アーサー王物語 単語

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アーサー王物語(アーサー王伝説)とは、ブリテン伝説を基にした中世騎士物語である。円卓の騎士の冒険譚が有名で、現代のゲーム・アニメ作品などでもたびたび引用される。

概要

元々はローマ帝国崩壊後のブリテンにおいて、異民族アングロ・サクソン人)と戦った伝説英雄の存在が土台となっている。その後、イングランドフランスなど欧州各地において、吟遊詩人などの手によりロマンティックな騎士物語としてられていった。

本来アーサー王関係な物語伝説に取り込まれるなどして、多くのバリエーションが生まれていったが、15世紀にイングランドトマスマロリーが「アーサー王の死」として一連の物語をまとめあげ、ちょうどヨーロッパで出版技術が発達しつつある時代だったこともあり、以降これがスタンダードストーリー構成となった。

物語は大きく四部に分かれる。

先述の通り、様々な物語をつぎはぎして作られていった関係上、エピソードによってキャラクターの性格が大きく異なっていたり、死んだはずの人物がひょっこり再登場したりするのは御嬌。

!注意!

作品が書かれた時代、場所、本によってとにかく設定がバラバラで、何が正しいのか言い出すとぶっちゃけキリがい。なのでここでは現代一般的に知られているであろう設定を簡単に説明する。異説や原設定については「本によっては」「古い設定では」「元々は」等の注釈を入れておく。また、作中における年代経過(序盤・終盤など)と、作品成立に関する現実の年代経過(古い本・初期の設定)との混同にも注意。

主な登場人物

アーサー王とその近親者たち

円卓の騎士

ペリノア王の一族

武勇に優れた者が多い。

ロット王の一族

アーサーの子たち。ついカッとなってしまうが多い。

ランスロットの一族(フランスの騎士たち)

ランスロットの唐突な行動に振り回される他数名、という構図。

その他の円卓の騎士たち

その人数は13人から300人まで諸説ある。

その他の人物

用語集

キャラクター性の変化やバリエーション

概要の通り、元々長い期間をかけて各地で作られていった物語であるため、バリエーションが多い。(現実の年代において)特に古くから登場する人物としてはガウェイン、ケイ、ベディヴィア、グリレットモードレッドなどが挙げられる。

扱いの違いにおいて顕著なのがガウェインとランスロットである。
ブリテン系の物語では、ガウェインはまっとうに勇敢な騎士として描かれている。一方、フランス系の物語ではフランス出身のランスロットが優遇されており、ガウェインは乱暴者の面が強調されていたり、噛ませ犬的扱いになっていたりする。
物語が作られていった中世には百年戦争1337-1453)を中心に、英の仲であったのでこれも止むしか。

クレティアン・ド・トロワの登場

12世紀のフランスの吟遊詩人レティアン・ド・トロは、散文の題材としてアーサー王伝説を度々用いている。特に有名なのが「荷騎士ランスロ」聖杯騎士ペルスヴァル」の二点(後者未完)。これらは現代に至るまでのアーサー王物語の最重要ワードランスロットとグィネヴィアの禁断の」および「聖杯」を(伝えられている限りでは)初めて物語内に取り入れた作品なのである。彼の登場によりアーサー王伝説はそれまでの土着伝承からロマンス文学への脱皮を果たしたと評される。(ガウェインにとっては受難の始まりであるが)

マロリー被害者の会

これまでに述べた通り、トマスマロリーの「アーサー王の死」によって一連の物語が体系化されて現在に至る訳だが、この際に上記クレティアン作品を始めとしたフランス系の物語ベースになったため、ガウェインの印がかなり悪いものとして広まってしまった。中にはマロリー版で出番がカットされて、存在自体が忘れられてしまう人物もいたりする。

時代考証

物語は3世代にまたがっていて、始まりから終わりまでは40~50年間程度と推測される。 マロリー版では、ガラハッドが登場して聖杯が始まるのが 「イエスの受難(AD30ごろ)から445年後」とされているので、大体5世紀後半が舞台のようだ。

アーサー王は本来ブリテンに侵入してきた異民族と戦っていた人物なのだが、 物語としてはそうした侵入者は描かれず、単にブリテン覇権をめぐる戦いとなっている。 ローマ遠征やサラセン人の存在まで考えると時代背景がますますカオスになる。 え、ゲルマン人の大移動? なにそれ?おいしいの?

補足:史実における古代ブリテン島とアーサーのモデル

イタリア半島の外へと拡大したローマ帝国は、西暦43年にブリテン南部を征し、ここに属州ブリタニアが設置された。当時ブリタニアに住んでいた先住民ケルト系のブリトン人と呼ばれる人々である。一方北部のスコット人・ピクト人に対する征は諦められて、五賢の一人ハドリアヌスにより長が建設された。
ブリタニアに限った話ではないが、以降は現地土着の文化宗教ローマのそれとが、やんわり融合していく事になる。

が、帝国はやがて肥大化と内乱と異民族侵入でガタガタになってしまった。そんな410年、西皇帝ノリウスからブリタニアにお手紙が届く。

……マジでこんなだから困る。このときホノリウスはブリタニアから全軍を率いて勝手に皇帝を名乗るコンスタンティヌス3世に苦しめられていた。まさにルキウス・ティベリウスそのものである。ああ、なさけなや。そんな訳で辺ブリタニア帝国から切り捨てられてしまい、北のスコット人・ピクト人を始めとした異民族に自で対抗する羽になってしまった。なおこの頃のブリタニアは、イタリアから派遣されてきたローマ人と、おローマ色に程よく染まったブリトン人とが適度に混住している状態である。前述の通り、ブリトン本来の土着文化が潰されたわけではかったので、ブリトン人の各有者を中心にいくつかのに分かれつつも、今後の対策が練られた。

彼らの結論はこれまでのローマ帝国のやり方に倣い、にはを、異民族には異民族ぶつける事であった。そこでおがかかったのが当時移動中だったゲルマン人たち。アングル人(アングリ半島出身)、ジュート人(ユトラント半島出身)、サクソン人(低ザクセン地方出身)から選りすぐり傭兵団が招かれた。

が、そう上手くはいかない。なにしろ対ガリア(フランス)と並んで平原・穀物生産地としての価値が高かったのがブリタニアである。ゲルマン人(以下アングロ・サクソン人)も間もなく反旗を翻し、ブリテンを計画するのであった。

内部の導権争いなどもあってブリトン人側は連戦連敗。このまま万事休すか……と思われたが、518年、ベイドン山の戦いにおいてブリトン連合軍は起死回生の大勝利を収める。この戦いのブリトン官が、アーサー王モデルとされている。当時の史料不足から人物の全な特定には至っていないが、これによってアングロ・サクソン人が一時撤退した事は確かである。まさに救世主であった。

だが結局ブリトン人の内輪揉めは収まりきらず、ウダウダしている内にアングロ・サクソン人が再度侵攻を開始。遂に南東部の豊かな平原地帯を奪われてしまう。これによりアングロ・サクソン人の移住が本格的に始まり、ブリトン人はウェールズコーンウォール半島へと追いやられていった。中にはコーンウォールからを渡り、ガリア北西に位置するアルモリカに移住、のちこの地域はブルターニュと呼ばれる。

こうして「ローマ文化を持ったケルトブリトン人の子孫」がウェールズブルターニュに定住し、救世主たるアーサー王英雄騎士)たちの伝説が発展・拡大していくに至る。

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2021年3月6日現在時点でニコニコ大百科に記事がないものはとしている。

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