アンヘル・ディ・マリア 単語

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アンヘルディマリア

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アンヘル・ディ・マリア(Ángel Fabián Di María Hernández, 1988年2月14日 - )とは、アルゼンチンサッカー選手である。
ポルトガル プリメイラ・リーガSLベンフィカ所属。サッカーアルゼンチン代表

ポジションはFW、MF178cm75kg。効き足は左足。

概要

アルゼンチンサンタフェ州ロサリオ出身。アルゼンチンを代表する左利きのドリブラーであり、左右のウイング戦場だが、インサイドハーフでもプレーできる。麗なドリブル突破と左足のキックの精度から「魔法使い」と称されており、世界有数のプレイヤーの一人である。

1992年アルゼンチンプリメーラ・ディビジオンロサリオセントラルのユースへ入団。2005年トップチームデビューを果たす。当初はサイドバックとしてプレーしていたが、2007年サイドハーフコンバートされると才が開し、着実に経験を積んでいった。

2007年ポルトガルプリメイラ・リーガベンフィカへ移籍。すぐにポジションを掴みUEFAチャンピオンズリーグに出場するなど、大きな飛躍を遂げた。その後、レアル・マドリードマンチェスター・ユナイテッドパリ・サンジェルマンユヴェントスといった各の名門クラブを渡り歩き、レアル・マドリード時代の2014年にはUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献している。

アルゼンチン代表では同世代であるリオネル・メッシセルヒオ・アグエロと共に長くチームを牽引しており、U-20、U-23、フル代表と各世代で世界一を経験。特に4度の出場となった2022 FIFAワールドカップでは決勝でチームの2点を決め、アルゼンチンの3度優勝に貢献。メッシ相棒である「名脇役」として欠かせない存在となっている。

ゴールを決めた際は、両手でハートを作るゴールパフォーマンスで知られている。

なお、スペイン語での標準的発音では「ディ・マリーア」に近い。

経歴

生い立ち

1988年労働者階級の人々が住むアルベルディ区に生まれる。父親ミゲルはリーベル・プレートプレー経験のある選手だったが、膝の怪のために引退。その後、炭鉱で働く生活となり、けっして裕福な庭ではなかった。そんな環境の中でも非常に活発な子供に育ち、周囲に多動性障害ではないかと心配され、マリアーナが小児科医に相談するほどだった。

そんな動き回る子供を見かねた両は4歳のときに地元のクルブ・トリートというサッカークラブに通わせる。練習が始まる前はの炭鉱の仕事を手伝っており、手はになっていた。幼いながらも両を楽にさせようと本気でサッカーに打ち込んでおり、年間64ゴールを決めるなど頭を現し始める。

14歳のとき、地元の強CAロサリオセントラルに入団。ちなみにこのときに受け取った移籍サッカーボール40個だった。この頃のポジションサイドバックであり、ここでも同世代の中で才を発揮するようになる。

ロサリオ・セントラル

2005年12月4日、アペルトゥーラ(前期リーグ)最終節のインペンディエンテ戦で途中から出場し、17歳でプリメイラ・ディビシオンデビューを果たす。プロ最初のシーズンで10試合に出場したが、サイドバックとしてスピードはあるものの、スタミナと対人プレーが弱かったためチーム内での評価は低かった。コーチからは「才がないから他の職業を探した方がいい」と言われるほどだった。

だが、2年となった2006-07シーズンに大きな転機が訪れる。2006年11月14日、アペルトゥーラのキルメスAC戦で投入されてわずか1分でプロゴールを決める。2007年に入って成績不振のロサリオカルロスイスチアを監督に招聘。すると、ディ・マリアは左ウイングコンバートされる。すると、持ち前のスピードを活かしたドリブル突破からゴールに頻繁に絡むようになり、才が開クラウスース(後期リーグ)だけで5ゴールを決め、いつしか欧州の名門クラブから触手伸びるまでになっていた。

ベンフィカ

2007年7月、ボカ・ジュニアーズとの獲得競争を制したポルトガルプリメイラ・リーガの強SLベンフィカに移籍する。19歳での欧州初挑戦となったが、ディ・マリアはこの大きなチャンスを見事に掴むことになる。移籍したシモンサブローサに代わる左ウイングとして加入当初からとして起用されると、初となったUEFAチャンピオンズリーグでは6試合全てに出場。一方、リーグ戦ではノーゴールに終わるなど、得点が課題として挙げられていた。

2008-09シーズン北京オリンピック出場のためチームへの合流が遅れたが、徐々に調子を上げるようになり、移籍後初タイトルも獲得している。

3年となった2009-10シーズン2009年10月19日UEFAヨーロッパリーグ グループステージエヴァートンFC戦でキャリア初となるハットトリックを達成。チームの大勝に貢献する。12月グループステージ終戦では左足ラボーナキックによる圧巻のゴールを決め、欧州全土のメディアから大采を浴びる。リーグ戦でも勢いはとどまらず、2010年2月27日レイションイスSC戦ではプリメイラ・リーガでは初となるハットトリックを達成。翌日のポルトガルスポーツは「マジック・トリ・マリア」という見出しをつけて絶賛する。このシーズンから監督に就任したジョルジェ・ジェズスからは絶大な信頼を得ており、爆発的な攻撃を誇ったチームサイドアタックの切り札となっていた。リーグトップとなる12アシスト記録し、ベンフィカの5シーズンぶりのリーグ優勝に貢献。この年のプリメイラ・リーガ最優秀選手賞を受賞。さらに英雄ディエゴ・マラドーナからは「あと2年以内に世界的なスター選手になる」と称賛されている。

レアル・マドリード

2010年6月28日、移籍2500万ユーロスペインリーガ・エスパニョーラレアル・マドリードへ移籍することが発表される。プレシーズンの段階で当時のマドリー監督であったジョゼ・モウリーニョスタイルであるカウンター戦術にフィットレギュラーを獲得。9月18日のアウェイレアル・ソシエダ戦で移籍後初ゴールを決める。左WGには絶対的なエースクリスティアーノ・ロナウドがいたため右WGでの起用がメインとなったが、問題なくチームフィット2010年11月30日リーガ第13節エル・クラシコでは盟友リオネル・メッシとの初対決が実現。CLではラウンド16 2ndレグオリンピック・リヨン戦と準々決勝1stレグトッテナム・ホットスパー戦で2試合連続ゴールを決めている。2011年4月20日のコパ・デルレイ決勝のFCバルセロナ戦では左からのクロスクリスティアーノ・ロナウドゴールアシストし、このシーズンマドリー一のタイトルに貢献。もっともこの試合の試合終了間際にメッシのドリブルファウル阻止して退場になっている。

2011-12シーズンは前年の過密日程のもあって開幕から調子が悪く、2011年9月22日リーガ第4節レバンテ戦では報復行為のようなファウルを犯し、両軍入り乱れての衝突騒ぎの発端となってしまう。それでも試合をこなすにつれて徐々に調子が上向きになっていき、11月27日アトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーではゴールを決め、勝利に貢献。この年はハムストリングの負傷に悩まされて出場試合数は23試合にとどまったものの、それでも前年と同じ15アシスト記録しており、マドリーの32回リーガ優勝に貢献している。

2012-13シーズンチーム内でモウリーニョ監督選手の確執が噂されるなど、ロッカルームの空気は最悪だったが、自身は変わらず信頼を得て、コンスタントに試合に出場。2013年2月10日CLラウンド16マンチェスター・ユナイテッド戦では芸術的クロスクリスティアーノ・ロナウドゴールアシストするなど大舞台での勝負強さがっていた。公式戦では9ゴール17アシストと自己のベスト記録更新するスタッツを残している。

2013-14シーズンモウリーニョ監督の退任、同じポジションガレス・ベイルの加入が重なり、移籍の噂が浮上するようになる。だが、8月2018年まで契約を延長し、残留。シーズン序盤は出場時間が減っていたが、メスト・エジルの退団もあって新任のカルロ・アンチェロッティからインサイドハーフコンバートされ、レギュラーとして起用されるようになる。通常時はシャビ・アロンソルカ・モドリッチと中盤を形成しながら、崩しの局面では左サイドに流れてサイドアタッカーとして振る舞う、いわば中盤とWGの一人二役を任され、このシーズンマドリーの戦術のキーとなっていた。クリスティアーノ・ロナウドカリム・ベンゼマベイルの「BBCトリオ」をサポートするチャンスメーカーとして欠かせない存在となり、彼らとの縦関係は抜群のクオリティを見せる。そして2014年5月24日アトレティコ・マドリードとのCL決勝では120分間をフル出場し、延長前半にDF2人を置き去りにしたドリブル突破からベイルの決勝ゴールアシスト。試合後にはこの試合のMOMにも選出され、レアル・マドリードの前人未踏のラ・デシマ(10回ビッグイヤー獲得)達成に大きく貢献する。

2014-15シーズンクラブハメス・ロドリゲストニ・クロースを補強。これによってUEFAスーパーカップセビージャFC戦に15分間プレーしたのがマドリーでの最後の試合となり、シャビ・アロンソと共に押し出されるように退団する。毎年のように活躍しながらクラブからの彼への評価は不当なものだった。

マンチェスター・ユナイテッド

2014年8月26日イングランドプレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドへ史上最高額の5970万ポンドで移籍。クラブ伝統の7番を与えられるなど、大きな期待を背負って迎えた加入1年2014-15シーズンでは中盤戦から徐々に調子を落とし始め、終盤戦では低調なプレーに終始。シーズン中にはルイス・ファン・ハール監督との確執も噂され、27試合3得点10アシスト記録したものの1年で放出されることとなった。シーズン後、デイリーデレグラフからシーズン最悪の契約選手と評されてしまう。なお、マンチスターに購入した7億円の邸が強盗に襲われてしまい、ショックプレーがままならなくなったとも言われている。

パリ・サンジェルマン

2015年8月6日フランスリーグ・アンパリ・サンジェルマンへ移籍。契約期間は4年で背番号は11。8月30日、アウェイASモナコ戦で新地でのデビューを果たすと、この試合でアシスト記録9月15日CL ホームのマルメFF戦では移籍後初ゴールを決める。ユナテッドでの不遇の1年から再びきを取り戻すと、9月22日ホームナント戦では公式戦2試合連続となるリーグ・アンでの初ゴールを決める。ズラタン・イブラヒモビッチエディソン・カバーニとのトリオCIAトリオと呼ばれ、圧倒的な破壊リーグ・アンを独走し、加入1年にしてクラブ三冠に貢献。2016年4月26日クープ・ドゥ・ラリーグ決勝のLOSCリール戦では決勝ゴールマーク。移籍1年にしてリーグ・アン記録となる18アシスト記録し、さらにキャリア初の二桁ゴール二桁アシストを達成。自らの存在価値をあらためて明することとなった。

2016-17シーズンも引き続きレギュラーとしてプレーし、2016年10月19日CLグループステージホームバーゼル戦でシーズンゴール記録11月19日ナントFC戦でリーグ・アンでのシーズンゴールを決める。2017年2月14日、パルク・デ・フランスおこなわれたCL準々決勝のFCバルセロナ戦では2ゴールを決め、4-0での大勝に貢献。しかし、チームカンプノウでの2ndレグ歴史的な大逆転負けを喫して敗退。リーグ・アンでも優勝を逃すが、2017年4月1日クープ・ドゥ・フランス決勝ASモナコ戦ではゴールを決め、カップ戦二冠を達成。

2017-18シーズンネイマールキリアン・エムバペといったビッグネームのアタッカーチームに加入。カバーニと共にスター選手たちの割を食った部分はあったものの、チーム内で重要な立場であることに変わりはなく、チャンスメイクに奔走する。2018年2月6日クープ・ドゥ・フランス3回戦FCショー戦ではハットトリックを達成。準決勝のオリンピック・マルセイユ戦では2ゴールを決め、大会通算7ゴールを決めている。

2018-19シーズンスター軍団の中でもきを放ち、この年から就任したトーマス・トゥヘル監督からも重宝される。2018年2月14日CLラウンド16では因縁のマンチェスター・ユナイテッドと対戦。1stレグではアシュリーヤングタックルによって負傷を負うが、交代を拒否してプレーを続行。その後にエムバペゴールアシストし、3-1での勝利に貢献。しかし、2年前と同じようにオールド・トラフォードでの2ndレグで逆転負けを喫し、3年連続でベスト16で敗退。一方、リーグ・アンではキャリハイとなる12ゴール12アシスト記録し、リーグ連覇に貢献している。

新型コロナウィルス感染拡大のためにリーグ・アンシーズン途中で打ち切りとなった2019-20シーズンでは、2019年9月18日グループステージでは、古巣のレアル・マドリードとの対戦が実現し、2ゴールの大活躍で撃破をしている。ちなみに、この試合によってバルセロナレアル・マドリードの両方を相手に1試合2得点を達成した史上2人の選手となった。リーグ戦では26試合で7ゴール14アシストリーグ3連覇に貢献。異例の集中開催となったCLでは、準々決勝は出場停止のため欠場となったが、準決勝のRBライプツィヒ戦では1ゴール2アシストの大活躍によってPSGクラブ史上初のファイナル進出に導いている。自にとってはレアル・マドリード時代の2014年以来2度となったCL決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では善戦しながらも及ばず、準優勝に終わっている。それでもシーズン通算13ゴール22アシストという脅威のスタッツを残している。

2020-21シーズンは前年の疲労を抱えてシーズン前半戦は低調なパフォーマンスが続ていた。2020年9月13日マルセイユとのル・クラスィクでは試合終了間際に両軍入り乱れた乱闘騒ぎとなり、ネイマールに衝突したアルバロ・ゴンサレスを吐いたとして4試合の出場停止処分を受けている。フロントとの確執でトゥヘル監督が解任になるなど混乱の続いたシーズンとなった中、2021年5月4日CL準決勝マンチェスター・シティ戦でフェルナンジーニョの足を踏みつけて一発退場となり、欧州の大会3試合の出場停止処分を受ける。5月20日クープ・ドゥ・フランス決勝ではエムバペゴールアシストし、PSGの歴代トップアシスト数となる通算104アシストを達成している。

契約を1年延長した2021-22シーズンリオネル・メッシと初めて同じクラブプレーすることになる。前線メッシエムバペネイマールというスター3人がったで負担が増え、スタメンから外れることもしばしば起きていたが、それでも公式戦7ゴール9アシストという数字を残す。PSGでの5度リーグ優勝を経験した後の2022年5月20日契約満了により退団することが発表される。PSG最後の試合となったリーグ・アン最終節FCメス戦でアシスト記録。パルク・デ・フランスの大きなスタンディングオベレーションを受けながらパリでの生活に終止符を打つ。

ユヴェントス

2022年7月8日イタリアセリエAユヴェントスフリーで移籍。8月15日セリエA開幕戦サッスオーロ戦で先制ゴールを決め、鮮デビューを飾る。その後、アシスト記録したが負傷によりピッチを後にした。9月15日CLでは古巣のベンフィカ戦に出場し、CL通算100試合出場を果たす。10月5日CLマッカビハイファ戦ではチームの全得点となる3アシストの活躍を見せる。2023年2月23日UEFAヨーロッパリーグウェイナント戦ではハットトリックを達成。ただ慢性的なハムストリングの負傷によって出場時間が限定され、年齢のこともあって1年で契約満了により退団する。

ベンフィカ

2023-24シーズンサウジアラビアから巨額のオファーが届いたと伝えられるが、2023年7月6日に古巣であるSLベンフィカに13年ぶりに復帰することが発表される。8月9日スーパーカップ FCポルト戦で二度ポルトガルデビューを飾ると、初ゴールを決め勝利に貢献。9月29日プリメイラ・リーガポルト戦でもゴールを決めている。敗退が決まった後のCLグループステージ最終節ザルツブルク戦ではCKからの直接ゴールを決めている。

アルゼンチン代表での経歴

アンダー世代

ロサリオセントラルでブレイクし始めた2007年U-20アルゼンチン代表に選出され、U-20南米選手権に出場。2007年6月に開催された2007 FIFA U-20ワールドカップメンバーにも選出され、セルヒオ・アグエロと共に攻撃を牽引。準決勝のチリ戦の先制ゴールを決めるなど、通算3ゴールを決め、アルゼンチンの大会連覇に貢献。この大会でのセンセーショナルな活躍が認められ、多くのビッグクラブに注されるようになり、その後のベンフィカ移籍に繋がる。

2008年からはU-23アルゼンチン代表に選出され、8月に開催された北京オリンピックメンバーに選出される。リオネル・メッシセルヒオ・アグエロ、エセキエル・ラベッシ、OAフアン・リケルメといったタレントいの攻撃の中でもを引くような活躍を見せ、準々決勝のオランダ戦ではメッシのパスに反応して延長後半に決勝ゴールを決める。決勝のナイジェリア戦では、後半13分にカウンターから鮮やかなループシュートで決勝ゴールを決める。この大会ではラッキーボーイ的な存在にもなり、アルゼンチン金メダル獲得に貢献。二世代続けての世界一となる。

アルゼンチン代表

北京オリンピック後の2008年9月6日2010 FIFAワールドカップ南米予選パラグアイ戦でフル代表でのデビューを果たす。当初はタレントいの攻撃で出場機会が限られていたものの、徐々に代表に定着するようになる。2010年5月24日カナダ戦で代表初ゴール記録

2010年6月から開催された2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ大会のメンバーディエゴ・マラドーナ監督から選出される。大会では左サイドレギュラーとして起用され、5試合全てに出場(ギリシャ戦以外はスタメン)。チームは準々決勝でドイツに大敗している。

2011年7月に開催されたコパ・アメリカ2011では、3試合に出場。グループリーグ第3戦のコスタリカ戦では代表の公式戦初ゴール記録。しかし準々決勝のウルグアイ戦でPK戦の末に敗退。

2014 FIFAワールドカップ南米予選では12試合に出場し、2014年6月ブラジルで開催された本大会にも出場。メッシアグエロゴンサロ・イグアインといったな攻撃の一として活躍し、ドリブル突破から何度もチャンスを作り出していた。ラウンド16のスイス戦ではスコアレスで迎えた延長後半終了間際に値千の決勝ゴールを決める。準々決勝のベルギー戦でも開始8分にイグアインゴールアシストするが、前半33分に太もも離れによってを流しながらピッチを後にする。準決勝と決勝は念の欠場となり、アルゼンチンは決勝でドイツに敗れて準優勝となる。

ワールドカップ直後の2014年9月5日には決勝で敗れたドイツとの善試合が速実現し、1ゴール3アシストと大暴れし、ドイツに大勝。リベンジに成功する。

2015年6月からチリで開催されたコパ・アメリカ2015では、前年のワールドカップリベンジを誓いタイトル獲得への意欲を見せるなか、準決勝のパラグアイ戦で2ゴールを決め、アグエロゴールアシストする活躍で決勝進出に貢献。しかし、決勝のチリ戦ではブラジルW杯のときと同様に前半30分で離れによってピッチを後にし、チームPK戦の末に敗れ、またも準優勝に終わる。

2016年6月アメリカで開催されたコパ・アメリカ センテリオでは開幕戦のチリ戦で先制ゴールを決め、後半にはエベル・バネガゴールアシスト。続くパナマ戦でも開始々にCKからニコラス・オタメンディのゴールアシストするが、またもや負傷によってピッチを後にする。残りの試合は欠場となってしまい、3年連続大きな大会で怪によって離脱する悲運に見舞われ、チームもまたチリに敗れ、準優勝に終わる。

2018年6月ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップ ロシア大会に出場。不振のチームは選手とホルヘ・サンパオ監督の間に轢が生まれるという悪い空気に包まれながら辛くも決勝トーナメントに進出。ラウンド16のフランス戦では、同点ゴールを決めるが、後半にチームメイトであるキリアン・エムバペセンセーショナルな2ゴールによって敗退となる。

2019年6月ブラジルで開催されたコパ・アメリカ2019ではレギュラーを外れ、全て途中出場となり、チームも準決勝でブラジル敗。なお、準々決勝のベネズエラ戦でアルゼンチン代表100試合出場を達成している。

2021年6月ブラジル開催となったコパ・アメリカ2021に出場。グループリーグ第3戦のパラグアイ戦ではパプ・ゴメスゴールアシストしたものの、決勝トーナメントに入ってからは若手が優先的に起用され、途中出場が続いていた。決勝のブラジル戦ではスタメンで起用されると、前半22分ロドリゴ・デ・パウルからのロングパスに反応すると、この試合一のゴールとなる左足でのチップキックシュートを決め、アルゼンチンの28年ぶりのタイトル獲得に貢献。メッシと共に喉が出るほど欲しかったフル代表での初タイトルを自らの左足で引き寄せることとなった。

2022年6月1日には、ウェンブリースタジアムで開催されたEURO王者イタリアとのフィナリッシマ2022に出場し、前半アディショナルタイムチームの2点を決め、代表での2つタイトルを手にしている。

2022年11月には2022 FIFAワールドカップ カタール大会に出場。大会前には怪で出場が危ぶまれながら34歳で4度ワールドカップとなったが、初戦のサウジアラビア戦を落とし、後がなくなったグループリーグ第2戦のメキシコ戦でメッシの先制ゴールアシスト。しかし、第3戦のポーランド戦で念の負傷によってピッチを後にしてしまい、決勝トーナメントに入ってからは準々決勝のオランダ戦で8分間だけプレーしたのみとなる。だが、決勝のフランス戦で戦列に復帰し、左WGのスタメンに名を連ねると、前半21分にファウルを誘ってメッシのPKによる先制ゴールをお立てすると、前半35分にはアレクシス・マック・アリスターのパスに反応し、左足でファーサイドに流し込む丁寧なシュートによってチームの2点を決めている。後半19分に交代したものの、アルゼンチンの36年ぶりとなるワールドカップ優勝に貢献。メッシと共にU-20、U-23に続いての世界制覇となった。
この大会を最後に代表を引退することを発表したが、メッシに説得されたこともあり、代表でのプレー継続することを言する。

2023年11月24日、自身のSNSにおいて2024年コパ・アメリカを最後に代表を引退することを発表する。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2005-06 ロサリオセントラ プリメーラ・ディビジオン 10 0
2006-07 ロサリオセントラ プリメーラ・ディビジオン 25 6
2007-08 ベンフィカ プリメイラ・リーガ 26 0
2008-09 ベンフィカ プリメイラ・リーガ 24 2
2009-10 ベンフィカ プリメイラ・リーガ 26 5
2010-11 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 35 6
2011-12 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 23 5
2012-13 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 32 7
2013-14 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 34 4
2014-15 マンチェスター・ユナイテッド プレミアリーグ 27 3
2015-16 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 29 10
2016-17 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 29 6
2017-18 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 30 11
2018-19 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 30 12
2019-20 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 26 8
2020-21 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 27 4
2021-22 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 26 5
2022-23 ユヴェントス セリエA 26 4
2023-24 ベンフィカ プリメイラ・リーガ

個人タイトル

プレースタイル

左利きで「魔法使い」とも称されるドリブラーでメインポジションは右のウイングだが、左のウイングトップ下、インサイドハーフでも問題なくプレーできるユーティリティプレイヤーゴールよりもチャンスメイクを得意にしているタイプ

スピードはもちろんだが、繊細なボールタッチの持ちで、スピードで強引に相手を置き去りにすることもできれば、ボールタッチを活かしたトリッキーなドリブル突破も使いこなし、ラボーナのような遊び心のあるプレーを披露することもある。相手との駆け引きにも長けており、最前線の選手をサポートしながら違いを生み出す。

左足のキックの精度は世界でもトップクラスであり、キックの球種も豊富。視野が広いため、逆サイドに正確なサイドチェンジを送るのも得意で、ピンポイントクロスから多くのアシスト記録している。セットプレーキッカーを任されることも多い。

またチームメイトとの共有が高く、非常に連携面で優れる選手です。レアルマドリードではクリスティアーノ・ロナウドベンゼママンチェスターユナイテッドではルーニーファン・ペルシ、そしてパリではイブラヒモビッチやエンバぺ、代表ではメッシイグアイン等数々の選手達とコンビネーションを構築。彼らの良き相棒としてアシストを量産している。

守備の局面でも労を惜しまなハードワーカーで、アルゼンチン代表では守備の貢献が少ないメッシフォローしている。その反面、身体にかかる負担が大きく、筋肉系の怪が多い。そのため1シーズンを通してフルで稼働できることは少なく、代表のビッグトーナメントでも途中で離脱することが多い。また、アルゼンチン人らしいダーティーな一面もあり、熱くなり過ぎて悪質なファウルカードを貰うことも。

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