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アントワーヌ・グリーズマンAntoine Griezmann1991年3月21日 - )とは、フランスサッカー選手である。
スペインラ・リーガアトレティコ・マドリード所属。サッカーフランス代表

ポジションはFW。176cm72kg。利き足は左足。
名前の実際の発音は「グリエズマン」らしく、メディア媒体によってこちらの名前で表記されている。

経歴

生い立ち

フランス東部のソーヌ=エ=ロワール県マコン出身。父親ドイツ系で母親ポルトガル系のため、出身地のフランスだけでなくドイツポルトガルルーツを持っている。方の祖ポルトガルプレーしていた元プロサッカー選手である。父親が役所に勤務していたため較的裕福な庭で生まれ育ち、祖もあって幼い頃からサッカー興味を持っていた。地元に近いオリンピック・リヨンファンで、いつかリヨンアカデミーに入ることをとしていた。

6歳になった1997年に地元アマチュアクラブのECマコンでサッカーを始める。在籍しながら標であるプロサッカー選手になるためにプロクラブチームの入団テストを受けるが、体が小さく、線が細かったことから9つのクラブから門前払いにされ、何度も落とされた経験がある。

1999年からはUFマコネーに在籍していたが、転機が訪れたのが13歳となった2005年のときだった。ASサンテティンヌトライアルを受けていた際に、スペインレアル・ソシエダスカウトであるエリック・オルハツが体は小さいながらも俊敏な動きと正確なキックを付け、1週間のトライアルに参加した後に実が認められ、ソシエダとユー契約を結ぶ。

13歳で1人隣へ移住することに両は反対したが、オルハツの説得もあって認められ、間はフランス学校に通い、夕方にはスペイン練習を続ける毎日を過ごすようになる。この頃、後に妻となるエレカ・チョペレナと出会っている。また、周囲を生かしながらゴールチャンスメイクチームに貢献し、守備でも献身的に振る舞う現在スタイルはこの頃に培われたものである。

レアル・ソシエダ

下部組織で順調にステップアップし、18歳となった2009年にBチームへと昇格。プレシーズンでは、トップチームに帯同して試合に出場すると、4試合で5ゴールを決める活躍を見せたことで一躍注を浴び、2009-2010シーズン開幕後もトップチームに帯同することとなる。2009年9月6日レアル・ムルシア戦でデビューを果たすと、9月27日のウエスカ戦で初スタメンを飾り、その試合で初ゴール記録する。この活躍が認められレギュラーを獲得すると、18歳ながら当時セグンダ・ディビジオンに所属していたソシエダの中心選手として活躍。リーグ戦39試合6得点という成績を残し、ソシエダのセグンダ優勝と4シーズンぶりのプリメーラ・ディビジオン昇格に貢献する。

初めてトップリーグとなるプリメーラ・ディビジオンプレーすることとなった2010-2011シーズンは、背番号を「7」に変更し、前年と同じようにソシエダのとして実を発揮。この頃はに左サイドアタッカーとしてプレーし、前年を上回るチームトップの7ゴール記録。降格圏までわずか2ポイント差だったが、ソシエダの残留に貢献。

2011-2012シーズンは、同じフランス出身のフィリップ・モンタニエが監督に就任。アーセナルから移籍してきたカルロス・ベラの活躍によって若干が薄くなっていたが、1シーズンとしてプレーし、チームに欠かせない選手となっていた。

2012-2013シーズンは、レアル・ソシエダラ・リーガに大きな快進撃を起こすシーズンとなる。グリーズマンと同世代の若い選手が中心となったチームは、攻撃的なスタイルで堂々たる戦いぶりを見せる。特にベラ、シャビプリエトと共に形成した2列は躍動し、自身にとっては得点が大きく開したシーズンとなる。チームの勢いと共に充実したシーズンを過ごし、自身初となるシーズン二桁得点記録。開幕前はも予想していなかった4位という好成績に貢献し、チームは10シーズンぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する。

2013-2014シーズンはさらに得点感覚に磨きがかかり、セルヒオ・カナレスというアシスト役がチームに加わったこともあってゴールを量産。すでにリーガでもトップクラスのアタッカーという評価を受けていた。CLプレーオフでは、幼少の頃よりのファンだったリヨン相手に先制ゴールを決め、本戦出場に貢献している。しかし、CLグループステージではを発揮することができず、インパクトを残せないまま敗退となった。それでも、公式戦50試合の出場して20得点という記録を残し、いよいよビッグクラブが獲得に乗り出すようになり、の移籍マーケットの玉の一人となっていた。そして、ステップアップのために10年間所属したソシエダを離れる決断を下す。

アトレティコ・マドリード

2014年7月29日、前年のラ・リーガ王者であるアトレティコ・マドリードへ移籍することが発表される。移籍3000万ユーロ背番号ソシエダ時代と同じ「7」。開幕当初から2トップの一としてレギュラーの座を獲得するが、最初はチーム戦術に染むことができず苦戦をしていた。しかし、12月頃からディエゴ・シメオネ監督める守備戦術をマスターしたことでチームフィットするようになる。また、ソシエダ時代よりもストライカー的な仕事められるようになったことでよりゴールを意識したスタイルへと進化し、移籍1年で22ゴールという結果を残す。

移籍2年となった2015-2016シーズンではすっかりアトレティコエースという地位に定着し、前線からの果敢な守備と持ち前のボールテクニック、高い得点センスによって前年度以上の活躍を見せる。ラ・リーガでは、リオネル・メッシクリスティアーノ・ロナウドという世界最高クラスプレイヤー得点王争いを演じるなど、躍動。CLでも、チームトップとなる7ゴールを決め、特に準決勝2nd legのバイエルン・ミュンヘン戦では値千のアウェイゴールを決め、チームを2シーズンぶりのファイナル進出へと導く。決勝のレアル・マドリード戦ではPK戦の末に敗れ、ビッグイヤーは逃したものの、公式戦54試合32得点というキャリアハイの成績を残し、シーズン終了後にはクラブとの契約2021年まで延長し、リーガでもトップクラスサラリーを受ける選手となる。
この年のバロンドールでは、クリスティアーノ・ロナウドメッシに次ぐ3位という評価を受け、世界的なスター選手としての地位を確立したシーズンとなった。

2016-2017シーズンは、に決勝まで戦い抜いたEURO2016の疲労を引きずっていたこともあって躍動した前年とべると物足りない成績となったが、それでも公式戦通算26ゴールエースとしての仕事は果たしている。この年、ユースの頃から交際していたエリカとの間に長女が生まれ、2017年8月についに結婚する。また、オフシーズンにはFCバルセロナへの移籍が噂され、一部では移籍決定とまで報道されるが、クラブへの感謝の気持ちからオファーを断り、アトレティコへの残留を表明する。

2017-2018シーズンクラブの本拠地が移転となり、2017年9月4日ラ・リーガ第4節マラガ戦において、新スタジアム"エスタディオメトロリターノ"における第一号となるゴールを決める。CLではグループステージ敗退となったものの、UEFAヨーロッパリーグでは重なゴールを決め続け、2018年4月26日の準決勝1st legアーセナル戦では、勝ち抜けに重要となったアウェイゴールを決めている。5月16日おこなわれたオリンピック・マルセイユとの決勝では、前半21分に先制ゴールを決めれば、後半4分にも追加点を奪う2ゴールの活躍によってアトレティコの3度となるEL優勝の立役者となる。また、この試合の終了間際にはすでに退団を表明しているクラブレジェンドフェルナンド・トーレスを投入するようにベンチに要するな計らいを見せている。

2018-2019シーズンでは、再びバルセロナへの移籍報道が過熱し、周囲が騒がしい中でのシーズンとなる。勝ち切れない試合が続き、タイトル戦線から離脱したチームの中で奮闘。だが、態度をはっきりしなかったこともあってサポーターからは非難のがあがるようになる。そして、2019年5月14日ついに退団を発表。チームサポーターへの感謝の気持ちを述べたが、最後の試合となった最終節ではサポーターから「出ていけ」という痛な罵を浴びせられることとなった。アトレティコでの5シーズンでは公式257試合に出場し、133得点50アシストというかしい成績を残している。

バルセロナ

2019年7月12日、以前から獲得に熱心だったFCバルセロナへの移籍が発表される。背番号は「17」。移籍は1億3500万ユーロとなり、このときのサッカー界では歴代3位となる高額での移籍となった。もっとも、その後移籍に関して両チームの間で対立が起き、後味の悪い契約となってしまった。
大きな期待を受けてのバルセロナ入りだったが、蓋を開けてみると多くのスター選手同様にバルセロナの独特なスタイルへの適応に苦しみ、加えてチーム最大のスター選手であるメッシプレースエリアが被ってしまうこともあって居場所を見出せず、初ゴールが生まれるまで開幕から1カかかった。ルイス・スアレスが負傷で離脱した際は慣れない9番の役割を任されるが、ここでも適用できずシーズン後半戦にはベンチを温めることも多くなり、アトレティコ時代のきは消え失せてしまっていた。結局、リーガでは8年ぶりにシーズン一桁得点に終わる失意の1年となり、失望の大きいバルセロナでの1年となった。

背番号を慣れしんだ「7」に変更し、心機一転を図ろうとした2020-2021シーズンも前半戦は状況は変わらず、チームへのフィットに苦しみ、ベンチを温める試合もしくなくなる。一部ではメッシとの対立話やシーズン後の放出まで書き立てられ、悩める日々が続いていた。だが、2021年に入ってから徐々に本来の姿を取り戻すようになると、ラ・リーガ第18節のグラナダ戦で2ゴールを奪ったのをきっかけに失った信頼を取り戻し始め、メッシとの連携もうまくいくようになる。4月17日のコパ・デルレイ決勝アスレティック・ビルバオ戦では先制ゴールを決め、自らの活躍により移籍後初タイトルを獲得する。終盤になるにつれて調子を上げていき、特に2021年に入ってからの公式戦では14得点9アシストという覚ましい活躍を見せ、苦悩の続いたバルセロナでの日々に希望が見えたシーズンとなった。

2021年7月3日2019年ツアー日本を訪れた際にウスマン・デンベレと共に日本人に対して差別的な言動をしたと見られる動画が流出。日本はもちろん、フランス内も含めた世界中から批判が集まり、バルセロナスポンサーを務める楽天抗議をし、コナミからはアンバサダーを降される騒動に発展している。さらに、メッシ電撃退団したことで一部のバルササポーターから批判を受けることに(これに関しては若干理不尽であるが)。

アトレティコ・マドリード

2021年8月31日、古巣であるアトレティコ・マドリードに期限付きで移籍することが発表される。背番号は「8」。長を切り、心機一転で古巣に加入するが、以前チームを退団したときの経緯から一部のサポーターからの反感を買い、復帰後初のメトロリターノでの試合となったCLグループステージ第1節FCポルト戦では味方サポーターからブーイングを浴びせられる。自身の調子も上がらず、四面楚歌の状況に立たされるが、9月28日CLグループステージ第2節ACミラン戦でスタメンから外れるも、途中出場から移籍後初ゴールを決める。続く10月19日の第3節リヴァプール戦では2点ビハインドの局面から2ゴールを決め、同点に追いつくが、その後足裏タックルで退場となる。その後、チームは敗れてしまい、追い上げムードにを差してしまう。ちなみに、CLで2ゴールを奪った後に退場となったのは史上初。12月12日レアル・マドリード戦で筋肉系の負傷で離脱すると、新型コロナウィルス感染、1月のコパ・デルレイで再び負傷したことでコンディションを崩し、11月から半年間公式戦でゴールいままでシーズンを終えてしまう。

2022-23シーズンも引き続きレンタルプレーすることになるが、50%以上の試合で45分以上起用すれば4000万ユーロで買い取らなければならないという規約があったため、開幕から結果を残しながらも出場機会を60分以降に制限されていた。しかし、2022年10月10日バルセロナ側が移籍の値下げに応じたことで全移籍が決定する。

フランス代表

クレールフォンテーヌのようなエリート育成機関で育ったわけではないが、2010年U-19フランス代表に選出され、この年の7月に開催されたUEFA U-19欧州選手権に出場。グループステージ第2節のオーストリア戦で先制ゴールを決めるなど、フランスの7回優勝に貢献している。しかし、翌年のFIFA U-20ワールドカップには所属するレアル・ソシエダとしてプレーしていたこともあり、出場していない。

2010年からはU-21フランス代表のメンバーとしても選出されるが、2012年11月の合宿中にヤン・エムヴィラ、ウィサム・ベン・イェデル、クリス・マヴィンガ、エムベイェ・ニアンらと合宿所を抜け出し、遊びをするという規違反を犯してしまう。事を重大と見たFFF(フランスサッカー協会)から2013年12月31日までの1年間全てのカテゴリーにおけるフランス代表の試合への出場停止という厳罰を下される。

処分が解除された2014年3月ラ・リーガでの活躍が認められフル代表に初招集されると、3月5日オランダとの善試合においてフランス代表デビューを飾る。さらに6月1日パラグアイとの善試合では代表初ゴール記録する。2014年6月ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップでは、負傷によって大会を欠場となったフランク・リベリーの代役として開幕戦の左サイドハーフレギュラーに抜される。ゴールこそかったものの、3試合のスタメンで起用、全試合に出場するなどフランスベスト8進出に貢献している。

その後、フランス代表においてに定着するようになり、背番号クラブと同じ7番を着用。2016年6月には地元開催となったEURO2016に出場。グループステージ初戦のルーマニア戦ではスタメンで出場するが、後半21分に交代させられている。第2節のアルバニア戦ではスタメン落ちとなるが、途中出場から試合終了間際に試合の均衡を破る決勝ゴールを決め、決勝トーナメント進出に導いている。スタメン復帰となったラウンド16のアイルランド戦では、1点をリードされた後半にポジショントップ下に移すと、2ゴールの活躍を見せ、逆転勝利に貢献。以降の試合ではトップ下が定位置となり、準々決勝のアイスランド戦では、大会通算100ゴールとなるゴールを決める。準決勝のドイツ戦でも2ゴールを決め、大会通算ゴール数を6ゴールに伸ばす。決勝ではポルトガルの堅守に抑え込まれ、準優勝に終わったものの、大会最優秀選手賞と大会得点王をW受賞する。

2018年6月には2度の出場となる2018 FIFAワールドカップ ロシア大会に出場。グループステージ初戦のオーストラリア戦では、自らの抜け出しによって得たPKから自身のワールドカップゴールとなる先制ゴールを決め、この試合のMOMに選出される。ちなみに、この試合のPKがワールドカップ史上初めてVARが採用されてのゴールとなった。ラウンド16のアルゼンチン戦でも先制ゴールとなるPKを決めている。準々決勝のウルグアイ戦では、前半40分にFKでラファエルヴァランのゴールアシストすれば、後半16分には回転のミドルシュートによる圧巻の追加点を決め、1ゴール1アシスト勝利に貢献し、2度MOMに選出。決勝のクロアチア戦では、前半18分にゴール前に送ったFKがマリオマンジュキッチのオウンゴールを誘い先制ゴールをもたらす。さらに、前半38分自ら蹴ったCKがイヴァン・ペリシッチハンドを誘いPKを獲得。これを自ら決め、大会通算4ゴール記録。決勝でもMOMに選ばれ、フランスの2度ワールドカップ優勝に大きく貢献。大会のシルバーブーツ賞、ブロンボール賞を受賞する。

2021年6月に開催されたEURO2020では、キリアン・エムバペ、5年ぶりに代表復帰したカリム・ベンゼマと強な攻撃ユニットを結成して出場。グループステージ第2節のハンガリー戦では、1点リードを許した後半21分に同点ゴールを決め、チームを敗戦から救っている。ラウンド16のスイス戦でもカリム・ベンゼマゴールをお立てしているが、チームPK戦で敗れ、よもやのラウンド16敗退となった。

2022 FIFAワールドカップカタール大会では、中盤に怪人が続出したチーム事情もあって従来よりも下がりの位置でプレーすることになる。そのため、どちらかといえば黒子していたことが多かったが、強なアタッカーボールを届ける役割や献身的な守備で欠かせない存在となっていた。特に準々決勝のイングランド戦では、オーレリアン・チュアメニのスーパーゴールと正確クロスオリヴィエ・ジルーのヘディンシュートアシストする活躍を見せる。決勝のアルゼンチン戦では体調不良のため本来の出来とは程遠く、後半26分で交代となる。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2009-10 レアル・ソシエダ セグンダ 39 6
2010ー11 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 37 7
2011ー12 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 35 7
2012-13 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 34 10
2013-14 レアル・ソシエダ ラ・リーガ 35 16
2014-15 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 37 22
2015-16 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 38 22
2016-17 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 36 16
2017-18 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 32 19
2018-19 アトレティコ・マドリード ラ・リーガ 36 15
2019-20 バルセロナ ラ・リーガ 35 9
2020-21 バルセロナ ラ・リーガ 36 13
2021-22 バルセロナ ラ・リーガ 3 0
アトレティコ・マドリード(loan) ラ・リーガ 29 3
2022-23 アトレティコ・マドリード(loan) ラ・リーガ

プレースタイル

レアル・ソシエダプレーしていた頃は左アウトサイド戦場の選手だったが、アトレティコ・マドリードへ移籍して以降はセカンドトップが適正ポジションとなっている。

前線から中盤に降りてきて、頻繁にゲームメイクに関与し、動き直してゴール前に入り込む動きを得意としている。ライン間やハーフスペースなど適切な位置でボールを受け、身体よりも卓越したボールコントロールで相手を翻弄し、味方とのコンビネーションを使ってドリブルを仕掛たり、ゴール前へ飛び出すタイプターンやフリックといった技術で攻撃のリズムを変える。スペースよりも足元でボールを受けることを好む。

ゴールパターンは味方とのワンツーやスルーパスに反応して裏へ抜け出すことが多い。また、左足からパンチのあるミドルシュート武器としており、遠い位置からゴールを狙うこともできる。左足でコースを突いた丁寧なシュートもあり、ゴールパターンは豊富。また、自身もパスで味方を操るゲームメイクを有しており、正確なクロスアシストすることも多い。フリーランニングの質も高く、味方のためにスペースを作り、役になることもすることもできる。

一方、体格に恵まれていないためDFを背負った状態でのプレーが苦手で、ポストプレーは得意ではない。サイドでのプレーは可だが、1トップとして起用されるとほぼ持ち味が出せなくなる。

守備面での貢献度の高さもセールスポイントの1つで、アトレティコ・マドリードシメオネ監督に鍛えられているためボールホルダーに厳しく寄せることができ、自深い位置に戻ってDFを助けることも多い。インテンシティも高く、スター選手ではあるが非常に献身的。

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