イカリウス・ビオランティウス 単語


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イカリウスビオランティウス

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ガイウス・イカリウス・ビオランティウス(Gaius Icalius Biolantius)とは、古代ローマ時代の哲学者。

概要

闘士に身を落とすという過酷な遇の中で独自の哲学体系を作り出し、チン欲的なストアッー流であったローマ哲学歪みねぇを与えた。後世ではど忘れられた名の存在であったが、現代哲学で注を受ける妖精哲学の始祖として近年再評価されつつある。

親日暮里大学哲学科の乳首コリーナ名誉教授イカリウス研究の先駆として知られ、『古代ローマ妖精哲学』『哲学イカリウスの生涯』『イカリウス全集』など数多くの著作論文を残した。

本名はガイウス・イカリウス・ビオランティウス。古代ローマ時代の闘士にして商人、そして哲学者。闘士として類の強さを誇っていたと伝えられ、一級闘士(プリムス・パルス)の称号を持っていた。彼がコロッセオで試合をする日には、ローマ中の男達がその勇姿を見る為に集まったという。さらに解放奴隷の身分を得た後は商業で成功していたともいわれる、まさにビジネスマーンな男と伝えられる。

そんな彼だが、一方で「ヘタレであった」とする資料も数多い。「あーやっぱり怖えー」などすぐ弱音を吐く愚か者、開幕タップヘタレなどがよく知られている。まぁそういう一面があったのも仕方ないね

―――『哲学イカリウスの生涯』乳首コリーナ著 第一部第一章

評伝

出生から哲学の芽生えまで

ガイウス・イカリウス・ビオランティウスはローマ時代、とある属州の片隅にあった植民都市ゲイパレス農夫として生まれた。複数の歴史書は彼がローマ市民権こそ持たないものの、パルティアサルティアより更に東の果てにあったという新日暮里の王・キング石井の末裔という高な血筋に生まれたと伝える。

イカリウスは貧しさから金銭と市民権をめて補助軍に入隊したが、過酷な軍役に「あぁ、もう最悪……」と離脱を図った事で捕らえられてしまう。本来なら死罪すらありうる重罪だったが、隊長トータス・フジオカヌスは「ヒュー、可哀想だねぇ…」といそいそとを準備していた軍団マルクス・タダノス・コスギトゥスに助命を嘆願した。

自由となったイカリウスはこの出来事から寛大さを旨とする妖精哲学の原初を探りえたのだと考えられている。また同時に己の弱さこそが「ああもう最悪…」であることに気が付いた彼は強くなりたいという想いを抱き、自らより過酷な生き方を選ぶ。そう、闘士である。

剣闘士ビオランティウス

闘士としてのイカリウスは必ずしも腕前で一番ではなく、そのヘタレ…もとい脆い精神面を伺わせる事も多かった。しかし元から身体的には恵まれた資質を持っていた彼は次第に頭を現し、それでいてその気弱さが手に握らせると観衆から人気を集める存在に成長していった。

加えて彼の人間的成長を促したのは友、そして人との出会いであった。所属する闘士団の団長アキッラ(アクイラ)・キャラヌスイカリウスの良き師、良き友として彼を支えた。本来、コグノーメンを持たない彼に闘士としての渾名である「ビオランティウス」(楽器を意味するヴィオロンに由来するという)を与えたのも彼であるという。

また闘士団のスポンサーを務める名族ユキポ氏族の元老院議員ユキポ・ハギワヌスユキリアは密かに身分の異なるイカリウスと深い情を結んでいた。

だが過酷な人生を望んで進んだ彼は再び芽生えつつあった甘さへのを抱いていた。これで本当に良いのだろうか。そう悩む彼の元に皮にも幸せを打ち崩す悲劇が訪れる。

友との戦い

イカリウスの祖の地である新日暮里アッー総督に立身していたタダノス・コスギトゥスが軍を送り支配下におさめる事件が起きる。戦勝により元老院から「シンニポリクス」(新日暮里の征者)を授与されたタダノスは王DEEP♂DARK♂FANTASYな統治を行った。このような行為は属州総督の利得としてしばしば行われた行為ではあるが、ローマの民はダークドン引きした。

さらにローマに戻って平家ボーイ化した新日暮里の住民を引き連れて凱旋式を行う様子に、怒りを抑えられなかったイカリウスは不意にタダノスの隊列に切りかかった。

取り押さえられたイカリウスは奴隷達を自由にしろと叫ぶ。もがイカリウスの死を予見したが、意外にもしばしタダノスは考えた後、このように告げた。

Fuck You あの時のヘタレがなかなかいい度胸になったじゃねぇか。ならその勇気に免じて一度だけチャンスを与えてやろう。ただしはトータスの用に慈悲深くはないがな。

コロッセウムでの用意した相手に勝てば、奴隷たちは解放してやるぜ。

―――『哲学イカリウスの生涯』乳首コリーナ著 第三部第二章

論、引き受けたイカリウスであったが、なんとタダノスがBOY♂NEXT♂DOORと呼びかけてコロッセウムに呼んだ相手は師であり友であるアキッラ・キャラヌスであった。慈悲のい行為に「救いはないんですか!?」と叫ぶも虚しく、熱狂する観衆のにかき消されてしまう。

ビオランティウスは懸命に戦った。当時ローマではしかった中国武術に端を発する「フェアリー韓信」などで一時は有利に試合を進めた。が、彼の力の差は圧倒的で、胸のボリューム調節つまみを執拗に弄られた彼は最終的には敗れてしまった。

事切れる寸前に発した台詞ゆきぽ姫ー!  愛してれぅ! 愛してれぅ!」は彼とゆき愛の強さを物語っており、現代に至るまでローマ史劇における悲劇として幾度も舞台で上演されている。

―――『哲学イカリウスの生涯』乳首コリーナ著 第三部第三章

エピローグ

その後の諸人物の足取りはイカリウス自身も含めて詳しくは記されておらず、現在新日暮里大学史学科で研究が続けられている。しかしそれだけではあんまりなので、以下に現時点で有力とされている通説を紹介しておこう。

ガイウス・イカリウス・ビオランティウス――戦いにおいて敗れ、一命を取り留めるものの闘士としての生命は絶たれた。彼を哀れんだ時の皇帝によりローマ市民権を与えられ、ユキリアを妻にローマ郊外で隠棲したという。後半生に書き残した大著「自慰録」は妖精哲学最古の学術書としてを与えた。

アキッラ・キャラヌス――戦勝による功績でローマ市民権を与えられ、タダノスの強力な後押しでエクイテス身分まで手にした。しかし出世と引き換えに友を犠牲にした事は生涯悔やんでいたと伝えられる。パルティア遠征に出中に戦死したとも、タダノスに粛清されたともいわれるが定かではない。

マルクス・タダノス・コスギトゥス・シンニッポリクス――その後も絶大な権勢を誇り、執政官を数度にわたって歴任するなど帝国第一の実力者にまで上り詰めた。後年には自らの戦いを記録した「新日暮里戦記」を記述したが、これは新日暮里の実像を後世に伝える重要な資料になっている。

彼等の生き様は、哲学パンツレスリングが普遍であると、私たちに示しているのかもしれない。

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