アンリ・リトルフ(1818~1891)とは、19世紀に活躍した作曲家・ピアニスト・指揮者である。
名前は正確にはアンリ・シャルル・リトルフ(イギリス人なのでヘンリー・チャールズ・リトルフとも)である。
イギリスのロンドンに生まれる。父親はアルザスの出身だったのだがナポレオン軍として半島戦争に従軍したときイギリスの捕虜となり、解放後は定職について定住したようだ。
はじめはヴァイオリニストであった父親から師事を受け、次いでイギリスにわたってきていたイグナーツ・モシェレスの弟子となった。1835年にかけおち同然でパリにわたり、フランソワ=ジョゼフ・フェティスやアンリ・パブ、ピエール・ジメルマンの勧めでピアニストとして活動するようになり名声を得た。
1839年に妻と別れるとブリュッセルに、1841年にワルシャワに、そして1844年にドイツに移りハンス・フォン・ビューローを弟子とした。離婚問題による投獄からの脱獄などもあり、このころから神経障害に悩まされるようになったが、ビューローの献身的な介護もあって1845年のベルリンをはじめとした演奏旅行を成功、1858年にふたたびパリに戻ることができた。なおこの間一人と恋愛、二人との結婚を行っている。パリでは指揮と作曲活動に専念した一方で3番目の妻の没後には4回目の結婚を行っている。
その後もピアニスト、指揮、出版業などでヨーロッパ各地で活躍し、そしてそのままパリで亡くなった。
彼の代表的な曲が5つの『交響的協奏曲』というピアノ協奏曲であるが、第1番は紛失してしまっている。逆に言えばこれ以外の曲はほとんど忘れ去られており、主にサロン向けの小品ピアノ曲を作っていたが交響曲やオペラにまで手を広げていたことはあまり知られていない。これからの知名度の向上に期待、という作曲家である。
残念ながらないようだ
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最終更新:2024/04/25(木) 12:00
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