとウォルト・ディズニーとともに様々なキャラクターを考案することになる。その流れで生まれたのがミッキーマウスであった。
犬や猫といったありきたりなものではなくもっと斬新なものを、と二人で試行錯誤した結果、ネズミという斬新なモチーフを探し当てた。ネズミを選んだのは「ウォルトが仲良しのネズミを元に生み出した」という俗説が有名だが、そんな夢のようなお話はそう簡単には生まれないものである。
本当のところ、アイワークスはオズワルドと同じく「定規などですぐに描けるキャラクターを」ということで、オズワルドシリーズに登場していたネズミのキャラクターを元に、そのコンセプトをさらに昇華させたものとして『ミッキーマウス』をデザインした。これにウォルトの性格構築が重なって、ミッキーマウスはアニメーションスターとして完成することになった。
この辺りには諸説あり、あるいは「オズワルドを奪われた失望感の衝動で、配給会社との交渉帰りにスケッチしたミッキーをアイワークスがキャラクターとした形にした」という話もある。ウォルトはアニメーターではないという認識も多いが、過去には漫画を描いたり、前述のようにアニメーターとして下っ端仕事をしていたこともあるので、これもまた決して不思議な話ではない。
アブ・アイワークス物語曰く、第一作目のプレーン・クレイジーや骸骨の踊りなどといった初期作品は彼の手だけで描かれたとされている(実際はあと数人ほど作画担当が存在している)。
彼の描くスピードは尋常ではなく、プレーン・クレイジーの作画においてはなんと一日で700枚程度を描き上げていたという逸話がある。その筆の速さで、アイワークスはわずか二週間のうちに作品を仕上げたという伝説が残っており、このことはコアなディズニーファンの間で有名である。
プレーン・クレイジーなどのタイトルには『A Walt Disney Comic』という記述の下に彼の名前が堂々と記されている。
ウォルト・ディズニーの生涯の友人と言われており、実際傾きかけた会社を立て直すために尽力し、前述のようにユニバーサル社の引き抜きにも応じなかった唯一のアニメーターでもある。仕事中はほとんどウォルトと共にいたと言われており、二人の強力なタッグがあったからこそ、ディズニーの会社が成長したと言っても過言ではないだろう。
ただし実際どういった親交があったのかは定かではなく、ウォルトの性格が性格なだけにアイワークスはやや彼の奔放さに振り回されていた感があるのも事実である。
しかし、やがてアイワークスはウォルトのやり方に反感を覚えて対立を深める。
一般的にウォルトは創造に関して開放的な名言が残されているが、当時のディズニーはあろうことかスタッフ個人の創造性に制限を設けてしまったのである。
アイワークスは作画マンとしては優秀だったが、彼が独自に描くものはオズワルドやミッキーが活躍を始めた当時の古いイメージのものばかりであり、古臭くて当時の人々に受けないものであった。ウォルトが求めたのは新しさであり、職人気質的なところがあったアイワークスは、徐々にウォルトへの不信感を抱き始める。
ミッキーマウスを私物化したことも原因だと言われているが、決してアイワークス一人で生み出したものではないため本当かは定かではない。どういう理由にせよディズニーへの不信感があったことは事実だったとされている。
独立の話を持ちかけられたことで、自分の思い描いたものを描くことを目的とし、ディズニーを離れ、アイワークスは個人スタジオを立ち上げる。ところが独立後の彼は鳴かず飛ばずで、そのほとんどが人気を獲得することが出来なかった。
オズワルドやミッキーを生み出したデザイン力に上記の作画力と、アイワークスには相当に高い才能があったことは疑いようがない一方で、演出面や経営面(プロデュース面)での才能はなかったとされている。独立後のキャラがミッキーの二番煎じになってしまったり、描くものが古臭すぎて、現代とは違い新しいものを求めていた当時の視聴者と、感性が合わなかったのだと言われている。
結果として独立に失敗してしまったことで、アイワークスにとっては「ディズニーの演出・プロデュース力」、「ディズニーの会社自体のネームバリュー」が不可欠だったことを証明してしまう形になってしまう。
やがて技術面に興味を持つようになったアイワークスはディズニーの元へ戻り、メリー・ポピンズ、わんわん物語、101匹わんちゃんなどの名作において特殊効果に携わるようになる。
ウォルトの死から数年後の1971年、アイワークスも心臓発作により70歳でこの世を去った。死後から10年以上経った1989年、ディズニーカンパニーが主催(委員長はウォルトの甥であるロイ・E・ディズニー)する、『ディズニー・レジェンド』を受賞した。
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