アーロン・ガイエル 単語


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アーロンガイエル

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アーロン・ガイエルAaron Guiel、1972年10月5日-)とは、カナダ出身の元プロ野球選手外野手)。東京ヤクルトスワローズに所属していた魔将である。 ペンギンじゃねぇYO!(本人談)

2006年WBCカナダ代表でもあったりする。

概要

間をめる程度の能力を持つ。とも呼ばれる。四死球を増やしたり、ボールを得意なインコースに引き寄せたり、守備範囲を広くしたり、バットを折りながらホームランにしたり、相手のエラーを引き起こしたりと非常に汎用性が高い。

しかし時々力が誤作動し、何でもない飛球を落球したりする。特に来日当初は守備時の力が上手く制御できていなかった模様。青木宣親は「センター定位置から動いていないはずなのに、気が付くとライトを守るガイエルの方向に吸い寄せられていた」と言している。

経歴

1992年MLBドラフト21巡カリフォルニア・エンゼルス(後のロサンゼルス・エンゼルス)から21巡名を受けて契約。その後はサンディエゴ・パドレスオークランド・アスレチックスにトレードで移籍したが、メジャーに召喚されることはなかった。

2000年カンザスシティ・ロイヤルズにトレードで移籍し、2002年メジャーデビュー。魔将の伝説が始まった。

2007年東京ヤクルトスワローズに召喚され、4番打者として活躍。村田修一らと本塁打王争いを繰り広げた。また88四球、23死球という驚異的な四死球の多さで、打率.245(リーグ32位にも関わらず出塁率.381リーグ4位)という記録を残した。また、10月7日古田引退試合では魔将の力が発揮された。第3打席においてただの外野フライだったのがショートレフトが交錯。何が起こるかわかっていたかのように全力疾走していたガイエルはそのままダイヤモンドを一周。ランニングホームラン(記録は左ゴ本)になった。また、その次の打席ではものすごい当たりのホームランライトスタンドにぶち込んだ。さすが魔将、やることが違う。


2008年は負傷により前線を退き戸田に身を隠す事も多く、送還されるとの発表も為された。さよなら魔将…と思いきや、一転まさかの送還中止。さすが魔将、契約すらめて延長したらしい。


2009年復活を遂げ、中軸として活躍。四球こそ減ったがチームトップの27本塁打、15死球で再びリーグ最多死球を得る。また37歳と高齢にもかかわらずの複数年契約ゲット


2010年の第1号ホームランが、この年より導入された初のビデオ判定となり認められる。これは日本球界初のビデオ判定を受けた打者として名を残そうという魔間を発生させたらしい。この年は開幕直後は絶好調だったが、後半に失速。8月抹消されるとそのままシーズンを終えた。それでもチームトップの16本塁打マークした。


2011年痛が悪化、出場してもほとんど活躍できなくなり、9月引退を決意。最後の魔力Yahoo!トップ引退記事を載せるという偉業を成し遂げた。将来は導者をし、ヤクルトに恩返しをしたいと語った。ありがとう、魔将。


2012年、古巣ロイヤルズ下のマイナーチームに選手兼任コーチという形でまさかの現役復帰を果たした。


2019年、古巣ヤクルトの編成部アドバイザーに就任した。アメリカでのスカウト活動がメイン

成績

通算打撃成績

通算:10年 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:5年 307 1099 970 151 239 58 0 35 128 8 5 11 83 30 218 15 .246 .322
NPB:5年 441 1701 1411 203 330 64 1 90 239 6 0 12 211 67 385 19 .234 .357

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