アントニオ猪木単語

アントニオイノキ

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アントニオ猪木(―いのき 19432月20日 - 2022年10月1日)とは、日本人の元プロレスラー、元参議院議員である。

概要

ジャイアント馬場らと共に、日本プロレス黄金時代を築いたレスラーの一人。

本名猪木寛至(いのき かんじ)。スポーツ平和党を結党、党首として政に進出し、参議院議員活動中は本名で政治活動をした。

やることが常人の斜め上を行くスケールの大きさが多くの人にを与え、今だ根強い人気がある。とにかく立ちたがり屋でトラブルメーカーだが、袂を分かったはずの人もいつの間にか仲直りしたりと、非常に魅的な人間であることは間違いない。

キャッチフレーズは『燃える闘魂』。

プロレスリアルファンタジーか今さら議論しても仕方がないのだが、アリとの対戦やイラクでの人質救出は、そんな議論さえ一蹴してしまう出来事ではある。

来歴

1943年、誕生。一時、一家ブラジルへ移住していた。
1960年力道山スカウトされ、プロレスデビュー
1972年新日本プロレスを旗揚げ。
1976年プロボクシングチャンピオンモハメド・アリと対戦。有名な「炎のファイター」のテーマソングはこの時にアリより贈られた。
1989年プロレスラーでは初めて国会議員参議院)に当選
1990年湾岸戦争中にイラク内で起きた在留外国人外出禁止処置(事実上の人質)事件において、一国会議員の身で現地へ乗り込み、人質全員解放させた。
1995年北朝鮮で「スポーツ平和の祭典」を開催して38万人の観客を集めた。
1998年、現役引退引退後は、さまざまな格闘技イベントプロデュースを行った。最近のイメージは、闘魂ビンタダジャレ
2005年、自身の持つ新日本プロレス株式(全株式の51.5%相当)を株式会社ユークスに売却し、事実新日本プロレスの経営から身を引いた。
2007年IGFイノキ・ゲノム・フェデレーション)を旗揚げした。
2010年WWEホールオブ・フェイムにて殿堂入りを果たす。日本人レスラーとしての殿堂入りは彼が初。
2013年参院選日本維新の会から出当選
2022年、全身性アミロイトーシスのため死去。24時間テレビが最後の出演となった。前日に六代目三遊亭圓楽訃報が報じられた矢先だったこともあり、立て続けの巨立ちに日本中が悲しみに包まれた。
また新日本プロレスオフシャルより9月1日に終身名誉会長に就任していたことが発表された。

タバスコ

マキルヘニー社の辛み調味料の「ペッパーソース」、商品名『タバスコ』を猪木の経営するアントントレーディン株式会社1970年代に輸入代理店契約を結んで、タバスコを全に広めた。

このを行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめばはなし
踏み出せばその一足がとなり その一足がとなる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

一休宗純の言葉の引用として認知度の高い『』は、清沢哲夫の著書『無常断章』からの引用である。[1]

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脚注

  1. *「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。 | レファレンス協同データベースexit
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最終更新:2024/03/19(火) 18:00

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